2-6
軽口も程々に、彼は私の手を引いて、一歩自分のほうに近寄らせた。
「僕が合図してから良いと言うまで、息を全部吐いて止めとくといいよ」
「どういうこと」
「噛み砕いて説明すると、今から一瞬で移動する間に真空に似た状態に入る。最悪死ぬよってこと。嘘だけど」
「嘘なのかよ」説明自体はなんとなく理解できたのだが。クロスはおどけた様子で肩を竦めて見せた。
「死ぬのは嘘だよ。ただ慣れるまでめっちゃ気持ち悪くなる。今までの経験則で、移動中は息を吐いて止めておくと、かなり負担が減るのがわかったんだ」
「なるほど。信じとくわ」
「じゃあ、さっさと行くよ。息吐いて。3、2、1」
彼の声に合わせ、私は息を吐いた。1のカウントに合わせて息を止めると、目の前が一瞬暗くなった。同時に肺や内臓が押し潰されるような圧迫感が全身に押し寄せ、彼が言っていたように、吐き気や目眩で気持ちが悪くなった。このままこの状態が続くのかと少し絶望仕掛けたが、有難いことに直ぐに視界が開けた。
再び視界が明るくなった頃には体中の圧迫感も消え去り、新鮮な空気が肺を満たすのがわかった。
クロスの魔法で移動した場所は、周りにゴロゴロとした岩が転がっているという点では、つい先程まで居た山の上と同じだった。岩や地面の表面は山のそれとは違って乾燥しており、空気も心做しか湿っぽさが無いように感じた。空を見上げると、白い雲を湛えた青空と、灰色の大きな山のとんがり帽子が視界を埋めた。おそらく、あの山がさっきまで私達が居た山なのだろう。周囲に見える山の中で、あれが一番大きい。
「この谷の下に川があるだろ。これを下流のほうに向かって行くと、町があるよ」
「オーケー。さっさと行こう。移動魔法とやらは意外と疲れるんだね」
事実、狭い穴をむりやり通ってきた感覚から抜けたあとは、結構な疲労感に襲われている。心拍数や呼吸があきらかに上昇しているし、なんというか、........もう寝たい。
「最初はそんなもんだよ。高度も一気に変化したしね。
僕もちょっと疲れた」
その場にへたり込みそうな私に彼が渡してきたのは、水でもなんでもなく、何故かドーナツだった。こんなもの食べたら、口の中パサパサになるんだが?
呆れてる私を後目に、クロスはもう一つドーナツを取り出すと、大きな口で一口、頬張った。「疲れた時はやっぱり、甘いものだよね!」確かにそうだけど。ドーナツはなんか今の状況には違う気がする。
私はドーナツを片手に、ショルダーバッグの中を探って水を入れた皮袋を取り出した。蓋を開けて1口飲むと、疲労感が少しは和らいだ。
「口の中パサパサになっちゃった。僕にも水ちょうだい」
「そりゃぁパサパサになるよ、ドーナツなんて。ーーところでいいの?これ使ったら関節キスだけど」
揶揄うつもりで、わざとニヤニヤしながら言う私。だがクロスの反応は意外にも薄く、「そんなに気にすること?」と、不思議そうに聞いてきた。さっきは手を繋ぐだけで緊張していたくせに。こいつの中のボーダーラインは一体どうなっているんだ。クロスはがぶがぶと水を飲みながら、山道の一方を指さした。
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