1-5
そして、中央の人影が自分であることは分かったのだが、
「うわぁ、これは酷い」
まさに、「酷い」その一言に尽きる。私の顔はパンパンに腫れており、はっきり言って不細工過ぎて目も当てられない。瞼や頬は腫れ上がり、所々皮膚が破けて出血している。唇も同様に腫れ、ダランと口を開いて血の混じったヨダレが汚らしく垂れていた。
私の両手は上にあげてある。手の先は誰かの手に掴まれており、それが繋がった肩は黒い頭から生えていた。要は、誰かが私の両手を掴んで運んでるように見えるわけだ。髪の長さや俯瞰から見える体格からして、父親である。私は部屋着をきちんと着直していたが、ボタンが2つほどかけ間違えている。慌てて着せたのだろう。
「彼は、殴りすぎたせいで君が死んだと勘違いをしてるんだ。でも、君は死んでない。脈も呼吸もある。焦ってて分からなかったんだね。
このまま元の世界に戻れば、君はまた意識を取り戻せるよ」
「........なら、」
すぐ戻してくれ、と言いたい自分と、このまま死なせとこう、という自分が居た。どういう訳か、私はこの世界から命を散らすことを躊躇っている。名残惜しい気持ちがあるのだ。
先程、私が「戻りたいかも」と言った。そのとき少年は一瞬だけだが、驚いたように見えた。当然私も驚いた。自分が分からないと思った。
しかし、確かに父は最低な生き物だが、弟は可愛いし、母は少なくとも表面上は優しく、父が居ない時だけは、心からいい母親だと感じることがあった。彼女には罪悪感や贖罪の感情もあるのだろう、必要もない所で「ごめんね」と呟くことも多かった。精一杯謝罪の気持ちを態度や表情で伝えようとしているように見えた。
父だけなのだ。父だけが私の人生を乱しているのだ。今戻れば、生き返れる。まだ遅くない。生き返って、どんな手を使ってでも性的虐待の証拠を確保し、父を排除すればいい。世間から後ろ指刺されようとかまわない。私は何も悪くない。子供を恐怖や痛みで支配し、思い通りに弄ぶ父だけが悪い。私は何も、間違ってない。間違ったのは父なのだ。父さえ居なければ........
「もど、」
「ストップ。よく見て」
戻る、と言いかけた私を遮り、少年が鏡を指さした。その人差し指は意識を失っている私の足元を指しており、そこにはもう1人、誰かがいるのが見えた。父と、そして殴られすぎた私の酷い有様にばかり目がいっていたが、もう1人居たのだ。その人は私の両足を抱えているようだ。
「これ、だーれだ?」
冷淡な声で問いかける少年。私は答えたくは無かった。誰だか分からなかった訳では無い。むしろ、分かりすぎるほど分かっていた。白髪混じりの黒髪、それが華奢な肩に垂れている。肩は父のそれと比べると小さい。腕を曲げて、私の膝を抱えている姿は、頭上から見ても分かるほど大変そうだった。
私の、母なのだ。
フローリングの床は見覚えがある。自宅のリビングだ。私と両親の右に映っているにラグは、リビングの奥に位置するテレビの前に、いつも敷いてあるものだ。彼らがどこに向かっているのか、住んでいる家だからこそ分かったのだ。この先にはベランダがある。
「もっといいものを見せてあげるよ」
少年は人差し指をクルリと回した。すると、画面がパッと切り替わり、母の顔が映った。
母の表情は安らかだった。口元は若干微笑みを湛えているような、僅かな曲線を描いていた。私が見てる時はいつもキョロキョロと動き、怯えたような眼差しを常にしていた双眸は、半分閉じた瞼の下で、穏やかに光っていた。目付きからして、気を失っている私を見下ろしている。私を見て、安心した顔をしていた。
その表情からは優しさや、慈愛の類は見受けられなかった。もっと冷酷で、悪意のあるものだった。彼女の表情にセリフをあてるとしたら、........「やっと死んでくれた」だ。
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