第4話 A woman named Yoon Son-ha

まだ私とユウキが素人からようやく足抜けした頃、その2577作戦は実行された。

発端は東京都内の暴力団関係先をガサ入れした際に発見された銃火器。

その何れもが北ルートを示す銃火器であり、背後に北の存在が垣間見える。


当時の政府は改憲反対と総理の汚職バッシングに対応するのに精一杯で、とても自衛隊の行動を起こせる余裕はない。

だから私達が選ばれた。

背後に労働党第39号室がある以上、実行しているのは人民軍で間違いないのだろう。

韓国側と防衛省は協議し、北の知識を持つ特殊部隊員を派遣した。それがユン・ソナ中尉だった。


彼女は私達と妹のように接し、指導をくれた。

彼女からしてみれば日本側の協力者がこんな子供だとは思ってもいなかっただろうが、それを無視したのか、彼女は平等に接してくれた。

捜査を進める中、私達は総連関係で公安が調査していた情報にぶち当たった。その案件に係る在日韓国人、それがおそらく39号室の所属員のカバーだろうと。


-2年前 山口県下関市郊外 AM2:25-

下関郊外の片田舎にその工場はあった。ヤードと呼ばれる、中東系の違法組織が利用している場所の中でそこは件の韓国人経営だった。

政府の正規支援を求められず、その場所は確実に武装した北の工作員が潜伏している状況。

そんな中でユン・ソナ中尉は必要もないのに、来てくれた。

「ソナ中尉、あなたはオブザーバーでオペレーターではありません。だから戻ってください」

「ソナさん、子供居るんでしょ!?だったら帰らないと・・・こんな国で死ぬことない」

私達の言葉に、彼女は首を振った。

「九絵ちゃん、ユウキちゃん、ここであなた達を見捨てたら私は幸せに国に戻れない。たとえ成功しようとも、置いて帰った罪悪感に」

流暢な日本語で彼女は言葉をつなぐ。

「私は子供に顔向けができなくなってしまう。だから手伝わせて。私はこの仕事が終わったら家族と幸せに暮らすつもりなの。でも、この仕事が完璧でなくてはいけない。私の教え子を放っては帰れないの」

その義理心に私達は感動した。だからこそあの結果があったのだ。


「ユウキ、見えてる?」

『おっけ、バッチリ』

ヤードを一望できる位置にユウキは陣取っていた。狙撃銃での援護。実働は私とソナ中尉。

『外に武装した作業員が3人、中は・・・わからない。気をつけてね』

事前情報でヤード内は5人でそのうちの一人が確実に39号室員だとわかっていた。

だからヤードの建物内には二人しかいないはずだ。

「ユウキ、1分後に突入する。スタンバイ」

私と中尉はヤードの入り口に取り付いた。情報通り、内側から鍵がかけられている鋼鉄のドアだ。

粘着剤の入った爆薬をドアに仕掛け、しばし待機。手元のGショックが予定時刻に迫る。

「九絵ちゃん、リラックス。成功する、絶対に。そして殺させない」

「・・・うん」

手元の点火機を2回クリックし、ドアは爆発で内側に吹き飛んだ。

それと同時にユウキが発砲し、一人を仕留める。

『1ダウン』

中にエントリーした私は相手が武器を構える前にMP7でダブルタップした。中尉も私に遅れて突入し、もうひとりを排除する。

「クリア」

「クリア」

中の工作員が情報を破棄するより前に突入しないといけない。

焦ったのだろう、相手が反撃をすぐに行わないと思いこんでいた。

相手はこちらの気配を察したのか、それともカメラで見ていたのか、建物の中から銃を撃ってきた。その一発が、ボディアーマーでとまったとはいえ、私の腹部に命中した。

「九絵ちゃん!」

しかしソナ中尉は冷静だった。慣れていた。彼女は軍人だ。

すぐさまMP7で壁越しに射撃をし、窓をそのまま割ると閃光手榴弾を投げ入れる。

しばしの閃光と音響、彼女は窓から中に射撃した。


工作員の死体と情報はすぐさま市ヶ谷で処理され、ある程度の国内浸透を避けられた。

作戦終了をもってソナ中尉は帰国。

その見送りに私達は行った。

成田空港で大泣きする高校生を抱きしめる彼女はどう映っただろうか。

「落ち着いたら是非遊びに来て?また、連絡するから」

そう彼女は言い残して帰国した。


だが連絡はなかった。理由はわからない。けれど彼女は幸せに生きているだろう、そう信じていたのに。

現実は彼女を苦しめている。


「信じられる?あのソナ中尉が、こんな」

私の言葉にユウキは首を振る。

「ソナさんには世話になったけど、それも2ヶ月ちょっとの話。あの人の本性まではわからないよ、九絵。だいたいあの年で軍大学を出て中尉で特殊部隊の経歴もなかなかだよ、よく考えたらさ」

資料で見たら現在34歳。北に潜入する部隊に所属していたのは軍大学卒業後すぐということになる。相当なエリートだ。

「”上”に言って韓国陸軍から経歴でないの?」

「先に止められてる。彼女が707に居た時より前は国家情報院が教えない。たぶん、かなり非正規戦に関わってる。だから私達のところに来れたのかもしれない」

考えれば考えるほどに、危ない経歴だ。

「とにかく、上の指示は彼女の確保なのか?」

「そう考えていいみたい。たぶん顔見知りだから回ってきたのよ、私達に」

といっても情報がない。おそらく山口の下関港から上陸しているだろうが、その潜伏地がわからない。

「とりあえず飯、喰おうぜ。急いだってわかんないだろ」

「ええ」

再びユウキはフォレスターを車道へと動かし、目的地だったカフェに走らせた。


手元のZippoの蓋を、意味もなく開いては閉じる。開いては閉じる。

火をつけるわけでもなく、口に咥えた新しいタバコは火が付けられるのを待っているが、私は無意味に口で遊ぶだけだ。

「ユン・ソナ中尉、どういうつもりだ・・・これは!」

彼は大声で叫ぶ。防音のラブホテルを選んだのは成功だったな、ビジネスホテルでこの声で怒鳴られてはたまらない。

「イム・ジンホ中佐、怒鳴られては困ります。部屋が狭いのであなたの金切り声が耳に響きます」

私はついにようやく、Zippoに使命を与えた。口で弄ぶタバコに火をつけ、吸い込む。

紫煙を吸うのは幾年ぶりだろう。

「ユン・ソナ中尉!思い直すんだ。私の診断で君が軍を追われたのは事実だが、だが、これは、しかたないだろう!?君がおかしくなったのは、私を今拘束していることでも明らかじゃないか!」

イム・ジンホ中佐に私は後ろ手で結束バンドを使って拘束し、椅子に縛り付けている。

肩の骨でも外さないと脱走できないし、医師の彼がそれをするとも思えない。

「イム・ジンホ中佐、それは大変理解していますし、誤診とも思っていません。でなければ私は国の血税で賄われた大量の兵器を強奪した上、同僚を殺害し、中佐を日本で拘束したりはしません。あなたは名医ですよ」

肺に染み渡る不健康な煙は、同時に血液に流れ、鎮静作用をもたらす。

「では、なぜ!」

私は不意に、タバコを口から離すとイム・ジンホ中佐の頬へ押し付けた。

金切り声、体の奥底から叫ばれる絶叫。

「中佐、ご理解ください。階級こそ私が下ですが、あなたを支配しているのは私であって、あなたは支配される側ですよ」

肉の焼ける臭いは、ヒトは臭い。

嗅ぎ慣れてはいるが、嗅ぎたくもない。

「私を、拷問したところで・・・何を知りたいのだ・・・」

「知りたい?いいえ、知っています。すべて」

イム・ジンホ中佐は拍子抜けした顔をする。日本語のことわざで、鳩が豆鉄砲を食ったようとでもいうのか。

「そもそもパク・サンウ少佐が殆どを話してくれましたよ。彼は北韓式にやって差し上げましたからね」

「パク・サンウが何を・・・」

「全てですよ。現政権の日和見政策にあてられ、北と懐柔政策をとった軍に組みした我々707大隊の真実。そして代償に差し出された私」

私が立ち上がるとイム・ジンホ中佐は体を大きく震わせた。

彼の頭を掴み、耳元でささやく。

「私はね、中佐。イカれたんですよ。旦那と娘が北韓の連中に殺されたときに壊れてしまったんです。10年も奉職した国に、軍に裏切られてね。あなた達、いや、お前たちは一番してはいけないことをしたんだ。私が死ぬのはどうだっていい、それくらい北韓の連中に恨まれることをした。でも旦那は?娘は?軍人でもない二人はなぜ死んだんです?これはパク・サンウも答えてくれなかった。まぁ、その時に彼の舌を焼き切っていましたからね」


-東京 市ヶ谷 防衛省地下4階-

”サベッジ”こと作戦担当官の野並佳苗2等陸尉は自分の手元に集まる情報を精査し、チェアマンに下ろすべきものを選別する。

すでにタバコは20本目、部下に買わせてきた1カートンのケントも底をつきそうだし灰皿が漫画みたいな消しモクの山だ。

「つくづく、この仕事は疲れる」

眉間を揉み、ため息をつく。大人の私が彼女たちに張る虚勢は、彼女たちの自信と信頼につながる。だから疲れる。

「野並二尉、気になる事件情報が桜田門から来ています」

「見せて」

部下の回してきたファイル。桜田門、つまり警視庁に出向しているうちの”課員”が流した情報だ。先日の官房会議の話も聞いたが、いまだに桜田門と市ヶ谷の距離感はマリアナ海レベルだ。

ファイルに記されていたのは神奈川県横浜市のラブホテルで起きた火災についてのものだった。

火災は寝タバコが原因と見られ、宿泊していた男性は死亡。死因は焼死。

宿泊リストによれば韓国からの旅行者でチェ・ムヒョン57歳。韓国の貿易会社勤務の役員だ。

「これがなにか?」

「うちの情報にその貿易会社の情報が引っかかりました。それは韓国陸軍707大隊が持っているペーパーカンパニーです」

707大隊絡み、だから私に来たのか。

「チェ・ムヒョンの入国時の映像を確認した結果、韓国軍勤務のイム・ジンホ中佐と判明しました。軍医です」

イム・ジンホ、確かユン・ソナ中尉の診断書に出てきた名前だ。

「イム・ジンホが日本に滞在していた目的は現在韓国国防省に照会中です」

「無回答だろうな」

ジンホが滞在していたのは十中八九ユン・ソナ絡みだ。隠れていたのだろう、まさか日本まで来ているとは思うまい。それを明かすほど韓国側も馬鹿じゃない。現時点でコントロールできていないのは我々に協力を依頼した時点で明白に等しい。

つくづく理解が出来ない。ユン・ソナはなぜ自部隊の人間を消して回っている?

「とりあえず韓国大使館に張り付いてる課員からの報告は増やせ。それと協力してくれんだろうが、公安からも在韓・在朝鮮筋の情報を引き出してもらえ」

ユン・ソナがインチョンから掻っ払った武器の一切合切、日本に一つも持ち込んでいないと思うのは間違いだ。となれば協力者が居ないと可怪しい。


その日、東海道新幹線のぞみ25号は順調に博多へ向け進行していた。

年始の混雑を終え、平日の今日は車内も人影はまばらだ。

車掌は車内を点検し、頭を下げて次の車両へと移動する。

途中、車内販売員とすれ違い短く挨拶を交わす。

「変わったことは?」

「ないですね。やっと落ち着いて仕事ができます」

子供が居ないだけでも緊張感はない。ほころびを見せた販売員に車掌も笑みを返す。

次の車両に入り、車内をぐるりと見渡す。指定席には人はまばらで、スーツ姿の客がほとんど。一人だけ女性が窓際席に座っている。通路を進み、彼女の横を通った時に香水だろうか、ふわりと心地よい匂いが鼻をくすぐる。

無論、職務中故にそんなものは顔に出さないが、思わず女性をちらりと見てしまう。

相手もこちらを見ていた。笑みを浮かべ、すぐに窓を見つめる。

気のせいだろうか、悲しいような目が見えた気がした。

車掌は直ぐに意識を仕事へと戻し、車両を後にする。


手元のダイバーズウォッチに目をくれた。

予定通り、新幹線は名古屋に到着したようだ。

新幹線は5分の停車の後、博多へと向け再び走り出す。


「大使、この後の予定ですが」

「いや、少しゆっくりさせてくれ。大阪でもいいだろう?」

韓国語が彼女から3列離れた席から聞こえる。

「かしこまりました。では大阪で」


席に座っているのは男女二人で、探している相手に間違いはなかった。

だが面倒なことに”背広”の気配を感じた。

連中のドブ臭さは何度も嗅いできたからわかる。

ハンドバックからコンパクトを取り出し、化粧直しをする風に鏡を男女の後方へと向ける。

出入り口近くの席に腰掛けている4人。間違いない、国家情報院の工作員だろう。

武装は確認できないが、外交官付きの奴らだ。外交行李で拳銃くらいは持ち込んでいるはず。私の手配書は読んでいるだろうが、変装を見破れてない。


その日、カン・デギョは大使の大阪講演に合わせて本国から派遣された警戒チームの一人としてのぞみ25号に乗り込んでいた。日本政府には未許可のK5拳銃まで携行が許可されたのは5時間前のこと。その全ては707部隊のユン・ソナが日本国内に潜伏し、すでに1名の隊員を殺害しているため。そして現大使のイ・ジョンウ大使はユン・ソナの元上官であったためだ。

国防省経由で届いた彼女の最新の写真は家族写真だった。同封された軍人顔の写真とは違う、屈託のない笑顔。印象に残る笑顔だ。だが彼女は北韓侵攻作戦部隊にも所属していた経歴から変装が出来る。安心できる要素がなかった。


カン・デギョが座席に座り、あたりを警戒する中であっても、彼女はその警戒網に映らなかった。徹底した変装というものは見破るのが難しい。

カン・デギョは自分の隣を通り、外のトイレへと向かった女性客を目で追って確認したが、彼女ではないと判断した。彼女はそのまま車両を出るとトイレに入り、鍵を閉じた。


新幹線は昨年から持ち込み物に対して改札で検査することがあった。それを避けるため、わざわざ前日清掃員に偽装してトイレの天井へ忍び込ませたのはマカロフPBとマガジン2つ。それを取り出し、マガジンを装填してスライドをコックする。

彼女は銃をハンドバックの影に持ち、そのままトイレを出た。


自動ドアが開き、ユン・ソナは動線上の護衛3人の頭部めがけて横薙ぎに3回トリガーを引き絞った。くぐもった銃声はちょうどトンネルに入った音でかき消され、マカロフPBの徹底した減炎装置で閃光さえも見えず、3人の頭は破裂した。

だが彼女が最後確認したときは四人居たはずで、トリガーを引く前に彼女は消えた4人目を目で探していた。

「ユン・ソナ!」

轟く怒声と突進する気配。ユン・ソナはハンドバックを放り、CARシステムの要領でマカロフを構え直す。だが相手もそれに気づき、座席の中へ転がり込んだ。

つかの間の暗闇と同時に新幹線はトンネルを出た。

イ・ジョンウは列車の後尾に立つ女がユン・ソナであると確信し、身を隠した。

同時にカン・デギョもショルダーホルスターからK5拳銃を取り出し、彼女に向けて闇雲に撃つ。

銃声が5回響き、一般の乗客たちは驚き怯え、車両前方へと走った。狂乱。

それに乗じてイ・ジョンウも走ったが、ユン・ソナはそれを見逃さなかった。

隠れていた座席から身体を倒し、床に倒れ込んだままイ・ジョンウの走る右足を撃ち抜く。彼はもんどり打ってその場に倒れ、視界にそれを収めた彼女は同時に身を捩って座席列に身体を戻した。先程まで彼女が倒れ込んでいた場所にカン・デギョが放った9mm弾が3発着弾する。

개새끼犬畜生が・・・!」

思わず口をついて出た侮辱言葉に、まだそんな事を考えれる脳味噌が残っていたのかと思うとユン・ソナは苦笑した。

一方カン・デギョは撃ち込んだ相手が笑う声を聞き、かすり傷さえ負わせていないことに恐怖する。

同僚が3人殺され、自分はあの化物を一人で倒さねばならないという重圧。

だがその帰結は意外にも早く訪れた。


ユン・ソナは対峙する相手がなかなかの腕前だと悟るやいなや、放ったハンドバックからMk13閃光手榴弾を取り出し、ピンを引き抜いてレバーを跳ね上げてから投げつけた。

凄まじい閃光と音響は身構えてすら居なかったカン・デギョの方向感覚、視覚といった戦闘に欠かせない感覚全てを簒奪する。彼の目を潰し、ユン・ソナはカン・デギョのこめかみめがけてマカロフPBを撃ち込む。

「あっけない」

彼女は撃ちきったマカロフのマガジンを排出し、新しいマガジンを装填した。

イ・ジョンウの元へ向かう途中、新幹線が緊急ブレーキを使用してユン・ソナは前へ吹き飛ばされた。

「流石に気づいたか・・・いたた・・・」

車内放送では今の停車を詫、不測の事態が発生していると伝えてきている。

「ユン・ソナ中尉、何を考えている」

イ・ジョンウは壁にもたれ、青い顔をして息を吐いていた。

「イ・ジョンウ大佐、お久しぶりです。最後にお会いしたのは青瓦台でしたか」

彼はフフッと笑う。

「いや、最後にあったのは開城市での作戦だ。4年前になるか」

「大佐、時間がないので思い出はここまでで。貴方の鞄をいただきます」

ユン・ソナはイ・ジョンウが抱えている鞄を指差す。

「あなたへは今回の件について正直恨みがありません。だからそのカバンの中身だけでいいんですよ」

ユン・ソナは口で述べながら、現在停止したのが京都の手前ぐらいだろうと踏んでいた。

銃撃戦だったから最寄りの大阪府警のSATの配備が予想される。

「・・・やはりか」

イ・ジョンウはわかった顔をする。

「あのときの作戦から、こうなるのはわかっていたのかもしれない」

「大佐、それを寄越してください」

彼女はマカロフPBを構える。

「脅されなくても渡すさ・・・。これは君に対する謝罪だ。私がついていればこんなことには」

そういい、イ・ジョンウは鞄を放った。

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