第3話 If you want to hide something , that is the trees in the forest.
『総理!昨日の渋谷での爆発はテロだったという報道がありますが!』
『総理!答えてください!』
首相官邸に入る総理を取り囲む報道陣。
任期がすでに6年になろうかという長期政権を率いる総理は報道陣の前で立ち止まる。
『その件についてはテロではないと報告を受けております。詳しくは総務大臣から説明があります。わたしはこれで』
『総理!』
首相官邸に設けられた会議、本日の議題は昨日の”作戦”についてであった。
「警察庁長官としては今回の事案は自衛隊の過度な干渉だと再三ではあるが申し上げます、総理。仁望教教主である六波惣市を逮捕できたのは、もちろん喜ばしいことではありますが」
「我々防衛省としては警察権の執行をしたと言うつもりはない、三船長官。元より本案件は治安維持出動のひとつである。それはこちらも”再三”伝えています」
防衛大臣、笠岡は深夜3時に秘書に叩き起こされたまま今に至る。
陸幕長の求めた署名に確かにサインはしたが、まさかこんなことになるとは。
当初本作戦、秘匿呼称「JUDA」は総理大臣にも認可される予定だった。
現場レベルはその実行中もそのつもりであったが、その実は違う。
総理本人は作戦が成功した場合に限り、事後承認するという体裁をとっていたためこの作戦は違法になってしまった。
「総理、この作戦は総理大臣の認可があるものとして私は承認いたしました。しかしあなたはなさらなかった。どうしてです」
笠岡の問に総理は応える。
「勝算がないからだ。事実、陸自は失敗した。予備部隊がかろうじて六波を捕らえたが、公にできないだろう。渋谷の爆発が陸自の対テロ作戦の失敗となれば内閣が全部吹き飛ぶ。無論、内閣ではない警察庁長官、君の首もだ。二回目の野党政権移行もありうる」
彼らは10年ほど前の敗北をトラウマとし、それを避けるように動いているに過ぎない。
「今回の件はすでに決着がついている、笠岡くん。官房長官」
官房長官が立ち上がり、書類を読み上げる。
「本日未明、神奈川県横浜市においてSATによる作戦が実行され仁望教教主、六波惣市容疑者を逮捕した。なお渋谷の爆発は廃ビルの老朽化で都市ガスが漏れ、引火した事故に過ぎない」
「つまりは誰も処分しない。処分することは報道に知られるだろう。だからだ」
総理の声に笠岡は声を上げた。
「しかしユニット3-5が全滅した事実は残ります」
官房長官は頷く。
「ソレについては自衛隊のトラックが公道上でダンプカーと衝突し、隊員10名全員が死亡したということにする。家族も彼らが何をしていたか知らないから都合がいい。殉職で遺族手当も出るから誰も損はしない」
最悪の目覚め。だが、もはや普遍だ。
目元に、意識せず流した雫が残る。
九絵はぼぉっとする頭を振り払い、雫を拭った。
『筧官房長官の発表が間もなく行われます。昨日の渋谷の件についてではないかということですが詳報は現場でもわかっていません。一旦スタジオへお返しします』
昼のワイドショーは官房長官記者会見の報道をやっている。
「もう、昼かぁ・・・」
昨日ユウキと深夜でも食べられるラーメン店で夕食を摂り、そのまま帰って寝たのだが疲れていたようだ。手元の腕時計は11時過ぎを指している。
「腹減った・・・」
部屋は相変わらず殺風景で特に何かあるわけではない。
昼ごはんを食べようにも外に出ないといけないだろう。
『--ということで、室伏先生によればあれは計画的な爆発だったと?』
『ええ、あれは建物破壊に使われる爆発ですね。その証拠にあの時間帯とはいえ渋谷のど真ん中で死傷者は確認できていないとのことですから。テロと言うよりも、なにかこう、計画されたもののような気がしますけれど』
コメンテーターの解説は最もだ。仁望教は中に居たユニット3-5のみを標的にした。
『あっ、筧官房長官の記者会見が始まるようです』
映像は首相官邸の記者会見場へとパンした。
初老でグレーのスーツを纏った男が現れる。
『えー、本日午前2時15分頃神奈川県警特殊急襲部隊SATが横浜港に潜伏していた仁望教教主、六波惣市容疑者を逮捕しました』
記者会見場に居た記者たちは呆気にとられる。渋谷の件ではない。それに仁望教教主の逮捕の報道は誰もが抑えていなかったのだ。
『六波容疑者は既知の通り、昨年8月11日に発生しました赤坂グランドパレステロ事件の首謀者であり、政府としては国民と遺族の方々に事件の清算ができたと考えております』
九絵はテレビを切り、シャワーを軽く浴びると外に出た。
「おっはー、九絵」
「・・・ユウキ、おはよ」
出入り口ですでに待っていたバディ、ユウキ。
なぜ出ることがわかったのかなどは九絵は気にしないことにしていた。
「お昼何食べる?」
「任せた」
思考の放棄は知能の低下を招くが、この程度問題はないだろう?
彼女の愛車、フォレスターに乗り込むと車は走り出した。
ただいたずらに都内を流す車の中で、私は外を見続ける。
私達は昨日、あんなに人を殺した。だけど、今は昼飯の心配をしている。
なんという乖離だろう。
なんという考えだろう。
みんなはそう思うだろう。
だけど私達はそうやって生きてきた、そうやって育てられてきた。
だからこんな事になっている。
車はどうやら、ユウキのお気に入りのカフェに向かっているらしい。窓から見える風景が、いつものそれに見えてきた。
胸元のスマートフォンが震えだした。仕事だろう。
「はい」
電話の主、”上”はこう切り出した。
『作戦第2577号を覚えているかしら』
脳裏に浮かぶ、2年前の作戦。
「ええ、覚えています」
『その際に協力してくれた韓国陸軍の隊員について、
かなり軽い口調とは裏腹の情報。そして、”上”はいつもどおり本気の声を使い分けている。
その声で今度はこう話すのだ。
『現時点をもって作戦番号第4211号を開始。私はサベッジ、あなた達はチェアマンとする』
「チェアマン、了解。現時点より我々は作戦状態へ移行します」
『グッドラック、サベッジアウト』
ユウキは真面目な顔をしてハンドルを握っている。
「作戦番号4211、コールサインはチェアマンよ、ユウキ」
「了解。今回はかっこいいじゃん。コンビニに止めるから作戦確認しよう」
フォレスターは最寄りのコンビニエンスストアに入り、その一番奥に停車した。
「ユウキ、2年前に協力作戦をしたユン・ソナ中尉を覚えてる?」
ユウキはああ、と声を出す。
「忘れるわけない、恩人だ」
スマートフォンに届いているファイルを開き、中を確認する。
ハングルと英文の文書だ。和訳もされてないところからかなり急を要するらしい。
”陸軍第707特殊任務大隊 ユン・ソナ中尉調査報告書”というタイトルから始まるそれは、韓国国家情報院が内部調査した際の資料と記されている。内容は箇条書きだ。
2018年2月5日 済州島のパレスホテルにおいて殺人事件発生。
警察による見聞は別添資料参照。
被害者はユン・ジウ35歳、ユン・ハナ5歳。
何れもユン・ソナ中尉の家族で夫と娘。
事件性有り、警察では強盗と捜査。現在も捜査中。
2018年4月2日 ユン・ソナ中尉に対し、長期休暇命令発令。
軍精神科医の判断により、特殊任務続行不可。
2018年8月2日 休職届受理、この日を最後に連絡が途絶。
2018年8月3日 ユン・ソナ中尉とみられる女性士官が仁川市内の軍施設へ偽装IDで来訪。
偽装命令書で武器庫よりK2ライフル1丁、K5拳銃1丁、5.56mm弾600発、9mm弾600発、C4爆薬20kg、K400手榴弾1ダース、Mk13閃光弾2ダースを奪取。
本件は現役特殊部隊員による強奪、隠蔽処置を施すこと←処置済み。
2018年12月1日 ソウル市内の倉庫において爆発音。駆けつけた警察により、爆発に巻き込まれたとみられる損傷の激しい1名分の遺体を発見。←DNA鑑定の結果、707大隊のパク・サンウ少佐と判明。
サンウ少佐については別添資料参照。
2018年12月8日 明洞駅構内において殺人事件発生。警察が現地を捜索するも犯人確認できず。
損傷の激しい遺体1名。←707大隊、オ・スクヒ軍曹と判明。
2018年12月28日 釜山港、関釜フェリーに乗り込むユン・ソナ中尉に酷似した人物を監視カメラネットワークにて確認。
調査員が日本側で待ち受けるも確認できず。←別添視聴5参照。ユン・ソナ中尉は北韓浸透作戦予備として10年前に従事。変装の心得が有り。
以上よりユン・ソナ中尉は707大隊隊員の殺害を目的として行動していると推定。
理由は不明ながら武装をしており非常に危険。日本国内に潜伏し、再度韓国へ入国するものとみられる。本案件は日本政府へ捜索を依頼するものとするが、完全秘匿を求めて動くべし。
報告書を二人で読み終え、顔を向かい合わせる。
「あの人は幸せにならなかったんだ」
彼女が嬉しそうに見せてくれた家族写真が、ただその報告書に書かれている「殺人事件」という文字で崩れ去る。
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