第20話

 マーシスはゴクリと喉を鳴らした。

 

 ヤコウが語るのは一人の娼婦が死してレイスとなった話。


身請け話に絡んだ悲し話。

身請けすると誓った幼馴染の冒険者。

少しでも、少しでも早く彼女と共に歩む道をと願い、命を散らす。

女は「必ずあの人は迎えに来る。必ずあの人は」と信じながら、知らぬ男に身をゆだね。

彼が送った小袖を眺め、涙を流す。


「彼が死んだ? そんな世迷い言信じはせぬ」


戻るはずのない彼を思いながら、春を散らし、そして命を散らす。

彼女と共に荼毘に付される筈だった小袖は、悪心を持った者により古着屋へ。

不幸にも手に取った男の娘へと渡ったそれは、災いを巻き散らす。

 

「これは私の物だ。あの人の物だ。誰にも渡しはせぬ、誰にも誰にも」


こののままでは娘の命が危ないと困った男がたどり着いたのはヤコウ達一行。

ヤコウとその仲間は冒険者の青年が命を散らした迷宮へ。

そこで彼の遺品、女からの贈り物を手に入れ、小袖と共に火にくべる。 


「さてこれが『小袖の手』とのお話でございます」


 ヤコウが語ったのは『小袖の手』をこちらに合わせ変えた話、初めに鮮やかな小袖を見せ興味を引かせ、レイア、ノイン、二人の女性向けに悲恋の話を語った。

 

「ヤコウさん、あのもしかしてその小袖は今」


 鼻を啜泣ながらノインが問う。

 ヤコウは目を伏せ、ゆっくりと小袖を撫でた。


「さあ、どうでしょうね……。ただ、ほらよく耳をすませば聞こえませんか? 布の擦れる音が、袖から腕が伸びる音が」


 そこでりん、りんと鈴が鳴る。


「さて、少ししんみりしてしましたね。では、次のお話は」


 次々と語られる話、『迷い家』と言う不思議な家の話、『天邪鬼』と言うゴブリンの特殊個体との話、どれも不思議な話でそれを語るヤコウの語り口が妙で、まるで独り舞台を見ているようで引き込まれていた。

 

 それはマーシス達だけでなく使用人達ですら息を殺し聞き入っていた。

 『小袖の手』では亡き男の遺品を探し、『迷い家』では仲間たちとダンジョンと成った家を探索し、『天邪鬼』では特殊なスキルを持ったゴブリンを機転を利かせ討伐するというヤコウが仲間と共に体験した冒険の数々。気がつけば夜はとっぷりと更けて、焚かれていたいくつもの篝火は随分と小さくなっていた。


 「では次の話を」ヤコウはそこでぐるりと周りを見渡した。


「怖いモノと言うのは誰にでもございます。魔物が怖い、雷が怖い、病気が

怖い、事故が怖い…… 」


「ああぁ、奥様が怖いなんてものもありますね」とヤコウが続けるとマーシスを含め数人の肩がびくり揺れる。


「さてさてその中でも怖いのが暗闇でしょうか。暗闇に飲み込まれれば何も見えませぬ。目の間の闇の中、何が潜んでいるのか分かりませぬ。さて周りを見渡してください今となりにいるのは本当に知っている人でしょうか?」


 ヤコウがそこまで言うと風が吹き火が揺れる。揺れる火に照らされる隣人の顔は何だかいつもと違う顔に見えてしまう。


「さてこれ以上は夜の闇に何が潜んでいるか分からなくなってしまいますね。今日のところはこの話が最後にいたしましょうか」



 

「随分とご機嫌ね」


 私室でワインを煽るマーシス、ボトルの銘柄に目をやれば中々の高級品。機嫌がいい証拠なのだろう。


「どうだレイアお前も」

「そうね、せっかくだしいただくわ」


 渡されたグラスに口を運び、レイアは久しぶりに見るマーシスのその表情に口元綻ばせる。


「こういった、ワインもいいが…… あのぬるいエールが、ああもうまく感じるとはな」


 そう笑うマーシスの顔は冒険者であった時を思い出させるもので、レイアは何だか胸が暖かくなる。


「お前はいつも微妙そうな顔で飲んでいた」

「そうだったかしら」


 ゆっくりと二人は思いで話に花を咲かせる。そして話題は当然今夜のものへと変わっていく。


「レイアよ」

「なんでしょう」

「彼、ヤコウ君をどう見る?」


 その顔は冒険者ではなく、貴族、そして商売人としての顔。それまでの穏やか物ではなくレイアは居住まいを正し口を開く。


「友誼を交わし足る人物。いえ、ぜひ繋ぎ止めて置くべきかと」

「そうか」


 大きな商談等の重要な事を決める際にマーシスは必ずレイアに相談をする。それはマーシスが優柔不断な為や能力が無いわけではなく、彼女の目を信じているからであった。元伯爵家の娘としての教養や貴族社会で培われた目はマーシスには無い物であったからだ。


「食事の時のマナーや言葉使いを見るに以前の場所ではそれなりの立場、または貴族、それに準ずる立場の人間と交流があったのでしょうね。それに食事の時の服装もそうですけど小袖と言ったかしら、あんな物見たことないわ。両方とも目をみはる程のもの、以前聞いたものと合わせたら彼のスキルには…… 違うわね、彼自身には金脈が眠っているのは明らかね」


 ヤコウが見せた立ち振る舞いや、服装からノインはヤコウが元いた場所の文化レベルはかなり高いと踏んでいた。ヤコウが持っているだろう知見は商会のルクレア家のプラスになるだろうと。


「それに彼自身の事で言えば彼が食事の時に言った、臆病や無知が怖いという言葉に私は好感を覚えたわ。貴方はそうでもなかったみたいだけど」

「それは……そうだな、冒険者や貴族の立場から言えば、あの言葉に引っかからないと言えば嘘に成ってしまうな」

「でしょうね。でもヤコウさんが言ったあの言葉は私には理解できるわ。臆病であれば慎重になる、無知が怖ければ学ぶ事が出来る。知らぬがゆえに失敗を犯す人間を今までいくらでもみてきたじゃない冒険者の時も貴族になってからも」


 レイアはそこまで言うとワインで唇を濡らす。


「それに……」

「どうした」

「推測ですけど、彼はわざとその言葉を選んだんじゃないかしら。私達の反応を確認するために、貴方が私達がどんな言葉を好むかって」

「そんな事は」

「あると思うわ。彼はどちらかと言えば言葉を弄するタイプじゃないかしら。言葉だけじゃないわね、仕草や表情もそうね。それらを含めて場を作ることに苦心するタイプよ」

「場を?」

「そう場を。見ていたはずよ彼は、彼の言葉や仕草で私達がどんな反応をするかを。それを踏まえてあの場を作った、当然元々用意していたものでしょうけど。私達への態度はあの場で決めていたんじゃないかしら。気がついてないのかしら私とノインの呼び方はずっと変えていないのに、貴方には」

「マーシスさんか……」

「そうね、私とノインは格式ばった呼ばれ方に違和感はないのだけど。貴方はあの場で閣下なんて呼ばれたら興覚めじゃないかしら?」


「確かにな」そう言ってマーシスは軽く口を尖らせた。


「それに貴方だけではないわ。私達に対しても同じよ」

「お前達にもか。しかしさっき呼び方が変わったのは私だけだと」

「違うわよ。私達にたいしては庭で話を始める前ね。あのタイミングで小袖を出したのは、その後の話のきっかけを作るのと集中させるじゃないかしら」

「集中?」

「私はまだ良かったんですけど、あの子ノインは少なからず戸惑っていたはずよ、あの状況に。それを引き込む為に小袖で目を引いて、恋愛っていうあの子くらいの年齢の子が好きそうな話を初めに持ってきたって所かしら。見事にあの子は話に食いついたし、最後にあの子が口にした疑問に含みのある返答を……ってここまでにしませんか」

「ん、どうした急に」

「どれも今思えばってことですし。せめて今日は私も楽しい気分で眠りたいもの」


 そう言って空いたグラスを持ち上げレイアは微笑む。「違いない」とマーシスは残りのワインを互いのグラスに注ぐ。


「ではグラスのワインが無くなるまで話をしようか」

「えぇ、喜んで」


 穏やかな空気の中、二人は再び話し始める。やはり話題の中心はヤコウの話した冒険譚であった。どれくらい話をしたか互いにグラスに残った最後の一口を口にする。さぁ、そろそろ寝ようかというところでレイアがぽつりと口を開く。


「そういえば、こうして話していて思ったんですけど」

「どうした?」

「彼が最後のにした話、違和感がありませんか」

「違和感? そうかどの話も不思議な話であっただろ」


ヤコウが最後に語ったのは恐ろしい魔物の話であった。


人の恐怖が世に現れたような魔物。

人が怖いと言ったモノがその魔物となる。

人が信じたモノがその魔物となるのだという。

人が空を飛ぶと思えば空を飛び、炎を吐くと思えば炎を吐く。

山を砕くほどの剛力だと思えば山を砕き、死なぬと思えば不死となる。

そんな魔物の話。


「大規模の忘却の術を皆にかけ、最後に残った術者が自らの命を絶つことでその魔物を封じたのだったな」

「そうですね。そうすればその魔物を信じる者、怖いと思う者がいなくなり魔物は力を失うという話でしたね」

「それのどこが…… 」

「気が付きました? 知る者がいないはずなのに、どうして彼はその事を知っているのでしょう。それに他の話では彼と彼の仲間達が必ず出て来てましが、この話だけ彼は出て来ていない…… 」

「それは、いや…… まさか」


 なんとも言えない空気が二人の間に流れる、二人の頭にはヤコウが語った魔物の姿が浮かんでいる。それの姿をヤコウは明確に語ることはなかった為にそれぞれが想像する魔物の姿が浮かんでいたが、その姿がゆっくりとヤコウの姿へと変わっていく。


 どちらからと言えないタイミングでマーシスとレイアは笑い始めた。


「くそっ、これはやられたな」

「えぇ、ひどい方ですね。あの方は」

「考えれば考えただけ沼に嵌るやつじゃないか」

「最後の最後にこんな話をするなんて、本当に寝れなくなってしまうやつです」


「間違いないな」そう言うとマーシスは新しいボトルを手に取った。


「寝れなくなってしまうなら、せっかくだ。もう少し付き合ってくれないか、レイア」

「えぇ、喜んで。マーシス」


 その日、マーシスの私室はいつもより長く明かりがついていたという。


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