第19話

 マーシスに呼び出された日から四日後の夕方、カリムは豪華な馬車に揺られていた。馬車の側面には背嚢と鹿を意匠したルクレア家の紋章が飾られてる。

 

 日が落ち初めたオレンジ色の景色から目を離し、車内に目をやれば向かいの席には微笑みを浮かべた狐面の男。


「ヤコウさん」

「何だい、カリム殿」

「やめてくださいよ……… カリムでいいって言ってるじゃないですか」


 「そうだったかな」とヤコウは笑う、ただの伝言役であったはずのカリムはあれよあれよという間に本日はれてヤコウと同行することになっていた。

 

「そろそろ到着するので、服を変えてくださいよ」


 ヤコウとカリム、この数日の間にヤコウは何かとカリムを呼び出していた。カリムもマーシスからもなるべくの便宜をと言われていた事もあり随分振り回された為か随分と気安い関係となっていた。


「ん、そうか」


 一瞬闇に包まれたかと思うとそれまでのラフな服装からタキシードへと変わる。


「相変わらず、見事なものですね」

「見飽きただろうに」

「それでもですよ」


 失礼があってはと、この数日で衣装の相談もしていた。ただのタキシードでは面白くないと初めは金糸の刺繍が入ったものであったが金糸は王族、それに連なる家のみに許されているということで、ヤコウは銀糸の刺繍が入ったものを選んだ。

 トライアズより北の帝国では銀糸も使用できる爵位が決まっているのだが、ルクレア男爵家は王国貴族であるため問題ない。


「おかしくはないかな」

「どこかのご貴族様かと」

「そうか」

「えぇ」


 そんな会話をしていると屋敷の前で馬車が止まる、貴族街の一角の屋敷、大きさは周囲の同程度の爵位持ちの屋敷より大きく商人としても成功している証なのだろう。

 扉が開かれ馬車から降りればセオドアと数人の使用人が待ち構えていた。


「では、ヤコウ様後ほど」

「うん、頼んだよカリム」


 言葉使いを直しヤコウの背を見送ると自然と小さく息が漏れたが、直ぐに居住まいを正し屋敷へと向かった。




「どうであったセオドア」


 マーシスはヤコウの案内を済ませ、自分達を呼びに来たセオドアに食堂へ向かう道すがら声をかけた。

 

「見事なものでございます。一度お会いしていましたが、本当に冒険者の方とは思えません。とくに」


 「あの服装は王都でもお目にかかるのは難しいのではないかと」と続けた言葉に反応したのは女性たちノインそしてマーシスの妻でノインの母親のレイアであった。


 ノインによく似た目元を大きくし「それほどですか」とレイアが聞くとセオドアはゆっくりと頷く。

 

「あの精緻な銀糸の刺繍にあのシルエット、仕立ての良さが見て取れました。ヤコウ様のスキルはお聞きしておりますが、何処かで現物かあれに近い物に触れていないと難しいのではないでしょうか」


 「そうですか」とレイアはマーシスの顔を見ると「貴方、楽しみになってきました」と笑う。


 それは良かったとマーシスは答えるが実の所一番楽しみにしているのはマーシス自身。


 ノイン、セラの報告に、カリムから聞いた一件、更にその後に報告から上がってきたヤコウと彼の召喚獣との話、ヤコウがその召喚獣を手にした時の話を聞いた時には久しぶりに冒険者の血が騒いだ。

 

―― さてどんな男なのか


 セオドアによって開かれたドアを見ながらマーシスは密かに胸を踊らせるのであった。



 初めて彼を目にした時こんな優男がかとマーシスは正直な所思った。

 立ち上がり自分たちを迎えたその姿はそれこそセオドアが言っていた通り、何処かの貴族でも招いたかと思ってしまうもので、レイアも「あら」と小さく声を漏らしたのが耳にはいった。

 挨拶と紹介を済ませ、いざ食事を始めれば挨拶の際に「無学な為、礼を欠くことがあると思いますが、お許しを」と言っていたのが嘘のように食事を進めるのだ、それにはレイア、ノインも同様で思わず見入ってしまい、それに気がついたヤコウがマナー違反をしてしまったのかと心配そうにしていた為、慌てて「いえ、あまりにも見事でしたので」と元々伯爵家の三女であったレイアが太鼓判を押したのだ。


 食事は進み、メインの肉料理に差し掛かって来た時にマーシスがヤコウに質問を投げかけた。


「ヤコウ殿は冒険者として登録されたようだが何か依頼はうけたのだろうか」


 マーシスのその問に「まだ、何も。この数日間はギルドの資料室や図書館に籠もっておりました」とヤコウは答え。

 マーシス、レイア、ノインの顔を見ると恥ずかしそうに口を開いた。


「私は臆病なのです」


 予想していなかった、その言葉に思わずマーシスは眉間にシワを寄せた。不用意にそんな言葉を言えば、どんな誹りを受けるかわからない。


 思わずマーシスは「それは、どういう事か」と聞いた。


「私は怖いのですよ、知らないことが。無知であることが怖いのです」


 怖い、一瞬先ほどの言葉通り臆病者というのが頭に浮かび、横目でレイア、ノインの方を見ればノインはなんの事かという顔をしているが、レイアは感心したような顔をしていた。


「場所が変われば常識も変わります。ましてやこちらは私が居たところとは全く違うところのようです。その中で当たり前が当たり前でなくなってしまえばどんな失礼な事を、どんな罪を犯してしまうか分かりません」


 そうしてヤコウはノインを見つめる。


「ですから、ノイン嬢にはとても感謝をしております。あの時ノイン様にご教授頂いたことに随分助けていただきましたから」


 まっすぐと頭を下げるヤコウ、ノインは「頭を上げてください、あの時のお礼は頂いていますから」と言う。

 

「閣下にも改めてお礼を。カリム殿の件、便宜を払って頂きありがとうございます。お礼をご用意しておりますので食事が終わり次第お渡しさせていただければ」

「ほう、それは楽しみだ。では早く済ませてしまおうか」


 そうマーシスが合図をすると最後の料理が運ばれて来るのだった。



 面白い男だとマーシスは思った反面何処か残念な気持ちも覚えていた。

 

 彼、ヤコウの話は面白く、物腰も柔らかい。実際に彼を目にして彼が元いたところではそれなりの地位、または貴族と面識のある人物なのは簡単に想像出来た。冒険者としても今まで集めた情報から成功する可能性は高いと踏んでいる。

 

 だからこそなのか冒険者であった部分が物足りなさを感じているのだ、貴族の様な雰囲気の彼に、あの酒場で馬鹿騒ぎをしでかしたはずの彼はその時もこんな感じであったのかと。


「では、申し訳ありませんが。お庭の方にご用意させていただきましたのでそちらまでお願いします」


 「準備がございますので先に失礼します」とヤコウは一足先に退室し、少ししてマーシス達も庭へと足を運ぶ。

 

 セオドアに案内されたそこに用意されていたのは焚き火と切り株で出来た椅子。


 「これは?」予想していなかった光景に思わず声がでた。

 マーシスだけでなくレイア、ノインも同じようで唖然としている。


「これが贈り物でございます」


 暗がりから姿を現したヤコウ、マーシス達の前を通り抜け切り株とは焚き火を挟んだ向かいの地面にあぐらをかいた。


 未だ啞然としているマーシス達に、ヤコウは笑い顔を向けるとこう言った。


「冒険の話をするのに、気取っていられないでしょ。


 その顔は先ほどまでのとは違う笑い顔、いたずらをしてやったと言わんばかりの顔。


「ほら、マーシスさんかけてください。男爵夫人もノイン嬢も、さあかけてください。あぁ、大丈夫です、ささくれなんかありません。あちらのカリム君がせっせと磨いてくれてますから」


 ヤコウの指差す方ではカリムが青い顔で頬を引きつらせている。

 その隣に立つセオドアも少し困った顔で笑顔を作っており、動揺しながらもマーシスは切り株に腰をおろすとそれに続きレイア、ノインも切り株に腰を下ろした。


「お願いします。皆さんに最高の酒を」


 そう言って使用人が持ってくるのはぬるいエール、先ほどまで食堂で飲んでいたワインなどとは違う安いエールと、見るだけで顎が痛くなりそうな干し肉。

 

「さぁ、ぐっといってください」


 ぬるいエールを喉に流し込むとマーシスは大きく息を吐とレイアに視線を送る。レイアも一口口を付けるとマーシスと共にクスクスと笑い始める。


「ヤコウ殿…… いや違うな、ヤコウ。これは最高に不味くて最高にうまい酒だ」

「えぇ、本当に。こんなの久しぶりだわ、いつ以来かしら」


「本当にな」と笑い、掛け声と共に切り株ではなく地面に座りなおすマーシス。

「おお、この感じだな」と笑うマーシスを「まぁ、行儀が悪い」とレイアは笑う。


 伯爵家の三女として生を受けたレイアだが、魔法の才があり以前は冒険者として活動をしていた。駆け出しの冒険者であったマーシスと出会ったのもその時だ。


 レイアは自分も冒険者をしていた頃の野営の時の様に地べたに座りたかったが、ドレスで座るわけにはいかず、どこか残念そうにノインを見ると「困ったものね」とエールを口に運ぶ。

 そんな両親の姿を見るのは初めてでノインは少し困った顔した。両親の過去は知っているがこうした形で見るのは初めてであった。


「さて、ではご清聴をっと…… こんな堅苦しい服じゃ行けませんね」


 ヤコウはすっと腕を伸ばし、指をパチンと鳴らす。瞬間、真っ黒な腕がいくつも伸びヤコウを包むと、数秒の間に腕は消えヤコウの姿が現れる。ただその姿は先程までのタキシードではなくラフな格好へと変わっていた、そして一つ見慣れない物が羽織られていた。


「初めて見るものだが「ヤコウさん、それは何でしょうか」


 マーシスの言葉を遮ったのはレイア、レイアだけでなくノインも興味ありと体を前のめりにしている。


「これですか。これは小袖と言いましてね」


 ヤコウが立ち上がりくるりと回れば色鮮やかに染め抜かれた布がふわりと揺れる。

 

「私の故郷の服の一つです。本来は、そう、ガウンの様に袖を通し帯でとめるものです」


 再び座るヤコウ、長い裾をふわりと浮かせ地面に腰掛ける。

 赤い布、染め抜かれた幾何学模様が緑の芝に広がり、そこだけ異国の空気をまとう。


「では、せっかくです、これにまつわる話を一つ。今から語るのは悲しい女の話です」


 ふっと風が吹く。

 ヤコウの面の鈴なのか、りんと始まりを告げる様に音がなった。

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