第16話
風呂は命の洗濯だといったのは誰だったか。
風呂場に置かれた装置に魔石を嵌め、説明どおりに操作すると少し大きな音を立て水を汲み上げ、途中で加熱されたのかお湯となって浴槽に注がれる。軽く身体を流し湯に浸かればひさしぶりの感覚に思わず声が漏れた。魔物の買い取り金額は想像以上であったようで一部とはいえかなりの金額が入金されており、奮発して値段がはるが風呂付きの部屋を選んで正解だったと湯船に浸かりながらヤコウは自分を褒める。
空に手を伸ばし表示させるのはトウカ、九尾の狐が描かれたページは灰色に表示されており、触れればトウカを呼ぶことが叶わない事を、そしてどうすればよいかを直感的に理解した。
バシャリと顔を洗う、浴槽は脚を伸ばす事は出来ないし、浴室に備えられていた石鹸はあまり泡立ちが良くないがそれでも十分満足感はある、風呂から上がった時には不思議と身体が軽くなった様な気がしたくらいだ。
ジレやタイ等はつけずシャツ一枚とラフな格好で街へと繰り出す。宿に朝食はついていたが、夕食はついておらず、出るまえにピノにオススメのお店を聞きそこへ向かう事にした。既に人の身でなく食事の必要は無い、それでも味覚があるのならば食事をするべきだとヤコウは考えた、食事も出来れば寝る事も出来るのだ、それが出来る状況ならばしなければ勿体ないじゃないかと。
着いた酒場は外からも中の声が聞こえる程騒がしく、まるで日本にいた頃の居酒屋のようだ。ピノからは安くて美味しいお店だと聞いてる、高そうなお店も紹介されたがヤコウとしてはこういったお店の方が好みである。扉を開けば想像した通り、様々な様相の人々が声をあげながら食事を楽しんでいる姿が目に入る。
「いらっしゃいませ!お一人ですか」と店員らしき女性に声をかけられ一人だと答えようとした時に、一人の男がこちらに気が付き立ち上がったのが目に入った。その姿に気がついたのが分かったのか、その男、ドートレスは少し気まずそうに手をあげ、ヤコウもそれに答え小さく手を挙ると店員の女性に「連れがいたみたいだ、飲み物は彼と同じ物を」とドートレスの元に向かう。
「おう」「やあ」と小さく声を掛け合い、ドートレスの隣の空いている椅子に腰をかける。ドートレスとヤコウ、昼間の一件を知っている同席の、周りの席の者達は息を呑む。しばらくの沈黙、それを破ったのは「申し訳ない」と頭を大きく下げたドートレスであった。
「勝手に勘違いして、あんたには迷惑をかけちまった」
どうやらドートレスはどこぞの貴族がエヴァ達に粉をかけていると勘違いしてしまっていたようで、あの後に彼女達に話を聞いてこっぴどく説教されてしまったのだと。よくよく考えれば最終的にドートレス達を焚きつけたのはエヴァだったような気がするのだがヤコウは余計な事はいうまいと口をつぐんだ。
「エヴァ達に聞いたんだ、あんたの、その……なんか大変みたいで、その」
ヤコウが用意したカバーストーリーを聞いたのだろう、ドートレスの表情が曇る。
大きな身体を縮こませるその姿がなんだか可愛らしく、思わずヤコウは笑ってしまう。
「あー、いや、すまない。私もあの時は少し悪ふざけが過ぎてしまった」
そうヤコウが頭を下げるとドートレスが慌てて「やめてくれ」と頭をあげさせる。
そうこうしているうちに「おまたせしました」と置かれたジョッキ、それに目をやるとエールがなみなみと継がれている。ヤコウは乾杯だと言わんばかりにジョッキを手に取ると掲げ、ドートレスも慌ててジョッキを手に取る。
「ドートレス、乾杯だ」
「おっ、おう」
口に運び一気にぐっと飲み干したジョッキをヤコウが掲げると、察しがいいのか先程の店員がおかわりを持ってくる。空いたジョッキを持ったまま、どうしたらいいかと言った様子のドートレスに「おや?ジョッキが空じゃないか」と声をかけると慌てた様子でドートレスはおかわりを注文し、再びジョッキぶつけると二人同時にエールを流し込む。
「「もう一杯!」」
同時に上がる声に、お互いに顔を見合わせるとどちらともなく頬が緩み次第にお互いに小さく笑い始める。
「改めてヤコウだ、よろしく頼む」
「おう、俺はドートレス、これでもCランクの冒険者だ」
「まぁ、あんたにはあっさり負けちまったけどな」と豪快にドートレスが笑う。
「こちらこそよろしくな、ヤコウ」
気恥ずかしそうに頬を掻きながら差し出されたドートレスの手にヤコウは「あぁ」と勢いよくぶつける様に握手を交わす。
ジョッキを傾けながら話をするのはこの街の事に、冒険者の事、一人前とされるCランク冒険者ということもありどこの道具屋が、どこの武器屋がオススメだとドートレスはヤコウに教えていく。そんな姿にいつのまにか警戒していた同席の男達もその話題に加わり、酒のせいもありどんどん盛り上がっていく。いつの間にかどこどこの娼館の誰々がオススメで等下世話な話も肴にし酒が進んでいく。
「それにしてもよ、すごいんだ!ヤコウは!俺の攻撃を、こう、なんだ踊る様によ!」
少し呂律が怪しくなったドートレスが昼間の件を話し初めると周囲の者達が自然と聞き耳を立て始める。
当然だ昼間の事を知っていれば意味がわからない状況なのだ。
「なんだよあのひらひらの服は、それにあの最後のあれ!一瞬しか見えなかったけどあれははヤバすぎるだろ!」
真っ赤な顔でヤコウの肩をバンバンと叩く。
「おいおい、ドートレス、あれとは何だあれとはレディに向かって失礼だぞ。彼女はトウカと言って私の召喚獣の一人だよ」
「喚ぼうか?」そう言って指先で狐を作る。
「やめてくれ、やめてくれ。酔が一気に醒めちまう」
冗談めかして首を引っ込めるドートレスに笑いが起きる。
「冗談だよ。無理に喚んでしまったから大分と拗ねてしまっていてね。しばらくは答えてくれそうにないよ」
「困ったものだろ?」とヤコウは笑うとドートレスは真面目な顔をつくると声をひそめる。
「おいおい、大丈夫なのかよ。そんな事大きな声で」
それはドートレス、冒険者として必然の心配であった、召喚師が自らで召喚獣が呼べないと公言しているのだから。一般的に言えば召喚師や魔獣使いと呼ばれる者達は本人の戦闘力は高いとは言えない、一部例外の者もいるが。
「ドートレス、誰が彼女一人だけと言ったかな?」
ニヤリと口角を上げるヤコウ、その意味が理解出来ず一瞬ドートレスは固まるが、すぐに理解し表情を青ざめる。
「おいおいおいおいおい!まだ他にも居るってことかよ!」
「彼女程の者はなかなかいないけどね」
そうヤコウはいたずらっぽく笑い、「そう彼女と出会ったのは」とゆっくりとトウカとの出会いを語る。当然そんな語るような話はあるわけがないのだが、ヤコウは騙る。九尾の狐が登場する色々な物語をごちゃま混ぜにし、こちらの世界に合うようにしながら騙るのだ。
「多くの犠牲を払いながら、この身になんとか彼女を抑え込んでいるってわけさ」
そう言ってトウカとの出会いを語り終え、周りを見ればいつの間にかドートレス達だけでなく他のテーブルの者達も近くに寄り、まるで少年の様な瞳でヤコウを見ている。ぐるりと周りを見渡しヤコウは改めて口を開く。
「私のスキルはそんな彼女、彼らの力、能力の一部を扱えるというものでね」
それは冒険者としてはご法度のようなものであった、自らのスキル、能力を気軽に口外するということは弱点を晒しているのと同義なのだから。
それでもヤコウは語る。
「たとえば」
そう言って手を振ればその手には鉄剣が握られており、再び振るえば剣は姿を消す。次に指を鳴らしたと思えば、その手にはいくつもの花、ノイン達に渡したアクレスとオルレアの花が握られており、それを宙に放り投げたと思えば花の姿は跡形もなく消えている。
「これが「迷い家」と言うモノの能力で」
次にヤコウは「小袖の手」を発動。
今まで来ていた服が突然闇に飲み込まれたと思えば、ドートレスと同じ服装に、更に次にその隣の男と同じ服装に変わると「おおっ!」と声が上がる。自然と集まる人の中心でヤコウはファッションショーの様に次々と服を変えて行く。洋装から和装、ラフなものからフォーマルなものまで、服が変わる度に上がる声にヤコウは想像以上の反応だと頬を緩めた。
先ほどからのヤコウの行動、それは注目を集める為のものであった。何故そんな行動をしたのか。
それは語る為、語らせる為であった。
語るのはこの酒場にいる者達。きっと語るはずだ、家族に仲間に同僚に、ヤコウと言う奴はこんな事が出来るんだと。
迷い家と言う能力が、小袖の手と言う能力がと。
ヤコウ、彼の本質は既に人とは言えず、妖のたぐいなのだ。妖怪はどう生まれる?それは語る事で産まれる。禁忌を、まつろわぬ民を、人が理解出来ぬ事を等、不思議、不条理に名を与え、形を作り、文章や口伝で語ることで生まれ、その性質が決まるのだ。
ヤコウがトウカの事を大仰に語ったのもそのためだ。
ヤコウは神ではないから無から有を作る事など出来ないが、語る事でこの場の者達の中にトウカ、九尾の狐と言うモノが少なからず産まれた、彼等が周りに語れば、さらにその名、その性質は広がり、その存在が多くの者達の中で確かに存在しているとなれば彼女が、この世界に当たり前として存在することが出来る。それが風呂場でトウカの画面に触れた時に理解した事であった。
それがヤコウが注目を集めた理由。そして目立たない者の小さな言葉より、目立つ者の大きな声のほうが印象に残るのだ。
「こんなのはどうかな?」とぐるりと周りを見渡し、その場でターンをすれば、それまで少し遠巻きで見聞きしていた、女性達と商人達がガタリと椅子を鳴らし、近くで見ていたドートレス達からは笑いが起きる。
真っ白なマーメイドラインのドレス。
「おいおい、何だよそれ」とヤコウの突然のドレス姿にドートレス達は膝を叩いて笑う。「似合ってないかな」と笑うヤコウは真っ黒なゴシックロリィタへと次々に姿を変え、ポーズをとる。男たちは酔もありゲラゲラと笑っているが、女性たちからすれば見たことのない服装に目の色を変えているし、聡い商人達は頭の中でそろばんを弾く、なんてたって女性の服と言うのは金になるからだ。
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