第15話

 日が暮れた街を足音が響く。

 

 一人と一匹の足音。

 

 せっかくだからと街を見ながら向かいたいと、セラの案内を断り用意してもらった地図を確認しながら大通りを行く。幸い意味が通じたのだろうか近くに監視や追跡者等の気配はない、あくまで近くにと言うだけで離れた距離で様子を伺っている者は数名いるが、気にする程ではないかとヤコウは観光気分で街を歩く。商業施設が立ち並ぶ通りは色とりどりの明かりが灯り、繁華街の様相をていしていた。

 

 ヤコウがトウカに目をやるとクイッとトウカは顔を路地裏に向ける。

 

 その方向に脚を向け大通りを外れ、裏道へ行くと。いつしか四足獣の足音は消え、響くのは二人分の足音となっていた。


「おぉ、恐ろしい。このような薄暗い場所に妾を連れ込んでどうするつもりなのか」


 からかう様な言葉。それはまるで甘露かと思わせるような甘い声。


「どうもしない、そんな事を言うなら獣の姿に戻ればいいだろ」


 ヤコウは受け流す様に言葉を返す。


「なんと、これは業の深い……獣姿の妾とまぐわいたいと」

「どちらの姿でもしない」

「なんと!! そうか…… 男の方が良いと」


 「どうしてそうなるんだ」とため息をつけば不思議と言った様子で彼女は口を開く。


「妾に情欲を抱かぬ男などおらんだろ? 抱かぬなら男色か不能のどちらかに決まっておる」

「そんな事……」


 「ある理由なかろう」とトウカはヤコウの唇を塞ぐ。

 真っ赤なドレスの裾から覗く白い脚が絡みつき、零れそうな胸の感触が服越しに伝わる。


「女を知っておればなおさらな」


 離れた唇が糸を引く、上気したように紅のさす頬、獣の姿の時と同じようにレースで隠されている瞳は、ヤコウから見えないながらも何かを欲する様に見つめているのが分かる。


「後悔するなよ」

「望むところ」


 ヤコウの指が唇を頬を撫で、その顎を軽く持ち上げられる。トウカの顔、幾重にも巻かれた真っ黒のレースが想像力を掻き立てる。肌、鼻、唇、髪、首、身体、そのどれもが蠱惑的で、それら全てのバランスが完璧と言っていい。


 音が響く、破裂音。

 まるで銃撃された様にトウカの頭が反れる。ヤコウの指がその頭を弾いた、デコピンだ。


「調子に乗るな、トウカ」


 痛みに蹲り、声にならない声をあげるトウカ。


「くっ!!なんてことを。妾の美貌に傷でも付いてみろ、この世から最も美しいものが失われるのだぞ!!!」


 赤くなったおでこを擦りながら詰め寄り抗議の声を上げる。

 膨らむ頬をヤコウの手が包む。


「こんな事でお前の美しさに傷がつくか」

「なっ…… うむ。分かっておるならいい、うん」


 納得したように何度も頷くと、ヤコウの顔をしばらく見つめるとクッとトウカの口元が歪み口を開く。

 まるで先程の仕返しを思いついたと言うような表情。


「           」


 上手く聞き取れなかったその言葉、しかしその響きにヤコウは眩暈を覚え、気がつけばトウカの姿は煙の様に消えていた。





 「暇です」と彼女はカウンターに頬杖を付きながら呟く。宿屋「首刈り兎の巣」、既に外は夜の帳ばりは落ち宿泊のお客の受付のピークは過ぎている。後は連泊で戻りのお客を迎えるのがメインで、既に受付は終わっているの者ばかりなのだから挨拶を交わしたりといった程度だ。


 「暇です」再び呟きながら記入用のペンを指で遊ぶ。クルクルと指の上で回るペン、何度か回ったところでペンは指を離れカウンターの下へと落ちていく。しまった……と屈みペンを拾うと入口のドアに付けられたチャイムが来客をつげ、誰かが戻ってきたのだろうかとカウンターから顔を上げる。


 そこにいたのは狐面の男だった。


「部屋は空いているかな? 冒険者ギルドで紹介してもらったんだけど」


 柔らかな声、仮面をつけているが見える口元等からその整っているであろう容姿が容易に想像できる。それに簡素ながら質の良さを感じさせる身なりが、それなりの立場にいるであろう事を嫌でも理解させた。「ふへっ」と思わず口から出たのは言葉にならない声。その声に目の前の男は少し驚いた顔をした後に小さく笑う。いつものお客相手なら「何笑ってるんですか」と軽口の一つでも言えただろう、しかし目の前にいるのは普段接する事ない雰囲気の相手で、気恥ずかしさが沸々とわいてくる。


「すまない、その何だか可愛らしくてね」


 男性の言葉に恥ずかしさで頬が熱くなる。


「どうかな?部屋は空いているかな」


 その言葉にハッとし、深呼吸。


「宿泊ですね。今空いているお部屋ですと」


 落ち着け、落ち着けと頭の中で繰り返す。


―― 今空いているのは……


「二階のお部屋と最上階のお部屋となります。最上階のお部屋はお風呂とお手洗いが付いておりますが、二階のお部屋ですと……」

「お風呂?」

「へ、あっはい、大きくはないですし、こちらの魔石をお買い上げいただき使用していただく……」

「最上階で」

「えっかしこまりました。料金なのですが魔石込みで一泊」


 値段を伝えると男性は少し考え「取り合ず10日分で」とこちらに手を伸ばす。その指には指輪、よく目にする冒険者ギルドの登録証に「えっ」と思わず声が出る。


「どうしました?」

「あの、冒険者の方なのですか?」

「あぁ、今日登録したばかりでね。駆け出しってやつだよ」


 信じられないと、知っている冒険者の顔を思い出し浮かぶのは、どれらも目の前の人とは似つかない姿。それでも思い返せば冒険者ギルドからの紹介だと言っていた。金庫の魔道具に手をかざせばリンと音がなり、支払いが完了。


「あの…… お客様は、あっいえ、すいません」


 飲み込んだ言葉は「貴族」、貴族の子息が戯れやお忍びで冒険者の登録をすることがあると聞いた事があった。きっと、やんごとなき身分の方々のお忍びに違いない、ならばその言葉を言うのは野暮だ。


「ヤコウ様、お支払いありがとうございます」


 表示された明細の名前を口に出す。


「君名前は?」

「えっ、あっあのピノです」

「ピノさんだね。しばらく世話になるからよろしく頼むよ」

「はっ、はい!こちらこよろしくお願いします」


 思わず大きな声が出てしまいハッと口を押さえる。ヤコウの顔をちらりとと見ると少し驚いた顔をしたがクスリと小さく笑うのが見えた。お風呂の用意のしかたと食事の説明をし鍵を渡すと、「ありがとう」と部屋に上がっていくヤコウの後ろ姿に思わず小さくため息が出た。そしてすぐにガヤガヤと騒がしく戻って来る他の冒険者達の姿がなんだか粗野に見え大きくため息を付いた。

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