第5話

――殺した、殺した、殺した、殺した、殺した……

あちらにいた時も含めてもこれ程生き物を意思を持って殺したのは初めてだろう。

ゴブリンだけじゃなく、人型の豚のオークや狼なんてのも居た。

――あぁ……足りない

――足りない、足りない、もっともっと……っ!


真っ暗な森。

月明かりのなか空を見上げ声を、声にならない叫びをヤコウは上げる。

まるで獣にでもなった気分であった。

獣にでもなった方が楽なのかと、成るとしたら鬼か、いや既に半身は鬼か。


 朦朧とする意識のまま夜の森を歩き続けていると、突然目に飛び込んだ景色に思わずヤコウは膝を着いた。そこに見えるのは森の終わり、そして揺れる赤色。

 

―― 火だ

――誰かいる、誰かいる、誰か!


 駆け出しそうな身体と心をぐっと抑える。有り難い事にヤコウの朦朧としていた意識は、その人の存在を感じられる光景に引っ張り戻され驚くくらいはっきりとしていた。


 袖で顔を拭う。

【迷い家】から手に入れた革袋に入った水を頭から被る。【小袖の手】によってガウンに変化させ水分を拭き取ると服を再び変化させる。Yシャツに パンツ、編上げのブーツといった格好に……いや、もう少し……とジレとポーラータイをプラスする。


――うん、こんなもんかな


異界画図百鬼夜行いかいがずひゃゅきやこう』の自らのページに写された姿を鏡替わりにする様に確認するとヤコウは「よし」と呟く。


大きく深呼吸をし、ゆっくりと歩きだす。こちらに来て初めての予感にヤコウは思いを巡らす、思い出すのはかつてある仕事をしていた時にお世話になった先輩の言葉。「人生は舞台、人はみな役者」シェークスピアの喜劇の一節を引用した言葉。どれだけ自分を演出できるか、どれだけ相手、お客様が望む自分を演出できるか。


―― せっかくの異世界、せっかくのこの容姿だ、楽しまなければ損だと。

 

 その瞬間、鼓動の高鳴りをはっきりと覚えた、そう彼、ヤコウもまた少年から大人へと成長している、当然その間に不治の病に罹患していた、大人になるにつれ折り合いをつけていく、一生付き合うべく不治の病『厨二病』。そして覚えた胸の高鳴りは確かにそれの再発であった。




 パチパチっと木が爆ぜる。

 オレンジ色の光が火を囲む二人の女性を照らす。


「いやぁ、静かな夜だねぇ」


 胡座をかきながら二人の内の一人ユナはお茶を啜りながら、ふあっと欠伸をしながらもう一人の焚き火を見つめるミーナに視線をやる。


「静かって……それが一番だよユナ」

「んー、まぁそれもそうだね」


「そろそろ交代の時間かね」とユナはごろりと横になり、「ふぁ~、もうミーナは眠いよ」とミーナは目をこする。


「ちょっと、なにだらけてるのよ……」

「交代の時間よ」


 呆れた様子で夜の闇から現れたのは二人の女性、リーリリとエヴァ。


「ちょっとだけじゃないか」

「だめよ、ここが何処かわかってるでしょ」


 リーリリの言葉にユナはすぐ横に広がる森を見つめる。

 グジャラート大森林、多くの魔物が潜む巨大な森。


「後少しとはいえ、依頼中なんだから気を抜かないの」


 彼女たち4人は冒険者と呼ばれる類の者だった。

 古くはダンジョンの調査や探索をする者たちから始まり、今では魔物の討伐から子守まで依頼を受けてこなす者たち。今回は馴染みの商会からの依頼による隊商の護衛、そして目的の都市でもあり、彼女達が居を構えるトライアズまで残り一日という距離まで来ていた。


「はいはい、わかってるよ。早く終わらせて風呂にでもはいりたいぜ」

「あぁ、いいね!ミーナも入りたい」

「もう……二人共……でも、確かにそうね。やっぱり、拭くだけじゃ気持ち悪いものね」

「そうなんだよ。やっぱりこう胸の下が痒くて」


 困った表情でユナは胸に手を伸ばすと、ハッとした表情に変わりいたずらっぽい笑顔を見せる。


「あぁ……悪いな。リーリリには」

「はぁっ?私にはなんだって」


「いや、そのな」とユナはリーリリの一点を見つめる。


「なっ!どこ見てるのよ! 仕方ないでしょ!これでもエルフのなかでは大きいほうなのよ!それにミーナだって」

「にゃ!ちょっとリーリリ、悪いけどミーナはまだ成長中なの!」

「成長中ね…… 猫の獣人族で胸のある奴にあったことないけどな」

「はっ? そう、ユナ……それはミーナ、いや猫人族全体に喧嘩を」

「そうよ、大体、ユナだってダークエルフの中では小さい」

「あっ?リーリリ今なんて」

「ん?ダークエルフにしては慎ましいって言ったのよ。あぁ、性格ももう少し慎ましければね」

「っ!お前!くそぉ! なぁ!エヴァ!お前もなんか」


 三人の視線がエヴァに集まる。


「何かしら」


 真っ黒な黒髪にタレ目気味の瞳に治まるオニキスのような瞳、唇は薄く笑みを浮かべている。そんな彼女の顔からゆっくりと視線は落ちていき、着崩したような服から覗く双丘に三人の視線は止まった。


「あぁ、何だリーリリ、ミーナすまない……」

「いえ、私も」

「あぁ、エヴァのは反則だよ。蜘蛛の蟲族ってどうして」

「ミーナ、エヴァのはその中でも」


 肩を落とす三人、そしてそれを笑顔で見つめるエヴァ、次の瞬間、エヴァの顔から笑みが消える。それと同時にミーナが跳び上がる様に森を見つめ、その様子にユナとリーリリもその意味を察し構え森を睨む様に様子を伺う。ミーナはダガーを、ユナは戦斧、リーリリは弓を引き、エヴァは魔力とそれぞれに武器を握る手に力が入る。


 得体の知れない気配と風に紛れて届く血の匂い。 

 視線の先森の中から、何かがこちらに向かってくる。こちらを伺っているのか気配は足を止めるが少しするその気配は再びこちらへと向かって来る。その気配は徐々にその輪郭を確かなものにしていく。


―― 「「「「え?」」」」 


姿を現したそれに四人ともが動きを止めた、想像していたモノとの違いに皆心の中で声を漏らした。

 現れたのは男だった、小綺麗な恰好をした男だ、貴族かとも思わせるような装い、しかし四人の視線が止まったのはその顔。


仮面


 狐を模した顔の上部を隠す仮面。


「これはこれは何とも物騒な」


 薄紅の唇から洩れるその声は妙に耳障りのよい声音。人の形をした魔物である「魔族か?」と言葉ではなく視線を交わす四人。男は四人をぐるりと見渡すとくっと口角を持ち上た。


「見目麗しいご婦人達に、このような熱烈な歓迎をしていただけるのはありがたいのだが…… どうにも私には刺激が強すぎるようだ。どうだろう矛を納めて頂けないだろうか」


 男は降参だと言わんばかりに両手を上げ微笑むが、四人は武器を降ろすはなく警戒を強める。


「これは参ったな。私はヤコウ、すまないが本当に危害を加えるつもりは」


 男、ヤコウは身体の違和感に目を細める。

 幾つもの糸、エヴァの得意とする魔力の糸が彼女から伸びておりヤコウの身体に巻き拘束せんとしていた。


「悪いが信用できないな」


 そう言ったのはユナ、他の三人もユナと同じ様にヤコウを睨む様に見据えている。

当然だろう、突然真夜中に現れた素性も知れぬ男、仮面もそうだが森の中、それも多くの魔物が出没するグジャラート大森林から現れたのに衣類に乱れがない、それ以上に。


「あんた……凄いよ、血の匂いが」


 ミーナが鼻を鳴らす。


「……あぁ……綺麗にしたつもりなんだがな……残念だ」


 ぞわりとしたものが四人の背後を伝う。


「あぁ……ご婦人と事を構えるのは色恋事だけにしたいのだが、話を聞いてもらうには」


 ヤコウの耳に届く風切り音、先手必勝と言わんばかりに放たれたリーリリの矢。それをヤコウは半身を逸らす様に躱す。身体の違和感に目をやれば先ほどは脚までだった糸が腕に巻き付いている。


―― これは掴めるか 


 手をやるとヤコウからでも糸に干渉出来る事に気が付いた。糸を手に巻き取り力任せに引っ張ると、ガクリとエヴァの身体がゆれる。


 「エヴァ!早く糸を」リーリリの声が響く。

 魔力で出来た糸、エヴァは自分へとつながる部分を切り離そうとするが既に引っ張られバランスを崩した身体は浮遊感と共にヤコウへと引き寄せられる。


「くそっ!エヴァを離せ!」


 ユナが声を上げる。

 引き寄せられたエヴァはヤコウの片腕の中に抱き留められていた。エヴァはヤコウの腕の中見上げる様にヤコウを睨みつけが息をのむ、そこには自分を見つめるアメジストの様な瞳があった。エヴァの耳に届く囁くような声。


「夜の闇の様な美しい瞳だ」


 エヴァの顔にかかる髪を優しく払う指、その指がそっとエヴァの手を掴む。


「糸でなく、貴女のこの指で腕で抱きしめられたらきっと私は本当に身動きが取れなくなってしまうな」


 歯の浮くようなその言葉にエヴァは呆気にとられるが、不思議と嫌な気はしなかった。エヴァは小さく笑うと「こうかしら」とヤコウの背に両腕を回し、それにヤコウはワザとらしく困った顔を作る。


「これは困った…… こんな風にされたら身動きが取れない」

「あら、本当かしら」

「あぁ…… 指の一本も君の魅力に捕まってしまったようだ」


 ヤコウは大げさに困った様子を見せ、なんだかそれが可笑しくてエヴァは頬を緩ませる。


「嘘つき」

「嘘つきは嫌いかな」

「どうかしらね」


 顔のふれそうな距離、囁くように話す二人の声は当然エヴァ以外の三人に聞こえるはずもないが、ヤコウを抱きしめる様に腕を回すエヴァ、そして何故か楽し気な表情の二人。そんな二人をリーリリ達三人は何とも言えない顔で眺めていた。


「ねえ…… ユナ、ミーナあれなにかしら」

「…… 私にきくなよ」

「あわわ、ねぇ、近い顔が近いよ!」


 意味が分からないと言った様子の三人、その三人の背後から声がかかる。


「どうかし……え?」


 現れた少女、ノイン・ルクレア。

 彼女の登場に「しまった」と顔をしかませるユナ、ミーナ、リーリリの三人。彼女こそ今回の依頼で最も重要な保護対象だったのだ。

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