オープニング

「さて、あっしに何の様でしょう」


 薄暗い路地裏、私は次の夜会の話のネタにと目の前の男を訪ねていた。

 男は下卑た様子で口を開く。

 薄汚れた服装、その顔にはぐるぐると布が巻かれ顔を隠していた。


「あぁ、あぁ、あの話でしょうか。やめておけ、やめておけ、触らぬ神に祟りなしと言うでしょう」


 この小汚い男、かつては随分と羽振りが良く、ある組織の顔役であったと言う。

 そしてたった一晩でそのすべてを失った男だと聞く。


「はぁ、仕方ない。礼は弾んでもらいますよ」


 男の前に置かれた端の欠けた皿に金貨を一枚投げ入れる。

 金貨と皿がぶつかる音に男が探るように手を伸ばし、手に取った金貨を確かめるように何度も何度も指でこする。


「金貨ですか? これはなんと羽振りがいい」


 ごそごそと金貨を懐にしまえば居住まいを正し、口を開く。


「さてさて、と言っても何所のどなたかは存じませんが、お宅様が満足するお話が出来るかは分かりませんよ。私に出来るのはこの身に起きた事だけで御座いますから。では、これは私が今より随分と粋がっていた頃の話でございます」


 彼が独特の調子で語るのは一人の男とその仲間達、そして彼等に牙を向いた愚かな者達の物語。

 余程話しなれているのだろう、一人劇の様なそれは下手な舞台を見るよりも不思議と引き込まれる。

 どこか現実離れした内容だが、男の話すそれは確かに起こったのだと、それまでに調べた、聞いた話と照らし合わせれば信じざるを得ない内容だ。

 

「さて私がこの目で見て、聞いて語れるのはここまででございます」


 手探りで瓶を探し掴むと、その中身を流し込みふっと息を吐く。


「後は私も聞いた話のみでございます。あとはあなた様自身でお調べになるとよいでしょう。ん?あぁ、そうでございますよ、この目はあの時の事が原因でございます」


 そういって男は巻かれた布を外しその素顔を晒すと、その両の目の上下がしっかりと縫い付けられており、思わず息を飲んだ。


「気が付けばこうなっておりました。そりゃ、初めは恨みもしましたよ、でもね自業自得、今まで悪どい事をしてきたの付けが回ってきたのしょう。むしろ、この程度で済んだなら軽過ぎるくらいでしょう」


 男は手慣れた様子で布を巻き、一度わざとらしく辺りを見渡す。


「さて、この辺でもう満足なされましたでしょう。こんな男の話に金貨を出されるくらいだ、ご身分のある方なのでしょう。あぁ、怖い怖い、この様な身で何が出来ましょう、ほらお隠れになられている方たちもそれを収めてくだせい」


 ちらりと見せた両の脚には大きな傷、腱が酷く断ち切られているのが見てとれ、先ほどからの不遜とも言える言葉遣いに思うところのあった護衛達が警戒の色を薄くした。


「もう、よろしいでしょう? では最後に一つ」


 指で男は地面に一本の線を引く。


「この地面に引いた線を踏み越える様に簡単に踏み越えられてしまうものです。こちらとそちら、彼岸と此岸、些細な事で簡単にその境界は失われてしまいます。努々この愚かな男の姿をお忘れなきよう」


 男はそう言って頭を下げ、私が去るまでその口を開く事も頭を上げることはなかった。




 俺はゆっくりと息を吐きだし、懐から金貨を出して指で遊ぶ。

 こんな路地裏、目も見えず脚もろくに動かせぬ俺が、金貨を持っていれば直ぐに物言わぬものとなり果てるだろう。

 しかし、それは事、誰も俺に危害を与えようとすることはない。

 当然だ、そんな事をすればすればあの方達に弓を引く行為だ。

 だからと言って調子に乗れば、きっと想像できない程に恐ろしい事が自分の身に起こる事になるのが簡単に想像できる。

 俺が出来るのは、あの方たちに与えられた役割をこなすことだけだ。


「なかなか上手になったじゃない」


 耳に届いた言葉、いや、その声への反射で、勢いよく頭を地面に叩きつけた。


「あ、あっありがとうござ」


「誰が口を開いていいといっても? まぁ、いいわ。きっと、さっきのは貴方から聞いた話を面白おかしく話すでしょうね。まるで怪談話を聞かせるように、貴方の恐怖を恐れを」


 とろける様な声が耳響く、甘く甘く脳を溶かすような、恐ろしい声が。


「それは尾びれ背びれが付いてどんどん広がっていくわ。それが私たちのとなると知らずにね。期待しているわ『琵琶牧々びわぼくぼく』」


 すっとその気配が消えると一気に汗が噴き出る、何度も深呼吸をし背後の壁に背を預けた。

 『琵琶牧々』それが今の俺の名、かつて呼ばれていた名に既に意味は無く、ただただ目の見えぬ身体で語るのみ、あの時感じた恐怖を。

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