最終話 晩秋

 晩秋、書いて字の如く秋のれ。


 雑草生い茂る川沿いの道は、春の頃と比べてくすんだ色合いに景色を変えていた。

 いつも通りの通学路を進む歩みはやがて橋へと差し掛かる。



 2020年 11月30日

 柚花区 ゆかけ橋


 橋の中央に仁王立ちする主塔をくぐろうという時、創はふと歩みを止めて真横を向く。


 今日の天気は胸のすくような秋晴れ。

 秋の空気はよく澄んでいて、どこまでも広がる群青色の空は見ていて気持ちがいいくらいだった。


「……行ってきます」


 独り呟いて、再び歩き出す。

 もうじき十二月になろうという時節。そろそろ手袋を出そうか、などと考えるくらいには冷え込んできている。


 橋を渡り終えるとそのたもとには、セーラー服の女学生が一人。


「春川、おはようっ」

「おはよう。夏目さん」


 この場所で週に5回、そんな挨拶を交わすようになって半年が経とうとしていた。


(オレに気を遣って、毎朝ちょっと遠回りしてくれてるんだよな……多分)


「……あ、タイミングピッタリで青になった。ラッキー!」


 登校時刻までには余裕十分。二人は落ち着いた足取りで信号を渡る。


 今日も晴天につき、半年前のあの時に比べれば……世界は全くの平和としか言いようがなかった。



 ~~



「それじゃあミロのヴィーナスの話、前回の続きからですね――」


 金曜2限、現代文の授業。

 A組の現文を担当する教師はあまり生徒を当てないため、創にとっては考え事の時間であった。


 創は窓の外に広がる空をぼんやりと見つめる。


(旧人類の宇宙船……もういないんだよな)


 あの日、律との戦いに勝利した創は旧人類に脅威と見なされた。

 その上で烏丸の『春川創は平和的解決を望んでいる』という命がけの訴えが功を奏し、創の提示した取引は成立した。


 取引とは簡単に言えば『Eカプセルを新たに作り直し、分け合う』というもの。


 まず創たちは旧人類から二号船のEカプセルを一時的に預かり、クローン技術で複製する。次にこの星の新人類たちから(寝ている間など)秘密裏にDNAを採取し、旧人類のために奪われた分のEカプセルを作成する。


 これにより旧人類は奪われたカプセルを取り返すことができ、創たちは未だライブフレームを使用している人々の分の肉体を用意できる……という取引だった。


 世界各地でのDNAの採取・およびEカプセルの作成に要した期間は1ヶ月程度。旧人類らは今年の七月半ばで周辺宇宙を発ち、こことは別な新天地を目指して去っていった。


(次の新天地が見つかるのは何年後になるんだろう? まぁその気になれば、彼らにとっては2000万年もたった2年になるワケだけど)



「――つまり筆者はミロのビーナスの失われた両腕を、生命の可能性になぞらえて表現しているんです。で、それによって――」



 新人類らは結局、今も真相を知らない。あの怪獣は、ロボットは、一体何だったということを。そして……この星が地球でないということも。


 しかし、彼らもバカではない。既にこの半年の間で、天文学を始めとする様々な専門家たちはこの世界の『おかしさ』に気付きつつあった。


(千秋くんは言っていた。混乱を呼ぶから、こちらから真相を公表することはしない。。だけど新人類が自力で真相に辿り着こうとするなら、殊更に止めはしない……と)


 一時期、SNSや動画サイトではアルテミスや怪獣たちを映した動画が世界中を震撼させた。しかし新たな情報がないまま半年もの時が経ち、今となっては人々の話題から姿を消している。


 これには「芸能人のスキャンダルとはワケが違うのに、どうして!?」と星奈も理解に苦しんでいた。創も多少意外に思ったが、人とは案外そんなものかもしれない……と、彼にはむしろ納得感さえあった。



 たった半年、されど半年。



 世界の様相も、人々の注意の移ろいも、何もかも。ここ半年の間で様々なものが変わっていった。


「……いや、ダメだ」


 窓の外を眺めてセンチな気分になっていると、思わず名前を呟いてしまいそうになる。けれど……そこに自分が囚われることを、『彼女』は快く思わない気がした。


 たった半年、されど半年。創自身も、そろそろ変わらないといけない時期であることを悟っていた。



~~~~



 2020年 11月30日

 柚花区 シノブク堂・柚花駅前店


「お預かり致します。カバー、お付けしますか?」


「484円でございます。……Suicoですね。かしこまりました」


「ありがとうございます。またお越しくださいませ」


 深々とお辞儀をして、創は客の背中を見送った。


「……お客さんってさ、なんで連鎖するんだろうね?」

「さ、さぁ……」

「絶対無関係でしょみたいな人たちが連なって来たりするし、パーティーでもやってたのかな?っていつも思うよ」


 一波捌いた後のレジは、なんだか少し静かに感じる。

 隣に立っている女性はこの店の店長。高身長に眼鏡をかけた少し愉快な人……創の中での彼女の印象はそんなところだった。


「……あっ。そういえば午前中に他のことやってたせいで品出しできてない! 春川くん、やっといてくれない~?」

「分かりました」

「助かるよ~! いつものとこに置いてあるからさ、よろしくねっ」


 店長はそう言うとレジを離れ、事務所へと入っていってしまった。


「さて……」


 店内は比較的空いている。品出しをするなら今が好機と見て、創はフロア隅の段ボールへと向かった。



 あれから創はアルバイトを始めたのだった。

 職場はここ、駅前の書店。働き出してもう4ヶ月経とうとしている。以前から幾度と来ている店であったが故に新鮮味のある場所ではないが、最初はそれくらいで丁度いいのではないかとも彼は思った。


 創は段ボールを運び、中の本を本棚に次々と並べていく。


「店員さんオススメの新刊はどれですか~?」

「えっ……あぁ、夏目さんか」


 突如背後から声をかけられたと思えば、星奈だった。


「なんかゴメンっ、迷惑だったかしら?」

「いや全然。さっきは珍しくちょっと混んだけど、ここは基本落ち着いた職場だから。向こうのマクナルドの方がよっぽど忙しそうだよ」

「そっか。で……本題なんだけどさ」


 星奈は落ち着いた声色で切り出した。


「千秋くんの出発……明日だって」

「そう……なんだ。急だね」

「でもライブフレームと生身の入れ替え作業は前に終わったって言ってたし、そろそろだとは思ってたけど」


 律はかつて作戦に失敗し、二号船のEカプセルを取り逃した。そのため、旧人類から残りのEカプセルを奪うまでのつなぎとして、新人類の約半数は知らずのうちにライブフレームを使用していたのだった。


 しかし旧人類との取引により、もはやその必要もない。律は誰にも気づかれないうちに世界中のライブフレーム使用者に対し、育成ポッドで同じ年齢にまで成長させた生身の肉体との入れ替えを行った。


 現在、この星に機械の身体の人間は一人たりとも残っていない。


「集合時刻は朝の6時半。場所は上ヶ鶴浜だって」

「明日も学校あるけど、もしかしたら間に合わないかもしれないね。でも……いいか、出発の日くらい」


 ほんの少し寂しげな目をしたかと思えば。創は真剣な目つきで品出しに戻った。


 そんな横顔を、隣でじっと見つめる星奈。


「いい顔してるじゃない」

「え……」

「働いてる春川、感じいいわよ? なんか辛気臭くなくって」

「……」


 実感が湧かなかった。

 だけど、なんだか嬉しかった。


「そんなに変わるかな?」

「うんうんっ。実際働き始めてから、春川ちょっと前向きになった気がするし」

「……そっか、ありがとう夏目さん」


 それは冬子を失ってからひと月、夏休みが始まろうという頃。よく通っていたこの本屋で求人が張り出されているのを見つけた。


 満たされない空虚な毎日をとにかく埋めたくて……最初はそんな理由で応募した創。だが今となっては、この仕事が彼に充実感を与えるまでになっていた。


(オレも少しずつ……前へ進めてるのかな)


 ふと横を見ると、漫画本を三冊抱えた高校生がレジへ歩いているのに気付く。


「夏目さんゴメンっ。レジ行かなきゃ」

「うん。……用は済んだから、それじゃまた明日」


 早歩きでレジへと向かう創。

 その背中へ向けて、星奈は小さく手を振った。



~~~~



 翌日、早朝。


 時刻は6時半より少し早いくらいで、今にも日が出ようかという頃合い。

 弓浜湾を望む堤防道路の上を創と星奈は歩いていた。


 集合場所は上ヶ鶴浜とだけ伝えられていたが……いざ現地に着けば、それは非常に分かりやすい。


 日の出が始まれば、なおのこと。


「……アルテミス」

「久しぶりに見たけど、やっぱり大きいわね」


 水平線の向こう、東の空から徐々に光が差してきた。


 朝焼けに立つ鋼鉄の巨人は、逆光で黒く巨大なシルエットを浮かび上がらせる。


「横にいるの、千秋くんかな?」


 今はまだ起きている人間も少ないが、モタモタしていればいずれ騒ぎになる。創たちは歩みを少し早めた。


 堤防から階段を降り、砂浜へ足を踏み入れる。


「おーいっ!」

「聞こえるーっ!?」


 アルテミスの手前に立つ人影へと向かって創たちは声を張り上げた。


 二人の声に、人影は振り向く。



「……え」

「……うそ」




「―――冬子――?」




 その人影は……冬子は、創たちへと向けて大きく手を振る。

 砂で汚れることも厭わず、創は駆けだした。


「創…っ!」

「冬子!! 冬子……っ!!」


 顔がよく見えるほどに近寄って、確信する。今目の前にいるのはたしかに冬子だった。


「ふゆっ!」

「せいちゃん!」


 追いついた星奈は冬子に抱きつく。


「で…でも……なんで……!?」

『復元に成功したんだ』

「千秋くんっ?」


 どこからともなく聞こえるその声は律のものだった。

 創たちの頭上、アルテミスの眼からホログラフィックが投影され、その姿が現れる。


『あの日竜の怪獣が爆発したあと、肉片などの残骸を回収するために清掃機を飛ばしたんだ。すると……残骸の中からニューロチップが見つかってね』

「それって!」

『かなり状態が酷かったから苦労させられたが……何とか、彼女の意識データを復元することができた』

「そーいうことっ! ほんと何から何まで、千秋くんには頭が上がりませんよ~!」


 そう言ってニカッと笑う冬子。彼女の笑顔を見ていると、創の中でこみ上げてくるものがあった。

 冬子の両肩に触れ、嗚咽まじりに創は歓喜の声を上げる。


「本当に…本当に……会えてよかっだっ!」

「私もまた会えて嬉し……」


 その時だった。

 突如、冬子は苦しげな顔をし始めた。


「ど、どうしたのふゆ!?」

「冬子っ!? だ、大丈夫なのか!?」

「はっ…はぁっ………だ、大丈夫…っ」


 息を荒げる冬子は創の体にもたれかかりながら呼吸を整える。


「……実はね。私の体、先天性の心臓病をもってるらしいんだ」

「えっ」

『検査したところ、さして重いものではなかった。命の別状はないから安心してくれ』

「今まではシミュレーションの中だったり、現実世界に移っても機械の身体だったから気付きようもなかったんだけどね」

「……そうなんだ」


 冬子は申し訳なさそうな顔をする。


「ごめんね。機械の身体じゃなくなったせいで、こんな弱々しくなっちゃって……」

「そんなのっ、気にしなくていい!」


 創は冬子の両手をとった。


「オレ、頑張るから! これから冬子を支えていけるように……もっと立派になってみせるから!」

「創……」


 冬子は少し驚いたように、顔を仄かに赤く染めた。


 ……そして、クスリと笑った。


「……そうだよねっ。創はすっかり成長したもんね」


 波打ち際で朝焼けを背景に見つめ合う二人。

 そんな構図を少し離れたところから、星奈は眺めていた。


 なんだか、見ていて悪い気分はしなかった。


『……さて、騒ぎになればキミたちにも迷惑がかかるね。僕もそろそろ出発しようと思う』


 ホログラムの律がそう言うと、三人は彼の方へと向き直る。


「お別れか……寂しくなるよ」

「片道2000万年、気が遠くなるような旅よね」


 星奈が砂浜に立つアルテミスの向こうを見やると、そこには巨大なコンテナがいくつも積み重なって纏められている。


「メテニウム技術をこの星に残したくないってだけなら、去る必要はないんじゃ?」

『これはケジメのようなものさ。……僕はもう、ここにいてはいけないんだ。あまりに好き勝手やりすぎた』


 律はライブフレームを生身の肉体に取り換えて回る傍ら、世界中のステーションを潰していった。メテニウム技術をこの星に残したくないが故に、である。

 また、コンテナの中に貯えられているのはメテニウムや汚染物質であった。


 そして……これらを全て地球に持ち帰る。それが律の言う『ケジメ』なのだった。


『今まで本当に迷惑をかけた』

「まぁそれはそうよね~」

『うぐっ。……それから』



『……見失っていたものを思い出させてくれて、ありがとう』



 創たちは思い思いに「さようなら」と口にする。


 律は無言でお辞儀を返し……最後に晴れやかな顔をして、ホログラフィックが消えた。



 そして―――アルテミスの瞳は翠玉の如く、鮮やかに光り出した。



 轟音をたてて、ジェットパックは淡い緑の光を放つ。

 やがてアルテミスは浮遊し始め、鎖で纏められたコンテナも遅れて大地を離れる。


 空を静かに見つめ続けるアルテミスは、朝陽を背にその高度を増し――



――やがて、その姿は群青の空に消えた。



 気づけばすっかり日も上がり、さっきまで薄暗かった街は朝らしい顔を見せている。



 2020年 12月1日

 上鶴区 上ヶ鶴浜


 晩秋、書いて字の如く秋のれ。


 今日は或る者が、彼の目の前を去っていき……そして。

 今日は大事な人が、彼を思いがけず訪れた。


「――冷えるな」


 空気の冷たさが伝えるのは、そんな狭間の季節の終わりだった





 最終話 晩秋

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