第六話 白木冬子の必殺



 ―――う。



 ……ううん…。



 暗い。


 それから


 少し肌寒くて……けど、暖かい…?




「……はれ…?」


 星奈は自分がテーブルに突っ伏していたのだと気づいた。


 顔を上げれば暗闇は晴れ、部屋の灯りはむしろ眠気眼ねむけまなこに厳しいくらいだった。


「ここは……」


 目を覚ますと、そこは彼女もよく見知った場所……漫研部室だった。見れば、自分の身体に毛布がかけられていることに気付く。


「あっ。目、覚めた?」


 隣から声が聞こえた。

 振り向くと……否、振り向くまでもなくそれが誰かは分かっていた。


「えっ」


 されど星奈はその顔を見て、やはり驚嘆した。



「春川……な、なんでこんなとこにっ!?」



 驚いた調子で声をあげる星奈に、創は首を傾げる。


「なんでって、同じ漫研部員だし。いたら変?」

「あ…あれ、春川が……?」


 混濁する頭をクールダウンさせ、星奈は思考を回し直す。


「………確かに、そうよね。何に驚いてたんだろう私?」

「あっ。そういえば宮嶋さんはもう帰っちゃったよ」

「ミヤシコが帰ったってことは、かな子ちゃんのプールの日よね」


 ふと、部室の壁にかけられたカレンダーを見やる星奈。

 そして驚愕した。


「……じゅ、十二月っ!?」



 2019年 12月20日

 青柚高校 漫研部室


「また大声上げちゃって、どうしたの?」

「だっておかしいじゃないっ、十二月なんて! 確かになんか妙に肌寒いし……」

「はは……」


 引きつった顔で乾いた笑いを浮かべる創。


「おかしいも何も……先週だってテストが終わるや否や、教室でクリスマスの予定を立て始めるカップルを見て恨めしそうにしてたじゃない」

「そんな…こと……」


 星奈は再び混濁する頭を探る。そして今度こそ、間違いないよう記憶を整理した。


「……そうねっ。確かにそんなこともあった!」

「あははっ。かれこれ一時間も随分ぐっすりだったけど、どんな夢を見てたの?」

「夢……夢の話かぁ」


 創に尋ねられ、うーんと唸りつつ星奈は考え込んだ。脳内を掻き分けて進むように、さっきまで頭にあったものを突き止めようと試みる。


「……忘れちゃった?」


 しかし、まるで靄がかかったかのように。もはや何も見つかることはなかった。


「そっか。星奈がどんな夢を見るのか、ボクも聞きたかったなぁ」

「何よそれっ。そんなに人の夢なんて知りたいかしら?」

「知りたいよ、だって……」


 そこまで口にしたところで、創は照れくさそうな顔をして押し黙ってしまった。


「だって?」

「な、何でもないっ! もう最終下校だし、帰ろうっ?」


 そう言われて星奈は部室の壁掛け時計を見やる。時刻は17時50分。最終下校時刻の10分前だった。鞄を持ち上げて椅子を立ち上がる創につられて、星奈もテーブルに置かれた自分のリュックを手に取る。


「夢……」


 星奈は依然頭の片隅をふわふわとさせたまま、創の背中を追って部室を後にした。



 2019年 12月20日

 柚花区 柚花駅前


 時は18時を少し過ぎる頃。隣り合って歩く二人は駅前広場を通りかかった。

 街はすっかりクリスマスムードといった雰囲気で、立ち並ぶ店はどこもかしこもそれらしい飾り付けをしている。


「こうして歩いてると勘違いとか、されちゃったり……な、なんてねっ」


 創は冗談めかすように言おうとするが、恥ずかしさに耐えかねてその顔は次第に紅潮していく。


「……」

「……」


 そして星奈の方もまた、そんな反応を見せられて創を直視できずにいるのだった。

 顔を俯けた二人は目を合わせられないまま、その歩みは駅前の書店に差し掛かった。


「そっ、そういや! ナナヨメの13巻って今日発売だったっけ?」

「えっ? あっ、12月20日……そっか」

「差出人の正体が遂に分かりそうだよね! 一体誰なのか全く読めないけど……強いて言うならアヤカはなさそうかな? 立ち位置的にも微妙だし」

「そう? もしかしたら大穴って可能性もあるかもしれないじゃない」

「どうしてそう思うのさ?」

「それはー……」


 星奈はふと考え込む。なぜ自分がこんな大胆予想をしてしまったのか。それも無根拠に、まるで既知の未来を仄めかすような口振りで。


「……どうしてかしら?」

「ふふっ、なにそれっ」


 二人の間の雰囲気も少しほぐれ、改めて彼女は創の顔を見つめる。


 自分も好きなものを、自分に負けないくらいの熱量で語ってくれる想い人。それはまるで、思い描いた理想から飛び出て来たような存在だった。


(やっぱり私……)


 創はクスりと微笑して口を開く。


「まぁ、確かに幼馴染ヒロインって勝率低いけど。でもちょっと憧れはあるよね」

「うんうん分かるっ! 私も中学で初めて乙女ゲーやったときなん……か……」



 ――ズキン、と。

 星奈は激しく頭を打ったような痛みを感じた。


 苦悶の表情を浮かべ立ちすくむ星奈。頭痛と共に、強烈な違和感に襲われる。


「…ふ…ゆ……?」


 何気なしに口を突いて出たその名が耳に届いた瞬間だった。

 星奈は頭の中の靄が晴れるような感覚がした。


「……幼馴染に『憧れ』?」

「え? そう言ったけど…」

「違う………違うよっ!!」


 創は星奈の言葉に困惑する。


「――〝ふゆ〟のこと、まさか忘れたのっ?」


 何もかも、思い出した。


 それは確かにいた彼女の友人の存在であり、怪獣と戦う彼の雄姿であり……彼ら彼女らの身に起きた悲劇だった。


「な、何言ってるの星奈? ふゆって一体誰のことを……」

「白木冬子、キミの隣に住んでる幼馴染! あんなに大切だったじゃない! なのに……っ!」

「だからそんな人知らないし、そもそもウチの隣は空き地だよ! さっきから星奈、変だって」

「…っ!」


 そんなことを言い放つ彼の姿は星奈にとって信じがたいものだった。ショックでさえあった。


「……それよりも。今はボクも知らない女の子の話より、目の前にいる君の話が聞きたいっ」


 しかし星奈の内心はいざ知らず。創は少し目を背けて、顔を強張らせて、そうして意を決し、彼女の左手を握る。

 創の大胆な行動に、思わず星奈は心臓が止まりそうになった。


「その……星奈は、ボクのことどう思ってる……?」

「えっ」


 それは青天の霹靂だった。

 大切な幼馴染のことを覚えていないなんて、とさっきまで憤っていたはずなのに。彼のいじらしいとさえ思わせる一言は星奈の頬を不覚にも赤く染め、心を惹きつけたのだった。


 ふと視線を落とすと、自分が右手を伸ばそうとしていたことに初めて気付く。その右手はきっと、自分の左手を握る彼の手を取ろうとしていた。


「どうして……こんなに胸が高鳴っちゃうのよっ」


 逡巡を経て、その右手は創の手に触れた。


 ――そして握られた手を解いて、引き離した。控えめな力加減にはどこか名残り惜しさが滲んでいるようにも見えた。


「好きな人が自分の趣味に寄り添っていてくれて、向こうから距離を縮めてくれて……私を好きになってくれて。まるで夢みたい」

「なら……」

「だけどっ! ……都合が良すぎるのよ」


 目を伏せて、しかし淀みなく星奈は言う。


「それだけじゃない。何よりここには、私の友達がいないっ」


 創を振り払って、星奈は駆けだした。

 後ろ髪引かれる思いが無い訳ではなかった。けれど、後戻りする気にはならなかった。


 息を切らしながら走っていると、やがて駅前広場に戻って来た。


 ――瞬間。


「……え?」


 星奈がまばたきをする間に周囲の景色が一変した。

 クリスマス一色に飾り付けられた街はどこへやら、気付けば彼女は人気ひとけない波打ち際にいた。


「ここ……弓浜湾?」

「そうだよ」


 背後から聞こえる声に振り返る。そこにいたのは……創だった。

 彼はバツの悪そうな顔をして、星奈と目を合わせらないまま立っている。


「この世界……幻なんでしょ? なら、私はもうここにいる場合じゃないの」

「確かに幻さ。だけど、全部がデタラメってワケじゃない」


 創は言葉を続ける。


「累計101回試行された新世界シミュレーション。ここは100周目のシミュレーションのログから一時的に再構築された世界……らしい」

「えっ…」

「現実の君の身体は夢でも見るかのように眠ってる。けどこの世界はまるっきりのデタラメではなくって、過去に実際にあった世界なんだよ」


 星奈は創の説明を聞いて戸惑う。彼女を翻弄する幻が単なる作り物ではなく、自分と同じ出生だとは思いもしなかった。


「誰がそんなことを……」

「仕掛けたのは烏丸先生さ。甘美な夢を見せて君を懐柔し、仲間を裏切らせようとしたんだ」

「だったら……あなたは何で烏丸先生に味方するようなことをしたの?」


 星奈の問いかけに創は言い淀み、波の打ち寄せる音だけが二人の間に響く。

 それから。やがて観念したように彼は口を開いた。


「……この世界はさ、2020年の6月1日で停滞した世界なんだって。それより先の時間は存在しない、そういう風にできている……って」

「リセットをかけて101周目のシミュレーションを、私たちの世界を始めたから……よね」


 思わず星奈は視線を逸らした。


「けれどボクはその先の世界を、『星奈』と一緒の時を、過ごしてみたいと……そう思ったんだ」

「その星奈っていうのは…」

「この世界の星奈のことさ。でもここにはいない。シミュレーションに同じ人間は存在できないから……上書きされたって」

「…っ!」

「君のせいじゃないよ。むしろ……謝らなきゃいけないのはボクの方だ」


 罪悪感に襲われ息を呑んだ星奈に創がかける言葉は恨み節だとばかり思った。しかし実際のところは、全くの逆だった。


「君は『ボクの星奈』じゃないし、ボクは『君の春川』じゃない。分かっていたはずなのに……それでもボクは一目見て、君を『星奈』に重ねた。どうしようもなく求めてしまったんだ。だから烏丸先生に協力して、君をここに引き留めようとした。……ごめん」


 創は真横へと向き直って水平線を眺める。冬の弓浜湾は風も凪ぎ、人の少ない砂浜は二人だけの世界だった。


「この浜辺はさ、ボクと星奈が付き合って最初に出掛けた場所なんだ。……君がこの世界を拒絶した以上、ここもそう長くはもたない。最後にもう一度この景色を見せてくれて……ありがとう」

「そんな…っ!!」


 創は空を見上げ、呟く。


「――創造主が化けた怪獣と、君の世界のボクと、『彼女』が宿ったアルテミス。外の世界では今も戦いが続いてる。戦いの鍵を握るのは……アルテミスだ」


 それから星奈の方へと顔を向けて、激励した。


「こんなところで、寝ぼけてる場合じゃないんでしょ? ここを持ちこたえれば彼は勝てる……君が助けてあげるんだ」




~~




「……春川っ!!」



 目覚めると、そこはコンクリートの上だった。

 硬い床でずっと寝ていたからか背中がひどく痛む。


『ピコピコ』


「ライザ…? ここは……」



 2020年 6月3日

 元萩センタービル 屋上ヘリポート


 周囲を見回せば、ここがビルの屋上にあるヘリポートであることは容易に分かった。柵の向こうの景色を見れば自分がどれだけの高所にいるかを怖いくらいに実感できる。


「そっか……私、ライザに乗ってここに来て……それから」

「ようやくお目覚めか」


 柵の向こうで階段を上りながら近づいてくる声の主は、烏丸だった。星奈の隣で佇むライザは機敏な動きで彼女を庇うように前へと出る。


「烏丸先生……私っ! あの大量の怪獣を止めてもらうために来たんです!」

「まぁそんなことだろうとは思ったがな。だが、起きるのが少し遅かったな」


 ウンザリとしたような調子で烏丸は答えた。


「遅かったってどういう……」

「向こうを見てみろ」


 烏丸に顎でクイと示された方角を見やると、それは星奈の目にもはっきりと映った。

 六枚の翼を生やした竜の怪獣に、相対するは片腕を失った白き鋼鉄の巨人。怪獣の猛攻を避けこそするものの、巨人が攻めあぐねていることは火を見るより明らかであった。


「あの竜の怪獣は、千秋が自分のEカプセルに汚染物質を投与して異形化させたものだ。我々がせっかく繰り出した怪獣軍団も全てやられてしまった。まぁ……ここまで来たのも無駄骨だったというワケだ」

「そんな、春川と千秋くんが……」


 争い合う創と律の姿に嘆く星奈。

 先ほどの顛末を見ていた烏丸は、そんな横顔を眺めながらふと浮かんだ疑問を口にした。


「……そんなに大事か? 友達が」

「えっ」


 烏丸の言葉に思わず振り向く星奈。


「私は過去のシミュレーションログにざっと目を通してきた。特に千秋とその仲間……春川創に注目してな」

「灰島さん……でしたっけ」

「知っているのか。まぁとにかく……新世界シミュレーションにおいて千秋の配役は『良家の坊ちゃん』だった。灰島はお前も知っての通り『ごく普通の少年』だ」


 誰に目を合わせるでもなく、彼は続ける。


「ただ興味深かったのが……シミュレーションが16年目を迎えると、春川創は必ず毎回『同じ人間』と恋仲になるということ。ただし、最後の101周目を除いてな」

「え……っ」

「アルゴリズムに基づいた疑似乱数の穴なのか、春川創と夏目星奈は特異点的に惹かれ合う。だからあの世界を見せればチョロっと堕ちてくれるだろうと期待したんだが……アテが外れた」


 烏丸は再び星奈の方を見ると、告げた。


「お前の友達、あの白木冬子という少女は100周目までのシミュレーションにはいなかった。最終周である101周目で急遽追加された存在だ」

「それってやっぱり……」

「薄々気付いてたんじゃないか。唯一最終周の世界でお前の恋路を邪魔したのが……白木冬子だったんだと」


 星奈はつい先程、過去の周回の創が言っていた言葉を思い返す。


・・・

『「彼女」が宿ったアルテミス』

・・・


(いつか千秋くんが言ってた『アルテミスのパイロット』……そうだとしたら…)


「だから意外だった。お前があの世界から自力で目覚めたのが」

「……ふゆは私の大事な友達。だけど、それだけじゃないですよ」


「好きな人の好きな人だから、好きなんです」


 だからこそ今は自分の成せることをしなければ、と。彼女は志を新たに言葉を発した。


「烏丸先生……この星に生きる新人類から、これ以上は手を引いてください」


 烏丸は星奈の要求を聞いて、侮蔑を含んだ目で彼女を見下ろした。


「この期に及んで、話し合いで解決なんてできると思うのか? 本当に甘ったれてるな、この世界の人間は」

「甘えじゃない。先生は力が必要って言いたいんでしょ? でも……春川は強いんですっ!」


 星奈は自分に向けられる眼光を見返すように、真っ直ぐ目を合わせた。


「ここを持ちこたえれば、彼は千秋くんにだって勝ちます! そうしたら……負けを認めてください」

「バカも休み休みにしろ、現実見えてねぇのか。それに……もしそうだとしても、私にその選択肢はないんだよ」

「選択肢が……ない?」


 烏丸は胸ポケットから、くすんだ黄色のパッケージの煙草をおもむろに取り出した。箱を開けて適当な一本を掴み、慣れたような動作で火を点け、口に咥える。


「………まっずいな」


 煙を吐き出して、そんなことを呟いた。


「……吸うんですね、タバコとか」

「以前はな。だが育成ポッドから出て一週間も経ってないこの体に、コイツは受け付けなかったらしい」


 ケホケホと咳き込むと、そんな頃もあったな、と烏丸は遠い目をした。


「俺が吸うようになったきっかけは……妻の死だった」

「え、えぇっと……」

「おい、せっかくこんなとこまでご足労いただいたんだ。土産話くらい聞いていけよ」


 敵だと思っていた側にあった事情。フィクションではありふれたシーンだったが、いざ聞かされる身となると覚悟が鈍りそうで星奈は困惑した。


「残されたのは私と娘――杏奈の二人だけ。もうこれ以上杏奈を一人にすることだけはしまいと誓ったが……移住計画の意向で、私は杏奈とは別の宇宙船に乗ることとなった」


「それから2000万年ほど飛んで、千秋の計画が実行されようという頃。私は彼らの怪しげな動きに勘付いてネストエリアを調べていたが……そのとき宇宙船からネストエリアがパージされ、宇宙船に戻ることが出来なくなった」


「私は通信可能範囲を脱する前に上層部へ連絡をとり、そして……新人類殲滅作戦を聞かされた」

「新人類……『私たち』のことだ」

「二号船に残されたEカプセルに汚染物質を注入して化け物を生み出し、送り込むというバカげた作戦だ」

「そう思うならどうして……!」



『娘を人質にとられたのですね』



「え…」


 突如、機械的な色を残した音声が聞こえてきた。


『御息女は先天性の心臓病を理由に二号船へ回された、と聞きました。「従わなければ、娘のEカプセルを異形化させる」そう脅されて、あなたは作戦への協力を余儀なくされたのではないでしょうか……リーダー』

「ら、ライザ!?」

「オートアナライザーが自然な発話をしているだと……いや、それより」


 烏丸は星奈から視線を外し、怪訝な目を隣のライザへと向けた。


「私をリーダーなどと呼ぶ人間は、知る限り一人しかいない」



「まさか……灰島なのか?」



 烏丸の問いかけに、ライザはランプをピコピコと点滅させながら言葉を返した。


『そうとも、言えます。そうでないとも、言えます』


『私は、灰島竜也が残した意識のバックアップデータです』

「ば、バックアップ……?」

『オリジナルの私は一貫して千秋の作戦に協力していました。しかしその一方で、彼に「危うさ」も感じていたのです。そのため、オリジナルは万が一に備えてネストエリアにバックアップを隠しました』


 ライザが紡ぐ言葉の発音は星奈も聞いたことがない滑らかさだった。

 烏丸は聞き返す。


「であれば、お前は一体いつから〝その中〟にいた?」

『一斉トランスコードに乗じて私が流れ着いた青柚高校のステーション、ソコにこのオートアナライザーが接続してきた時からです。千秋に近づくのには好都合な距離感と考え、システムに乗り移りました』


 ライザはゆっくりとした速度で烏丸に歩み寄り、上部のカメラが彼の頭を見上げる。


『リーダー。私の方からもお願い致します。新人類殲滅の中止を要請してください。そして……春川創に、力を貸してください』

「たとえお前が灰島だったとして……それは無理な相談だな」

『春川創は、ただ新人類を守るためだけに抗っているのではありません。旧人類を消し去ろうとする千秋を否定し、救うためにも戦っているのです』


 ランプをチカチカと激しく点滅させながら、ライザは言葉を連ねた。


『この世に生まれて間もない彼にしてみれば、本当なら千秋に従うだけの方が楽だったはずなのです。それでも従わないという選択を採るには、計り知れない勇気を費やしたのだろうと思います』


『一人の大人として。幼い彼に何もかも押しつけるような真似は……リーダーにはして欲しくないんです……っ』


「………」


 滑らかで自然な合成音声に、彼は灰島の感情を垣間見たような気がした。



~~~~



 2020年 6月3日

 弓浜市 元萩区


『そんなにボロボロになって……なぜ諦めないッ!』


 力と激情を込めて腕を振るう律。

 腹部に一撃をもらった創は吹き飛ばされながら何度もアスファルトを跳ねた。


「ぐ…はぁ……っ!」


 竜の怪獣と化した律の腕に生えた爪は確かな傷跡を残し、アルテミスの腹部で火花が散る。


『なぜキミはそこまで新人類に肩入れする!?』

「それ……は……」


 朦朧とした意識の中立ち上がる創。しかしそれすら許すまいと、律はすかさず熱線を吐き出す。


『キミの大事な人は殺されたんだッ、彼らの傲慢に!!』

「それは…違う……っ」


 辛くも回避したかに思えたが……放たれた熱線に切断されたビルが死角から滑落してくるのに、創は気づけなかった。


 ――ガラガララ、と雪崩れ込むビルに押しつぶされるアルテミス。


『何が違うと言うッ!』

「オレは烏丸先生のことを許してない……けどッ。そもそもあの人が何故、あんなことをしなきゃいけなかったの……か」


 律は鈍重な足取りで瓦礫の山に近づき、六枚の翼を大きくはためかせてそれら全てを吹き飛ばした。

 埋もれていたアルテミスの首を掴み、片腕で持ち上げる。


 火の手が回りきった街に照らされる装甲は、もはや傷だらけ。左腕はとうにがれ、翠玉色に輝く瞳の片方は割れていた。


「君が……憎しみのまま無暗に、旧人類総てを敵に回したのが……始まり…だった……」

『間違っていたと言いたいのかッ、僕が!!』


 律は怒りのまま掴んだアルテミスを地面へ叩きつけ、アスファルトには穴が穿たれる。


『地球も、人々の頭も、何もかも! メテニウムに汚染されて、僕は家族さえ失った……ッ。それでものたまうつもりなのか!? 何もしないべきだったと!!』

「ち…がう……。もっと、穏便に……やれた…と、言いたいんだ……」

『……口を開けばそればかり』


 声を震わせながら、律は睨みつけた。


『本当にっ……度し難いッ!!!』


 叫びとともに創は投げ飛ばされ、次々と建物を突き破っていく。


「カハ…ァっ…!!」

『……これ以上の問答は不要だ』


 瓦礫の上で天を仰ぐ創が上体を起こすと、光を纏った律の姿が見えた。光は徐々にその強さを増し……やがて六つの翼へと分かれていく。


 竜の怪獣は勇猛に咆哮を上げ、そして翼を大きく広げた。


 創は死を悟り……目を閉じようとした。



―――その瞬間、鈍色の何かが視界の端から現れた。



『…ッ!!』

「えっ……」


 超高速で飛来したソレは、怪獣へと捨て身の体当たりをかました!


『ぐぁァッ…!』

「この声、もしかして……烏丸先生!?」


 はじき返された飛行体をズームして見ると、その正体は律の乗っていた戦闘機だった。そしておそらくは、烏丸がソレに乗っていた。


『主任……何のつもりですか?』

『ハッ…ハァ、ただの……時間稼ぎ…だ』


 通信に介入してきた烏丸の声からは満身創痍の姿が容易に想像できる。実際あのような体当たりをして、搭乗者が無傷なはずがなかった。


『上層部の意向に……従えば、確かに我々は…肉体を取り戻せる……だろう。だが……』


『だがッ! 私は自分の娘がいつか新天地に脚を下ろすとき……胸を張っていられる私でありたい……!!』


 その絞り出すような声の必死さは、通信越しにも創に伝わってくる。

 烏丸はコックピットのパネルを操作し、宇宙船にも通話を繋げ、そして……声を一層張り上げた。


『聞こえていますかっ! この春川創という少年は、本気でこの戦いを穏便に終わらせようとしていますッ!!』

「烏丸先生……っ!?」


 その必死な訴えは、宇宙船で戦いを見届ける新人類たちへ向けられたものだった。


『……五月蠅いなッ!』

『させない!』


 甲高い少女の叫びが聞こえるや否や、攻撃をしようとした律が怯みだす。十分な隙が生まれて創はなんとか立ち上がることができ、窮地を脱した。

 創は、今度は付近の上空でホバリングする小さな飛行体を見つけた。


『よっし、ジャマーが効いたみたい!』

「夏目さん!」

『ピコピコ』


 ライザの妨害波を受けて思考をかき乱された律は身動きを止めるが、それも長くは通用しない。星奈は焦っていた。


『早く…目覚めなさいよ寝ぼすけ……っ!』

『目覚める? って、うぐッ!』



 ――こ***…*そ*…***



 創の頭に、何か声のようなものが響く。


『……小賢しい…ッ』

『た、退避!』

『ピコピコ!』


 妨害波に早くも適応した律はライザへと目掛けて爪を振るうも、的が小さく避けられる。


「夏目さ……ぐッッ」



 ――こた*て*…そ**…っ!



「この声は……」


 懐かしいその声は、一人の少女を創に思い起こさせた。



『――応えて……創……っ!』



「……冬子っ!!」


 創は思わずその名を叫んだ。


『やっと届いた……やった!』

「冬子……本当に冬子なのッ!?」

『もちろん! けどごめんっ、意志疎通ができるまでこんなに時間がかかっちゃって……!』

「そんなこと! 生きていてくれたってだけで、十分すぎるくらいだ……」


 コックピットで独りポロポロと涙を流す創。しかし。ひとしきり泣くようなことはなく、強引に頭を切り替えて目の前の標的を見つめなおす。


『創と意思疎通する環境を整えるついでに私、実はとある〝必殺技〟を作ってたんだ』

「必殺技っ?どんな?」

『こんな時のためにねっ、アルテミスの出力限界ギリギリまでを追求した虎の子だよ! ただ……』


 冬子は声のトーンを一段落とした。


『ただ、一度使うと制御系が焼き切れて、二度と他の兵装が使用不可になっちゃうの。そして……多分これだけだと怪獣化した千秋くんを倒しきれない』

「そ、そんな!」

『だからっ! 私に考えがあるの』


 嘆く創を励ますように声を張り上げる冬子。


『そもそも私が助かったのはね……烏丸先生に撃たれたあの時の、千秋くんの射撃のおかげなんだ』

「千秋くんの?」

『あの射撃で先生のジャマーが運よく破壊されたおかげで、ライブフレームが稼働停止になる直前にアルテミスとの交信が復活したの。その時に私は自分の意識データをアルテミスに移して、なんとか生き延びたんだ』

「……そうか、そうだったのか」


 創は腑に落ちるような感覚がした。


「弓浜湾での戦いから、やけに動きやすくなった気がしてたんだ。……そっか。あれからずっと、冬子も一緒に戦ってくれてたんだね」

『……まあねっ』


 少し照れくさそうな声色になる冬子だったが、すぐに元に戻る。


『だから言いたいのは……同じ方法で千秋くんを止められるかもしれないってこと!』

「同じ方法……まさか、千秋くんの意識データをアルテミスに移せば?」

『そうっ。倒しきれなくっても、ニューロチップに侵入する隙さえ作れればいいってこと! 千秋くんが離れた怪獣は意識を失って、機能停止するはず!』


 作戦は決まった。

 冬子が作った〝必殺技〟を使い、律を攻撃。この攻撃だけで倒すことはできないであろうが、それなりの消耗は見込める。その隙に律のニューロチップに侵入し、律の意識データをアルテミスの記憶域へと移す。


「今の、聞こえてた?」

『もちろんっ。……おかえり、ふゆ!』

『せいちゃん、だたいま!!』


 友人同士の少女二人。再会に震えるもつかの間……響くはの巨体が起こす地響きと、怒り狂う咆哮。


『うぐっ。それで、必殺技を使うのにはチャージ時間がいるの! 時間を稼いでもらいたいんだけど……』

『うぅっ、ジャミングはさっきので対応されちゃったっぽいし。どうしよう』

『――――私が……やろ…う』


 そう言って通信に介入してきたのは、烏丸だった。


『烏丸先生っ、さっきあんな派手に吹き飛ばされたのに!?』

『他に……動ける者など、誰が…いる?』


 声を聞くからに、これ以上の無理をすればどう考えても無事では済まない。

 しかし……それが彼の見せる勇気であった。戦いの終末を創だけに押しつけまいという、大人としての意地だった。


『そんな無茶な……』

「……お願いします、先生」

『いい…返事、だ』


 烏丸の声を最後まで聞き届け、創は右腕を構える。

 淡い緑の光がアルテミスの全身から少しずつ集まってゆく……。


『千秋……手加減は…しないぞ……ッ!』


 加速を続ける戦闘機は律の注意を惹きつけるように弧を描いて飛翔する。


『――メテニウムエネルギー充填率40%、もうちょっと粘って!』

『了…解……』


 超高速での飛行は、烏丸の身体に深刻な負荷を与え続ける。先ほどの体当たりの衝撃も加えて、もはや操縦桿を握る彼の腕は声にならない悲鳴を上げていた。

 それでも……烏丸は痛みに耐え続け、飛ぶことを止めはしなかった。


『80%……あと少し!』

『ぐッ…限界……か、ならば……!』


 烏丸は一度律から距離をとり、動きを止めた。

 それから律へと狙いをつけて……急加速を始めた。


「烏丸先生!?」

『まさか……!』


 戦闘機の速度はみるみるうちに上昇していき、やがて単位は時速を超える。そうして音速とも呼ぶべき速度に達したソレは……。



―――竜の怪獣の胸に突き刺さり、激しい爆焔をあげた。



『先生ーっ!』

『充填率100%!! 行けるよ創!!』

「くっ……くそッ…」


 絶対に許さない、と。烏丸に対してそう心に決めていた創。しかし冬子が生きていたと判明し……『絶対』というスタンスが揺らぎつつあった。


 ただ……彼が身を賭して切り拓いた道筋を、無駄にすることが許されないということだけは分かった。


「―――千秋くん、今から君を止めに……助けに行くよ」


『λ-Blaster-Arm』


 構えたアルテミスの右腕に淡く緑に発光する巨大な砲塔が形成される。

 やがて全エネルギーが一点に集中し、その輝きは今までにない激しさへと増す。


『どんな困難だって、乗り越える必殺技っ!』

「貫けえぇーーッ!!」




『「ディスチャージ、スパークッッ!!!」』




 二人が叫ぶ瞬間。一帯は閃光に包まれた。

 そして……アルテミスの右腕から、極彩色の光線が放たれた!


 戦闘機の爆発に動きを止めていた律は回避も防御も間に合わず、光線を正面から浴びる。超高濃度のエネルギー波に鎧のような皮膚は剥がれ落ち、激しい振動に硬質な爪が割れる。


『ぐっ! ……ガァアッー!!』


『今なら侵入できるよ、創!』

「頼む冬子ッ!」


 創が答えた瞬間、視界は一瞬にして真っ白に覆われた。






 ……そして。

 気がつけば創はコックピットにおらず、いつの間にやら摩訶不思議な空間にいた。


 創が立っているのは鉄とコンクリートで造られた浮島だった。背後の桟橋には左腕を失ったアルテミスが片腕だけでしがみついている。

 天候は吹き荒れる暴風。島の外には一切何もなく、空も奈落も全てが虚無の如き白。そして目の前には……ガラクタの山がそびえる


「ここは……」

「ニューロチップの記憶域。精神世界みたいなものだよ」


 思わず真横を振り向く。

 そこに立っていたのは……ふわりとした色素の薄いミディアムボブが、風に靡く少女。


「……たった一日しか経っていないのに、何か月も見ていなかったような気分だ」

「ふふっ、寂しがりやさんだね。創は」


 いつものように笑いかける白木冬子が、確かにそこにいた。


「千秋くんはここのどこかにいるはずだよ。……はいっ」


 冬子は左手を差し出し、創は迷わず右手で握った。


「飛ばされないように、一緒に探そう!」

「……うんっ」


 二人は手を繋いで、風の中を進んでいく。

 足で踏むガラクタの数々には創たちも知る2020年の製品だけでなく、未来のものと思わしき見たこともないような製品までが埋まっていた。


 時には突き出たパイプを足掛かりに登っていき、

 時にはガラクタで谷を埋めて進み、


 やがて……二人は山の頂上付近で、頭が半分埋まった車を見つけた。


「さっき拾ったバールで開けられそうじゃないっ?」

「やってみる」


 創は車の扉とフレームとの隙間にバールを挿し込み、力を込めた。


「……!! 開いたよ!」


 後部座席側の扉をこじ開けることに成功した創。中を見れば……そこでは律が目を閉じたまま横たわっていた。

 二人がかりで律を車内から引っ張り出し、仰向けにして祈るように顔を

 彼は少しずつ意識を取り戻す。


「灰…島……くん?」

「違うよ千秋くん。オレは春川だ」


 目を開けた律は、創を睨みつけた。


「どうして……こんなところまで来たッ?」

「どうしても何も。オレは、戦いを終わらせに来たんだ」

「……そう、か」

「それから……君を助けに来たんだ」


 律は目を丸くして唖然とする。


「『君のことまで許せなくなる』……だなんてさっきは強がっちゃったけど、ごめん。オレ、やっぱり君のことは憎めないよ。だって、オレたちを生み出した神様みたいなものだし」


 創は情けなく微笑み、しかしなおも言葉を続ける。


「千秋くんはさ、仮に全て計画通りにコトが進んでたら……どうするつもりだったの?」

「……僕も旧人類の一人として、この世を去るつもりだった」

「うん。理屈としては正しいと思う。けど……オレの気持ちは嫌だなって言ってる」

「傲慢だな、君は」

「そうかも。でもそれくらいじゃなきゃ何も変えられないってことを、さっきから身をもって君から教えてもらった気がするよっ」

「……口が達者になったものだね」


 どこか自嘲気味に言う律の目を、創は真っ直ぐにじっと見つめる。


「オレは、君のことを見捨てていいだなんて考えない。伸ばした手が届く限りは……掴みたいって思ってる」

「……君は生まれ変わっても、こんなに僕に良くしてくれるんだね」

「はいじゃ、立って! ほらっ」


 律は差し出される手を握り、ぐっと勢いよく立ち上がった。


「初めまして千秋くん。私は白木冬子……って、もう知ってるかっ?」

「白木さん……君には本当に謝らなければいけない」

「そう? なんで?」


 冬子はキョトンとした顔をしてそう問い、微笑みを浮かべた。


「……何かの手違いで識別IDが設定されてない、忘れられた番外個体。だから『私』は100周までのシミュレーションにはいなかった。記録にそんなことを書いてたでしょ?」

「まさか……そんなものまで目を通していたのかキミは」

「千秋くんがあぶれてる私に気づいて101周目に追加してくれたから、私は今ここにいるワケで。ホントっありがたい話だよね~!」


 そう言う冬子の声は底抜けに明るい。或いは、明るさを装っていたのかもしれない。本心は神のみぞ……いや。目の前の『神』さえも知らぬところだった。


「千秋くん、一緒に帰ろう」

「……ああ」


 律がそう答えた瞬間。


―――グラグラァッと、世界全体が揺れ始めた。


 激しい揺れにガラクタの山が音をたてて崩れ始める。


「な、なんだっ!?」

「……君たちの差し伸べた手を取ったからか」


 足場の崩落を警戒しながら、律は低く呟いた。


「おそらく、この怪獣の身体は既に僕の制御を離れている」

「なら怪獣は停止するんじゃ……」

「動きが止まるというだけだ。生きている以上代謝は止まらない」


 律はバツの悪そうな顔をして言う。


「……実は竜の怪獣は、その体内に原子炉のような器官を有しているようなんだ。コイツの驚異的な破壊力を生み出しているカラクリはそれだろう」

「げ、原子炉!?」

「制御が効かなくなった怪獣が際限のない体温上昇を始めている。もうじき怪獣は大爆発を引き起こし、弓浜市全体が……いや。それ以上の範囲が焦土と化す」


 創の背筋が凍る。


「どうすればっ!?」

「……私に考えがあるよ」

「白木さん?」

「そのためにはとりあえず、この世界から脱出しないと!」

「わ、分かった!……って、うわぁっっ!!」


 返事と共に、三人の立っていた足場までもが遂に崩れ出した。


「掴まって!」


 空中で手を伸ばすも、空振り、もう一度伸ばし……創は冬子の手を掴んだ!


 創たちは浮遊する廃車の上に連なって着地する。

 律は遠くに見えるアルテミスを指さして叫んだ。


「桟橋を目指して降りるんだ! アルテミスに辿り着けばここから脱出できる」

「よし……行くよっ」


 三人は足場の廃車から勢いよくジャンプし、下方に見えるガラクタの小島へ飛び移る。奈落へと落ちればどうなるかは予想もつかないが、ロクなことにならないのは皆本能的に分かっていた。


 鉄骨の橋を渡って隣の島へ。


 階段の如く飛び飛びに連なったガラクタの道を降りてゆく。


 時には突き出たパイプを引き抜き、壁を崩して先へと進み……。


「この距離……届くだろうか」

「けどっ、もう桟橋はすぐそこだよ!」

「行こう。時間もないんだ」


 創は浮島の端まで移動し、桟橋の方を向く。

 そして……全力疾走の助走をつけ始めた。


「……届けぇっっ!」


 足場ギリギリで踏み切り、勇気を以て創は飛び出した!


 伸ばした脚は地面に着くが……体勢を崩した創は勢い余って転がってしまう。


「ってて……でも、届いた!」


 続いて冬子も跳び、創は彼女を受け止めた。

 それから律も、二人に受け止めてもらってなんとか辿り着く。


 三人は桟橋を渡り、遂にアルテミスの元へと戻って来た。


「ようやく着いたが……それで白木さん。考えとはなんだい?」

「とりあえずハッチを開けて!」


 促されるまま、創はアルテミスの胸部ハッチをこじ開けた。


「冬子! 次は……って!?」

「うわぁっ!」


 次の指示を仰ごうと向き直った瞬間、創の元へと律が倒れ込んできた。二人は桟橋を転がり落ちてコックピットへと吸い込まれる。


 律を突きとばしたのは……冬子だった。


「ふ、冬子?」

「……ごめんっ」

「ごめんって……な、何だよ」


 震えた声で聞き返す。

 見上げる冬子の笑顔には、どこか寂しげな色が滲み出ていた。


「この怪獣はもうじき爆発するんでしょ? だから……私が怪獣の中に入って、宇宙までひとっ飛びすればいいんだよ。そうすれば…」

「確かにこの星に被害は出ない。だが!」

「冬子は……どうなるんだよ」

「この前みたいな助かり方は、無理だと思う」


 創は目の前の視界が霞んでいくようだった。


「……何か、何か別の方法が」

「もう他に方法はないよ。でなきゃ、私が好きだった街が……人が……全部なくなっちゃうっ! それだけは嫌だよっ!」

「オレだって同じさ! せっかくまた会えたのに……どうしてこうなるんだよッ!!」


 コックピットの壁に拳を打ちつけ、悲嘆する。


「……大丈夫。創はもう、大丈夫だから」

「そんな……オレは、冬子がいないと……」

「ずっと見てたよ、創が成長していく姿。争いごとがてんでダメだったのが、自分の意志で戦うまでになっちゃったもんね?」


 温かな眼差しで創を見つめる冬子。

 それから彼女はふてぶてしく笑って、拳を頭上に突き出した。


「……必殺技だよっ、創!」

「えっ……」

「自分を認めずに立ち止まるのは楽だし、何より間違えなくて済むんだよ。身の程を見誤って……なんてことも起こらないから。けど。何かを為してきた人々は、みんな踏み出してきたの。偉大で……だけどちょっぴり恐ろしい、そんな一歩をっ」

「そんなの、オレには…」

「自分を認めるのって結構勇気がいるんだよ。でも、創は私抜きでもやってのけた! だからこんなとこまで来れちゃったワケで、まーーとにかく偉いっ!」


 少しお道化るような口調になる冬子。


 それから彼女は天に掲げた拳を下ろし、創へ向けた。


「忘れないで! その勇気はどんな困難も乗り越えられる、とっておきの必殺技だってこと!!」


 ニッと笑ってそう言い放つ彼女の顔は、とても晴れやかで。

 寂しさなどどこにも感じさせない……いつもの白木冬子がそこにはいた。


「……さよならっ!」

「冬子! 待ってッ――」






「――冬子ッ!!」


 気づけばコックピットの中で一人きりになっており、一緒に中へ放り込まれた律の姿は消えていた。

 アルテミスの視界に映っているのは激しい戦いの痕残る、よく見知った街の景色。そうして程なく、目の前で眠っていた竜の怪獣が……目を覚ました。


 怪獣は六枚の翼で羽ばたき、天高くへと昇って行った。


「ふ、冬…子………冬子っ!」


 もはや聞こえているのか、意味があるのかも分からない

 それでも彼は名前を呼ばずにはいられなかった。


 やがて、怪獣は成層圏を突き抜けて宇宙へと飛び出た。


 そして。



 ……夜空の星々の一つとなり、閃光を放った。



 光は一瞬にして消え去って、もはやそこには何もなかったかのよう。

 あの星が空のどこで輝いていたのかさえもすっかり分からなくなった。


 ――コックピットのハッチが開かれる。


「……」


 中から現れた人影は空を見上げた。


 微かに漏れるすすり泣きは勢いを増し、


 ……やがて文字では表せないような、哀惜の叫びを街に響かせた。





 第六話 白木冬子の必殺

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