第三話 故郷
2020年 6月3日
青柚高校 工芸室
薄暗く、カビ臭い、埃をかぶった工芸室。
烏丸が去っていった後も二人と一機は教室で調査を続けていたが、目ぼしいものはついぞ見つからなかった。
「他には……気になるところもなさそうね」
「全体的にホコリ被っていて誰かが頻繁に訪れたような痕跡もないあたり、烏丸先生がここのステーションを使い出したのはつい最近のことなのかも」
既にステーションの調査という目的は果たされた。この場を後にしようと創は踵を返すが……。
『ピーッピーッピーーッ!』
「はいはい交換の時間ですねーっと」
カートリッジ交換を求めるブザーを聞いた星奈はリュックから一つ取り出し、もはや手慣れたように交換した。交換したカートリッジも律の言いつけ通りポイ捨てせずにしっかり持ち帰る。
「さてっ。カートリッジも交換したし、今度こそ帰ろ…」
星奈がそう言いかけた瞬間。
「……きゃぁっっ!! ま、まさかこれって!?」
大きな地響きが創たちを襲った。
『Prrrr……』
『聞こえるかい春川君』
ライザのスピーカーから律の声が聞こえてきた。よろめきから立ち直り、創は応える。
「千秋くん、聞こえるよ」
『また怪獣が現れたようだ。場所は上鶴区、弓浜湾。今アルテミスを出撃させたところだ。合流地点の座標を送ったからオートアナライザーに乗って合流してくれ』
「分かった! ……え、今ライザに乗っ」
「健闘を祈る」
「ちょっと!?」
通信が切れた。創と星奈はライザを見つめる。
「これに……?」
「乗れと? ……って、うわっ何だ!?」
困惑する二人をよそに、ライザは突然彼らから距離を少しとった。それからガチャガチャと音をたてながらボディを分離、展開、合体させていき……。
……やがて、ソレは一つの形を成した。
『乗ッテクダサイ』
「これってまさか………バイク?」
変形したライザはドラム缶のようなフォルムから一変し、バイクのようなものと化した。バイクと言っても2020年で見かけるような形とは異なり、未来感溢れる幾何的なデザインになっている。特に淡い緑色に発光する後部のブースターは薄暗い工芸室でよく目立つ。
「いやオレ、バイクなんて乗ったこと……」
『オートパイロット適用中デス。指定座標マデ自動デ向カイマス』
「な、なるほど」
戸惑いつつも創はライザに
それから瞼を閉じ……深呼吸する。
「………オレがやらなきゃ、いけないんだ」
創は呆気にとられたままの星奈に手を差し伸べる。
「夏目さんも、後ろに乗って」
「えっ!? あっ…わ、分かった」
星奈は恐る恐る近づき、スカートの邪魔な部分を手でよけながら後ろに跨った。
「それじゃ危ないよ。しっかり掴まって」
「う、うん……」
促されて、星奈は創の胴に両手を回す。
(うぅ……わざわざ決心した矢先に、これも試練ってこと!?)
「というか、ライザに言われるまま乗ったけど……ここ室内だよね」
創は嫌な予感がした。
バイクとなったライザはヘッドライト両脇のハッチを開き、大口径の銃口を覗かせる。
「ちょ、ちょっと!?」
『3秒前。2,1,発射シマス』
バンッッ!!!
裂くような音とともにライザは工芸室の壁へ目掛けて徹甲弾を撃ち出した。ガラガラと崩れゆく壁、そして破砕するガラスの音が二人の耳を襲う。
『ホバーモードニ移行』
アナウンスと同時にライザは浮遊を開始し、その前後についたタイヤは稼働して大地に対し平行をなすように稼働した。そして……。
『発進シマス。落下シナイヨウ注意シテクダサイ』
「きゃぁあっっ!?」
ブースターが轟音をたてて光を放ち、創たちは教室の大穴から空へと飛び出していくのだった……。
~~~~
2020年 6月3日
弓浜市 上鶴区
『マモナク指定座標ニトウチャクシマス』
平均速度はおよそ80キロ毎時。おおよそ2分足らずの飛行ののちにライザは徐々に減速をかけ、とある4階建てのビルの屋上で止まった。
二人はふと遠くに見える砂浜を見つめた。
「……怪獣が出たとこ、弓浜湾って言ってたわよね」
「うん。小学生の頃は夏休みに家族とよく行ったっけ、上鶴ヶ浜。……綺麗なところだよね」
「私もつい先週に行った。今期の私が見てるアニメに出てきてさ、俗に言う聖地巡礼ってヤツよ」
二人はそれぞれ、記憶の中の景色に想いを馳せた。
「……守らなきゃ、だね」
「春川の口からそんな言葉が聞けるなんて、びっくり」
星奈は少しお道化て言うとライザから屋上へと飛び降りた。
続いて創が降り立つ。そして、踵を返して見上げる。
「アルテミス……また君の力を貸してくれ」
ビルの真横には、既にアルテミスが立っていた。4階建てのビルの屋上は胸部のコックピットと概ね同じ高さ。少し視線を上げればちょうどアルテミスの顔が見えるくらいであった。
「行ってくるね」
「うん……行ってらっしゃい!」
星奈に一言残して、創は言い放った。
「トランスコード、アルテミスッ!」
胸のハッチがゆっくりと開く。創の体はネオングリーンの光に包まれ、コックピットへと吸い込まれていった。
『ニューロチップ識別ID照合:010488329:認証完了』
『アルテミス、戦闘モードアンロック』
そして……アルテミスの瞳は翠玉の如く、鮮やかに光り出した。
『見えるかい、春川君』
律からの通信がコックピットに響く。促されるまま怪獣の落下地点を拡大して見ると、どうやらその周囲のみ白く霞がかっているようだった。
『あの
靄の中で小高い丘のようなシルエットがのっそりと動く。怪獣は靄から徐々に顔を出していき、上鶴区に上陸する頃に漸くその全容が
丘のように見えていたのは、怪獣の背中だった。背中を丸めて四つ足で歩行するシルエットがそのように見えていたのである。怪獣の体表はまるでワニのように刺々しく、またヘビのような
『怪獣は現在山の方へと向かっているみたいだ。予測される進行ルート上には火力発電所もある。くれぐれも近づけないように』
「このペースだとそう遠くないね……早めに決着をつけないと」
創は怪獣をロックオンし、勢いをつけて駆けだした。
一気に距離を詰めて……高く跳躍。
「喰らえッ!」
創は怪獣の背中目掛けてキックをお見舞いした。その爪先は質量と勢いのままに怪獣へと突き刺さり、確かなダメージを与える。
『ゴワァ……ッ!』
激しく呻き声を上げた怪獣はその長い尻尾を振り回して暴れようとするが、アルテミスはそのままキックした足で怪獣を蹴り、バック宙で退避してみせる。
「なんだか……昨日よりずいぶん動きやすくなってる感じがする! 体が軽いっていうか。千秋くん、何か改良とかしたの?」
『そういったことは何もしていないはずだ。……まさかこの短期間で脳が適応した? どういうことだ……いや、今はそれよりも怪獣だね』
創も疑問を一時頭から追いやり、意識を目の前の敵に集中させた。
『Sword-Arm』
右手の両刃の剣を携え、素早く怪獣との間合いを詰める。より軽やかに動くようになったアルテミスの速度に怪獣は翻弄されるまま斬りつけられ、また斬りつけられ、そして……。
「そこだっ!」
振りかぶった刃は怪獣の尻尾を力強く切り落とした。
『ゴァアア……ッ!』
叫び声を上げて怒り狂う怪獣。
「今回の怪獣、昨日のよりも随分と打たれ弱いみたいだ。毎回こうならいいのに!」
『これは仮説だが……今回の怪獣は大気圏通過時に超高温になっていた体が海に落下し急激に冷却されたせいで、既に内臓部がダメージを負っているのかもしれない』
律はアルテミスのサーモグラフィーを確認するが、対峙する怪獣の体温は昨日のものと比べてかなり低く、体表については100℃を下回っている。怪獣の肌が水に濡れたまま太陽光をキラキラと反射しているのがそれを裏付けていた。
「また体を再生なんかされても敵わないね。このまま一気に畳み掛けるよ!」
『ああ、今回の戦闘は長引かないに越したことはない』
創は、肩部と胸部のミサイルハッチを開けた。
「核熱ミサイル、発射!!」
アルテミスから放たれたミサイルは弧を描いて空を切る。今回は撃ち落されるようなこともなく、動きの緩慢な怪獣に対しミサイルはいとも容易く命中した。
……が、しかし。
『ゴウゥワーーーッッ!!!』
「効いて…ない……?」
核熱ミサイルを受けても怪獣は倒れるどころか、むしろより威勢よく咆哮を上げ始めた。
怪獣はアルテミスの方を向くと、顔を上方へと上げる。
『……まさか!? 春川君、盾を構えるんだ!』
「えぇっ!?」
律に指示されるまま、創はとっさに防御の姿勢をとった。
『Assault-Shield』
アルテミスの左手に淡く緑に発光する盾が装備された。
瞬間。
首を下ろすと同時に大きく口を開けた怪獣が、極太の火柱を吐き出した!
「うわッ、な、なんだ!? 火炎放射っ!?」
『……決着を急ぎ過ぎたか』
凄まじい勢いで噴出される火炎は構える盾で二又に割れ、アルテミスの双肩をかすめる。
やがて数秒して火炎が途切れ、創は盾を下ろした。その向こうに見えたのは……全身に炎を纏い、口角から煙を上げる怪獣の姿だった。
「どういうこと……?」
『あれこそが本来の姿、ということだよ』
「……あ、まさかミサイルの熱を吸収して!?」
『さっきは偶然海に落下して体温が下がったために、弱っていただけだったんだ。火を噴く怪獣相手に核熱ミサイルはむしろエネルギーを与えてしまう結果になった。すまない、僕も早計だった』
見やれば怪獣は前足を上げ、背中こそ丸めたままではあるが、二足歩行で動きだした。先ほどまでののっそりとした動きと比べ、アスファルトを踏みしめる足どりには重みが感じられる。
「あれ、こっちに向かってこないのか?」
『……そうか、あの火力発電所はただ偶然進行ルート上にあったワケじゃなかったんだ。あの怪獣はより大きな熱量を求めて、最初からあそこを目指していたんだろう』
怪獣はアルテミスに背を向け、再び山の方へと歩き出す。
『炎を纏った今の状態で山に到達すれば、大規模な山火事はきっと避けられない』
「……そうなれば被害はここだけじゃ済まない。柚花区だって……」
創の背筋を悪寒が走った。
『春川君。少しの間、あの怪獣を足止めしてくれ』
「足止め……?」
『ああ。今ステーションで消火ミサイルを製造し始めたところだ。完成し次第、僕が出向いて戦闘機で怪獣を消火する。遅くとも3分で駆けつけてみせよう』
そう言って律は通信を切った。
「……分かった。千秋くん、君を信じるよ」
『Chain-Anchor』
アルテミスの右手の剣が光とともに霧散し、入れ替わりに
創は怪獣へ狙いをつけて錨を撃ち出した。鎖を牽いて翔ける錨は、怪獣が山に到達しようというところでその巨体に巻き付く。
『ゴワァア…ッ!!』
アルテミスは力を込めて踏ん張りを利かせ、鎖を引いて怪獣を押さえつける。
「お前をこの先へ行かせる訳にはいかない。オレたちの街を……焼かせたりなんかしない!」
~~~~
2020年 6月3日
柚花区 町はずれの工場
「製造進捗50%……全弾もうすぐ完成だな」
ステーションが怪獣の発火に対抗するための武器を製造する傍ら、律はアルテミスから送られる怪獣のサーマルデータを確認していた。
「だが仮に消火ミサイルを全弾命中させたとしても、流石に海に浸かるほどの冷却作用は得られないだろう。一時的に火が消えてもすぐに怪獣自身の熱で発火を再開する可能性は高い」
律は惑う。
「あまり使わせたくはなかったが、ある程度は仕方なしか……」
画面中央に表示されたのはアルテミスの全体図。両手のアストラルウェポン展開部の線画が赤く染まっており、明滅している。
「……」
『製造進捗100% 機体に装備します』
「……時間か」
律は椅子を立ち上がって部屋から発着場へと出た。すぐ脇にはいつもの戦闘機が用意されており、翼の裏面にミサイルを装填する機械が忙しなく動いている。
「あ、千秋くんっ! 今から出撃するの?」
「戻ってきたんだね夏目さん。……少し芳しくない戦況でね、今から春川君の支援に行くよ」
「そっか……春川、ピンチなんだ」
声をかけてきたのはライザに乗ってステーションに帰還した星奈だった。律の言葉を聞いた星奈は不安げな面持ちになる。
手短に説明を済ませた律は戦闘機の機体をよじ登ってコックピットに入った。
「そういう訳で、しばらくここを空けるよ。君はここで待っているといい」
「分かった。気を付けて!」
コックピットのキャノピーが閉じ、工場の屋根が開く。
律を乗せた戦闘機はそのエンジンで轟音をたてて急加速すると、春川の元へと飛び立っていった。
……その場に残されたのは、風圧で髪がぐしゃぐしゃになった星奈。そして隣に佇むライザ。
「うぅっ! 頭が酷いことに~……」
しかし髪を一通り整え直すと、改めて星奈は真面目な顔をした。
「でも……まさかこんな早くにチャンスが来るなんてっ!」
・・・・
それは、先ほど上空を飛行していた時のこと。
「……夏目さんに頼みたいことがあるんだ」
「頼みって?」
「いつか千秋くんの目がなくなるタイミングがあったら、千秋くんの部屋を探って欲しい」
ライザが教室の壁を徹甲弾で破壊し空へと飛び立ってすぐ、創はそんなことを口にしていた。
「な、何よ急に?」
「オレたちは昨日から色んな話を立て続けに聞いてきたよね。だけどさ……何か、引っかかるんだ」
創はこれまで得た知識を整理する。
「はるか遠くよりやってきた宇宙人はオレたち人類を狙っていて、宇宙船で生み出される怪獣に地球を襲わせている。千秋くんは2105年からやってきた未来人で、この時代を守るために未来の技術で助力してくれている。…………本当にそれでいいのかな」
そして、顎に手を当てて考え込む。
「烏丸先生が言い残した意味深な言葉。オレたちの頭に埋め込まれてるらしいニューロチップという機械。消えた月。他にも妙な点は色々…………この世界は何かがおかしい。千秋くんも、まだ大事なことは話してくれていない……そんな感じがするんだ」
創の話を聞くうちに、星奈もまた同様に疑問を覚えるようになった。このまま何も知らずに戦い続けることは真に正しいことなのだろうか、と。
「……わかった。隙があったらやってみる」
「ありがとう。特にオレがアルテミスに乗ってる間なんかは夏目さんしか頼りがいないし、お願いするよ」
「いいってことよっ。春川が戦ってくれてるんだから、これくらいね」
・・・・
「それで……この扉、どうやったら開くのかしら?」
『電子ロックガ掛カッテイマス。開錠ヲ開始シマス。完了マデ推定アト5秒』
扉の前で手をこまねいている星奈の横にライザが並び、アナウンスする。……そしてきっかり5秒後、扉は機械的な音をたてて開いた。
「ライザ……あなた千秋くんの用意したロボットよね? こんなことして大丈夫?」
ライザは返事をするかのようにピコピコという音を鳴らしランプを点滅させる。
星奈は呆れるように息をつき、中へと足を踏み入れるのだった……。
~~~~
2020年 6月3日
弓浜市 上鶴区
アルテミスが怪獣に巻き付いた鎖を引くこと2分余り。依然、硬直状態が続いていた。それは暴れて拘束を振り払おうとする怪獣、そして行かせはしまいと踏ん張り続けるアルテミスとの純然たる力比べ。
しかし……。
「くそっ、活動限界が近い……」
この状況が続けばアルテミスが押し負けるのは時間の問題だった。
『……春川君、聞こえるかい?』
「千秋くん!」
『消火ミサイルが完成した。あと20秒で到着するよ』
「すごいや、本当に3分かからないで来れるなんてっ」
創は少し安堵するが、まだ気は抜けない。山の森林はもはや怪獣の目と鼻の先であり、一度この手を緩めれば大火事は必至だった。
『だがこの消火ミサイルを全弾命中させたところで、おそらく怪獣はまたすぐに燃え始める可能性が高い。早ければ再度接近できる猶予すらないかもしれない』
「そんな! じゃあどうすれば……」
『……実はアルテミスのアストラルウェポンには、春川君も知らない兵装が一つ存在するんだ。今データを送った』
「う、うん。……確認したよ! これを使えってコトだよね」
そこまで話したところで、アルテミスの視界に鈍色の戦闘機が高速で飛んでくるのが見えた。乗っているのは律。距離を縮めた律は進路を曲げ、怪獣とアルテミスの回りを旋回し始めた。
『……今が好機か!!』
怪獣の動きを見極め、律は消火ミサイルを全弾発射した。
ミサイルはそれぞれ怪獣を全身隈なく狙うように飛び回る。そうして命中した瞬間、各弾が連続的に爆発して広範囲に消火剤を撒き散らした。
怪獣を覆っていた炎がみるみるうちに消えていくのを確認し、創は右腕のチェーンアンカーを解除した。解放された怪獣は森へと入っていき再び火力発電所へ向かって歩き出す。
体の表面温度は下がっているものの、それでも内部は依然熱を持ったままである。律の予想していた通り、再接近する余裕もない早さで怪獣の体温はリバウンドしようとした。
……しかし。
『Railgun-Arm』
「街を…故郷を……守るために!」
再接近する必要などなかった。
アルテミスの右腕は光に包まれ、その形をレールガンへと変貌させた。怪獣へと狙いをつけ、アルテミスは右腕のレールガンを構える。エネルギーが充填されてゆくごとに二又に分かれたレールは淡い緑の可視光を帯びていき……。
「貫けぇーーーッッ!!」
知覚する頃には、その巨体を撃ち抜いていた。
レールで超高速に加速された弾丸は直線的に飛翔し、怪獣を貫いた。怪獣は叫び声を上げることもできぬままグッタリと倒れ込み、最後の大きな地響きを起こす。
『……対象の沈黙を確認した。体温も減少に転じている。発火の危険はないだろう』
「よ、よかったぁ……」
どっと力が抜けて、コックピットの背もたれに寄りかかる創。
「まさか連日でやってくるなんて。……これからも毎日こんな戦いをしなきゃならないのかな」
『……すまない』
「スマナイじゃ済まないよホント。『なんでオレが』って、もう何度思ったことか。……でも」
創はコックピットのハッチを開け、真昼の眩い青空を肉眼で見上げた。
「冬子がゼノラスを好きな理由……今なら分かりそうだよ」
たった一つだけ〝いいこと〟があったとするなら、これだなと創は思った。
「何かを守る人の気持ちなんて、守られる側にいるうちは分からなかったな」
目線を少し落とし、眼下に広がる街を望む。遠景に見える弓浜湾は陽の光を反射してキラキラと煌めいている。
創が初めて覚えるその充足感は、悪いものではなかった。
~~~~
2020年 6月3日
町はずれの工場 律の部屋
扉を開けた先には地下へと階段が続いていた。明かりのない中を探り探り、星奈は進んでいく。
「暗いなぁー……外の光も入ってこないし、ここまで真っ暗だと階段踏み間違えそっ……おおーーーっっ!?!?」
階段を踏むつもりで出しだ足は空を蹴り、よろめいた星奈はたまらず前へと跳ぶ。幸い既に地下室の床近くまで降りていたようで、星奈は運よく綺麗に着地した。
「あ、危なかった……幅跳び選手ばりの着地! 今年の東京オリンピックに出られそうかしらっ!?」
暗闇への恐怖心を紛らわせようと独り冗談を口にする星奈だったが、ちょうどそのとき。後ろをついていたライザが階段を降りきったところでライトを点け始めた。
「明かりがあるならもっと早く使ってよ! って、どこに行くの!?」
不満を漏らす星奈をよそにライザは地下室の奥へと進んで行き、やがて停止すると壁をライトで照らした。
「これ、千秋くんのコンピューターかしら」
『……彼ハココデ〝新世界シミュレーション〟ノ管理ヲ行ッテイマシタ』
「えっ。新世界……なんて?」
ライザは青柚高校のステーションでやってみせたのと同様にコンピューターへ接続すると、画面上に一つのウィンドウを表示させた。
「見たこともないUIだけど……ウチや学校のパソコンとなんだか似てるかも。もしかして同じOSの未来でのバージョン、とかだったり?」
未来のコンピュータは星奈にとって初めて触るものであったが、不思議と直感的に操作方法は分かった。見ればライザが表示させたのは『エクスプローラー』のようなもので、そこには年号によって命名されたフォルダがいくつも並んでいる。
「一番上が2001。そして一番下が……2020」
星奈はなんとなく『2020』と名付けられたフォルダを開いた。
「今度は『AC_ascensionIsland』『AD_andorra』……あっ。たぶん国名でしょ、これ」
スクロールしていくと、『JP_japan』というフォルダを見つけた。星奈はそれをクリックする。
フォルダにそれ以上の階層はなく、中にはおびただしい量のファイルが格納されていた。ファイル名の日本語は話し言葉でも書き言葉でもない、ニュースや新聞記事の見出しと思わしき独特の文体になっている。
「これって全部2020年のニュースってことかしら? もしそうなら、6月2日には絶対アレがあるはずなんだけど」
星奈は6月2日以降のニュースのファイル名を見て『月』『消滅』といった単語がないか注意深く探した。
しかし。
「ない……あれだけの一大事だったのに。なんなら昨日の朝のニュースでも取り上げられてたはずなんだけど」
誰がどう見てもニュースを集めたフォルダにしか見えないが、そこに月の消滅を報じるようなものが一切ないという点に星奈は疑念を抱いた。
また、それだけではない。
「で、その代わりにあるのが……『弓浜市・柚花区にて隕石の落下』? 何それ……隕石なんて、そっちこそ全く知らない話なんですけど?」
あまつさえ自分の知らないニュースまでもが、そこには記録されていた。
顎に手を添えて難しい顔をする星奈。
「……にしても」
それから怪訝な目でモニターを見つめる。
というのも。ここまで多くのファイルの名前がモニターを下から上へと流れていったが……星奈はそれら見出しの中で〝特定の単語〟が何度も繰り返し登場していることに気づいたのであった。
彼女は奇妙に思った。
「『コロナウイルス』?」
聞いたこともない。
しかしこれらニュース記事らしきファイル群の多くには、異常とさえ言えるほどに、ほとんど一年中を通してそんな言葉が登場していた。
「……クルーズ船・ダイヤモンドプリンセス号での集団感染……緊急事態宣言の発令………東京オリンピックの延期!?」
同じ2020年の出来事とされているのにも関わらず、いずれも自分の知らない話ばかり。星奈の頭は混乱しそうだった。
『2020年6月2日、午前2時。隕石ガ地球ヘト落下シマシタ』
「いやいや。まさに私は弓浜在住なワケだけど、そんな話……」
『ソシテ、2105年。人類ハ、地球ヲ旅立チマシタ』
「地球を……旅立った? ど、どういうこと!?」
ライザはランプをピコピコを点滅させるとモニターに新たなウィンドウを表示させた。そこには一つのフォルダがあるのみで、『logbook』と名付けられている。星奈は中を覗いた。
「『logbook』……確か意味は『航海日誌』とかだっけ」
『ココニアルノハ、宇宙船ガ地球ヲ旅立ッテカラ24時間ゴトニ、自動デ記録サレ続ケテイル航行ログデス』
星奈が覗いてみると、フォルダの中には謎のファイルが大量に保管されていた。容量は1ファイルにつき約1ギガバイト。
スクロールバーの縦幅はほとんど視認できないほどに狭く、一体どれほどの数が格納されているのか検討もつかない。星奈はフォルダ全体の容量を確認した。
「全体の容量は7.4……エクサバイト!? エクサバイトなんて初めて見た……もはや大きすぎてよく分かんないけど、これって何年分なのかしら? えぇっと1日1ギガバイトとすると、1年は365日だから、エクサをギガに直して……」
『2000万年デス』
「えっ……」
思わず星奈はライザを振り返った。
ライザはボディを回転させて彼女の方を向き、ランプを明滅させながら話す。
『地球ヲ旅立ッテカラ、約2000万年。人類ヲ乗セタ宇宙船ハ今モ、宇宙空間ヲ漂ッテイマス』
「に、2000万年って……」
荒唐無稽としか言いようのないその桁の大きさに閉口する星奈。
……しかし同時に。星奈はライザの言葉を聞き、とある疑問を抱いた。
「……人類がまだ宇宙を漂ってるって言うなら、じゃあこの街って、この地球って……一体何なの?」
そしてその答えは、古今東西のフィクション作品を見てきた彼女にとっては全く以て容易く導かれたのだった。
「まさか、この世界は仮想現実だったってこと? 私たちは今まで、これを現実だと思い込まされていたの? なら怪獣の正体は……もしかしてコンピュータウイルスとか。現実ではシミュレーション世界を維持するコンピューターが今も宇宙船で……」
『ソレハ違イマス』
ライザはそう言うとコンピュータから離れて奥へと進んでいった。慌てて星奈も追いかける。そうして辿り着いた先には、また別の巨大なモニターがあった。
モニターの画面は幾つにも分割されており、それぞれ異なる映像が映ってる。
「これ……どこの映像かしら? あっ、でもこっちのは見覚えある! ロンドンのビッグ・ベンに、こっちはニューヨークのタイムズスクエアね。そしてこれは渋谷のスクランブル交差て……ん?」
改めて二度見する。他の画面も注意深く見る。
そうして、自分の勘違いじゃないかと思った映像の違和感を星奈は確信した。
「……人が全くいない。どういうこと? 信号機や街のビジョン広告は動いてるから静止画じゃないはずなんだけど」
『コレハ、コンピューターグラフィクスニヨッテ作ラレテイル仮想世界ノ、リアルタイム映像デス』
ライザはその場で旋回して星奈の方を振り返る。
『今イル、コノ世界ハ仮想デハナク現実デス。シカシ、アナタ方ハ最初カラコノ世界ニ生マレテキタ、トイウ訳デハアリマセン』
『ソノ映像ニ映ル世界コソハ、アナタ方ノ故郷デス』
「私たちの……故…郷……?」
『……オ話シシマショウ』
第三話 故郷
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