第四話 千秋律の天啓


 ……。



 意識が肉体を離れ、揺らぐような感覚。


 感触のない波に流されるがまま、ただ思索だけがそこに在る。




 ……なんだかクラクラする。眩暈めまいがしてきたような。


 ……眩暈? まるで、自分の体があるみたいな感覚だ。




 ……それから段々と、怖くなってきた。


 ……怖い? 何を、誰が?




 誰……が……?




 ……そ、そうだった。


 俺の名前は……灰…島……



『success:』



 た…ã¤ã‚„……


『return to default state:』








「よし、大分安定するようになったな!」


 2104年 11月7日

 株式会社サイバーアーキテクチャー 技術開発室


「ああ。これで人々を安心して宇宙船に乗せることができるね」


 律は返事をしながらコンピュータの画面を見つめる。


「シナプス変換システムは正常に働いている。感覚制御も問題ない。そして自我の再構築プログラム……全てのスコアが安定して目標値を上回るようになった。完璧だよ」

「ここに辿り着くまでリセットしたバーチャル灰島の人数も、気づけば延べ146人……遠くまで来たよなぁ」


 遠い目をして、男は感慨深げに頷く。


「灰島君、その言い回しはちょっとどうなんだい……?」


 男の名は……春川創、ではなく。灰島竜也はいじまたつやと言った。

 灰島は律の言葉をアッハハと笑い飛ばす。


「移住計画を成功させようと身を粉にするこの俺の人格を、他でもないお前の技術でまるごと再現してるんだろ? 〝コイツら〟も後悔なんてあるワケねぇよ」

「……ありがとう」


 照れくさそうにはにかむ千秋。よほど恥ずかしいのか、誤魔化すように話題を変えだす。


「と、とりあえず。人格再現システムの開発はひと段落したことだし……今度久々に、二人で出かけないかい? ほら、最近人気らしいじゃないか。令和レトロで昔ながらの、電気制御の遊園地」

「面白そうじゃん。いいぜ、たまには息抜きも必要だよな~」

「順調そうだな」


 その声に二人は振り向く。


「木戸主任」

「リーダー! 戻ってたんすね」

「だからリーダーはやめろ。こっ恥ずかしい」


 その声の主の名は、木戸成雪きどなりゆきと言った。

 眼鏡をかけた白髪交じりの男。なお、彼は後に……



 ……烏丸歳三、と呼ばれるようになる。



 二人の上司である木戸は、ぶっきらぼうに言葉を返した。


「ところで千秋。15時からの予定は覚えているな」

「はい。移住計画の詳細について、ようやくメディア向けの正式な会見を行うんですよね」

「そうだ。適当に昼食を済ませ次第、少し早めだが出るぞ」

「分かりました。……灰島君、君も一緒に来てくれ。荷物持ちだ」

「え……俺も?」



~~~~



 2104年 11月7日

 東京都 千代田区


 車はアスファルトを駆り、ビルという木々の生い茂るコンクリートジャングルを縫って走る。

 乗り合わせるは千秋、灰島、そして木戸。


「ところでリーダー、昨日はお楽しみでした~?」

「ああ、定時で帰らせてもらった分は楽しんだとも。何せ娘の6歳の誕生日だからな」

「返答がいちいちお堅いっすねぇ」


 飄々とした風に笑みを浮かべる灰島は、背もたれへと身を預けた。


「てか。ヤクモとの合同会見になんでわざわざ千秋が出る必要があるんです?」

「客寄せパンダ……という側面はあるだろうね」


 隣の灰島に応えるように、律は呟いた。

 運転する木戸も連なって口を開く。


「AI技術が目覚ましい発展を遂げ続けながらも、ついぞ不可能と思われた『感情を持つAI』。そんなモノを21歳という若さで作り上げてしまった以上、こうして祭り上げられるのも仕方ないだろうな」

「やめてください。僕ひとりで作ったワケじゃない。あれはチームで作り上げた技術ですよ」

「んで、お前が受賞したのは確か98年……その次の年だったっけか。隕石病が始まったのって」

「あれから……もう5年経つんだね」


 律はそう言って遠い目をした。

 窓の外を眺めれば、流れるビルの窓はひとつひとつ明かりが灯っている。

 耳をすませば、静かながら微かにエンジンの音が聞こえてくる。


「あのビルの明かりも、この車のエンジンも、全てメテニウムの産物……か」


 メテニウム。


 2020年6月2日、午前2時32分。夜空に大火球として目撃された隕石は千葉県・弓浜市へと落下した。


 当時は単なる隕石としか思われておらず、時勢としても流行り病でそれどころではなかったという背景があり、これを記憶に留める人というのはほとんどいなかった。


 しかし研究が続けられた結果、隕石に全く未知の物質が含有されていると分かったのが2028年のこと。後にこれが『メテニウム』と呼称されるようになる。


 それから研究が進み、メテニウムは一定の条件下で特有のエネルギーを発することが判明した。エネルギーの有用性を確かめるべく2029年に行われた実験では、たった1ミリグラムのメテニウムで試作品のメテニウム用ランプが5年以上点灯し続けるという脅威の結果をもたらした。


 これを受け、2030年代から40年代ではメテニウムを人工的に複製する研究が世界的に進められることとなる。


「つーか、ヤクモはなんでサーバエリアの開発だけウチと共同にしたんでしょうね? 」

「ヤクモはメテニウムエンジンの開発で成長した会社だからな。あれは自動車業界だけに収まらず様々な業界を飲み込んでいったワケだが、IT産業はメテニウムとの直接的なつながりが比較的薄い。故にヤクモにとって、ITはまだ手薄な領域だったんだ」


 木戸はハンドルを切りながら淡々と説明する。


 サイバーアーキテクチャーは1985年設立の、日本で情報・通信業を生業とする最も代表的な企業である。歴史古いITインフラ企業としての側面もさることながら、『サイアーブックス』『サイアーゲームス』といったサービスにおいても、日本国内で有数のシェア率を誇っている。


 一方1912年設立の自動車メーカー、ヤクモ自動車。当初は織機はたきの製作所として端を発し、27年に自動車製造に参入し始め、一時は世界でそのシェアを席巻した。


 しかし90年代のバブル崩壊、および同時期に起きた工場の爆破事故などの影響で経営危機に陥る。21世紀初頭には、ヤクモは完全に没落のメーカーというイメージを持たれることとなった。


 そんなヤクモであったが、22世紀現在においては船舶・航空機・宇宙開発など様々な業界を牛耳る世界規模の財閥と化している。再びここまでの成長を遂げたのは、ひとえにメテニウムの恩恵と言う他ない。


 メテニウムを工業的に精製する方法が確立した2050年代、世界ではメテニウムエネルギーから動力を取り出す技術の開発競争が勃発した。


 ガソリンとも、ディーゼルとも、電気とも、水素とも異なる。これまで蓄積されてきたノウハウが一切通用しないこの新技術の到来ゲームチェンジは、あらゆるメーカーに平等なチャンスを与えた。


 そしてソレを掴んだのが、ヤクモだった。


「小学校の頃ってさ。メテニウムの登場が世界のエネルギー問題を全て解決した~……って調子で、メテニウムをとにかく有難がる教育がされてたよな。汚染が問題化した今じゃ、もうそんなことないんだろうけどよ」


 どこかばつの悪いような顔をして灰島は呟く。それに呼応するかのように、律もため息をついた。


「汚染物質の存在に気付かないまま50年以上……メテニウムにあやかり続けた結果がこれか。もしこの世に神が存在するなら、今頃きっと笑いが止まらないだろうね」


 そう言う彼の目は笑っていなかった。


 効率面、輸送面、あらゆる側面において従来のエネルギーを凌駕する『夢のエネルギー源』と期待されていたメテニウム。50年以上の時をかけて、人々の生活の依存先は電気から完全に取って代わっていった。


 ……しかし、それには〝代償〟が存在したのである。


 メテニウムはそこから膨大なエネルギーを取り出す際に、人体に悪影響を与える汚染物質を排出する。単位量あたりに受ける影響というのは決して大きくはない。しかしそれが50年以上かけて地球に蓄積し続けた結果……世界各地で汚染物質による症状が現れ始めたのが2098年頃。


 ちょうど、車のスピーカーからその症状にまつわるニュースが聞こえてくる。


『……先日、大統領選に向けてカリフォルニア州で行われたオリビア大統領の演説会場にて参加者の一人が〝異形化〟した事件ですが、合計13名の死亡が確認され……』


 汚染物質が体に蓄積し、その許容量を超えた人間には『異形化』と呼ばれる現象が起きる。異形化した人間はその姿形を人とは到底呼べぬ化け物へと変貌させ、理性を失って暴れ回る。


 症状が現れ始めた初期は情報統制により〝謎の病〟として報道されていたが、時が経つごとに異形化する人間は増加の一途をたどり、隠し通すことは不可能となった。


 もはや地球は人間にとって安住の地などではない。メテニウムによって汚染された死の惑星である。



 故に立ち上げられたのが、惑星移住計画であった。




~~~~



 2104年 11月7日

 ヤクモ自動車株式会社 八雲昭夫記念ホール


「それではこれより、ヤクモ自動車とサイバーアーキテクチャ―による合同会見を始めさせていただきます」


威厳を感じさせる重苦しい声がホール全体にずしりと響く。舞台中央に堂々と立っているのは、見るからに高級そうなスーツを着た初老の男。


「会見の主題は惑星移住計画について。これまで一般向けにはあまり多くの情報を公開できていませんでしたが……計画も最終段階を控え、この度はようやくその詳細説明の準備が整った次第であります」


 ヤクモ自動車29代目社長・八雲流星。


 舞台袖からその姿を見る律は、眉を顰めた。律は中性的で小柄な体つきゆえ、ああいった強面で大柄な人間は全般的に苦手なのだった。


 八雲は一呼吸置き、語り始めた。


「まず第一に、我々が乗り込む宇宙船に関して。現在我が社で製作しているのは一号、二号、そして零号です。一号船と二号船の役目は人を運ぶことですが……零号船の役目は、それよりも一足先にテラフォーミングを行うこととなります」


 ……テラフォーミングとは、例えば『大気を作り出す』『表面の地形を作り変える』など、惑星の環境を人類の定住に耐え得るものへと作り変える行為を指す。


「テラフォーミングの流れとしては、まず零号船が移住先の惑星に『ステーション』と呼ばれる無人自動工場を建造します。ステーションは自律重機を生産し、重機は開拓を進める。開拓が進むと重機は別の場所に新たなステーションを建て、今度はそこが開拓の中心になる……これを繰り返すことによって、惑星全体を人が住める環境へと変えていくのです」


 ――まるで蟻の繁殖のようだ。

 律はこの説明を初めて聞かされたときにもそんな感想を抱いたな、などと思い返した。


「ただ、問題は移住する惑星までの距離でしょう。もっとも近い見込みのある惑星でも1200光年という長さ……人間を生きたまま輸送するというのは現実的ではない。そこで考案されたのが『エンブリオカプセル』という技術です」


 その台詞を口にしたちょうどのタイミングで、プロジェクターが起動した。淡い緑色のホログラフィックで映し出されているのは、医薬品のような形をしたカプセルの設計図であった。


「エンブリオカプセル……略してEカプセルには、宇宙船に乗り込む一人一人と全く同一の遺伝子情報を持つ『胚』が冷凍保存されます。いわゆる『コールドスリープ』の延長と言ってもよいでしょう」


 コールドスリープ、おそらく誰しも一度は聞いたことがあるだろう。

 要するに人体を凍結することによって、本人視点では長い時を超えることが可能になる……という技術であるが、これは22世紀の今になっても不可能と考えられていた。


 水は凍ると膨張する。同様の理屈で、人体を凍結させれば身体中の水分が膨張し、細胞膜の破壊を引き起こす。これがコールドスリープが不可能とされる所以である。


 膨張を許さないほどに全身を一瞬で凍結させることができれば話は別であるが、それを実現するには人の身体はあまりに大きすぎる。そこで考案されたのが、ヒトの発生初期段階である『胚』の状態でコールドスリープを行おうという発想であった。


「Eカプセルに冷凍保存されたヒト胚は何千光年という旅を経て移住先に辿り着きます。そうしてステーションで製造される育成ポッドへと移され、現地で元の年齢相当まで成長する……」


 ――記者らの間でどよめきが起き始めた。


 当然のことと言える。『惑星移住』と題する計画についてここまでの説明を聞けば、誰しも胸の内に覚える疑問は同じだった。会場の雰囲気は少しずつ騒々しくなっていくが……。


『……キィィィーーン!!……』


 マイクのハウリングで一転。場が静まり返り、人々の注意は自然に八雲へと吸い寄せられる。


「皆さんが今考えていることは分かります。『その計画は移住と呼べるのか?』『ヒトの生体クローンを送り出しているだけに過ぎないのではないか?』『結局我々の自我は、意識は、この地球で潰えるしかないのか?』」


 八雲は溜めて言う。


「否」


 そして、含みのある笑みを記者らに見せつけた。

 ……確かにそれは『笑み』ではあるものの、律には威圧感を醸し出す何かがあるように感じてならなかった。


「ここからは、サイバーアーキテクチャーの千秋氏に説明していただきます」


 改めて、律はハァとため息をつく。テレビの取材を頻繁に受けるようになって人前で話すことにも慣れつつある彼であったが……それでも依然、こういった役回りを好きにはなれないでいるのだった。


(それにしても……凝ってるなぁ、この台本。オーディエンスの反応も想定通りだし、大したものだよ)


 律は観念したようにひとつ深呼吸をし、袖を出て、舞台中央に立つ。それから前を見据えると、ホール出入口の脇でこちらを見ている灰島と木戸の存在に気づいた。


 ――しっかりしなきゃな、なんてことを思った。


「……サイバーアーキテクチャーでは2099年より、人の意識をデジタルデータに変換する研究を続けています。それを踏まえて私たちは、この技術を用いて宇宙船に乗る人々の意識をデータ化し、現地で成長させた肉体にそれをインストールする……という手法を考案しました」


 プロジェクターが再び起動する。そこに映し出されたのは……一枚のチップの設計図。


「これは移住計画のために我が社が開発した『ニューロチップ』という製品です。全長は2ミリメートル、大脳辺縁系に接続して外部デバイスとのやり取りを中継する機能があります」


 そしてこのニューロチップこそが、Eカプセルと双璧を成すこの計画の片翼なのであった。


「ニューロチップは各Eカプセルに一つずつ装填されており、育成ポッドのヒト胚が成長していく過程で、脳に埋め込まれるようチップを投下。こうして脳と接続されたニューロチップを経由し、意識データはインストールされることになります」


 つまり。


 この惑星移住計画とは……人の肉体と意識を別々にすることによって、果てしない距離と時間を超えた旅を実現しようという計画なのであった。


 ただ胚を現地で成長させるだけなら、それは人類の子孫を残しただけに過ぎない。

 意識を、記憶を、そして郷愁を。全て抱えたまま新天地に降り立ってこそ、真に〝移住〟と呼ぶに足る。この計画の根底には、そんな思想が根ざしているのであった。


「しかし、移住先惑星までの道のりは何千光年という距離です。その長期間を何もせず待とうとすれば、精神異常による意識データの自己破損現象が確実に起きるでしょう。その対策として、私たちは宇宙船のサーバーで仮想空間を構築することにしました」


 ホログラフィックの投影が切り替わる。新たに映し出されたのは、宇宙船の模式図だった。


「宇宙船は大きく二つの区画に分かれています。一つは膨大な数のEカプセルを積み込む『ネストエリア』。もう一つは私たちの意識データを保存する『サーバエリア』……仮想空間もココに作られます。サーバエリアの制御回路は意図的にクロックが落としてあり、仮想空間内での時が流れる速さは現実の1000万分の1です」


 ……『仮想空間内の時が流れる速さ』が『現実の1000万分の1』。これは逆に言えば、『仮想空間で数える1秒が、現実で数える1000万秒に相当する』となる。


 つまり、人々は距離にして何千光年という長旅を非常に短く感じることができる。


 ここまで律が説明したところで、八雲は一歩前に出た。彼は記者らに向けて堂々と両手を広げ、そして再び口を開く。


「これが我々の惑星移住計画……その全容であります。これより、質疑応答へと移らせていただきます」


 瞬間に、記者たちが我こそはと手を上げ、情報を引き出そうとし始める。


 ……それから記者から投げかけられる質問や、その返答も含めて全て。

 この会見は徹頭徹尾八雲が思い描いた通りの顛末となり、幕を閉じたのだった。



~~~~



 2104年 11月7日

 ヤクモ自動車株式会社 社長室


「千秋さん。お忙しい中、本日はありがとうございました」

「いえ、こちらこそ……」


 高価な天然木のテーブルを挟んで、煤黒い本革のソファに座り向かい合う。

 律の正面に腰かけているのは社長の八雲流星


「ところで。お母様のご容体の方はどうでしょう、千秋さん」

「安定してはいますが、やっぱり異形侵食の進行が人より早いらしいです。多分、もうそう長くは……」

「……」


 八雲は神妙な顔つきで律の目を見つめると、祈るように目を閉じた。


 メテニウムの汚染物質が引き起こす異形化現象。その症状は人によってバラつきがあり、発症した瞬間から全身が異形化する者から、体の末端に始まって徐々に異形化していく者まで、様々である。特に後者のような症状は『異形侵食』と呼ばれる。


「でも……ありがとうございます。僕の要求を呑んでいただいて」

「滅相もない。この計画の片翼を担う、意識のデジタル変換技術はあなたの協力がなければ実現しなかったのですから」


 律はその優秀さゆえに高校・大学をそれぞれ2年間で卒業し、サイバーアーキテクチャーに入社した時点でなんと満20歳。そうして律が配属されたAI事業部門は2098年、世界初の感情を持つAIを生み出した。


 結果、一番の功労者である律は21歳という若さでノーベル賞を受賞。ヤクモがサーバエリアの開発協力を依頼するにあたってサイバーアーキテクチャーを選んだ理由には、千秋律の才能に期待していたという側面が大きかったのだった。


「あなたがメテニウムに対して抱く感情は全く正当なものです。計画が完遂されたその暁には……要求通り、我々はあらゆるメテニウム技術を放棄することを約束しましょう」


 そして協力するにあたって、律がヤクモに提示した要求とは……人類を陥れたメテニウムを完全に捨て去るというものだった。

 確かに自身の母親が病に侵されたというのも、それを望む理由の一つではある。


 しかし、それだけではない。


 ―――実現し得るだけの能を持っているなら、自分がやらなければ。


 そんな天啓の如き使命感もまた、彼を突き動かしているようだった。


「……そろそろ戻らないと主任にどやされるかな。それでは、このあたりで僕は……ん?」


 律の右手首の端末からホログラフィックが浮かび上がる。どうやら病院からの着信のようだった。


「失礼」

「ええ、お構いなく」


 律はソファを立ち上がり、八雲に背を向けて壁際に移動する。


『こちら東京帝国大附属病院でございます。千秋律さん本人でお間違いないでしょうか』

「はい」

『……入院されているお母様ですが』


 その切り出し方からして、ロクな話じゃないなと直感的に理解した。

 医師の説明も耳を通り抜けるように頭には残らず、律はただ生返事を返し、やがて通話が切られる。


 彼は壁に拳を打ちつけ、そしてうなだれた。


 最終的に、頭に残っていたのは……母の訃報だけだった。



~~~~




 それから、経つこと二ヶ月足らず。



 2104年 12月28日

 株式会社サイバーアーキテクチャー 技術開発室


 モニターに映されているのは、既に九割方完成しつつあるサーバエリアの仮想空間。灰島はデスクに向かいながら、たまに冷え切ったコーヒーに口をつけ、面白くなさそうな顔で窓に打ちつける雨粒を眺めていた。


「千秋のヤツ……予定からもう一週間経つぞ? 親御さんの葬式で帰省したっきり戻ってこねぇ。そのうえ今日はリーダーまで無断欠勤ときた。はぁ、一体どこで何やってんだか……」


 椅子をキィキィ鳴らしながら、紙コップの残りをぐびっと飲み干す。


 コーヒーを継ぎ足そうと灰島が立ち上がった瞬間、扉が開く。入ってきたのは……。


「……」

「って、リーダー!? やーっと来ましたか。もう14時っすけど……ただの遅刻じゃなさそうっすね?」


 部屋にやってきたのは、5時間超の大遅刻をした木戸だった。木戸の表情は暗く、ただでさえ沈んでいた場の空気は重くなる一方。


「……娘が、一号船に乗れないことになった」

「えっ」


 灰島は一瞬面食らい、同時に木戸の表情の理由にもなんとなく察しがついた。


 通常、惑星移住計画にかかわった人間とその家族は、先んじて移住先惑星へと到着する一号船に優先して乗ることができる。


 しかし、そこには一つ例外もあった。


「お前たちには話してこなかったが……私の娘は生まれつき、先天性の心臓病を患っている。強引にでも乗せようと名簿を書き換えたが、それも見つかって二号船に回されてしまった」

「……そういうことですか」


 惑星移住計画において、Eカプセルには生体クローンの技術が使われている。つまり先天性の持病がある人間の場合、その病も再現されることになる。


 移住先惑星が人間にとって定住しやすい環境かどうかについては、実際に降り立ってみなければ分からない不確定要素も多い。ゆえにリスクを考慮して、持病のある人間は一号船に乗ることができないという規則があった。


「責任者という肩書は、私が一号船から離れることを決して許さない。だが……妻が亡き今、あの子を一人にしておけない……!」


 無念に打ちひしがれ、珍しく木戸は感情をあらわにした。


 彼の脳裏にこべりついて離れないのは……異形化した隣人に妻の首を刎ねられた、在りし日の記憶。娘を抱えて必死に逃げた、恐怖が背筋を撫でる感覚。


 開発室の他のスタッフたちにも、この5年間で身内を奪われたという人間は少なくない。皆作業の手を止め、各々感傷的な思いに揺られる。


 ……しかし。


 そんな静寂を突き破るように、突如灰島の端末が着信音を響かせた。


 着信元は、律だった。


「お、おいっ! 今まで何処ほっつき歩いてたんだよ!? 葬式はもう終わってるはずじゃ」

『文雄が………弟が…』

「え?」


 思わず灰島は聞き返した。

 今まで聞いたこともない、絞り出すような、悲痛な声。それは混沌とした律の内心をまざまざと見せつけられるような音色だった。


『帰省してからは……ずっと、実家に泊まっていた。葬儀のあった日……早めに床に就いた僕は、その夜、物音と悲鳴で……起きたんだ』





『……弟が…妹を、喰っていた』


「…ッ!?」



 ゾッとした。


「喰ってたって……まさか」

『弟が……異形化したんだ』


 灰島は自己嫌悪に力強くこぶしを握り、開口一番に彼を責め立てたことを恥じた。


 女手一つで3人の子供を育てた母親は、異形侵食で安楽死。弟は異形化を引き起こし、妹はその弟に捕食され……生き残ったのは、律ただ一人。立て続けに起こった悲劇が彼の精神をひどく蝕んだことは想像に難くなかった。


『……大丈夫さ。数日経って僕も少し落ち着いてきたんだ。僕たちが移住計画を成功させれば…こんな悲劇も……』

「た、大変です!!」


 律がそこまで言いかけたところで、スタッフの一人が慌てたように駆けてきた。灰島は空気読めよと内心悪態をつきつつ、差し出される映像に一応目を通した。


 そして、驚愕した。



『八雲社長 惑星移住後のメテニウム研究継続を公式表明』



「……は?」


 同時に、通話の向こうでも声が止む。律も同じニュースを目にしていたのだった。


「ど、どういうことだよ!? メテニウムは放棄するって話じゃ……」

『……僕が直接、どういう了見か訊きに行ってくる』

「お前っ、そういや今どこに」

『ちょうど東京駅に着いたところだ。ここからタクシーでヤクモへと向かう』


 一変して、その声にはただならぬ怒りが籠っていた


 通話を切られ、苦虫を噛み潰すような顔で灰島は俯く。


「千秋……」



~~~~



 2104年 12月28日

 ヤクモ自動車株式会社 社長室


 社長本人を問いただすべく、ヤクモ本社に乗り込んだ律。突き返されるものかと思っていたが、意外にもセキュリティは彼を素直に通した。


 社長室の扉を開けた先で律を待ち構えていたのは……社長・八雲流星。


「……先ほどの発表、どういう意味か説明していただけますか?」


 口から出る言葉こそお行儀のよさを保っているものの、その顔は憤怒の形相。感情を隠しきれてはいなかった。


「説明、ですか」


 しかし。そんな彼を見てもなお、不気味なくらい平生と変わらぬ調子で八雲は喋る。


「……メテニウムを捨てる、それは文明を捨てるということです」

「それでいいじゃないですか。かつての人類はそんなものがなくったって、生きてきたんだ」

「それができた試しがないのですよ」


 八雲は社長席を立ちあがると、緩やかに歩き出した。


「あなたは計画が終わればメテニウムを全て放棄しろと求めました。随分と簡単に言ってくれますが……文明を『捨て去る』などという選択、世の人間の大半には不可能なのですよ」


 冷やかな目で律を一瞥する。


「どこから漏れたのかは知りませんが……ここ数週間で『惑星移住計画が完了すれば、ヤクモはメテニウムを捨てるつもりだ』という噂が流れているようです」

「……僕じゃありません」

「そこに興味はありませんよ。問題は……噂が流れ始めた時期から、クローン生成用採血の予約が激減したのです」

「えっ……」


 律は信じられないとでも言うように呆けた顔をした。


 Eカプセルに保管するヒト胚を生み出すためには、その人の生体クローンを作る必要がある。そしてクローンを作るには、採血によってDNAを採取するする必要がある。採血予約の減少、それが意味するところは……ただ一つ。


「『今ある文明を捨てようと云うなら、お前たちについてはいけない』。人々はそう言っているのです」


 物腰柔らかな態度の本性を表すかのように、八雲は険しい顔で律を睨みつける。


「確かに汚染物質を減らす方法は未だ解明されていませんが、いつか見つかるかもしれない。仮にすぐには見つからなくても、隔離して貯蔵するようにすればいいのですよ。かつて電気の時代に、原子力発電もそうしていたように」

「……話が違うじゃないか!」

「騙して悪いと思ってはいましたがね。それにしても、あなたは本当に良い働きをしてくれましたよ。意識のデータ化技術に客寄せパンダ……貢献度は計り知れません」

「……僕の母は、弟は、妹は……皆!!メテニウムに殺されたんだ!! 約束を反故にするつもりだと言うなら、この場で……ッ」


 律は上着の裏に隠し持ったナイフを手に取り、八雲の懐へ潜り込もうとした。



 ……しかし。



「ッ!?」


 驚きのあまり律は尻もちをつき、その場で動くことができなかった。


 彼の喉元にはいつの間にか、淡く緑に発光する槍が突きつけられていた。


「こ、これは……」

「『アストラルウェポン』と言いましてね。汚染物質をして純化した高密度のメテニウムエネルギーで自在な輪郭を瞬時に形成するという、宇宙用メテニウムエンジン開発の過程で副産物的に生み出された技術です」


 扉が開き、黒服の男が二人入ってくる。黒服らは八雲の手に握られているのと同様の機械を持っており、そこから緑に発光する鞭ようなものを出力させた。


 律の華奢な身体は黒服に容易く屈服し、拘束される。


「摘まみ出せ」


 抵抗虚しく。律は社長室から力づくで運ばれ、ヤクモ本社の入口から雨降りしきる屋外へと放り出された。


 視界はぐるぐると回り、身はコンクリートに殴られる。


「……」


 もはや立ち上がる気力さえ湧かず、ただ雨に打たれて律はうなだれた。


 家族を失った。それでも今生き残っている人類のために尽力しようとしたものの、根底に抱える思想は人々の望みとは異なっていた。律は何もかもを否定されたかのように感じてならなかった。




「……大丈夫か」




 ……そんな思考に陥った折に、声が聞こえてきた。見上げずとも、律はそこに立っているのが何者か分かった。


「灰島君……」


 伸ばされた手を取り、律はゆっくりと立ち上がるものの頭がくらくらとして歩けない。

 そんな彼を……灰島は歩み寄って抱きしめた。


「ごめん……肝心な時に限って、支えてやれなくて」


 それからしばらく沈黙が続き……そして、やがて律は口を開いた。


「………僕に協力、してくれるかい」

「もちろん」

「内容……聞く前にそんなこと、言ってくれるんだ」


 灰島の胸に顔をうずめる律。冷たい雨の中でその温もりに触れ、心臓に語り掛けるかのように呟く。


「世界を、人類史を……僕はやり直したい」




~~~~~




 航海756日目

 一号船サーバエリア 第38区画


「零号船からの信号をキャッチ。今テラフォーミングが完了したみたいだぜ」

「こっち感覚で3時間弱……現実での工事期間は概ね3200年程度か」

「まさか連中も、今頃2020年の地球が再現されてるとは思わねぇだろうな~」


 星々の煌めく真っ暗な空間に、浮遊する無数の円筒状巨大構造物。そのうち一つの中に在る一室、千秋と灰島の二人はそこで零号船のハッキングを行っていた。


 構造物の直径は小さいもので3キロ、大きいものは40キロほど。天井までの高さは概ね2キロメートル。その正体こそは……仮想空間内の居住区である。


 一号船のサーバエリアに意識をデジタルデータとして移したおよそ20億人、彼らがこの居住区で暮らし始めて756日目。外では約2000万年が経過した頃だった。


「2020年の世界を再現するためだけに平成・令和のニュースをかき集めたり、当時のストリートビューデータを盗んだり。思えばホ~ント苦労させられたもんだぜ」

「ふふっ。本当に苦労をかけるね」

「気にすんな。俺はもう……お前を一人にしないって決めたんだからよ」

「……歯が浮くようなセリフをさらっと言うよね。灰島君は」


 紅潮させた顔を見せるのが少し癪で、律はそっぽを向く。


「で、〝新世界シミュレーション〟の方はどうだ? 今何周目だったっけか?」

「ちょうど100周目。今回のシミュレーションはかなり順調なんだ」


 律は指で宙をスライドしてモニターを出現させ、灰島にも見せる。

 そこに映っていたのは……ロンドンのビッグ・ベンやニューヨークのタイムズスクエア、渋谷のスクランブル交差点など世界各地の映像。そこでは一人前に感情を持った人々が行き交い、確かに各々の生活を営んでいた。


「流石に40億人のAIを同時に動かすプログラムは最適化に苦労させられたよ。最初は1周20年だったのを、思い切って16年に短縮したのが正解だったね」

「つーことは、今ので最終周?」

「ああ。もうすぐこのシミュレーションも終了するから、そうしたら一斉トランスコードの準備に取り掛かるよ」


 律は瞼を閉じ、地球を旅立った日の決意を再び思い起こす。


「……これからは新人類かれらの時代だ。旧人類は全員……僕が責任を負って、一人残らず終わらせる」


 それから、灰島に顔を向けた。


「全てが終わったら、ケジメをつけて僕も消える。果てるならその時は……君の腕の中がいいな」


 微笑を湛えてそう言う律を、灰島は心中複雑な思いで見つめる。

 灰島は律の支えになろうとする一方で、彼の危なっかしさを常々憂慮していた。しかし真に正しい向き合い方をついぞ見つけることなく、ここまで来てしまった。


 律の言葉に灰島は口を開こうとした。



 ……その時。



『ビーッビーッビーッ!!!』


 耳を裂くような警報が部屋に響き、真っ赤なランプが明滅し始めた。


「セキュリティウォールが突破された!? まさか……勘付かれた!?」

「マズいッ、ここに来るのも時間の問題だ!!」


 灰島は急いで律の手を引き、部屋の外へと脱出した。


 全速力で回廊を駆け、侵入者から逃げる二人。おそらくは、律らの不審な動きに勘付いたヤクモの人間と思われた。


「ハッ、ハッ、灰島君っ! これはどこに向かっているんだいっ!?」

「……俺に考えがあるっ」


 息を切らしながら居住区を逃げ回りつつ、灰島はある場所を目指して走り続けた。回廊を抜け、人々の行き交う広場を突っ切り、階層を移動する。

 ……そうして遂に、目的の場所へ辿り着いた。


「区画間転送ポータルか……どこに飛ぶつもりだい?」

「先に乗っててくれ、ちょちょっと細工をするからよ」


 律は促されるまま、扉の中の空間へと足を踏み入れた。



 ……その瞬間、背後で扉が閉まる音がした。



「えっ」


 振り返れば、扉の窓越しには灰島の苦々しく微笑む顔が見えた。


「灰島……君?」

「ポータルの転送機能を使えばネストエリアのコンピュータに飛べるはずだ。確か新世界シミュレーションは、連中にバレないようネストエリアで稼働してるんだったな?」

「何を……言っているんだ?」

「俺は残って、この一号船からネストエリアをパージする。パージされたネストエリアは予備エンジンで移住先惑星へと向かうはずだ。お前は向こうで……生き延びろ」


 灰島の言葉を、律は到底受け入れられなかった。


「そんな……嫌だよッ! 家族をみんな失って、そのうえ君まで! 僕の前から消えてしまうなんて!!」

「お前も分かってたハズだろ……お上の管理下にあるこの仮想空間で一度バレれれば、もう逃げ場はないって」


 灰島はシステムを書き換え、転送先をネストエリアのコンピュータに設定してポータルを起動した。

 起動音とともに律の足元が光り始める。


「約束……守れなくてすまねぇ」

「灰島君っ!!」


 やがてポータル全体が光に包まれ……。










「…………ここ……は…?」


 まず最初に、喧騒が耳を襲った。


「あれは……資料で見たことあるぞ」


 次に目を開けば、雑踏の中にいた。



 2020年 6月1日

 柚花区 柚花駅前


「確かこれは、弓浜市の柚花駅だ。それも2020年の……」


 気が付けば、人々が行き交う駅前広場に立っていた。

 律は付近の建物の陰に隠れ、指で宙をスライドしてモニターを出現させる。


「管理者権限は……ある。やっぱり、ここは新世界シミュレーションの中か」


 律の脳裏をよぎるのは、別れ際に見せた灰島の微笑み。

 思い出せば胸が締め付けられる。しかし同時に、彼の犠牲に報いなければという強い意志も、律の中で芽生えつつあった。


「一号船は……ダメか。通信可能範囲を超えるくらい離れてしまったみたいだ。なら二号船も当然無理。……向こうに積み込まれたEカプセルは結局、解放できず仕舞いの状況だ」


 アクシデントで諸々が瓦解してしまった二人の計画。しかし、それでも律は諦めるつもりなど毛頭なかった。


新人類かれらのためにも……早急に旧人類やつらから、残るEカプセルを回収しないと」


 改めて理想を呟き、自らを奮い立たせる。


「メテニウムのない世界をやり直す為に」


 ……己が思想の下に新たなる世界を創り出す。紛れもなく神の所業と言っていい。


神にも等しい彼が新世界に願いを望めば、


それはもはや天啓と呼んで差し支えなかった。





 第四話 千秋律の天啓

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る