第17話
翌日の放課後は冗談みたいに晴れていて、夏が近づいてきていることを知らせるようであった。空には雲一つなく、日差しだけが容赦なく照っている。
一方、私の心は昨日の出来事からどんより曇っていて、校舎を出たくせに寮に戻るのが億劫であった。校庭の隅に、園芸部の部員が丹精込めて育てた花たちが咲いているのが見える。私はぼんやりとした足取りで、校門に向かった。
外出の許可を取っていなかったけれど、少し外を散歩しようと思ったのだ。下校する通学生に紛れて、正門を出ると私はまっすぐ商店街の方へ向かった。
実のところ、この辺りの地理のことをあまり知らない。
私はきょろきょろと周りを見ながら歩いた。通り過ぎていく人たちを眺めているうちに、自分がひどく場違いな存在のように思えたが、不思議と居心地の悪さは感じられなかった。
この時間帯は買い物をする主婦たちで賑わっていた。八百屋の前では、お客さんを呼び寄せようと店主が大きな声で呼びかけをしている。私は立ち止まってその様子をじっと見つめていたが、結局、何も買わずにその場を離れた。
そのまま歩き続けているうち、気がつくと、小さな川のほとりにいた。コンクリートの土手の上に腰掛けて、川を覗き込む。川の水は澄んでいて、魚の姿さえ見えた。
「おや、こんにちは」
後ろから突然話しかけられて、私は驚いて振り向いた。そこにはY先生が立っていた。
「こ、こんにちは……」
私が挨拶を返すと、先生は笑顔を見せた。
「こんなところで、どうかしたの? なにか悩み事でも?」
無断外出中の私はさっと身構えたけれど、しかしY先生が寮生の外出許可の有無を把握しているとも思えず。
「いえ、ちょっと気分転換で外に出ただけです」
私はそう言って誤魔化した。すると、彼は納得したのかしていないのか曖昧な表情を浮かべたが、それ以上は何も訊かなかった。
「ねえ、榎本さん」
Y先生はまるで諭すのように私の苗字を呼んだ。
「はい」
「最近、何か困ったことはないかな?」
「えっ……」私は少しだけ不愉快な顔に出してしまった。
「最近は、時々そんなことをひとに訊かれるようになりました」
「大変だね」すると、先生は微笑んだ。「でも、大丈夫だよ」
「ええっと……」
「根拠はないよ。ただ、僕は君の味方だから。……教員だからね」
その言葉は私にとってあまりにも都合が良くて、私は思わず笑ってしまった。
「どうして笑うの? 変なこと言ったかい」
「いいえ、なんでもありません。……もしかしたら、先生方は気にされているかもしれませんが、私はなんにもトラブルに巻き込まれていないし、星野先輩の非行についても、なんにも知りませんでした。けれど、なんにも知らなかったことが、少しショックだったのも、本当です」
私は、自分の心の内をそのまま伝えた。Y先生は私の隣に座って、川の方を見ていた。
「そうだったのか。余計なお世話して悪かったね」
「いえ、先生方が悪いんじゃありませんから。もし必要であれば、他の先生にお話ししてくれても結構です」
「分かった」Y先生はうなずいた。「それじゃあ、”心配するのが好き”な先生には話しておくよ」
「お願いします」
それからしばらく、私たちの間に沈黙が流れた。けれど、それは決して不快なものではなかった。
「……そういえば、先生は、どうしてこちらへ?」
「今日は休みを貰っていたんだ。でも、事務仕事をしに学校へ」
「お休みなのにお仕事を」
「教師ってそういうものだよ。……それで、途中できみを見かけたからちょっと声を掛けてみたんだ。迷惑だったかな?」
「いえ、少し気持ちが整理されたような……、そんな気がします」
「それは良かった」
それから私たちは並んで座ったまま、川の流れを眺めていた。空に浮かぶ雲はゆっくりと形を変えながら流れていき、鳥たちが鳴き声を上げながら飛んでいる。
「……余計なお世話かもしれないけれど」先生はだしぬけに口を開いた。
私は少し身構えて、「何でしょうか」と答える。
「学校へ戻らなくてもいいのかな、と」
「あっ……」もしかしたら、外出許可を得ていないことを、知っているのかもしれない。さっと血の気が引いたのは、私が真面目でつまらないということの証明。
「星野さん、今日で寮を出るんだろう? 挨拶はいいのかな?」
けれど、先生の口から出たのは、そんな思いもよらない言葉であった。
秘すれば花、されど進まず @masdwrre
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