第14話

 昼休み、食事を終えていつものように図書室へ向かおうと考えていると、美由紀さんに声を掛けられた。習慣なだけで義務ではない。カフェテラスに腰を置いたまま、「なにか用事だったかしら?」と返す。

「小春さん、元気がないように見えて」

「そんなことない、と思うけれど」

「先生方から何か言われた? あのこと」

「あのことって……」抽象的な言い回しだけれど、私が先生方から聞き取りを受けるとするならば、まず「先輩のこと」だ。

「その……。こう言っては悪いけれど、元からあまり……、評判のよろしい方ではないでしょう?」

「……えっ?」

 先輩の評判だなんて、気にしたことがなかった。私は友人が少ないし、三年生における噂話や軋轢などが耳に入るわけがない。

 驚いた私を見て、美由紀さんは続けた。「ごめんなさい、変な言い方をして」

「いえ、別に……」

「でもね、小春さんが心配で。あなたは優しい子だから」

「そんなことはない。ただ……、何も考えてないだけなのかもしれない」

「そうかしら。小春さんは、とても強い人よ」

「……」私は、彼女の言葉の意味を考えたが、すぐには思いつかなかった。「ありがとう」

「どういたしまして。私も、あなたのことは好きだもの」

「それは光栄だわ。でも、私のことは良いの。それより……」

「……私もあまり噂話は好きではないんだけれどね。生徒会役員だし、やはり風紀の話は耳に入るのよ」

「先輩の噂?」

「そうね。あまり大声で言えるような内容じゃないのだけれど。三年生の間では特に噂になっていて」

「ダブルデートが、そんなに問題?」

「いえ、ダブルデート自体は……、節度を守れば目を瞑って頂けるわよ。恋人のいる生徒だって決して少なくはないのだし。そもそも、あの先輩の異性交遊は前から有名だわ」

「前から?」

「一年くらい前からかしら」

「そんな……」

 そんな話、私は耳にしたことがなかった。けれど、美由紀さんが言うには、三年生の間では周知の事実で、後輩の私たちの耳にだって届く話題であったのだ。

「……ただ、最近は少し、派手になっているみたいで」

「どんな風に?」

「例えば、今回の噂のことだけれど、先輩は男子学生とホテルへ行ったところを見られただとか。でも、きっと、それより酷いことよ。本当のところは」

「本当、とは?」

「その……、……妊娠したらしいという話もあるわ。あくまで噂なのだけど」

美由紀さんの表情は暗い。普段、冷静沈着な彼女からは想像できないほど狼惑的な面持ちで、私は動揺する。

「妊娠なんて、そんな……」

「証拠があるわけではないの」

「じゃあ、どうして……」

「これは私が生徒会役員だから知っていることなのだけれど、今回は教師間でもかなり大事になっているのよ。正直、ホテルで恋人と性行為をしたことでこんなに問題になるとは、思えないわ。あの人は高校三年生でしょう。来年には結婚するかもしれない学年のひとに、そんなに厳しくはしないわ」

「……じゃあ、なんで」

「分からないの。だから、小春さんは大丈夫かと思って。最近、様子がおかしかったでしょう? ……その、何かトラブル、だとか」

「……」

「余計なお世話だとは思うんだけど。小春さんは、真面目な子だから」

「あなたに、言われたくないわよ」

 自分で想定していたよりも、ずっと冷たい声が出た。私はそれをごまかすように、今度はなるべく明るい声を出して、

「でも、大丈夫よ。私、本当に何も知らなかったの。先輩が異性交遊に興じてることも、なんにも。私は先輩と信頼しあえていると思っていたから、何も知らなかったことが少しショックだっただけ」

「小春さん……」美由紀さんは申し訳なさそうな顔をしている。「そうよね、小春さんはこんなこと知りたくはなかったはずよね……。ごめんなさい」

彼女は深々と頭を下げた。

「謝らないでちょうだい。私こそ、ちょっと意地悪なことを言ったわ。気にしないで」

「ありがとう……」

「そろそろ行かない? なんだか、冷たい炭酸のジュースが飲みたい気分」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る