第5話
授業を終え、放課後になる。窓の外側には雫が打ちつけていた。
私は同級生に別れの挨拶をして教室を出ると、廊下の向こう側に美由紀さんの姿を見つけ、彼女に話しかけた。
「美由紀さんも帰るの?」
「えぇ、そのつもり」
「傘を忘れてしまったのよ。良ければ途中までいれてくれない?」
「えぇ、もちろん」
私は美由紀さんの返事を聞くと、彼女の傍に立って、一緒に水に濡れた昇降口へと向かった。
「寮まで送るわ」
「いえ途中まででいいのよ」
「いやよ。少しの距離なのだから送らせて?」
「そうね、じゃあ、お願いするわ。ありがとうね」
「どう致しまして」
私たちは並んで歩き出す。ぼつぼつと降る雨は美由紀さんはいつも通り、背筋を伸ばして凛として歩いている。
わたしはやはり、彼女に憧れている。
彼女はわたしにとって理想の女生徒だったし、実際彼女のようになりたいと思ったこともある。けれどわたしは彼女のようにはなれないのだ。
「小春さんは、もう進路を決めたのかしら」
「大学に進学するつもり。でも、どこへ行くかは決めていない」
「そう……」
「美由紀さんは、大学に行かないの? それとも専門や短大、就職をされる予定なのかしら」
「私ね……本当は大学へ行きたいの。けれど父が……」彼女はそこで言葉を濁す。彼女の父親は厳しい人だ。彼女の自由意志や選択に口を出すことがある。そして、彼女の母親は、彼女の父を盲信、ないしは依存していた。
「お見合いをしなさい、と言うの。私、まだ十五歳よ?」
「それは、すこし酷な話だわ」
「親に逆らうことはできないから、従うしかないわ。でもね、私、結婚なんてしたくないの」
「あら、それはどうして?」
「私、恋愛というものをしたことがないの。恋も知らない女が家庭を持つことができるかしら」
「どうかしら。愛は時間じゃなくて、経験で育むものだから。それに、美由紀さんは素敵な女性だし、男性だって放っておかないと思うけれど」
「小春さんは、恋人がいたことがある?」
「いえ、ないけれど……」
「興味は?」
「どうかしら。けれど私は……一人でも生きていると思うわ。そういう意味では美由紀さんも同じかと思うけれど」私が言うと、彼女はくすりと笑った。
その笑顔を見て、この人は大変控えめに笑うのだとふと気づいた。
それからしばらく無言で歩いて、学校の敷地を出たところで、ぽつりと彼女が言った。
「進学の意志だけは親に伝えるわ。結婚だなんて、二年後じゃなくたっても六年後でもその先でも出来るってね」
空からは降り注ぐ雨は少しずつ弱まってきていた。私は彼女に丁寧にお礼を言って別れると、薄ら暗い寮の廊下を歩いて、自分の部屋へ帰った。
私はベッドの上に寝転がって、天井を見つめる。雨の音だけが響いている。今日は朝からずっと、雨の匂いを感じていた。私は目を閉じて、先輩のことを考える。あの人のことを思うと、少しだけ心がざわざわとするけれど、それは嫌な騒めきではなかった。
わたしは美由紀さんのことを好むように、先輩のことも好きだと思っている。憧れている。そう思った途端に、自分が気持ち悪くなって、吐き気がした。わたしは布団を被って丸くなる。何もかもが嫌になった。窓の外から雨の音はせず、日の光がうっすらと差し始めていた。
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