終章

1.

前後左右もわからなくなる程の完全な闇。その中を、二人の少女が歩いている。

一人は金髪のメイド、99号。背中には円柱状の巨大な肉塊を縄で括り付けている。もう一人は執事服の猫耳少女、チェシャ子。

一遍の光も差さぬはずのこの闇の中で、なぜ彼女たちの姿がくっきり浮かび上がっているのか。

それは、前方にぽつんと佇む屋敷のせいだ。血のような深紅の光を放つ屋敷。その赤い光が彼女たちだけを照らしている。


ここは不思議の森。

あぎと谷の下流に広がるウサギ森のさらに奥、魔女・ハートのクイーンのテリトリー。

そして、深紅の屋敷はクイーンの住処だ。99号とチェシャ子は帰って来たのだ。


足元からは、微かに振動を感じる。


「ニャ~……女王様、だいぶお怒りだニャ……」


チェシャ子は溜息をつく。クイーンのいつもの発作だ。

このまま放っておけば、クイーンは再現なく食物を求め、『蝕欲』に呪われた肉体を無限に膨張させていくだろう。

いずれ、その膨れ上がった身体は国すら喰らい、押しつぶしてしまう。

そんな最悪の事態を阻止するため、99号は呪いを解く薬効のある食材――『ヨモツヘグイ』を手に入れて来たのだ。


突然、彼女たちの周囲の空間が歪む。

次の瞬間、周囲の景色が闇の中から真っ赤なレンガ作りの壁の、深い縦穴へと変わっていた。

天井も床も見えない、長い長い螺旋階段がずっと下へと続いている。

二人は、その螺旋階段から何者かに背後から突き落とされる。


「待ってたのだ! 早く早く!」


落下しながら、背広姿の白ウサギがせわしなくがなり立てる。

チェシャ子は抗議しようとしたが、縦穴を揺るがす地響きを聞いて縮こまる。

クイーンの癇癪が限界点に達しようとしているらしい。


「ヤバいニャ! 99号、調理場へ急ぐニャ!」

「早く早く! お屋敷がぶっ壊されちゃうのだ!」


チェシャ子と白ウサギは、両脇から99号を担ぎ上げると、空中を蹴って縦穴の壁に向かって跳んだ。

その先の何も無かった赤いレンガの壁に、何の前触れもなく扉が出現する。彼女たちを迎え入れるかのように、扉がひとりでにガチャリと開く。

三人が扉の中に飛び込むと、そこには白衣姿にシルクハットという妙ないでたちの老齢の小男がいた。


「んぎゃぁ!? 何じゃ、お前たち!? やぶからぼうに!」


マッドハッタ―だった。ここは彼の診察室だ。

彼は手術台の上で胡坐をかいていたが、99号たちが飛び込んで来たのを見て、慌てて立ち上がり何かを後ろ手に隠す。

何故かズボンのベルトが緩んでおり、少しずり下がっている。


「先生、何読んでたニャ。まったくイイ歳こいて……って、あれ? ここ、マッドハッタ―先生のお部屋ニャ?」

「やれやれ、発作のせいかのぅ。女王の魔力が暴走して、屋敷が迷宮化しておるようじゃ。」


マッドハッタ―はいそいそとズボンを上げながら言う。

先程から屋敷を激しく揺らしている地響きがまた起こり、その拍子に彼は手を滑らせズボンが全部落ちてしまう。裾を踏んでしまったのか、盛大につんのめり、手術台の上でみっともなく下着と隠していた物を晒してしまう。

手術台の上に転がった、卑猥なポーズの裸体の女性が描かれた本を、チェシャ子は努めて無視する。


「99号、片足はどうした? そんななりで料理なぞできるのか?」


下着を丸出しにしながら、誤魔化すようにマッドハッタ―は問う。99号は無表情のまま、問題ない、とだけ返す。

マッドハッターはそれならば、と診察室の奥を指差す。足で卑猥な本を隠しながら。

何もなかったタイル張りの壁に、新たな扉が現れ開いた。

チェシャ子と白ウサギは今度こそ、と99号を担ぎ上げて扉へ突撃する。

そこに現れたのは、巨大な石の竈。天井からは鎖でこれまた巨大な銅鍋が吊り下げられている。

壁にはびっしりとフライパンや小鍋、まな板や包丁が掛けられている。

棚には様々な種類のスパイスやハーブが詰められた、夥しい量の瓶。

彼女たちは、ようやっとクイーンの屋敷の厨房に辿り着けたのだ。


チェシャ子と白ウサギは99号をぞんざいに放り投げる。

99号は空中で華麗に一回転すると、すかさず調理台に背負っていた”竜の尾の肉”を降ろし、竈に火を入れる作業へと取り掛かる。

チェシャ子は、壁に掛けてある拳大の大きなホイッスルを取り、思いっきり吹いた。


「女王様にぶっ壊されてない屍人形<アリス>は、全員調理場に集合だニャ! 99号を手伝うニャ!」


チェシャ子が呼びかけると、調理場の壁や床、天井の至る所に扉が出現し、一斉に開いた。

扉の中から何十人ものメイドたちが飛び出し、それぞれが続々と作業に取り掛かっていく。


まずは大鍋に水を張り、輪切りにされた竜の尾が投入される。

ぐらぐらと湯が沸くと、アリス十人掛かりで大鍋が流しにひっくり返され、汚れた湯が捨てられる。これで下茹では完了だ。

次に、アリスたちはバケツに水を汲み、バケツリレーで水をかけていく。そして、デッキブラシを持ったアリスたちが尾肉を磨いていく。

肉の臭みと汚れがしっかりと取ることができたら、再度大鍋に水を張り、尾肉とマンドラゴラの触手・にんにく・生姜を入れて最大火力で煮込む。水が沸騰し出したら、酒を加えて火力を落とし、じっくりと煮込む。酒はもちろん、鉱精<ドワーフ>が蒸留した最上級のものを仕入れてある。

じっくり煮込んでしっかりスープが取れたら、魔法が得意なメイドが詠唱を始める。

水を司る精霊ウンディーネの力を借りて、スープを冷ますのだ。


「さて、スープが冷めるまで時間があるのニャ。暇なんで、ハッター先生に聞きたいことがあるんニャけど?」


チェシャ子に呼ばれて、またもズボンを直しながらマッドハッターが厨房に入って来た。


「な、何じゃ? 全く、年寄りの楽しみを邪魔せんで欲しいわい……」


マッドハッターからすえた臭いがするような気がするが、チェシャ子は気付かないフリをして話を続ける。


「はぐれ山に巣くってたドラゴンもなんニャけど、どうして竜族ってのはこう、長ったらしい仰々しい名前なんニャ?」


チェシャ子は旅の間ずっと疑問に思っていたことを打ち明ける。

あぎと谷の急流を支配していた山椒魚みたいなヤツは『仄暗き激渦の主』。

ドワーフ王国跡の遺跡のウォームは『山穿つ地震の大蛇』

奴らの王は『翡翠鱗の竜王』。

たぶん、取り巻きのワイバーンどもにもそんな感じの名前があったのだろう。


マッドハッターはふむ、と髭を弄る。その拍子に、再びズボンがずり下がる。


「あやつら、変に知能が高いもんじゃから、生まれた時に親と先祖の名を受け継ぐんじゃ。じゃから、本名はめちゃくちゃ長いんじゃよ。竜族は元来プライドの高い生き物じゃからの。悪行の限りを尽くして伝承とかに名が刻まれるじゃろ? 本名だと長すぎて覚えられんから、インパクトアップの意味も込めて、かっこいい二つ名を名乗って、威厳を知らしめようとしとる訳じゃ。」


チェシャ子は思わず吹き出す。

あんな反則的な化け物が、そんなくだらないことを考えていたのかと思うと、何だかちょっと可愛くすら思える。

しかし、だったらもっと簡潔な名前にすればいいのに。中二病じゃあるまいし、アレではどっちにしろ覚えづらい。

マッドハッターは話を続ける。


「いやいや、本名はもっとすごいぞ? ぬしらが戦った翡翠鱗の竜王なんぞ、『オスカー・ゾロアフター・ファドリグ・アイザック・ノーマン・ヘンクル・エマニュエル・アンブロイズ・ディグス』じゃぞ? (よし、噛まずに言えた!)あやつ、幼体の頃は三つ目のミドルネームより後の頭文字から”PINHEAD(おバカ)”と呼ばれて悔しがってたの~。」


チェシャ子は絶句して納得した。なるほど、何だか竜の気持ちがわかった気がする。

でも、あの恐ろしい竜王の幼い頃を知っているなんて、ハッタ―先生は何者なんだろう? とチェシャ子は不思議に思うのだった。


そうこうしているうちに、大鍋が冷めてきた。

屍人形<アリス>たちは虫取り網のように大きな網杓子を鍋に突っ込み、スープの表面の固まった脂を取り除いていく。

余分な脂が除かれ、さっぱりとしたスープが出来上がった。

そこへ、マンドラゴラの実を投入。あぎと谷の岩塩を細かく砕いて味付けし、実が柔らかく再び煮こんだら全行程終了。

ヨモツヘグイ・竜のテールを使用した『神の薬膳料理<ソーマ>・竜のテールスープ』の完成だ。



【竜のテールスープ】


・材料

竜の尾肉:1t

マンドラゴラの触手:500本

マンドラゴラの実:50匹

生姜:1.5kg

にんにく:1000個

酒:50L

水:3000L

あぎと谷の岩塩:適量(直径1mは必要か)

※ハートのクイーンが満足する分量です。


[1]鍋に水を張り、強火で竜の尾肉を下茹でする。沸騰したら中火で10分茹でる。

[2]流水で竜の尾肉を丁寧に洗う。

[3]もう一度鍋に水を張り、竜の尾肉、マンドラゴラの触手、生姜、にんにくを入れて強火で煮る。

[4]沸騰したら酒を加え、中火よりやや弱火で1時間半じくり煮込む。

[5]具材を取り出し、スープを冷まして固まった脂を取り除く。

[6]具材を戻し、いちょう切りにしたマンドラゴラの実を入れ、実が柔らかくなるまで煮る。

[7]あぎと谷の岩塩で味を調えて完成。



食欲をそそる肉の香り。にも拘わらず、スープは聖なる泉のように澄んでいる。

瞳を輝かせながら滝のように涎を垂らすチェシャ子を見て、99号は味見をするかと尋ねる。

首が千切れんばかりに縦に振るチェシャ子。99号はスープで満たされた椀をチェシャ子に渡す。

ほかほかと立ち昇る湯気に鼻孔をくすぐられ、チェシャ子は思わず椀にがっつく。猫舌な彼女は出来立てスープの熱さに少々悶絶するが、その香りの魔力には抗えない。

物凄い勢いでスープをふうふうして、脇目も振らずに一気に飲み干す。ゆっくりと椀を降ろしたチェシャ子の表情は、とろんとしていて心ここにあらず。意識が桃源郷を彷徨っているようだった。

99号がチェシャ子の目の前でパン、と手を叩くと、ようやく彼女の意識は現世に戻って来たようだった。


「……ハッ!? あ、あまりの美味しさに昇天する所だったニャ……おかわり! おかわり欲しいニャ!」

「ダメ。女王の分が減る。」

「そ、そうだったニャ……」


チェシャ子は名残惜しそうにカラの碗をぺろぺろ舐める。

だが、これならいける。この『神の薬膳料理<ソーマ>』であれば、クイーンの舌を満足させて尚、呪いを解くことができる。

ほんの少しだったが、至福と呼んでも良い味を体験した彼女は、そう確信して再びホイッスルを吹いた。

屍人形<アリス>たちが力を合わせて大鍋を持ち上げる。診察室の壁には、他よりもひときわ大きい扉が現れる。

彫刻があしらわれた豪華な造りのそれは、女王の間へと続く扉だ。


「待つのだ、おまえたち! そんな汚れた格好で、女王様に謁見するつもりか?」


白ウサギはいつの間にか、新品のメイド服と燕尾服を携えていた。

99号とチェシャ子は新たな服を受け取り、急ぎ着替え始める。

チェシャ子は白ウサギにこちらを見るな、と訴えるが、白ウサギはお子様には興味ないと言わんばかりに鼻で嗤う。その言葉にむかっ腹を立てたチェシャ子はズボンに足を通しながら渾身の回し蹴りを放つが、白ウサギは事も無げに身を翻し、躱してしまった。


またしても地響きが館を揺るがすと、玉座の間――クイーンの居わす部屋へと続く扉が、重苦しい音を立てながらゆっくりと開いた。



2.

「女王様~♪ 美味しいお食事ができ……」


ベシャッ! ドシャッ!


意気揚々と女王の間へと入ったチェシャ子の眼前に、肉片が叩きつけられる。

ハートのクイーンの機嫌を取ろうとして、怒りを買ってしまった屍人形だ。

チェシャ子は飛び散った血反吐をもろに浴びてしまう。


「ニャーーーっ!? せっかく着替えたのにぃ~!?」


全身赤黒く染まり、悲鳴を上げるチェシャ子を押しのけて99号が前に出る。

目の前には、見上げんばかりの巨大で醜い肉塊が、玉座の上で身悶えしている。


「グ……ギ……ゲ……腹が……減っタ……!!」


肉塊の遥か上方、落ちくぼんだ場所にあるギラギラとした双眸は、瞳孔がぐるぐるとあちらこちらへ高速移動している。

クイーンの発作が既に臨界を超えようとしているようだ。


ゴッ!!


ふいに放たれた、まるで壁が飛び出してきたかの如く巨大な拳による薙ぎ払いを、99号はひらりと躱す。

その先でクイーンの命令を待っていた屍人形<アリス>たちが、哀れにも拳と壁の間に押しつぶされてしまう。

99号は表情ひとつ変えずに、背後で大鍋を支える屍人形たちに合図する。


「女王、食事の時間。」


礼節の欠片もない言葉だが、今まさに振り下ろされんとしていた拳が、サラサラの金髪の寸前で止められる。

凄まじい風圧が、爆発したかのように部屋の四方へと弾ける。大鍋を支える屍人形が何人か天井まで巻き上げられ、大鍋はあわやひっくり返る所だったが、何とか無事にクイーンの前へと供される。


「……ほう、ずいぶんとお喋りになったもんだねぇ? 99号……」


いつもはクイーン方から語り掛け、答えるのみだった99号が、自分から話した。

以前と違う彼女の雰囲気を訝しみ、クイーンは殺気の籠った視線を彼女に投げかける。

チェシャ子は生きた心地がしなかった。


99号は大鍋に飛び乗り、大きな蓋を両手で持ち上げる。

露わになった鍋の口から、香り高い湯気がもくもくと立ち昇る。その湯気を浴びた瞬間、クイーンのギラギラと猛り狂った目が穏やかな光を取り戻す。

正気に戻ったクイーンは、屍人形が数十人がかりでようやく運んだ大鍋を、軽々と持ち上げてその香りを楽しむ。

湯気が栓を抜いた風呂桶のように渦を巻き、肉塊に穿たれた二つの大穴――クイーンの鼻に吸い込まれていく。


「……良い香りじゃないか……こりゃ美味そうだねぇ」


肉塊の発したしわがれた、それでいてゆったりとした声を聞き、チェシャ子は小さくガッツポーズを取る。

クイーンが珍しくお褒めの言葉を口にしている。これは大いに期待できるのではないか。


巨大な肉塊がばっくりと割れ、底なしの崖のような裂け目が現れる。クイーンの口だ。

二本の大木のような腕が、大鍋を傾け、中身をその裂け目へと流し込む。

奈落へと落ちる滝のように、どばどばと、ただただ無機質に流し込まれるスープ。味わいも何もあったものではない。

おそらくこの世界で数える程しかないであろう最高の素材<ヨモツヘグイ>を使った、これ以上はない至福の味であろう神の薬膳料理<ソーマ>が、ものの数秒で”処理”されてしまった。


どすん、とカラになった大鍋が置かれ、後に残ったのは大音響の下品な曖気。

これほど作り甲斐のない料理があろうか。

だが、醜悪な肉塊は満足したようで、裂けた断崖のような口の端を吊り上げ笑っている。


「……さっぱりとしているのに、しっかりとしたコク……マンドラゴラも柔らかく、甘く、肉の旨みと混然一体となって、素晴らしい味のハーモニーを奏でている……」


チェシャ子も、白ウサギも、99号でさえも、我が耳を疑った。

とてもクイーンの言葉とは思えない、理知的な味の感想が、ただただ貪るだけの凶悪な口から洩れたのだ。

三人と生き残った屍人形<アリス>たちが、一斉に肉塊に注目する。


「……でもねぇ……肉が足りないねぇ? 野菜ばっかしで食った気がしないわ……何だいこりゃ、大蜥蜴か何かの肉かい?」


はぁ?

チェシャ子はクイーンの御前で、思わずそう漏らしそうになってしまった。

いやいや、食材はアンタと大体同じくらいの大きさのドラゴンの尻尾だよ! 足りない訳あるか!

とツッコミたかったが、そんなことをしたら自分は床の沁みと化してしまう。


おそらく、『翡翠鱗の竜王』の強さの秘密は、マンドラゴラと同じ。長くパンテーラの地に巣喰ったことで、クイーンの魔力を無自覚に吸収し、あれほどの化け物に成長したのではないか。

もしかしたら、元の竜王はクイーンの言う通り、『竜擬き<ドレイク>』程度の存在だったのだろうか。

それを徹底的に痛めつけ、本体から切り離した肉を煮込んでしまったせいで、魔力が抜けてしまったのかもしれない。


しかし、どうだろうか。巨大な肉塊がみるみる縮んでいき、徐々に人の形に変化していくではないか。

しばらくすると、そこにあった醜悪な肉塊はもはやなく、一人の絶世の美女が佇んでいた。

サイズの合わなくなった巨人サイズの特注ドレスをクッション代わりに腰かけ、優雅にダークブラウンの長い髪を掻き上げる全裸の彼女。

ハートのクイーンの真の姿である。


「!? ぃやったのニャ~! やっぱり腐っても竜の肉、女王様が元の姿に戻ったのニャー!」


チェシャ子は思い切り万歳しかけた所で、びくりと縮こまる。


「ほほほ……異な事を言うものよな、チェシャ。わらわは元からこうであろう?」


先程までの化け物じみたクイーンとは打って変わり、優しい物腰ではあるが、その視線は恐ろしく冷たい。


「首……刎ねてほしいかや?」


太っていた事実を彷彿とさせる言動は許されない。クイーンのプライドをほんの引っ掻き傷程度でも傷つけた者は、有無を言わさずその首が胴体と永遠の別れを告げることになる。

チェシャ子は冷や汗を滝のように流しながら、床に額をこすりつけて平身低頭する。


「女王。今日のスープは、チェシャ子が手伝ってくれなかったら作れなかった。」

「……ほんに、おまえは主に対する礼儀がなっておらん。であるが、先程のスープの出来は良かったぞ。その味に免じて、今日のところは許してやろう。」


クイーンは満足そうに笑みを浮かべ、口元を抑えて上品に笑う。つい先程まで醜悪な肉塊の姿だったとは思えないエレガントな振る舞いだ。

だが、99号の片足を失い、全身がバラバラになりかけている酷い有様を見ても、彼女は気遣う素振りを見せなければ、労いの言葉をかけることもしない。

ただ一言、下がって良し、とだけ言った。

それでも、女王の癇癪が納まっただけマシだ。”蝕欲”の呪いも解け、これで国を押し潰すようなこともないだろう。

99号は縫い目の解けかけた腕で、土下座のポーズのまま腰を抜かしているチェシャ子に肩を貸す。


「す、すまんのニャ。99号もガタガタなのに……早くハッタ―先生の所で、ちゃんと縫ってもらおうニャ?」

「問題ない。」


99号とチェシャ子は、去り際に敬礼しようとクイーンの方へ向き直る。

クイーンは口元を隠すポーズのまま、動かなくなっていた。何か様子がおかしい。

チェシャ子は目をこすり、もう一度クイーンを見てみる。何だか、少しぽっちゃりしたように見える。

そんなバカな。目をぱちぱちさせて、何度もクイーンを見直してみるが、その度にクイーンが太っていっているように見える。

十何回目かの瞬きの後、嫌でもその事実を認めざるを得なくなった。

クイーンは確実に巨大化し、元の肉塊に戻ろうとしている。


「えぇえ~~!? 何なんニャ、この人!? 風船じゃあるまいし!」


つい本音が出てしまう。

幸い、それはクイーンには聞こえていないようだった。

少しの間にすっかり醜い肉塊に戻ったクイーンは、不機嫌そうに唸り声を上げる。


「腹……減っタ……!」


やはり、クイーンの魔力の影響でパワーアップした程度の紛い物ではダメだったようだ。

目の前で起こった信じられない光景に、チェシャ子は顔面蒼白になり99号に縋りつく。


「ど、どどど、どうするニャ? もう竜のお肉は女王様が全部食べちゃったし……」

「他の食材を探しに行くしかない。」


99号の淡々とした返しに、チェシャ子は絶望の雄叫びを上げる。

クイーンも屋敷を揺るがす程の凄まじい腹の虫を響かせる。


その日、猫の鳴き声と雷のような地響きが同時に聴こえたと、近隣の村々では噂になっていた。

村人たちは、Down the Rabbit holeに遭った者の呪いだと、いたずらに怖がるのだった――



3.

あれから数年後――


「ひゃーはははは! 奪え奪え!」


男たちの下品な笑い声が、静かだった月夜の村に響く。

家々は燃え上がり、群青色の夜空を赤く染め上げていく。

魔王と名乗る侵略者が現れて以来、こういった小さな村がならず者や魔物に襲撃される事件は日常茶飯となっていた。

この世界とは異なる闇の世界、魔界を治めるという魔王。その者が、魔族と呼ばれる強力な魔力を秘めた種族を率い、人間という種全てに対して宣戦布告してきた。

各地では人間の国の軍隊と魔族の軍隊による小競り合いが続き、世は戦乱の時代となっていた。


そんな時代、軍隊が駐屯する街や、傭兵を雇える財力ある貴族の庇護下にある村はまだいい。

自給自足で細々と暮らしているような、戦力を持たない小さな村などは、今の世の中、悪党共の餌食となる他ない。

今朝までは長閑で平和に暮らしていた、この山間の貧しい村にも、遂に盗賊の魔の手が伸びて来た。

魔族に敗れ落ち延びてきた騎士崩れか、傭兵団からつまはじきにされたはみ出し者か。人相の悪い武装した男たち数十人が、村に火を放ち食料や金目の物をかたっぱしから奪っていく。

村に住む者たちは後ろ手に縛られた上、一か所に集められ、盗賊どもに武器を向けられ怯えている。

先程、畑を耕す鍬を手に、勇敢にも立ち向かっていった農夫がいたが、敢え無く返り討ちにあってしまった。その凄惨な光景を見て、村人たちはもはや抵抗する気力を失っていた。


「お頭ぁ! これで全部のようですぜ!」

「けっ、しけた村だぜ。」


村で一番広い畑の一画が無惨に踏み荒らされ、そこに家々から奪った家具やら服、少々の貴金属と金貨が集められる。

これだけ小さな村だ。その量はたかが知れている。

盗賊団の頭領と思しき、他の男たちよりも少しだけ立派な鎧を着込んだ男は、唾を吐いて悪態をつく。


「ま、こんなでも売りゃ金にはなるわな。へへっ、まったく魔王様さまだぜ! 王国の軍隊は魔族との戦に大忙し! お蔭さまで、俺たち盗人は目を付けられることなく仕事に精を出せるってわけよ!」


盗賊たちは下品に笑う。


「だが、さすがにこれじゃ分け前が全員に行きわたらねぇ。そうだなぁ、何か他に代わりになるモンを……」


そう言いつつ、頭領はわざとらしく村人たちの前をウロウロと歩いてみせる。しかし、その目線は明らかに若い女たちへと向けられている。

女たちは盗賊共の考えを察しているのか、身を縮こませて震えている。村の男たちは、いざという時には女たちの盾となるつもりなのだろう。彼女たちを囲むようにして、盗賊共を睨み付ける。

だが、その行為は悪党の下卑た神経を逆撫でしただけだった。


「何だぁ、そのツラぁ? てめぇ、自分の立場わかってんのか!」


盗賊の一人が、無抵抗の村の男に向かって剣を振り上げた。

男の妻らしき女が、彼を庇うように飛び出し、どうかお慈悲を、と懇願する。

だが、頭領も他の盗賊共も、ニヤニヤと嗤いながら、やれ、やれと囃し立たてるばかりだ。


「ひゃっはー! 死ねぇーーっ!」


盗賊の剣が振り下ろされようとした、その時だった。


――待てぇっ!――


若い青年の凛とした声が響き、盗賊は思わず剣を止める。


「そこまでだ、悪党共! 僕が来たからには、貴様らの好き勝手にはさせないぞ!」


盗賊たちも村人たちも、一斉に声のする方へと注目する。

炎に明々と照らされたその姿は、金色の鎧に身包み、毛皮のマントをなびかせている。髪は赤く、獅子の鬣を思わせる。

その傍らには一人の女性。水色のローブを羽織り、頭に被るエナンもやはり水色で、背中の方には長い亜麻色の髪を二本に束ねた三つ編みがたなびく。

盗賊たちは、彼らの姿に下品な笑いをさらに声高にする。


「ぎゃはは! 何かと思えば、まだ若造じゃねぇか!」

「子供はもう寝る時間だぜぇ? 何しに来たんだ、坊ちゃん嬢ちゃん。」

「いやいや、女の方はなかなか上玉じゃねぇか? 売れば金になるぜ!」

「げへへ、その前にちょいと大人の怖さってヤツを教えてやらねぇか? なぁ……ひへへへぇ!」


盗賊たちのうち、何人かが彼らに近づいていく。

ある者は短剣をくるくると弄び、ある者は斧の柄で肩を叩く。これから起こる一方的な虐殺を想像して悦に入っているのだろう。無理もない、誰がどう見ても多勢に無勢だ。

しかし、赤い鬣の青年は一歩も引くことなく、腰に挿している剣を抜いた。


――獅子奮刃!!――


青年の掛け声と同時に、獣の爪牙のような斬撃が地面を大きく抉る。

その衝撃で、盗賊たちは放り投げられた人形のように上空へと巻き上げられ、地面へと叩き落とされる。が、致命傷ではない。多勢相手にも関わらず手心を加えられた。盗賊たちは青年の強さに戦々恐々とする。

頭領は青年を睨み付け、何者かと問う。


「僕の名はリオン! リオン・シーザー! ライオンハートを継ぐ者にして、竜の血を受けし者! 獅子の意志と竜の力を合わせ持つ正義の騎士!」


青年はきりりとした表情で、これ見よがしに剣を構える。若干、頬が赤らんでいる。


「人は僕を全ての獣の頂点に立つ者、『全獣の王』と呼ぶ!」


決まった、と思う反面、大袈裟な口上に照れてもいるのだろう。傍らに立つ三つ編みの彼女は軽くため息をつく。

残る盗賊と頭領は一瞬あっけにとられるが、すぐに腹を抱えて笑い出した。


「ぶはははは! 何だそりゃ? だっさ!」

「ぜんじゅうの、おう? 語呂悪りぃ~!」

「獅子なのか竜なのかどっちだよ? 設定盛りすぎだろ!」


鬣の青年、リオンはさらに顔を真っ赤に染めて狼狽える。

一生懸命考えて、格好良いと信じて疑わなかったポーズと口上だったのに。

盗賊だけでなく、村人たちの中でもフッ、と吹き出しかける者もいる始末だった。


「はぁ……リオン、正直あいつらの言う通りよ。あんた、センスなさすぎだわ。名乗りは後で私が考えてあげるから。」

「そ、そんなぁ、ドロシー……」


味方であるはずの三つ編みの彼女にまで一蹴され、リオンと呼ばれた青年は肩を落とす。

三つ編みの彼女、ドロシーはリオンの背を平手で叩き、今はそんな場合ではないと発破をかける。

盗賊の頭領は、彼らのやり取りに苛立ちを覚えたようだった。完全にナメられていると思ったのだろう。


「ガキども! 俺らの仕事の邪魔して、ただで済むと思っちゃいねぇだろうな? 少しはやるようだが、これだけの人数相手にどうにかなるわけねぇだろうが!」


リオンとドロシーを、数十人の盗賊たちが武器を構えて取り囲む。

一斉に襲い掛かられたら、たった二人ではひとたまりもないだろう。逃げ道もなく、誰がどう見ても絶体絶命だ。

村人たちも、一時は助けが来たと喜んだのも束の間、再び絶望の淵へと追いやられる。


「バカな奴らだ……こんな小さな村、放っておいて素通りすりゃ良かったのによ。このご時世、人助けなんて何の得にもなりゃしねぇ……」


そう言う頭領も、ほんの僅かだが寂しげだった。きっと、彼も元々好き好んで盗賊に身をやつした訳ではないのだろう。

このご時世だ。そうでもしないと生きられなかったのかもしれない。しかし、だからと言ってこんな蛮行を見過ごす訳にはいかない。


「こんな時代だからこそだ! 魔王の恐怖に屈し、自分だけが生きられたら良いと悪事に手を染めるなんて、魔物や魔族と変わらないじゃないか!」

「うるせぇ! 寝言は寝てから言いやがれ! 今、永遠の眠りにつかせてやるからよ!」


毅然と言い返すリオンを黙らせようと、頭領は手下たちに合図する。

盗賊たちはリオンとドロシーに一斉に襲いかかった。

いや、襲いかかろうとした。だが、彼らの足は何かに掴まれたかのように地面に縫い付けられ、動かなかった。


「な、何だこりゃぁ!?」


事実、盗賊たちは自分たちの足が、地面から無数に生える黒い腕に鷲掴みにされているのを見て、恐怖におののいた。


「いや、まったくだ。俺は頭領さんの言うことに賛成なんだがな……でもまぁ、こんな俺でも仲間を傷つけられるのは見たくないんでね。」

「やっと追いついたの? 遅かったわね、クロウ。」


いつの間にそこにいたのか。

黒いマントで全身を包んだ長身の男――声からして男だろう――が、リオンたちと盗賊の頭領に挟まれて立っていた。

頭もフードですっぽりと覆われ、まるで生命感を感じない不気味な佇まい。だが、その黒マントの男と三つ編みの女は知り合いのようで、軽口を叩き合っている。


「てめぇ、いつからそこに……ひっ!?」


ふと、フードの隙間から垣間見えた男の顔を見て、盗賊の頭領は震え上がった。

その男の顔は、人間の物ではなかった。藁で出来た人形? ……少なくとも、頭領にはそう見えた。


「ふん。俺の術で助かったんだ、感謝して欲しいもんだな。さて、こいつらはもう動けねぇ。殺っちまうなら今だぜ。」

「そ、そんな。そこまではしないよ! 話し合いで何とか穏便に済ませられないかな?」

「おまえ、さっき盗賊どもをぶっ飛ばしてたじゃねぇか。何を今さら……」

「え、いやあれは、武器持って近づいてくるし、怖くてつい……」

「はぁ……だから、今はそんなこと言ってる場合じゃないでしょ。早く村の人たちを解放してあげないと。こいつらの処遇は後で決めましょ。」


盗賊の頭領は、訳も分からぬまま形成逆転され、今では自分たちを無視して勝手に処遇だの何だの話を進める若者たちに、怒りを募らせる。

足が動かなくても手は未だ自由だ。懐に忍ばせていたナイフを取り出し、青年の首元を狙う。


「がっ……!?」

「リオン!?」


ナイフは狙い通り、青年の首へ深々と突き刺さった。

ナイフの刃先には『毒百足<アンクヘッグ>』の猛毒が塗ってある。どんなに強い騎士だろうが勇者だろうが、人間である以上これで死なない奴などいない。

青年は力なく崩れ落ち、三つ編みの彼女に支えられる。捕らわれの村人たちからも悲鳴が上がる。


「今だ、呪縛を解け!」


頭領は、盗賊共の中でも一風変わったローブ姿の男に命令する。


「承知した、頭領。天にまします父なる――」


ローブ姿の盗賊が祈りの言葉を口にすると、盗賊共を拘束していた影の腕が苦しがるようにのたうち、地面に沁みこむように引っ込んでいった。

どうやら、神に祈ることで自らの身に降りかかった呪いを断ち切る、『解呪の奇跡<ディスペル>』を使用したらしい。


「呆れた。神官までいるなんて。」

「ふん。まぁこのご時世だ。神職でも身を持ち崩すことがあるんだろうよ。」


三つ編みの彼女と黒マントの男は、ローブ姿の盗賊に軽蔑の眼差しを向ける。


「何とでも言え。既にお仲間の騎士はアンクヘッグの猛毒ナイフでくたばった。この人数相手にどうするつもりだ? 今度は怪しげな術を唱える暇もやらねぇぞ!」


盗賊共は、どいつも勝ち誇った顔で包囲網を狭めてくる。

ところが、ドロシーという女もクロウと呼ばれた黒マントの男も、慌てる様子もない。仲間が殺されているにも関わらず、だ。

若者たちの尚もナメ腐った態度に、盗賊の頭領はいい加減にしろと言わんばかりに怒号を上げた。

盗賊共が一斉に二人に襲いかかる。


しかし、それもすぐに中断される。

盗賊共は思わず立ち止まって目を見張った。


「ぶはっ!? わわわっ、助けて! 痛い、痛い! 死んじゃう!」


毒ナイフにやられたはずの青年が、何とナイフを喉に突き刺したまま起き上がったのだ。


「うーん、どうしよう? これ、今抜いたらすごく血が吹き出そうよね……あっ、傷がもう塞がりかかってる。良かった、これなら大丈夫そう。」

「やれやれ。おまえ、竜の血を飲んだんだから平気だろうが。」

「いやいや! 不死身って言っても、ちょっと頑丈なだけだからね? 体がめちゃくちゃに損傷したり、窒息したり重い病気にかかったら、普通に死ぬってドロシーのお婆ちゃんも言ってたじゃん!」


場を弁えずに騒ぐ若者たちを前に、盗賊の頭領はもはや怒る気も失せてしまった。

それどころか、今では戦慄すら感じる。

彼は風の噂に聞いたことがあった。竜の血の祝福を受けた不死身の勇者が、魔王を倒すために旅に出た、と。


「ま、まさか、お前らが、魔王討伐の勇者……?」


頭領は冷や汗を滝のように流しながら、彼らに問うた。


「だから、さっきそう名乗ったってば!」

「へっ。まぁ、あのセンスじゃあな。」

「二人とも、ふざけてないで真面目に戦うのよ。おいで、トト!」


憤って剣を構え直す青年の風貌は、確かに噂通りだった。

不死身の肉体を持つ、金色の鎧の騎士・リオン。

甲冑を継ぎ接ぎして作られたような、鉄製の獣型ゴーレムを操る魔法使い・ドロシー。

未知なる闇の魔法を操る、人間ならざる呪術師・スケアクロウ。


今、まさに目の前にいる若者たちこそが、勇者一行だったのだ――



さらに数年後、彼らは見事魔王を倒し伝説となるのだが、それはまた別のお話。



<完>

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

不思議の森のマッドティーパーティー ~竜のテールスープ~ M2BOZE @M2BOZE

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ