八月某日 月曜日 午前十一時 ①

 神社と鍾乳洞の駐車場に戻ってくると、まだぽつりぽつり参拝者の姿があった。

 さっと石段を通り抜け、社務所に戻ってくると玄関に教授以外の靴があった。神主が来ているのだろうと思い、和室に入ると案の定その二人の姿があった。

「お忙しい中、わざわざすみません」

 九曜はそう言いながら和室に入っていく。

「いや、謝らなければならないのはこちらだ。せっかく来てくれたというのに」

 神主はそう言ったが、雪上は首をふる。

 九曜は雪上に出立の用意を促したので、自身の身のまわりの品を片付けた。その間、九曜は自身と教授の使用していた布団を布団袋に片付けていたのを見て、雪上も自分の使っていた布団を九曜の見ようみまねで袋につめる。

 ちょうどその時に、玄関の呼び鈴がなり、雪上が立ち上がり玄関に向かう。

「どうも、布団の回収にきました」

 長身の男性が、威勢の良い声でそう言った。

「はい、今持ってきます」

 矢次に返事をして、小走りに和室の部屋から布団をせっせ、せっせと運ぶ。その時に、ああ、もう本当にここから立ち去るのだなと身を持って実感した。

 雪上が布団を運んでいる間、九曜は和室の掃除をしていた。

 教授も雪上が布団を運びやすい様に和室の入り口に並べてくれたり、なんとなく九曜の掃除の手伝いをしている。それは床に置かれた荷物を別の場所にうつしたり。その位のことだったけれど。

 神主は途中で部屋を出て行ってしまったらしく、雪上が布団を全て渡し終え、戻って来る時に廊下で鉢合わせた。

 ペットボトルのお茶を抱えている。雪上を見て、ジェスチャーで先に部屋に入る様に促した。

 会釈をして先に和室に入る。

「神主さん、このテーブル別の部屋から持って来たものですが、戻しますか?」

 そういえば、部屋に鎮座したローテーブルは、ここに来た初日に九曜と二人で運んだ。あの時は、東子が居たのだと思って胸が重くなった。

「そこに置いたままで構わない。邪魔になれば、どこかへ運ぶから」

 神主の言葉に、九曜はわかりましたと、机をそのままに自身の荷物の元へ向かった。

 神主は持って来たペットボトルをそれぞれ配って歩く。その際に何のお構いも出来ず申し訳ないと詫びていた。

 雪上のところでも同じことを言ったので、

「いえ、こちらこそ東子さんや皆さんの事件に関してなにも力になることができなくて」

 これは雪上の本心であった。

 何か力になりたかったが、雪上一人ではどうすることも出来ず、結局なにも出来なかった。

 鍾乳洞の抜け道についても手掛かりはわからず、現在は閉鎖されているため、確認に行くことも出来ない。

 そう言えば、九曜はなにかわかったような言い方をしていたが、何が分かったのだろうか。雪上には見当もつかない。

「いえ、あれは蒼龍様の怒り。そのための事故だったのでしょう」

 神主は神妙な表情を見せる。雪上はその言葉になんと答えていいのかわからず、沈黙した。

 それに答えたのは九曜であった。

「では、社務所で貴方が襲われたのも蒼龍の仕業であったと?」

 神主はそんなことすっかり忘れてしまっていたのか、思い出した様に目を白黒させていた。

「えっ……ああ、そうでした。娘たちの事で頭が一杯になってしまっておりまして、自分のことは二の次で、お恥ずかしい限りです。あれも恐らくはそう言った意味だったのでしょう」

 現に犯人は見つかっていませんし。と、言葉を結び、感慨深く自分の言葉に頷いている様だったが、九曜はそれを追求した。その声は硬質で一切の感情も含んでいない。

「あの時、貴方は『誰かに襲われた』と、そう言いませんでしたか?」

 神主は視線を彷徨わせる。

「いや、一瞬の事だったのではっきりとは……それに、もう全て終わったことです」

「終わった? 本当にそうですか? まだ終幕は迎えておりません」

「それは一体?」

 神主は片眉をつり上げ、懐疑的な視線を向ける。

「言葉の通りです」

 ぴしゃりと、九曜はそう言って見せるが、言葉の意図が分からない。今の段階では雪上もどちらかと神主側の肩を持つ。

「それはつまり……私が、誰かに殺されると。そう言うことでしょうか?」

 神主は恐る恐るの口調でそう言ったが、「いえ、まさか」九曜はそれも全否定した。

 流石にからかわれていると思ったのか、神主はイライラとした様子で、

「君が何を言いたいのかさっぱりわからない。後生だからはっきりと言ってくれないかね」

 なるべくイライラとした気持ちを隠しながらも、どちらかと言うと哀願するような声が九曜に向けられる。

「つまり、事件の幕引きはまだであると。私は単純にそう言いたいだけです」

「”事件”……それはつまり?」

 神主はその単語に顔色を変える。

「私はこの一連の出来事をとある人物が引き起こした殺人事件と捉えています」

「……」

 神主は何か言おうとしたが、ぐっとこぶしを握り締めて押し黙った。

 雪上も何も言えなかった。と言うのも、九曜の物言いが一刀両断。反論を許さない、そんな言い方をしていたから。

 九曜は誰もなにも言わないことをいいことに。まあ、それをわかっているかの様な素振りであるが、一人立ち上がると部屋の中をうろうろと歩き始める。

 教授を見ると、視線を背け、ここではない何かを見つめている様だった。興味がないのか。もしくは、こうなることを全て予測していたのか。

「私は今回のことは一連の事件だと考えています」

 九曜は立ち止まり、再度そう言った。

「一連のと言うと……ここにいる皆さんはこの町の噂をもう耳にしていらっしゃるのでしょうから、恐らくご存知と思いますが、十年前に亡くなった……いや、儚く命を奪われた、私の娘の、あの事件からと言う意味でしょうか?」

 神主は西片南の名前を出すことはしないものの、その話をした時、心をえぐられ傷から血が滲みだす、そんな表情を見せる。

「いえ、それは違います。西片南さんのことは――私も人づてに聞いただけですが、本当に残念な事件だったと。話を聞いてそう感じました。ですが、その事件の犯人はすでに警察の手によって逮捕され、犯人も未だ塀の向こうに居るのだと。ですから、今回の事件には、全く関係ありません。ただ、この町の人は時系列関係なく三人の娘さんが命を落とした――単純に”死”と言うその事実に鍾乳洞との因縁を感じていらっしゃるようには思いましたが」

 神主は今回の九曜の言葉については、同意を示すように頷いた。それから、大きく息を吐くと、顔をこわばらせ、視線を彷徨わせるが、覚悟を決めたように九曜を見据える。

「ええ……もう、今更ですかね。昔昔の話です。この町、この辺りと言った方が正確ですかね。鍾乳洞には蒼龍様がすんでいるとまことしやかに言われておりまして。天変地異などの災いが起こるのは蒼龍様の機嫌が悪いからだと言われていたんですね。それで、蒼龍様の木を沈めるために三人の娘たちが、定期的に村から選出され、鍾乳洞の中に放り出されました。蒼龍様に会い、許しを請い気を静めていただくまでは帰ってくるなと――要するに体の良い、村からの追放でした。災害があると、植物が育たなくなり、食料が減ります。つまり、集落全員分には足りなくなってしまう。現実問題、食い扶持を減らさなければならない。男たちは当時、働き手として重宝されていましたから」

「それで少女ばかりが」

 雪上は神主の話を聞いて思わず、ぽつり呟く。

 悲しい歴史である。

 しかし、この辺りとしてはそれと同時に知られたくない闇の歴史でもあるのだ。

 間違っても現代社会では、起ってはならないことだ。

 でも、雪上は神主の話をどこか遠い夢物語の様にも聞こえてしまう。自分の現実には全く考えられない話なので、リアルな想像が出来ない。それでも、本当にあった話なのだろうと、胸に刻みつけるように話を聞いた。

「少し、脱線しますが、神主さんは鍾乳洞に押し込められた少女たちが、隣町へ抜け出ていたこと。そんな話を聞いたことは? また、あの鍾乳洞の中に隠されている、もしくは、以前はあったが地形の変化などによって、今はない抜け道があると聞いたことはありませんか?」

 九曜がそう言っている間、雪上は神主の顔を凝視する。わずかだが、眉がつり上がり、驚いた表情を見せたのを見逃さなかった。その時、直感的に神主は何かを知っていると感じた。

「いえ、神主を受け継いでそれなりになりますが、そう言った話は、聞いたことはなかったかと」

 雪上の直感とは裏腹に神主はのらりくらり、明言を避ける様にそう話した。

「……もしかして、あの日の夜。娘さんである東子さんからその話を聞いたのではないでしょうか?」

 また、九曜はするどいナイフの様に言葉を突き刺す。

「あの日の夜? それは一体いつの?」

「東子さんが亡くなった日です」

――えっ……?

 雪上は思わずそう思ったのだが、あまりにも驚きすぎて言葉にならなかった。

 だって、それが意味することは……。

「ハハッ。九曜くん。一体、何の冗談を。冗談にしてもあまりにもたちが悪すぎる。多少のことは君たちが祥大の学生さんだからと目をつぶって来たのだが」

「でも、神主さん。アナタ、言いましたよね。事件のことで、気になる事。疑問に思ったこと。もしなにかあれば何でもいいので教えてほしいと」

 神主の顔色が良くなることはない。更にイライラとした表情を見せる。

「ハッ……そこまで言うなら、聞かせてもらおう。しかし、私や娘を侮辱するようなことがあれば容赦はしない」

 神主はぴしゃりとそう言って、どかりと胡坐をかく。

「じゃあ、まず。私が事件――殺人だとなぜ考えたかについてお話します」

 神主は納得いかないようだがこくりと頷く。

「雪上くんには少し話をした内容ですが、東子さんが鍾乳洞に倒れているのを見つけたのは、私と彼です。その時の状況について……雪上くん。君が見たままに話てみて」

 いきなり話を振られ、ドギマギしながらも、「うつ伏せに倒れていました。後頭部に出血と大きな傷がありました」と、そう答える。

「娘は鍾乳洞の遊歩道から外れた、鍾乳石の上で倒れていたと聞きました。つまり、運悪く足を滑らせたのだろうと」

 神主がそう言いかけたところ、すかさず九曜が反論する。

「もしそうだとしても、前のめりになって転び、うつ伏せに倒れたとするならば、おでこの辺りに傷があるはずです。違いますか?」

 神主はむっと顔をしかめ黙る。

「つまりですね。東子さんは後ろから誰かに襲われた。そう言いたいのです。しかも、付け加えるとするならば、襲われたのは顔見知りの誰か」

「なぜ、顔見知りの誰かだと断定できる?」

 神主はふんと腕を組む。

「東子さんの体には頭部以外の傷がないと、聞きました。それについては、警察の方で調べてくれているので信頼できる情報かと。争った形跡が一切ない。つまり抵抗した跡も。つまり、顔見知り、それもある適度、心を許した人物だと。そうではない限り、夜の鍾乳洞で自分の後ろを歩かせる様な真似はしないでしょうから」

「君が言っていることを正しいと仮定した所で、対象者は沢山いるのでは? 東子は子供じゃない。いい大人なんだから、誰かと一緒に居たとても、特に咎めはしないし、おかしいなんて思わないだろう」

「まあ、そうですが……ともかく、話を聞いて下さい」

 九曜の制止を聞く様子もなく、神主は話を続ける。

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