八月某日 月曜日 午前十時半

 社務所に戻る前にガソリンを給油すると言って、ガソリンスタンドに寄った。

 車も人もいなかったが、のぼりがあり営業しているのはわかった。九曜がゆっくり入って行くと、店の中から一人の男性スタッフが出て来た。見覚えがあり、坂だとすぐに分かった。

 窓を開け、九曜が挨拶すると彼もすぐに気が付く。

「満タンで?」

「お願いします」

 坂はゆっくりと作業を始める。その動作のゆっくりさにも一番最初は違和感を覚えたが、流石にもう慣れた。

 逆に自分の住み慣れた町に戻った時に、皆がせかせかしていると、自分だけ取り残されるのではないかと思ったりもする程に。

 給油作業を終えた、坂が請求のレシートをもって運転席にまわる。

 九曜は請求された金額ちょうど出したので、おつりはなかった。その代わり。

「大変でしたね」

 九曜がそう言うとわかりやすく、坂は表情を落とした。

「東子さんに続いて、北華さんまで。本当に何かに呪われているのかと。違うとわかっていても、そんな考えが浮かんでしまいますね」

 そう言って、大きなため息を吐く。

「坂さんも参拝に? ……いや、変な意味はなくって、僕たち神主さんのご厚意で社務所の一室をお借りしているのですが、今朝くらいから神社へ参拝する方がとても増えまして」

「ああ、うちのは母親も朝早くに行っていましたね。私は行きませんでしたが」

 坂は真面目な表情とゆっくりとした口調でそう答えた。

「やはり、今回の事件には蒼龍の伝承が関わっていると思われますか?」

 先日会った見掛けた時はあまり話したくない様子でいたが、今日は九曜のしつこい追及に諦めたのかもしれない。まさかと鼻で笑った。

「うちの母親をはじめとした高齢の人はそう思っている人もいるみたいです。でもそんな、迷信はありえないでしょう。この現代社会、今の時代において。不幸な事件が重なってしまっただけだと。……ただ」

「ただ?」

 坂は大きく息を吐いた。

「恐らく、お二人も、もう誰かから聞いたと思いますが、西片さんのところはもともと三姉妹で。その皆さんが亡くなってしまうのはあまりにも……」

 坂はその入り組んだ感情どう表現したらいいのかと、言葉を彷徨わせ、仕舞いには表情が歪む。

「そうですね」

 九曜は彼の気持ちをわかっていますとでも言う様に頷きながらそう言った。

「スミマセン、最近、歳なのかちょっとした感情の起伏で涙もろくなってしまって。僕、個人としては昔から、東子さんも北華ちゃんものことも、もちろん知っているから、尚更色々と思うことがあって」

「それは当然のことですよ」

 きっぱりとそう言い切った九曜の言葉に少しだけ救われた表情を見せる坂だった。

「それで、皆さん……あら、教授さんは今日はいらっしゃいませんね。またこれからどこか調査へ?」

「いえ、実は今日にでも帰ろうかと話をしていたのです」

「え? ……まだ滞在予定の期間ではありませんでしたか?」

 葬儀にも出席するのでは? と、坂は聞き、九曜がそれは流石にと答えると、心底驚きながら、淋しそうな表情を浮かべる。

 数日だけの滞在であったにも関わらず、雪上達がそれなりに馴染んで居たのかと思うと感慨深い。

「まあ、僕もついさっき聞いた話だったんですけれどね」

 雪上は人との湿っぽい別れは好きじゃないので、あえて九曜に向け、皮肉めいた口調でそう言った。

「今朝、教授と話をして決めたことだったので」

 九曜の釈明に対し、軽い講義の声を上げた。これくらいは許されるだろうと思われる程度の。

「何やら、本当に急に決まったことだったのですね」

 なだめる様な、いつものゆっくりとした九曜で坂はアハハと笑う。

「ともかく、短い間でしたが、お礼を言いたくてこちらに寄らせてもらいました」

「そうでしたら、わざわざ思い出して来ていただき有り難うございます。また、沢町に来て下さった時には立ち寄ってくださいね。いつでも大歓迎ですから」

 坂は被っていた帽子を外し、深々と頭を下げる。

 九曜と雪上も軽く、会釈をし、車はゆっくりと発進した。

 ガソリンスタンドが見えなくなるまで、雪上は車のサイドミラーを眺めながら、――本当に何かに呪われているのかと、違うとわかっていても、そんな考えが浮かんでしまいますね。

 先ほどの坂の言葉が脳裏に浮かんだ。

 もしかしたら、今まで生贄として無惨にも命をなくした少女たちの怨念が、今回の事件を引き起こした。そんな可能性もあるのではないかとふと考えてしまう。

 穏やかな沢町とは裏腹に、あの鍾乳洞には底知れぬ大きな力が宿っている様に、心からそう感じられるのだ。

 それは、ここに住む多くの人があの鍾乳洞に入った瞬間に感じ取り、そして昔の人はそこに龍がいるとしたのだろう。

「やっぱり今日、本当に帰るのですか?」

 ぼうっと自分の考えに頭を巡らせ、この景色を見ていると、帰るのが本当なのかどうかもわからなくなってしまう。

「葬儀も始まるだろうし、長々とは居られないだろう。まさかこんな事件が起こるなんて、誰も想像もしていなかった。それに、現実問題として、喪服の用意なんてないからな」

 九曜の言葉もその通りである。当事者の神主さんにはこれ以上、御世話になる訳にもいかない。

「確かにそうですね」

「それに、お別れは家族水いらずで、過ごすべきだと。まあ、最後に神主さんと少し話をしたいとは思っている。このことは教授から神主さんに多分、我々が社務所を出てすぐに連絡をとってもらっているはずだから」

 だから、教授は社務所に残ると言ったのか。

「でも、事件については謎めいたままでしたね」

 事故なのか事件なのかも明確な回答はだせなかった。我々は”探偵”ではないので、仕方のないことなのかもしれないが、神主の依頼もあったことだし、お世話になった方々でもあるから、自分たちが出来ることがあればと、ずっと心のどこかに思っていた。

「いや、そうでもない。あらかた見当はついている」

「え? 本当ですか?」

 今までの九曜の素振りからは一切わからなかった。むしろ、今回の事については正直なところ、解決を諦めている、もしくは本当に事故であると考えているのではないかと思っていた。

「シンプルに。伝承も蒼龍も関係なしに考えてみた。つまり、誰か一番利益を受ける? また、さっき大川さんが言っていた、婚約したと言って反応がみたいと、東子さんが思ったのは誰だと思う?」

「え……」

 その言葉に頭が真っ白になった。雪上はその視点から事件を考えたことはなかった。

「わかりません」

 そう答える。九曜は頷いた。

「俺も考えて、考え抜いて。今、頭にあるのも推測でしかない。……実は朝、教授に話をしたんだ。俺自身の考えについて。本当は胸に秘めていた方がいいかと思ったのだけれど、神主さんには話をした方がいいと教授は言っていたから、最後に話をしようと思う。ただ、あくまでも推測で決定的な証拠はない。だから、君のわからない。と言う回答もあながち間違いではないのだ」

 雪上はふっと笑った。

 なぜ自分がこの時笑ったのか――九曜が訳の分からない言い回しをしたのが、面白かったのと、神主さんの手助けを出来るのがよかったからだと。そう自分の中に結論をつけた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る