八月某日 月曜日 午前九時半

 役場と聞いて、しかもこの小さな町で。雪上は古臭いコンクリートで出来た建物を想像していた。失礼なのは重々承知であるが、今までのフィールドワークの経験からそういった建物を見て来たことも事実だ。

 しかし、実際の沢町の役場は外壁は黒を基調としたスタイリッシュなもので、思わず目を見開く。中に入ると木材がふんだんに使われ、理知的な空間であるが、どこか温かみが感じられる居心地のいい空間だ。

 町民の窓口はいくつかあるようだが、職員は一か所に机を並べ仕事をしている。都会の煩雑な役所にくらべいたってシンプルだ。

 大川の名前をい出すと、彼はすぐに見つかった。

「こんにちは」

 大川は二人を明るい声で二人をでむかえたが、目の下に黒いクマのふちどり。明かにやつれている。

「こんにちは。先日はどうもありがとうございました」

 九曜の言葉に続いて、雪上も頭を下げる。

「今日は……鍾乳洞の事ですよね?」

「ええ、歓迎会の時に少しお話していたと思うのですが……」

 歓迎会の時に既に、九曜は大川は話をしていたのだなと知った。

「さっとですが探して見ました。いくつか資料をみつけましたので、よかったらあちらの部屋に」

 大川が指したのは、会議室とかかれた一室。

 資料を揃えて持って行くので、先に入って待っていて下さいと言われ、二人は素直にその言葉に従う。

 建物全体の天井は高く設計されており、開放的だ。

 会議室も壁は木材。椅子やテーブルなどの大きな備品は白を基調に揃えられ、清潔な印象を持つ。

「キレイでしょう?」

 雪上と九曜が見とれていると、大川が後ろに立っていた。資料やら、なにやら色々持っていて、ばさりと机に置き、扉を閉める。

「びっくりしました。失礼だったらすみませんが、想像していたのと言い意味で印象を裏切られて」

 雪上は素直にそう言うと、そうだろうとばかりに大川が頷く。

「実は、数年前に建て替えられたばかりなんです。その前の建物は、きっと想像していた通りのものだと思いますよ。……それで」

 アハハと乾いた笑みを浮かべながらも、持って来た資料に目を落とした時にはすっと真面目な表情になる。資料を机の上に並べながら、雪上と九曜に座る様に促す。が、九曜は立ち上がったまま、

「いえ、ぜひ資料を拝見したいので」と言って、大川の近くに行こうとしたが、「これらはお二人に持ち帰っていただけるように用意したものですからご安心ください」

「全てですか?」

「もちろんです」

 その言葉に安心したのか、今度は素直に椅子に腰を下ろす。雪上は既に椅子に座っており、用意してくれたという資料を眺めていた。既に見たことがある、鍾乳洞のパンフレットを含め、役場の方で調査した際に撮影したと思われる鍾乳洞内の写真を印刷したものもあった。

「役場で今、用意できるものが以上になるかと。正直、お出しできない資料も割とあったので、その辺りは申し訳ないのですが……」

「それは仕方ありません。大川さんにそんな法律などを犯して欲しい訳ではありませんから。それより……」

 九曜は身を乗り出して、資料を指しながら、質問を重ねる。

 大川は歓迎会の時に、一目見たくらいのキオクしかないのだけれど、実際に話をして感じたのは彼のざっくばらんな性格。そして知識の豊富さ。つまり、日々勉強している人なのだと思った。それは九曜の質問に的確に答え、その答えが全て的を得ていたことから。正直、雪上が聞いていて、少しわかりにくい、難しい回答もあった。

 そして何より、会話のテンポが速い。

「大川さん。ありがとうございます。色々と、わからなかった疑問点を埋めていただいて」

 大川はとんでもないとばかりに、首を振り、そう言えばと資料を手に取る。

「この写真ですが……」

 それは雪上も先ほどから見ていた、鍾乳洞内の写真である。

「ちなみに中は入られました?」

 大川の問いに九曜と雪上は顔を見合わせる。

「一度だけ」

 曖昧な言い方で雪上は答えたが、大川は「そうですか、よかったです。もしまだ中に入れていないのならと思って一応、用意したまでで」と、そこで言葉を斬って、こくりこくりと頷く。

「……私達が、中で倒れていた東子さんを発見しましたので」

 つらっと言った九曜と言葉に大川はぴきりと固まる。微笑みは凍り付き、本当に彼の時間が止まってしまったかの様に見えた。

「すみません」

 雪上が解けない凍った時間が耐えられなくなり、そう言った。大川はようやく、顔の表情を動かした。

「いえ、いや……お二人が、では、一度入った時に彼女を見つけ出してくれた方々なんですね」

 九曜も雪上も神妙に頷く。

「ありがとうございます。彼女を見つけて下さって、あんな真っ暗な所で一人。どれだけ心細かっただろうかと。考えるだけで」 

 大川は涙ぐんだ声と、感情に濡れた瞳を隠す様に深々と頭を下げる。

「やめて下さい。我々が特に出来たことなんてありませんでしたので」

 九曜の言葉が雪上の心にもしこりを残す。言葉の通りなので、否定はできない。何も言えなくて、ただ俯く。

「お二人は結婚を間近にしていたと……お悔み申し上げます」

 九曜はいつもより重々しい声でそう言った。

「結婚間近、と言う訳でもなかったんですよ」

「え?」

 思いのほか、戸惑った声の大川に雪上はまじまじと彼の顔を見る。

「彼女に対して、誠実ではないとかそういったことではありません。他に付き合っている異性もいませんから。東子さんとは周囲から勧められて……現代版お見合いみたいな感じでしょうか。私としても東子さんに悪い印象はなかったので、じゃあ、結婚を前提で交際を初めてみましょうかと言う話になりまして」

「歓迎会の時に、東子さんは婚約者の方だと紹介されていた様な気がしましたが」

 雪上は当時の事を思い出し、確か、東子自身にもそれについてたずねた。おめでとうと祝福の言葉も送った記憶がある。

「それについてはですね、実は……東子さんの方からそうしたいと希望があったからなんです」

「希望? それは、どういった?」

 九曜は話の続きを促す。

「反応を見たい人がいるから人前では、婚約者として接して欲しいと」

 真意のわからない東子の言葉は不可解だ。大川もそう話ながらも首を傾げている状態だ。

「東子さんに、想う人がいたのでしょうか?」

 二人の話を聞きながら、東子が想う人――思いついたのは、本田や里美。東子に関りが深そうな面々の顔が浮かび、彼か? とも思ったが多分違うだろうと考え消える。例えば、本田であれば、彼はあれだけわかりやすく東子に表現をしていたのだから、わざわざそんな態度を取る必要もないと思うし、里美は流石に年齢が離れすぎている。

「私も、最初はそうだと思って、東子さんに何度か聞いたのです。けれど、その相手は恋愛対象ではないので私との交際には全く問題ないの一点張りで。……時期が来れば話すと、東子さんは言ってくれましたが、その話も聞けないままに」

 大川は疲れた表情を見せ、項垂れる。

「反応をみたい――そう言われ、真っ先に思うのは、東子さんに想い人がいて、そして相手側も東子さんに人知れず想いを寄せている。そんな関係性を思い浮かべるが。でも、それだと、大川さんが迷惑を被ってしまうだけで。東子さんと言う人をそれほど良くは知らないけれど、自分の利益だけを追求するような、他者を尊重できない様な人には見えないと思いました。大川さんがそのために東子さんに協力していると言うなら、話は別だが。そうでもなさそうですし」

 東子がなぜ、婚約者として振る舞って欲しいと大川にお願いをしたのか、その理由は東子に想う人があったという理由ではなさそうだ。じゃあ、なぜそんなお願いを大川にしたのか。九曜は腕を組んで考え込んでいる。

「大川さんは東子さんと、何と言うか、つまり――不思議なお願いをされて、それでも交際を決めた理由はあるのですか?」

 雪上なら、相手の意図が分からず、交際を辞退していたかもしれないと思うのだ。

「もともと、とても良い方だなと思っていたんです。と言うのも、私はもともと全く別の地域に住んでいて、新聞広告で沢町の活性化のために移住しないかと書いてあるのを見て、思い立って応募したのです。最初のころは、右も左もわからない、そんな時に色々助けて下さったのが、東子さんでした。キレイな人ですし、私もすぐに顔と名前を憶えました。話をしていく上で、彼女の生き方や考え方は割合、都会的な所もあり、そんなところも好ましいと思った一端でした」

 大川は懐かしむ表情を見せ、自身の手を何度か握りしめていた。

「すみません、念を押すようで。では、お二人は婚約者ではなかったのですね?」

「ええ。今、話をした理由から。正確には。実際に婚約しても私は別に問題はなかったのですが、彼女の方が交際して、もし合わなかった場合。後腐れなく、別れられるからって。これも彼女からの提案でしたが、私もその通りだと思い賛成しました」

 東子が、一度目の結婚で失敗しているのは聞いていたから、彼女がそう話したのも納得できる。

「東子さんと最後に会ったのは?」

 九曜の問いは少々、尋問地味ていたが、大川はあまり気が付いていない様子で、実は。と話を始める。

「本当は、昨日の日曜日にうちの両親と顔合わせしてみようと話をしていたのです。それで、いきなり東子を連れ帰っても私の両親はびっくりしてしまうだけですから。私は一足先に帰って、日曜日彼女と合流しようと計画してて。ですから、最後に会ったのは本当に歓迎会の時が最後でしたね。まさかこんな事になるとは思いもしていません出したし」

「なるほど。いや、東子さんが亡くなってから大川さんの姿をみないので、心配していたのです」

 大川は九曜の真摯な言葉に、人懐っこそうな笑顔を見せる。

「心配してくださりありがとうございます。後を追おうなんて変な考えはしておりませんからご安心ください」

 九曜はつらっと感情を添えてあんな事を言っていたが、雪上は内心、違うだろうと感じていた。九曜は逆に大川の姿が見えないことに対して疑問を感じていたのだ。先ほどの言葉にはそのニュアンスが含まれていたのが、雪上にはわかった。

 大川はそれに気づいているのかいないのか。大きなため息をついた。

「では、東子さんの死はいつ?」

「本当は同僚からの連絡を受けてすぐにでも戻って来るつもりだったのですが、実はその連絡に気がついたのが土曜日の夜だったのです。――その、金曜日の夜に歓迎会があって、家に帰って一度眠った後。早朝、車で実家に向かいました。実家に着いた時は昼を回っていまして、それから一眠りしたので、連絡に気がついたのが起きた時。土曜日の夜でした。両親に事情を話して、すぐに出発しようとしましたが、よっぽどその時に私の様子が異常だったのでしょう。『今向かっても、きっと車の事故に遭うかもしれないから、ゆっくり休んで明日帰りなさい』と諭されまして。今思えば、確かにその通りになったかもしれないと」

 九曜は頷きながら、「ご実家はずいぶん遠くなんですね」とつぶやく。

 大川は自身の実家の都市名を言ったが、ここには明記しない。とある、政令指定都市の一つであるとだけ記す。

「ええ。車で最低でも六、七時間はかかるんです。本来の予定では、東子さんが日曜日の朝、両親と会って、その後は車でゆっくり観光などしながら、沢町に帰りましょうと話をしていたんです。全て、なくなってしまいましたが」

 うたかたの夢。

 今の大川の雰囲気にはその言葉があてはまる。夢みている様な気持ちと悲しみ。感情が混ざりあい、時折彼の表情に深い影を落としている。多分まだ、彼の中で東子の死が分かり切っていないのだろうと。

「大川さんが、ご無事で戻られて何よりです。貴方まで何かあれば、東子さんも、きっと悲しまれるでしょうから」

「……」

 大川は言葉なく、ただふっと笑みを漏らしただけだった。

「スミマセン。お辛い中」

 雪上は何か声をかけなければと思っていながら、口に出たのはありきたりなそれだった。

「いえ。仕事をしている方が気がまぎれます。それに、まだ東子には会ってないんです。聞けば、今日の午後か明日。ご遺体が戻され、葬儀になるそうなので。それに北華さんも」

「ええ」

 九曜の相槌には黒い影が宿る。

「今、一番お辛いのは神主さんご自身でしょう。ですから、私はどのタイミングで伺うべきか、少々悩んでおりまして」

 大川はもごもごと、役場と神主の間で鍾乳洞の運営を巡って少々行き違いの経緯があったことなどをやんわり話した。

 九曜は話を聞きながら、何度か頷く。

「すみません。大変な時にお話を伺って」

「いえ、かえってこちらこそ……本来であれば、もっと鍾乳洞の中を一緒にご案内したりですとか、そう言ったこともできたのでしょうけれど」

 大川はそう言うが、雪上も首を横に振った。

「いえ、むしろ無理をさせてしまってすみません」

「ちなみに、大川さん。鍾乳洞の事に話を戻しますが、秘密の抜け道があるとかそう言ったことはご存知ではないでしょうか?」

「抜け道ですか?」

 大川は仕事用の仮面を完全に取り戻していた。

「いえ。聞いたことありません。調査の際もそんな場所はなかったと記憶していますが」

 世界的に流行したウイルスの影響で、観光客が閑散としていた時期に、大川を含めた役場の職員が調査と言う名目で鍾乳洞の中を調べたという。その時の映像を専門家にも送ったが、特別不思議な点はなかったと。

「蒼龍の伝承の中で、生贄についてはご存知ですね?」

 大川はピキリと表情を引きつらせ、九曜は「この辺りの人はあまりその伝承を知られたく無いようですが」と続け、「仰る通りです」と大川は頷く。

「我々は、その、実は合間を縫って隣町のひしゃく岩の方まで行った来たのです」

 大川も行ったことはないが、知っていると頷く。

「地元の郷土資料家の方にお話を伺うことが出来まして。隣町も、とある伝承が伝わっていることを知りました」

「ほう。それは一体?」

 興味が湧いたのか、大川は身を乗り出してそう聞いた。九曜は、ひしゃく岩で祈る少女たちの話を説明する。

「……その少女たちがひしゃく岩になったという話なのですが、少女たちについては『前触れなく現れる少女たちは龍の住処を抜けて来た。その彼女達がひしゃく岩で祈りを捧げていた』と説明があるのです」

 大川は哀しい伝承ですねと話ながらも奇妙な表情を浮かべる。

「その龍の住処を通り抜けて来た少女たちと言うのが非常にひっかかりまして。もしかして、この町にある鍾乳洞で生贄になった少女たちが、何等かの方法で鍾乳洞を抜け、隣町に出たのではないかと、そう考えてみますと……」

 九曜の考えに、大川はなるほどと頷く。

「確かに。九曜さんに仮説だと、二つの伝承の辻褄が合いますね。ですが実際、抜け道と言うのは見つかっていません。まあ、とても細い空洞はあるかもしれませんが、人が通ることが出来る大きさではないですね」

「そうですか」

 雪上は思わず肩を落とす。

「ですが、……。今の話を聞いて思い出してことがあって。東子も以前、何の話の脈絡だったかは忘れてしまいましたが、その抜け道は存在したのではないか、話をしていたことがあって」

 九曜と雪上はよし。とでも言いたげに二人で顔を見合わせ頷いたので、思わず大川の表情も緩む。

「東子さんの話を聞きながら当時、考えられなくはないと思いました。瀧鍾乳洞の話に出てくる少女たちが実際にいつまで存在していたのかは、文献にも残っていません。鍾乳洞内も、もしかしたら以前と比べて変化している部分が絶対無いとは言えませんから。ただ」

 大川は首を横に傾げながら話を続ける。

「不思議なのは東子が発見したかもしれない、言っていたのです」

「どこでです?」

 雪上は思わず、大川の言葉に被さる様にそう聞いた。

「それが、私もその場所をたずねたのですが、結局教えてもらえなくって」

「かもしれない……? と言ったのはどうしてです?」

 九曜が冷静にそう聞いた。

「抜け道とはっきりとは言わなかったから。恐らくここではないかと目星をつけた……そんな言い方でした」

 完全に場所を見つけた訳ではなかったのだろう。それでも。

「そうですか……でも、東子さんはきっと何かを見つけたのでしょう。それが何かは今となってはわかりませんが」

 九曜がそう言った所で、会議室に設置されている電話が鳴り大川が対応してた。

「すみません。この会議室、次の予定があるみたいで」

 電話が終わると、申し訳なさそうにそう言うが、時計を見ると三十分以上は話し込んでいた様だったので、すぐに立ち上がる。

「長々とすみません」

「ありがとうございます」

 二人はそれぞれそう言うと大川に一礼し、挨拶もそこそこに資料をもらい受ける、大川は会議室のドアを大きく開ける。

「すみません、ばたばたとしてしまって」

 恐縮した様にぺこぺこと頭を下げる、彼の心遣いに再度礼を言い、役場を出た。

 車に乗り込んだ時。

「雪上くん。君が今朝眠っている時に教授と話していたのだが、今日の夕方の便で引き上げようと思っている」

 いきなりの言葉にはっとして九曜を見たが、彼が言っていることも確かであると、半分納得は出来た。

「東子さんが亡くなったのを発見した時。第一発見者は僕らであるから、何かあった時のことを考えて、少しここに滞在していた方かと思ったが、さっきの大川さんの話にもあった通り、ご遺体も戻って来るそうだし。この辺りでそろそろ……と考えている。君はどう思う?」

 雪上の意見も尊重してくれているのだとわかるが、否定する理由は無かった。こくりと頷き、肯定の意見を伝えると、九曜はほっとした表情を見せる。

「よかった。実は、今朝、教授と話をしながらすでに色々、チケットなどを取り直していたんだ」

「もし反対意見を言っていたらどうしていたんですか?」

 そんなつもりはないが、雪上は冗談めいてそう聞いた。

「まあ、その時はその時だ」

 九曜はそう言って車を発進させる。

 

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