八月某日 月曜日 午前八時

 翌日から一つ、雪上達の周囲で大きく変わったことがあった。

 瀧神社への参拝客が一気に増えたことだ。参拝客なんて今まで、雪上達が社務所に滞在している数日間は、見たことも無かったのに。

「なぜ、一気に参拝客が増えたのでしょう?」

 社務所の和室で、書き物をしていた九曜に聞いた。

「恐らく、南さんは別としても、東子さんと北華さんが亡くなったのは事実。しかも、二人に共通するのは、二人とも不審な事故死であるということ。その辺りに人知を超えた力を感じて、口にはしないけれど、西片家の娘、三人が村を守ってくれたと思っているのかもしれない」

「それって」

「現代版、生贄だな」

 雪上はきりっと唇を噛む。

「三人とは言いましたが、南さんの死は――彼女は事故死ではなく、はっきりと事件として処理されている様ですし、事故ではありません」

「昔の事だ。もう、その事件の内容についてと言うよりも、南さんと言う一人の女性が亡くなった事実の方が一人歩きしているのだろう」

 理屈として納得は出来るが、理解と同意は出来ない。

 住民たちが手のひらを返した様に、閑散としていた神社へ押し寄せてくる光景も異様である。

「教授はどう思われますか?」

 資料を眺めている教授に雪上は矛先を向ける。教授は一瞬、雪上を見たが、すぐに目を反らした。

「うーん。どうだろうね」

 果たして聞いているのかいないのか。曖昧な返事で流される。雪上は大きくため息をついた。

「そもそも今日、フィールドワークに出なくてもいいのですか? 回らなければ行けないところが、たくさんあるはずだと思いますけど」

 雪上はイライラしながらそう聞いた。

 本来であれば今日も一日中予定がつまっているはずだったのに、九曜が急遽今日は取りやめようといったのだ。

 雪上自身もなぜ、こんなにイライラしているのか。自分自身の感情がわからなくなっている。

「一件、だけ行こうか」

 九曜はそう言って立ち上がる。

「一件だけ、いきますか?」

 断られると思っていたので、逆にきょとんとしてしまう。

「ほら。さあ、行こうか」

 仰々しく準備を始める、九曜に対して、「私はここに残っているから」と、教授はやんわり断りの言葉を告げる。

 その顔に陰りがあり、疲れている様にも思えて、雪上のイライラの波は引いた様におさまった。

 もしかしたら、教授の体調を考慮して行かない様にしたのではないかと思い、それはそれで何だか、侘しく、申し訳なく思った。

「行ってきます」

 何も言わずに出て行くのもと、思ったのでそう言葉を残して部屋を出た。教授は相変わらず資料に目を向けたままだ。

 社務所を出て、本堂を折れ曲がり、石階段をゆっくりと下っている時、参拝に来たと思われる女性とすれ違う。通り過ぎる時、雪上は行き交いやすい様に、身を横に潜めたが、女性があっと、声をあげ、体が横に倒れそうになった。足を滑らせてしまったらしく、反射的に手を差し伸べると、何とか間に合った様で女性が大事にいたることはなかった。

「大丈夫ですか?」

 雪上はそう声をかけながら、女性の顔を見てはっと目を見開く。

「あら、この前の――いや、助けてくれてありがとうね」

 女性の方も、雪上と九曜の顔をみて思い出した様で、深々と頭を下げた。彼女は道の駅でとうもろこしを売っていた女性だ。名前を児玉と言っただろうかと、思い出す。

「参拝ですか? よかったら上までご一緒しましょうか」

 九曜が気が付いた様に声をかけると、

「じゃあ、お願いしようかしら」

 と、言うので、九曜の雪上は児玉の後ろからもう一度、石段を上がる。

「児玉さんも北華さんが亡くなったことでこちらへ?」

「ええ」

 九曜の言葉にそう言うが、どこか二の次の様な返事で、視線は石段をずっと見ている。話を流したいのだろうと児玉の気持ちが見て取れたが、九曜の追及には容赦がない。

「やはり、蒼龍様への畏怖が大きいのですか?」

 九曜がそうたたみかけると、児玉はようやく足をとめてこちらを振り返る。

「痛ましいこと。だけど、北華ちゃんや東子ちゃんがその命をもって、この町を守ってくれたのに、その気持ちは無碍に出来ない。私は、私の今出来ることをやるのが彼女を悼むことだと、そう思っている」

 児玉は至極真面目な顔でそう言うと、石段をのぼる。それが正しいことなのか、どうかは雪上にはわからないが、この町ではそれが一番良い行いなのだと、そう感じた。

 本殿に到着すると、児玉は恭しく礼をして、賽銭を投げ入れいるのだが、その金額に雪上はぎょっとする。

 二礼二拍手一礼。

 参拝を終えると、「昔は、よく来たのだけど本当に久しぶりだ」と、言葉を残していそいそと石段を下りて行く。

 彼女は自分の車で来ており、これから道の駅の売り子として、仕事に行くのだといった。

「もし、通りがかったら寄ってちょうだい」

 手を振ると、車を発進させる。児玉を見送った。

「じゃあ、我々もそろそろ行こうか」

 車に乗り込み、九曜が色々と準備をしているところ、雪上は真直ぐ前を向いたまま、ぼそりとつぶやいた。

「本当に東子さんと、北華さんの死は両方とも突発的に起った事故なのでしょうか」

 東子と北華が亡くなり、蒼龍――強いては、神社への信仰心が町の人の心の中に蘇る。あまりにも、出来過ぎてはいないだろうか。

「雪上くん。君、忘れていない? もう一つ事件があったでしょう」

「え?」

 九曜の問いかけに雪上は全く覚えがなく思考がからっぽになった。

「神主さんが、社務所で何者かに襲われて、花器が壊された」

「ああ、そうでした」

 確かに、一番最初にこの沢町に来た日に起きたことで、あの時はあの時で驚きがあったが、それから起きたことがあまりにも衝撃が大きすぎて、忘れてしまっていた。九曜はそれに社務所の鍵が不審にも開いていたことも付け足した。

「君はあの事件も偶発的に起った、もしくは蒼龍様が起こした摩訶不思議な事件だと?」

――誰かが、誰かが。

 土間に倒れた神主は唇を震わせる。その姿が思い起こされた。

「いえ、神主さんはあの時、誰かを見たといっていましたから」

 九曜は一瞬雪上を見て、満足そうに頷く。

「神主さんが襲われたあの事件は、明らかに誰かが引き起こしたものだ。それについては神主自身がそう証言しているのだから。じゃあ、逆に考えてみよう。一見バラバラに見えるこの四つの出来事が、全て繋がりがあるとしたならば?」

「全て、誰かの手によって引き起こされたとだと。そう仰るのですか?」

 雪上は頭を強く殴られた様な衝撃を覚える。

「まだ、推測にすぎないが、シンプルに物事を考えた時に、尚更そうではないかと思った」

「それは九曜さん。本気で言っているんですね?」

「本気とは?」

「つまり、この沢町に西片家の皆さんを殺害した犯人がいると。そう言っているのと同義ですよね?」

 雪上は思わず声を荒げた。

 悪気はない。ただ、それだけ九曜の言葉がショッキングな話だった。穏やかで優しい沢町の町民たちの暗い影を、粗探しをするなんて。

「西方南さんの件は別としてね。じゃあ、雪上くん。君も俺と一緒で第一発見者だろう。聞くが、東子さんが鍾乳洞で倒れているのを見つけた時、どう思った? 事故だと、そう思ったか?」

 黒髪が散らされたあの時の光景がさっと脳裏に蘇る。あの時……。

「事故だと警察が言った時、正直に不自然だと思ったのは事実です。ただ、東子さんが倒れているのを見た時はパニックになってしまって……そこまで意識がまわりませんでした」

 九曜は雪上の言葉を咀嚼するように何度か頷いて、ようやく口を開いた。

「俺はあの現場を見て、事故だと言った警察をあきらかにおかしいと、そう思った。なぜなら後頭部を打ってうつ伏せに倒れていたから」

「なぜそれで、そう思うのですか?」

「本当に事故だと想定して。例えば、君も実際見て知っている通り、鍾乳洞の岩、足場はほぼ濡れている。遊歩道の上は歩きやすく整備されているが、それ以外、一歩足を踏み出せば、下手すると滑って転んでも全くおかしくない状況だ」

 九曜の話に雪上も頷く。本当に体感しているからわかるが、鍾乳洞の岩石はほとんどが表面に水を含んでいる。逆に水分がなく乾いている部分なんてなかった様に思われた。

 九曜は一呼吸置いて、そのまま話を続ける。

「足をすべらせて、前につんのめって転んだとしたら、おでこをぶつけてうつ伏せに倒れる。逆に後ろに、尻餅をつく様な感じで滑ったとしたなら、あおむけに後頭部を打って倒れるだろう。じゃあ、聞くが東子さんはどうやって倒れていた?」

「……うつぶせに、傷は後頭部にありました」

「それが意図することは?」

「……」

 雪上は押し黙る。頭の中がパニックになっていた。それで気が付きもしていた。警察が事故だといった時に感じていた違和感の正体がこれなのだと。

「あの光景を見た時に思ったのは、東子さんは後ろから誰かに襲われた倒れたのだと――つまり殺人ではないかと言うことだ。まあこの町の人に話を合わせるのなら、蒼龍が石を飛ばしたとでも言うのかもしれ街が、さすがにそんな非現実的な事は信じていないから」

 そう言って九曜は車を発進させる。

「でも警察ですよ? 流石に気がつくのでは?」

「確かに。そうだと思うよ。いつかは結論を出すだろう。だけど、あの鍾乳洞の中で意図しない出来事が起こった。例えば転がり落ちたとか。変に難しく考えている可能性があって、結論を出すのに時間がかかっているのかもしれない」

 風景は森の中から、沢町の駅へ向かう道に変わっていた。

「どこに向かっているのですか?」

「役場に。まだ話を聞いていない人がいたから。その人は今日にならないと会えないとも知っていたし」

 役場と聞いてピンと来た。

「大川さんですか?」

 東子の縁談相手だ。歓迎会の時にちらりとみかけたがそれっきりである。

「土日は役場は休みだから。月曜日の今日なら会えるだろうと思って」

 そう言って、九曜はアクセルを踏んだ。

 今日の天気は晴れか。と、雪上は窓ガラス越しに空を見上げた。

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