八月某日 日曜日 午後七時

「でもなぜ、里美くんをあんな遅い時間に東子さんは呼び出そうと思ったのでしょうか?」

 運転する九曜を見ないで雪上は聞いた。

「北華さんに知られたくなかったからだろう。歓迎会で、絶対に坂さんと飲み比べて家に帰るのが遅くなるとわかっていたから、東子さんはあえてその時を選んだのだと思う。まあ、本人はもう亡くなってしまったから本当のことはわからないけれど」

 店に戻って来た時、今度は二人を見ると、警官は知った顔でそのまま店内に通してくれた。

 神主は警察から解放されたようで、教授と二人でテーブルに座り、特に会話もなく、ただ一点を凝視している。気を抜くと倒れてしまいそうなほど、痛々しい姿だった。

 教授は二人に気が付くと、手をあげる。

「里美くんは大丈夫だったか?」

 教授自身だって、青ざめて今にも失神しそうな様子なのに、誰かの事を心配するところは、やはり先生なのだと感じる。

「はい。無事送り届けました」

 九曜はそう言ってテーブルの空いている椅子に座る。雪上のその隣の椅子を引いた。

「こんな生生しい場所には、流石に長く引き留めておけないだろう。彼を一人にしたことが正しかったのかどうか。君たちが行って少し悩んでいたのだが」

 教授は頼りなくそう言う。

「大丈夫です。彼は思ったよりも芯のある子ですよ」

 雪上達に気が付いた様に神主がこちらを向いた。その瞳には少しだけ生気が宿っている。先ほどまでは感じられらかったものだが、無理やりそうしたのだろう。

「里美くんが、ですか?」

 雪上は話を促した。

「彼は……皆さん、ご存知だと思いますが、鍾乳洞の受付や、簡単な雑用などのアルバイトを引きうけてくれていました。ですから、それなりに彼と接する機会もあって。最初は、なよなよとした様子の青年だと……悪く言うつもりはないんですが、あくまでも第一印象として。と理解してください。つまり、何が言いたいかと言うと、色々な仕事をお願いした時、彼は辞めてしまうかと思ったのですね。ですが実際、蓋をあけてみると彼はよく働いてくれました。最初に感じたなよなよと言うのは、彼の柔軟な性格だったのだとわかりました。彼は老若男女問わず、打ち解けられる様な柔軟性があり、尚且つ仕事をしていくうちに自分の芯を見つけたようで、日に日に頼もしくなっていく様子を、私も微笑ましく思っていました。東子も――そうだったと思います。それから北華も――ですから、彼は今は辛く思っても、時間が彼を癒してくれるでしょう」

 神主は涙ぐんだ。その様子を見ると誰も何も言えなくなってしまう。と、雪上は思ったが、一人だけ例外な人がいることを思い出す。

「北華さんと――お二人は最後に何を話されていたのですか? 失礼ですが、教授から当時の様子を伺った際に、少し言い争う様な感じがあったと」

「九曜さん」

 雪上は思わず、咎める様に名前を呼んだ。常にほわほわとした空気の教授も流石に、ぴしりと眉間に皺が寄っていた。

「いや、……恐らく、皆さんはもう知っているのではと思うのでそのまま話ますが、鍾乳洞に伝わる伝承にまつわることで、この町で”生贄”と言う言葉を耳にしていると思いますが」

 たっぷりと神主は言葉の間をとった。雪上は、この事件が起きてからその言葉を聞いていたので素直にこくりと頷く。

「その、生贄については恐らく事実の部分もあるのだと思います。ですが、神社でも代々秘匿していたようなことで、口語でなんとなくしか私もその話を聞かされていないのです。それで、その話を北華に『二人に話してもいいか』と聞かれて、私はやめて欲しいといいました。あったかどうかもわからない話をわざわざ言うのも……それに、町の印象が暗く見られる可能性もあると思ったので」

 九曜は、そうでしたかと納得し何度か頷いて見せる。雪上は少々疑問だった。その話は昨日、北華から聞いていたものであったからわざわざその話を? と、疑問に思う。けれど、もしかしたらそれとは別のなにかがあったのだろうかと考える。神主に改めて聞くと言うことは他になにか、あの時話せなかった何かがあったのだろうか、と。

「それで、話が決裂して。姉の東子が亡くなり、彼女も非常にナーバスな状態で、お酒も進んでいました。ですから、非常に感情のふり幅が大きくなってしまってみたいで、それで」

 神主は話ながら、だんだんと頭が下がる。足音が、聞こえ、誰かと思うと警察官だった。

「すみません、お父さん。娘さんのことでちょっと確認したいのですが」

「はい」

 神主はがたりと音をたて、立ち上がると警察官の指示に従い、店の出て行った。

 張り詰めていた空気が少し緩和された様な気になって、雪上はふうと息を吐く。

「教授は実際にあの二人がどんな話をされていたか、聞いていないのですか?」

 九曜の言葉に、教授は妙な顔をした。

「……それが、まあ場所的に離れていたのと、店内には音楽が響いていて、よく聞こえなかったというのも事実だけれど、ところどこと聞こえた部分もあって、北華ちゃんが『どうして』、『酷い』と叫んでいたのは聞こえていた。しかし……」

「先ほどの教授の話とは、ちょっと違うような気がしますね。教授もそう思われたのですね?」

 教授は決まりの悪い表情を見せながら、頷く。

「ただ、二人は家族だから。私達には聞かせられない話題というのはあって当然だし、それについてどうこう言うつもりもない。ただ、先ほどの神主さんの説明に納得がいかない部分があることも事実だと」

 教授がそこまで話した所で、女将さんがお盆に湯気のたつ熱いお茶を持ってきてくれた。

「まだ、少しかかりそうだから、一息ついて。まあ、そう簡単にひと息つけないかもしれないけれど」

 女将自身だって、いきなりこんなことがあって、大変だろうに、女将の気遣いが身に染みる。湯呑みがひとつ余って、神主が警察に今、呼ばれて行ったことを九曜が告げる。

「ありがとうございます」

 雪上は湯椀を両手で持ち、ふうと息を吹きかける。

「ありがとうございます……あの、女将さん、北華さんのことですが」

 九曜の言葉に、女将は不安気な表情を見せる。

「すみません、女将さんを疑っているとかそんなんじゃなくって。ただ、北華さん、そんなにお酒を飲んでいたのかどうか、ちょっと気になって」

「ああ」

 女将は表情を少しやわらげる。

「北華ちゃんはよくうちに遊び来てくれることがあったから、彼女がどれだけ飲めるかって言うのは、私も知っていたつもりだったんだ」

「じゃあ、いつもの様子から言うと、まだ許容範囲だった?」

「そう思ったね。あんまり飲みすぎる様なら、私も止めただろうし」

「北華さんの様子はどうでした? いつもに比べて」

「最初店に入って来た時は、それほど……いつもよりも少し、口数が少ないかなと思うくらいだった。ただ……」

 九曜は首を傾げる。

「ただ、東子ちゃんの事があって、精神的にも不安定な状態だっただろう? だから、いつもとは違ったのかもしれない。それに気づいて上げられなかったと思うと」

 女将はこらえきれず、嗚咽と涙を漏らした。

「すみません、余計なことでした」

 九曜は真摯に謝罪の言葉を述べた。

「いや。さっきまでは涙も出なかった。少しでも泣けてよかったよ。……あ、帰る時、声かけてね。作っていた食事、折詰にしてあるから。どうせ、置いといても捨てるだけになるだろうし」

 しばらく店は閉めなきゃいけないだろうから。女将さんはそういって、よいしょと掛け声をつけて、キッチンに戻ろうとしたところ、九曜はもう一度、引き留める。

「女将さんは……答えにくいことであれば別にいいのですが、神主さんと北華さんが最後に何を話していたか、ご存知です?」

 えっと、一瞬表情を曇らせながらも、女将は視線を彷徨わせる。

「いや、キッチンにいたからね……でも、なにかもめている様な雰囲気があったのは気が付いていた。それで、北華ちゃんが、我を見失ってしまって……」

 そう言って口をつぐむ。

 本当は女将さんに会ったら、先日の朝食に食べたパンが美味しかったとか、そんな話をしたかったのに、北華の死によって悲しみだけが、店内に残る。

 北華は病院に搬送され、死亡が確認され、死因は階段から落下した際に、首の骨を折ったことが原因だと断定された。

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