八月某日 日曜日 午後五時

 帰り道で見つけた適当なコンビニによって弁当やパン、飲み物を購入し、社務所へ戻る帰り道。本田農園に来るため町外れまで来ていた。こちらの方に来るのは初めてだ。

 車を走らせていると、道沿いにぽつんと高校が現れる。

 まさか、運よく彼の姿を見つけることは出来ないだろうと思いつつも、ちょうど下校して行く生徒がわらわらと歩く姿に目をむけ、思わず目を見開いた。彼がいた。

「九曜さん」

 九曜も雪上が何を言わんとしているのかがわかった様で、速度を緩めると、ゆっくり歩道を歩く彼の速度に合わせる様に追従する。

 一見、不審者に見えるだろうなと思い、苦笑しつつ、まじまじと彼の後ろ姿を追った。

 里美の周囲を歩く友人の姿はない。ブレザーの制服の他の生徒とすれ違っても、誰も彼を見向きもしないし、彼もなんの反応も見せない。その姿がどこかわびしく、哀しかった。今が、一番楽しいと思われる、年齢と学生の身分であるのに――長く、同じ場所に居たことが無い。揺れた彼の瞳が思い出された。

 流石に、車が追い付き、里美は反射的に不審な視線を向ける。まあ、そうなるだろうなと。

 雪上が手をあげたのに気が付くと、里美は警戒心を解くのと、驚きながも会釈をしてみせた。

「里美くん、今帰り?」

 窓を開けて、雪上はなるべく明るい声で(それは自分たちは怪しいものではないのだという意味をこめて)そう聞いた。

「はい」

「ちょうど、通りかかったんだ。乗ってよ」

 九曜がそう声をかける。あわあわとしながらも里美は素直に後部座席に乗り込んだ。

 他の生徒たちが、ようやく里美に興味が出た様に、きょろきょろとこちらを見ていたが、その視線を振り切る様に九曜は車を発進させる。

「驚きました。お二人が、こんな所にいると思わなかったので」

 里美は眉を下げて、アハハと笑う。

「いや、本当に偶然だったんだ。こっちの方に用事があって、その帰り道で。雪上くんが、里美くんがいるのを見つけて……よかったら、家まで送るけど……」

 九曜が言葉を濁したのは、彼の家庭背景を考慮したからだろうと思う。

「それとも一緒に、社務所に行く?」

 どうせ、後で教授を迎えに行かなればならない。その時に一緒に里美を送ったらいいのではと思う。

「忙しいなら、もちろんこのまま家まで送るよ。高校生として今大切な時期だろうから。でも、少し時間があるなら、資料の作成……と言っても、資料を見てノートに写してもらうくらいのことだけど、手伝ってもらえると助かるな……仕事として金銭の支払いは出来ないが、夕食ぐらいはこちらで用意できるだろう」

 不安気な表情がぱっと明るさを取り戻す。

 感情と自身の行動がリンクし、素直な子だと思う。まあ、雪上とは一つ二つぐらいしか年齢は変わらないのだけど。

――嘘つき。

 北華がなぜ、彼のことをそんな風に言ったのか。心の奥にしこりが残る。

「高校生は今、夏休みじゃないの?」

 運転しながら九曜がそう聞いた。

「夏期講習という名の補講ですね。受験を控えてる生徒もいますし。僕は……必修ではないのですが、特別にやることもないので」

「でも今日は日曜日じゃない?」

「もうすぐお盆だから。お盆は完全に学校が休みになるので」

 そんな話をしながら車は鍾乳洞への案内板を通り過ぎた。

 駐車場まで戻って来ると、車がなかったので、もう神主と教授は出た後だとわかった。

 後部座席から下りてくる、里美を見て、制服を新鮮に思った。それを九曜に話せば、ほんの一年ほど前まで雪上自身も制服だったのではと指摘を受けそうなものだけれど。

 ふと気がついた様に里美がこちらを見たので、何となく気まずくなりふいっと反射的に顔を背ける。

 九曜が手伝って欲しい作業と言うのは、昨日、社務所の二階で見つけて来た資料の選別作業だった。

 自分たちの研究に必要なものかどうかを見分けて、必要な部分は写真をとるか、ノートに書き写す。コピー機などがあればいいのだが、社務所には見当たらないので仕方ない。神主には昨日の時点で、九曜が許可を取っている。

 雪上もその資料を手に取り、眺めていた。隣で里美が九曜に指示された通りに、ノートに書き写している。必要な箇所だけ写真で撮影し、後から見直せばいいじゃないかと思いつつも、九曜はノートの方が見やすいと、そうしていることが多々あった。

 ひょいと、里美のノートを見ると、綺麗な字で清書している。雪上よりも字が綺麗なのではないかと思われるほど。

「習字とか、習っていたの?」

 思わずそう聞いてしまった。

「いえ、まさか。ただ、小さい頃から一人でいることが多くて、やることがないので、一人で色々文字を書いたりしていたので」

「へえ、字が綺麗っていいな」

 気がついたように、九曜が横から里美の書いた文字を見てそういった。雪上はなんと言葉を返していいのかわからないでいたので、正直助かったと思ったのが本心だった。

「そう言っていただけると嬉しいですね」

 里美はフッと笑みを漏らして、作業を続ける。

 雪上は見ていた資料に目を戻しながらも、いつ里美に、本田から聞いた話を振るか悩んでいた。

「ん?」

 雪上は資料の言葉に思わず声を上げた。

「どうした?」

 九曜も思わず、雪上の挙動に作業の手を止め、資料を見るのに、後ろに回る。

「町で噂されている、三人の生贄についてとは、ここに書かれていることではないですかね?」

 雪上が指したのは、手書きで書かれているノートの一ページ。

 

 

 知られてはならない。

 我が町で生贄の少女がいたという事実を。

 あくまでも、彼女たちは巫女だったのだ。

 彼女達は三人……

 

 メモは走り書きでそう書かれ、前後の文章がないので、どのようなシチュエーションでこの文章が書かれたかもわからないが最近のものではないということはわかる。

「神主さんの字ではなさそうですね」

 手を止めた里美が雪上の後ろからそのノートを見ている。

「そういえば、里美くんは、この鍾乳洞に昔すんでいたと言われる蒼龍に生贄に捧げられた少女がいたという話はもともと知っていた?」

 里美は、最初は首を横に振ったが「いや」と、顔を顰める。

「東子さんが亡くなった話は、……町中に広まっていて、僕の通っている高校でも、その、事件に対して噂をしている生徒をよく見かけます。その話の内容がたまたま聞こえた時に誰かが“生贄”と言っているのを耳にしました。知っていると言ってもその程度で」

「他には何か聞かなかったか?」

 九曜がくると里美の方に首を向ける。

「それが、その……三人と。生贄は三人必要なのだと。話しているのを耳にしました。一体何のことか、わからなくて、でもその後『だからきっとこの先、また犠牲者がでる』と。その話を聞いて、気分が悪くなったので、すぐにその場を離れました。だから、それから話がどうなったかはわかりませんが」

「……里美くんは、鍾乳洞の中に秘密の抜け穴、そんな通路があったという話は聞いたことがある?」

「え? ……いえ初耳です。そんな通路があるんですか?」

 宝箱を開けた少年のようにキラキラとした眼差しをこちらに向ける。

「いや、これはまだ仮説だから。……一度だけ、中に入ったけれど、とても神秘的な場所だから、もしかしてと思ったのでだ。それに民話では蒼龍がすんでいたとあるから、他に出入り口があってもおかしくないと思って」

「僕も何度か、入ってみたことありますけど、――そんな場所はありそうもなかったかと」

「そうか」

 里美は俯く。少ししてまた、作業していたテーブルに戻って一人、黙々と作業を再開した。

 雪上は、その先のページをめくったり、またはその前のページに戻ってみたが、他に書かれているのは、鍾乳石のスケッチなどや、このノートを書いたと思われる持ち主の簡単なメモがきや、日記のようなものだけだった。

「うーん」

 雪上は唸り声を上げる。

「話は戻るけれど、どうしても、生贄があったという話はタブー視されていたらしいね。こっちでも、資料を見ているが、それについて書かれた記録はなさそうだ。でも、現代でも高校生がそんな話をしているということは、この町にその話が残っているということに他ならない。そして……」

「口語で伝わっているということですね」

 雪上の言葉に九曜が頷く。それならば誰かに話を聞きたいが、誰か聞いて教えてくれる人があるのだろうか。最初に思い浮かんだのは北華の顔だった。しかし、研究の論文に書かれるのは、神主の娘としてよしとしないかもしれない。

「……そういえば、北華さん、大丈夫だったのでしょうか」

 その言葉に反応したのは、九曜ではなく里美の方だ。“北華”その言葉にびくりとわかりやすく体を強張らせた。二人に間にわだかまりか何かあるのだろうか。ただ、何となく聞きにくいと雪上は思っていたが、空気を読まない九曜は、

「里美くん?」

 と、本当に悪気なしに、しかも聞こえませんでしたと言い訳が通じないほどの大きな声で聞いている。里美自身も非常に答えにくい事柄のようで、視線を彷徨わせ、どうしたものかと困った瞳でいるのに、そんなのお構いなしに、九曜は再度、答えを促すように里美の名前を呼んだ。

「……僕の口から、こんなことを言っていいのかわかりませんが、北華さんとは少し行き違いがあって」

「ん?」

 ようやく空気がおかしくなったことに気がついたのか、九曜が驚いた表情を見せる。里美はずっと前の一点を見るだけで、はあ、と大きなため息をついて、話を続けた。

「前に、北華さんに告白されたんです」

「え?」

 思わず雪上はそう声を漏らしてしまい、まずいと思って口元を手で覆おう。里美は気にしない様子だった。

「アルバイトを始めて、少し経った頃だと思います。北華さんと初めて会った時から彼女は大学生でした。今は色々勉強が忙しいようで、休みの期間も大学に通っているようですが、昔は夏休みだと、北華さんも鍾乳洞の受付などの手伝いをしていたのです。特に、少し前までは大学も授業がリモートだったようで、なかなか大学に行けない時があったようでして」

 雪上はあそこまで、頑なに北華が大学に行こうとする理由の一端が少しわかる気がした。

「北華さんは良い人だと思います。でも、そういった対象として見ていなかった。大学生って、僕とは別世界の人なんだなって」

 そう言葉にした時、里美はくしゃりと顔を歪める。心が傷ついている。雪上はそう思ったのと同時に、ふつふつと静な怒りを感じる。里美は、無意識にただ、他人と自分との間に一線を引いて、自分とは違う存在だと言っているが、雪上はそれは里美が勝手に作り上げたことであって、こちらはそんな風になんて思っていない。それでふと思った、北華が怒っていたのは、里美のこういった部分ではないのかと、

「別世界の人? じゃあ、今ここにいる僕らについてもそう思っている?」

 雪上は少しだけ怒りをこめて言った。だけど、里美はより一層淋しそうな表情をみせる。

「僕には望めない世界。だからですかね」

 そんな風に言われると何も言えなくなってしまう。唇をかみしめると、後ろから九曜の声がした。

「そんなことはないだろう。前にも言ったが、年齢なんて関係ない。大学なんていつでも入ろうと思えば入れる。でも今はこの時しかない。大学に進学するもしないも自分の選択だし。里美くんがそうしたいというならそれでもいい。だけど、それで自分と他人が住んでいる世界が違う思うことは、少し考えを改めた方が良いだろう。君が思う以上に、君の事を考えてくれている人がいると言うことに気づくことだ」

 雪上が思ったことを全て口にした九曜に流石だと思わずにはいられない。それに確かに、雪上が言葉にするよりも説得力があるのは間違いなかった。里美も少しだけ表情がやわらぐ。

「ありがとうございます。そうですね……っと、もう少しで終わりますので」

 里美が作業に戻った時、九曜のスマホがけたたましい音を立て、「教授から? やけに早いな」そう言って電話に出る。

 雪上はどうせしょうもないことだろうと思っていたが、受け答えする九曜の顔がみるみるうちに、険しくなった。

「北華さんが……亡くなった、と」

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