八月某日 日曜日 午前八時
翌朝。
このまま社務所にいてもどうしようもないと考えた三人は、もともと予定していたフィールドワークに出ることにした。
雪上が洗面から戻ってきて、和室の襖を開けようと手をかけると、中から九曜の声が聞こえた。
「……みなみさんの……犯人……」
あの新聞記事の事件を話していたのだろう。しかし、雪上が遠慮する必要もないと思ったので、がらりと襖を開ける。
教授と九曜が真面目な顔でこちらを振り返る。
「……スミマセン?」
「いや、神主さんかと思ってね」
教授はふわふわとした笑みを浮かべた。
布団を片付けた頃に、神主が社務所に来た。三人はフィールドワークに出ることを話すと、神主は事件の捜査もあるだろうから今日は一日、社務所に居る予定だと言った。
「じゃあ、行ってきます。よろしくお願いいたします」
九曜は必要なものをまとめ、和室を出る時にそう神主に声をかけた。
教授はもうとっくに、車に向かっている。
最後に雪上が出る時、神主を振り返った。
「北華さんは大丈夫ですか?」
昨日の様子から、心配だった。
神主は神妙に首を傾げる。
「……実は、今朝は会っていないのです。夏休みでも、朝早くに大学に行って自習するのだと出かけてしまうので。それに私も今朝は寝坊してしまって。昨夜も遅くに家を出たのを見ましたが、こんなことがあった訳ですし、あの子も色々思うことがあるのだろうと思って、特に咎めることもしなかったので」
「そうですか」
北華は雪上より年上で大人だ。自分のことはなんとか自分で出来るのだろう。そう考えてそれ以上のことは言わなかった。
「よろしくお願いします」
ぺこりと頭を下げ、今度は振り返らずに社務所を出る。
車のエンジンはもうかかっていた。
「お待たせしてすみません」
教授は相変わらず、後部座席で資料を見ているため、必然的に雪上は助手席へ座る。
「なにかあった?」
九曜はそう聞いてきたが、特にと雪上は答え、助手席に滑りこむ。
「九曜君。今日、まず回るのは”ひしゃく岩”からだね?」
「そうですね。昨日まわれなかった分も巻き返したいとは思いながらも……どこまでいけるかわかりませんが」
そう言って九曜は車を走らせる。
今日も、鍾乳洞の営業は取りやめになっており、昨日よりは少ないが警察車両が来ている。
「まだ警察は事故だと考え、捜査を進めているのでしょうか?」
九曜は町の人の話を聞き、いよいよ雪上は事故ではなのかもしれないと東子の死について考え始めていた。
「今朝、神主さんから聞いた話では、殺人も視野には入れているらしい。ただ、とくに進展はないと」
社務所を出る直前に、雪上がトイレに行っている間に聞いたのだといった。殺人と聞いても驚きはしなかった。
「そう言えば、あの日の夜。駐車場に黒い車が停車していたのを見た覚えがあるのですが……何か関係あったでしょうか」
雪上は今になってそれを思い出し、気が付いたからには警察にそれを話すべきなのだろうか。話さないとまずいだろうかと考える。
「それは俺も見かけた。昨日のうちに警察に伝えたよ。黒っぽい車としか記憶になかったが……ナンバーは覚えているか?」
九曜の言葉に少しほっとした。
「流石にそこまでは。薄暗かったですし」
「警察にそう聞かれたんだが、わかりませんと答えたよ。もちろんそれが殺人事件に関わりあるのだと事前にわかっていれば覚えようとするだろうが、その時はまさかそんなことが起こるなんて誰も予想していなかったから」
「そうです。本当にまさかこんなことになるとは……」
九曜は車の件については、もう伝えてあるから特に言わなくてもいいのではと言った。雪上は安堵か不安かよくわからない、大きなため息をついた。
*
目的地は海沿いの町。
鍾乳洞の前の道に出ると、沢町の繁華街とは反対の山側に向かう。地図上では山を越えるとすぐ、海になり、海岸沿いに”ひしゃく岩”と呼ばれる場所がある。
昔々。
少女が神に祈りを捧げ、そのまま奇石になった伝承が伝わる場所だ。
「少女が祈りを捧げていたのはなんだったのでしょうか」
バックミラー越しに教授に問う。
「まあ、それを見つけにいくんだ」
「そうですね。そもそもなぜそんな話が生まれたのか、謎に包まれている部分も多いですから」
九曜がそう相槌を打った。
教授は今回のフィールドワークの話が出た時点から、ひしゃく岩に行ってみたいと強い希望があった。
山道は険しいのかと思いきや、小高い丘を越える程度で、すっと道は下りになる。景色が開けると、真直ぐ前に海が見えた。
「海の青さもここならではと言われていて、観光名所でもあるらしい」
あの鍾乳洞のある沢町とは違い、こちらの町は割合、知名度のある観光地であるのだと九曜は説明した。
「教授。先に、ひしゃく岩でいいんですよね? 郷土資料家の小味渕さんの家ではなく」
九曜はバックミラー越しに教授に確かめる。教授はそうだと大きく頷いた。
車は真直ぐ海に向かっている。窓を開けると気持ちの良い風が入り込む。今朝まで感じていた、閉塞感が少し緩和される様だ。
海岸沿いに出ると、T字路で、国道と書かれ、道は大分整備されているようだった。左折してすぐのところに【ひしゃく岩 駐車場】と書かれた看板があった。駐車場にはビジターセンターと綺麗な建物のトイレが併設されている。
車はそこそこ来ているが、それほど人影がないので、釣り客のものもあるのだろうと思われた。
駐車場からのぼり階段になっており、遊歩道がうねうねと続く。ひしゃく岩はまだ見えない。あの先端の方から見えるのだと、案内板にはそう書かれている。
三人でひしゃく岩に向かってぞろぞろ歩いているのだが、雪上のまず感想は、
「風が強いですね」
気を抜くと飛ばされそうというのは誇張表現かもしれないが、そう思うほど強い風が吹き付ける。
明らかに今までいた場所とは風が違う。雪上としては、穏やかな海岸沿いを想像していたので、全く異なる様相に少し戸惑っている。天気は非常に良いのだけれども。
岬の先端まで来ると、海の方を覗き込んでる観光客のグループが先にあった。道が細いので彼らが退かないと、我々も行けない。
若い友人同士のグループの様で、写真を撮って談笑している。微笑ましいと思いながらすっと視線を海に反らす。
海岸沿いは奇岩奇形の断崖絶壁が続く。
前の団体がようやく、こちらに歩いて来る。教授を先頭に、身を寄せながらすれ違い、先端へ向かった。
「わあ」
思わずそう声が漏れたが、風でかき消された。
先端は更に風が強い。吸い込まれそうな青い海。打ち寄せて立つ白波。
岬の少し向こうに長細い岩石がある。案内板にそれが、ひしゃく岩だと書かれている。また、その案内板を見て驚いた。過去にこの辺りは非常に神聖な場所とされ女人禁制だったと書かれている。
「女人禁制なのに、ひしゃく岩のモデルは少女なのでしょうか」
隣の九曜にそう聞いたつもりだったのだが、風で聞こえなかったようだ。教授は身を乗り出そうとするのを両手で制している。そちらに精一杯で雪上の声が届かなかったのかもしれない。
二人の様子を見ながら思わずため息をつく。風の音にかき消され、二人には聞こえなかった様に思う。
撮影するつもりはなかったが、雪上はいくつか写真を撮る。きらきらと陽に反射する海に対して、ぽつねんとただそこにそびえ立つ岩石がどこか憐れに思われた。
教授はやっと満足したのか、大声で「神聖な場所に選ばれた少女たちの手掛かりを追わなければ」と叫びながら、駐車場へ向かうべくやっと踵を返した。
ぽつりぽつりと観光客は訪れる様で、三人の後ろにも待っている人がいる。
会釈をしながら、すれ違う。甘く懐かしい香りがして、東子の事が思い出された。
車に戻るなり、教授は「いや、写真で見るのと実際に見るのとでは違うね」などとのんきに言うので九曜はため息をついていた。車に乗り込むと、
「じゃあ、小味渕先生の所へ向いますか?」
「いや、その前に昼食を取ろう」
教授は腕時計を見ながらそう言った。
とりあえずとばかりに九曜は車を走らせる。
小味渕とは、もともと、この日に約束をしていたので予定を変更する必要はなかったと言う。
時間を見ると十時ちょっとすぎ。教授は昼ごはんと言うが、いくらなんでも早すぎやしないか。
「小味渕さんとの約束は何時なんですか?」
「午後一時」
「一時? 午前中だと言っていませんでしたか?」
九曜は呆れ声。
「一時だと言ったら君のことだから午前中、わんさか予定を入れ込むだろう。だからあえて午前中だと言ったんだ。もしかしたら他にも見るべき場所がみつかるかもしれないし。この辺りの海の幸は美味しいと評判だからね」
えっへんとばかりに教授はそう言うのだが、「はあ」とついに九曜がげんなりと声をだし、せっかく走らせていた車をハザードを点け、道の横に寄せて、停車する。
「じゃあ、このまま向かっても約束の時間には早すぎるってことでしょうし、どうしましょう」
雪上は隣の九曜を見る。
九曜は先程寄った、ひしゃく岩のビジターセンターに置いてあったパンフレットを取り出し、目ぼしそうな場所を探す。
「昨日寄る予定だった場所を回ったらどうですか?」
雪上はそう提案したが、流石にそっちに行ってしまうと小味渕との約束に間に合わなくなるからと却下された。
後部座席の教授は柔和な笑顔でゆったりと海を眺めている。
「この唐門跡に行ってみるか?」
九曜はパンフレットの一点を指す。確かに唐門跡と書かれているが、
「一体何ですかね?」
「さあ」
パンフレットは見開きで大きな地図になっており、スポットスポットに観光名所の写真が差し込まれている。ひしゃく岩などの有名な場所や、地域として大きく宣伝したいと思われる箇所は大きめな写真と簡単な説明書きがあるが、唐門跡には特に何も書かれていない。
寺の跡なのか。写真を見る限り、寺ともちょっと違う。かなり中華色の濃い建物の様だ。
「教授もそれでいいですか?」
「もちろん」
間の抜けた返事に肩の力が抜ける。
「じゃあ、行きますか」
九曜は大体の行き方を確認したのか、車を発進させる。
唐門跡があるのは、海とは反対の山側。Uターンしてきた道を戻る。鍾乳洞から走って来た、山道を途中で左に抜ける。
「ここか?」
地図上ではこの道で合っている。が実際に見ると、一車線ぐらいしかない程のかなり細い道である。
「はい……ここですね」
雪上は自身のスマホから地図のアプリを起動させ道順を追っている。画面を拡大するなどして確認する。確かにここで間違いない。
「ここで合っています」
雪上はもう一度、そう言った。
九曜は左折し、ゆっくりと走行する。
アスファルト舗装されているが、でこぼこ道だ。道の左右は空き地ではなく、住宅が建っている。
向こうから車か人が来たら、行き交うのは大変だろうなと思うが、一向にその気配はない。
住宅は廃屋ではないかとじっと、見てみる。カーテンなどは新しい部屋もあり、生活感が感じられる。人が住んでいるのだろう。
ある意味閑静なその住宅街を抜けると、一気に景色が変わり、山林になり、今度は【不法投棄禁止】の看板が立ち並ぶ。
車幅は相変わらず細いものの、所々行き交える様に広く路肩がとられている場所がある。その路肩から獣道に突っ込む様に駐車している車もあり、山菜かキノコ採りだろうと雪上は思った。
道はカーブの連続になる。道がそれほど整備されていないため少々怖い。
カーブの道はまだ続いているが、広く砂利がひかれたスペースが見え、【唐門跡駐車場】とある。
「ここですかね」
スマホの地図アプリでは唐門跡はもう少し先を示している。駐車場の向こうに坂になった獣道が見えるため、アプリと照らし合わせると、そこをのぼっていくのだろうとわかる。しかし、車が通れる様な道ではない。
九曜は適当な場所に車を停める。
他の車は全くない。雪上は車を降りるとアプリを見ながら獣道をのぼる。
かろうじて電波はありそうなだとスマホの画面を見て確認した。
坂をのぼりきると、下向きに”コ”の字型の湾曲したコンクリートの上に朱い中華風の屋根がのっている。
「最近のものなのでしょうか」
コンクリートが使用されている時点でそれ程古いものでは、無いのだろう。そう思った。
「最近と言っても明治頃の可能性だってあるし、大戦前の昭和一桁時代に作られたものなら、戦火をくぐり抜けたという意味でそれなりに価値があるだろう」
九曜の説明を聞き流しながら、くるりと一周し、【唐門跡】と書かれた看板を見つけた。
「昭和七年に建立されたものの様です」
雪上は看板を写真に撮る。いつの間にか九曜が雪上の隣に来ていた。
「観光地。と書かれているが、一体なぜここに立てたのだろう」
看板には戦火を乗り越えたものの、戦後まもなく閉鎖されたと書かれている。
「せっかく戦火をくぐり抜けたというのに」
教授が雪上の隣に立ち、息を大きく吐くと唐門を見上げていた。
「なぜ、この場所なのだろうか」
九曜に至っては、そうぶつぶつとつぶやきながら、うろうろ周辺を彷徨っている。
雪上も九曜と同じ疑問を感じていた。せっかく建てるならもっと人の集まりそうな海沿いなどにすればよかったじゃないか。わざわざ、人なんてこなさそうなこんな場所に立てる意味があるのか。
観光目的で建立したと記載はあるが、”誰が”とは書かれていない。
「観光地だと書かれている割にはこれだけなんですかね?」
雪上はそう言ってみたが、その問いに返ってくる答えはない。ただ、少し時間があるからと立ち寄っただけにしては不思議な所に来てしまったものだ。
「もしかしたら、あの道の先になにか、他の跡地があるのだろうか」
九曜が言った道は、道路の先の事だ。
「行ってみます?」
雪上もなんだかもやもやが消えない。教授は二人のやり取りに否定しないのでそれが肯定なのだろうと理解する。車に乗り込むと、さらに険しい山道を進む。
ぼこぼこのアスファルト舗装だった道は砂利道になる。
「大丈夫ですかね?」
思わず雪上はそう言ったが、道が砂利になったころくらいから、広い路肩もなくなりUターンしようにも出来ない道だ。道を戻るにしても、車を転回できるような場所を探さなければ。
「とりあえず、行けるところまで行ってみよう」
ナビ上では道はずっと先まで続いている。
ずいぶん進んだと思ったがナビを見るとたいして変わり映えがない。砂利道になると尚更速度を落として運転しているため、余計に時間が長く感じるのかもしれない。
隣の九曜の表情も苦々しくなり。そろそろ、このまま行くのは流石に厳しいのではと思われた頃、道が二車線のアスファルト舗装になる。九曜はほっとしたように少し行ったところで車を停めた。
雪上もなんだが下界(ではないのだけれど)、山から人間の住む土地に戻って来た様な、安堵感がにじむ。
この辺りのアスファルトは割合新しそうだったので、ますますのこと。
「これ以上進んでも、どうしようもないな」
「残念ながら、あの唐門跡の手掛かりを見つけることは出来ませんでしたね」
九曜の言葉に雪上も同意した。道はまだまだ先まで続いている。実際、どこに到着するのかわからないが、今まで進んで来た道の左右を確認はしてきたが、それらしきものは見当たらなかった。
「仕方ないあまり行き過ぎても時間がなくなる」
九曜はそう言って車をUターンさせる。行きはハラハラしたものの、帰りは砂利道になってもどこに出るかがわかっているのでそれ程不安はなかった。だから、余裕をもって雪上は周囲を見ることが出来ていた。
「あっ」
「どうした?」
九曜はブレーキを踏む。先ほどは気が付かなかったが、アスファルトが砂利道に変わって少し進んだ所で、木々の少し向こうに断崖があり、そこに洞穴が見える。
異界につづく様な真っ暗な闇。
九曜は目を細めてそれを確認したが、あまり時間はないからと車を発進させた。雪上は慌てて、ぱしゃりと写真を撮った。
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