八月某日 土曜日 午後三時
「ええ、ほとんど屋根裏と言いますが、物置としての役割しか担っていないので。普段はほとんど私も足を向けません。――そう言えば、小さい頃の東子はかくれんぼと称して、よく二階に上がっていました。懐かしいものです――暗いので足元にお気を付けて」
神主はそう言って、とっとっとと、階段を駆け上がる。それに、九曜、里美と続き、最後に雪上が階段を一歩上がる。振り返って、ドアは閉めた方が良いのだろうかと一瞬思ったが、閉めてしまうと、本当に真っ暗になり足元が見えなくなると思い開けたままにした。
そう言えば昨夜、社務所の鍵が開いており、家屋の中を探し回ったが、二階は見ていなかったことを思い出す。もし、本当に侵入者がいたとして、その者が二階にいたとしたら……背筋がぞくりと寒くなる。何もなければいいが。
神主は階段をのぼり、折れ曲がったのか姿が見えなくなった。
時折、後ろを振り返りながら、ようやく二階に到着する。雪上の心配をよそに特に不思議なことは起こらなかった。
ただ、真っ暗だった。
目を細めると、神主は上がりきった所でぺたぺたと壁に手をやっているらしい。ぱちりと音とともに天井にぶら下がっていた裸電球にあかりが灯り、屋根裏の全体像がぼうっと瞳に映し出される。
だたっぴろい空間に、天井の高さは二メートルくらい。それなりにある。床は板張り。段ボールと木組みでつくられた棚がランダムに置かれ、突き刺さる様にものが埋まっている。
手近な段ボールの中を覗くと、うっすらと埃をかぶった巫女服。隣には白い装束。あとは、お守りをいれる袋やら何やら。
資料などが沢山置いてあるのだろうかと思ったが、どちらかと言うと神社で使った備品たちが生き場をなくしてここに集まっているといった印象を受ける。もちろん、資料と思わる書類もみられるが。
くたびれた様子で段ボールにしまい込まれたそれらは、哀れな様子に思われた。
「全部でなくともいい、使えるものと使えないものとに仕分けをお願いしたいんだ」
神主は見回しながらそう言った。九曜は段ボールのいくつか覗き込みながらたずねる。
「その選別基準はなにかありますか?」
「いや。正直、ここにあるものは使い終えたが、そのまま捨てるのはもったいないと思い、とりあえずここに置いてあるものばかりだ。だから、まあ、再利用ができればまあ助かるな、と言うぐらいなので、肩の力を抜いてやってもらったら」
「資料として使えそうなものがあればお借りしてもいいですか?」
九曜は熱心に棚を見ている。神主はもちろんと頷き、階段を下りて行った。
雪上は周囲を見渡し、それなりにやりがいがありそうだと大きく深呼吸をする。
「とりあえず、手の付けられそうな所からやっていこう」
九曜の呼びかけで雪上と里美も作業を始める。
手近な段ボールをさぐると、神社について書かれたカラー刷りのパンフレットがごっそりと入っていた。少々デザインは古くさい気はするが、まだ使用できるだろうと思い、一枚取り上げて中を確認すると、神社の郵便番号が五桁で書かれている。現行の郵便番号は七桁だと記憶しており、いつ作られたものなのだろうかと。もったいないと思いながら、再利用は難しいだろうと考える。まあ、郵便番号の所だけ訂正のシールを貼ればできなくはないが、一体誰がそれをやるのか。
段ボールの蓋を閉じ、隣の段ボールにちょうどビニールに包まれたまだ未使用と思われるサインペンと既にビニールが破られたものとがあったので、使用された形跡のある、ビニーが破られたサインペンを取り上げ、段ボールにに【使用不可】と書こうとしたが、キュッキュと段ボールにサインペンがこすれる音がするだけで、一向に書かさる気配がない。インクが乾ききってしまったのだろう。仕方がないので未使用の封を破り、段ボールに文字を書いた。
そんな作業を繰り返しながら、ふと里美を見る。
中身を見て、首を傾げたものに関しては九曜のところに持って行き、どうしたらいいのか意見を仰いでいる。雪上のところに聞きに来ないのは要領がいいというか何というか。
雪上は考えるのことに少し疲れてしまったので、無心に作業に没頭した。
しばらくして、集中力が途切れてしまったのと、のどがかわいたこともあり、「何か飲み物を持ってきます」と声をかけると、「いや、俺が持ってくる」そう言って九曜が立ち上がる。
「行きますよ」
そのくらい雪上でも出来るという意味を込めてそう言ったのだが、九曜はそれを制し、教授たちの様子も見てくるから二人で休んでくれと言って、そのまま階段を駆け下りて行った。
残されたた雪上はふうと息を吐く。里美はポケットからスマホを取り出して何か見ている。
「もう、ここでバイトをはじめて長いの?」
おもむろたずねる。里美はスマホから視線を外し、逡巡した。
「一年ぐらい……ですかね」
「ここまで通うの大変じゃない? どうやって通っているの?」
沢町で言う繁華街からここまで車で十五分はかかる。歩いては難しい道だ。
「自転車でここまで来ています。坂道もあって大変ですが、今ではいい運動になっています」
里美はふわっと微笑み、雨の日や天気が悪い日は休んで良いと言われているので、それほど大変な目にあったことはなかったですと、話を付け足す。
雪上は頷きながら、大学には進学しないと言っていたが、専門学校などには行くのだろうかと思って受験は? と聞こうとしてやめた。先ほどの話を再度思い出し、彼の家庭環境を思うと聞けなかった。
「皆さんは大学の方と聞きましたが、ここにはどうして?」
逆に質問され、この鍾乳洞に伝わる民話の調査に来ているのだと答える。
「鍾乳洞の蒼龍に関する、民話のことは何か知っている?」
里美は頷く。
「ここでバイトしているので。でも、普通にみんなが知っているレべルのことしかわかりません」
そう言って少しだけ、笑った表情を見せるがその瞳は悲しみと暗闇が潜む。その色は、ここで会った人達には見られなかった色だと雪上はふと感じた。だから、
「ずっとここに住んでいるの?」
と思わず聞いてしまった。あまり、突っ込んだ質問は避けた方が良かったか、嫌がられるかもしれないと相手の様子を伺うと、いたって普通に首を横に振って否定している様子に安堵する。
「両親の都合で転々としていたので。ここには三年ほど前から」
「高校入学の時?」
「そうですね、かろうじて高校はずっと同じところに」
「……東子さんとはいつ知り合ったの? ……ごめん。言いたくなかったら聞き流してくれていいから」
東子。
その単語を出すだけで、里美は顔色を変え、びくりと体を震わせている。
雪上はそれを見て見ぬふりをして、立ち上がると体を伸ばし、作業を一人再開する。後ろの里美を見ない様にしながらもその気配から察するに、まだ同じ場所に座り込んでいる様だった。自分で蒔いた種なのだが気まずい。
しかし、それをどうにかする行動も言葉も雪上は知らない。九曜だったらわかるのかもしれないと思って、心がどよんとする。
「初めて会ったあのは、僕がこの鍾乳洞に来たのがきっかけでした」
おもむろに里美が話を始めたので雪上は作業の手をとめ、里美の方を向く。
「あの時の僕は自暴自棄になっていたのだと思います。生きていることが辛くって……でも死ぬ勇気もなくてどこかに行きたいと思いながらもどこに行ったらいいのかわらず。この道を歩けばどこかに着くだろうか。そう思って気がつくと瀧鍾乳洞の入り口にいました」
里美その時の情景を思い出しているのか遠い目をして続ける。
「その日は昨日に降った雨の湿気が残り、少し動くだけで、汗が噴き出し衣服が体にはりつく様な蒸した暑い日でした。……。
僕の心の中は常に空虚で、何を入れれば心が満たされるのかわからなかった。
どこに行けば自分が満足の出来る景色に出あうことが出来るのかもわからなかった。
母は昔から友人は玄関までしか入れてはだめだと口癖の様に言っていました。今でもその理由はわかりません。
普段はほとんど家に居ないのですが、たまに、家に連絡なしに帰ってくることがありましたので、家に友人を呼ぶこともままなりません。僕自身も母が他の友人の母親とは違って、いつも派手な服装をしていて、一般的に言われる母親像とはかけ離れていると言うことをわかっていました。
華美な服に、きつい化粧。
そんな母親を友人と鉢合わせさせるのは嫌で、自然と仲の良い友人をつくることは難しかった。
時折、引っ越しをするので、仲良くなってもすぐ疎遠になる。その繰り返し。
なのに今の場所には二年以上もいる。逆にこんなにも一所にいたことがなかったので、僕はどうしたらいいかわからなくなっていて、周囲の環境が短いサイクルで変わっている時には気が付かなかったけれど、同じ環境化にずっと長くいると自分が孤独であるという事実が重くのしかかり、その深みにはまっていくような感覚を覚えました。
どうにかしたいのに、どうしたらいいのかわからない。
家に一人で居たくなかった。
一人で行ける場所まで歩いてみようと思いました。
それで、どこかで死を迎えるのなら、それはそれだと思って。そんな時に見えたのが鍾乳洞の看板。
なにか目印が見つかった様に、引き寄せられ鍾乳洞の建物に向かいました。
この町では見かけない、石を使った和風庭園が珍しかったのかもしれません。
山から吹く木々を揺らす風の心地良さを感じながら 鍾乳石の展示を見て回り、ガラスの廊下をきょろきょろとしながら抜け、もう一方の建物に向かいました。
その時は他の客もいなくて、がらんとしていました。
世界的なウイルスの蔓延で、あまり人が来ていなかったのだと思います。
廊下を抜けると、受付の人と思われる、一人の女性がうろうろと外に出ていて、目が合って、気まずそうに微笑みました。
それが東子さんでした。その時に、
『君一人? 中に入る?』
そう聞いてくれましたが、首を横に振りました。だってお金なんか持ってなかったから。
学生かと聞かれたので、通っている高校の名前を伝えると、東子さんの母校だと言って、後輩だからと、特別にそのまま通してくれました。
東子さんの横を通った時に柔らかい香りがして……そのまま入り口のゲートを括り、人生で初めて入った鍾乳洞は驚きの連続で僕は圧倒されてばかりでした。
薄暗い空間。ひんやりとした岩肌の空気。全てにどきどきしました。
鍾乳洞を出ると東子さんが待っていてくれてて、しかも一緒に食べようとお菓子を用意して誘ってくれました。
僕自身の事を聞いてくれて、今まで心に溜めていたものがこぼれだし、言葉になって色々な事を話しました。今まで何を思っていただとか、生きて来たかとか。
話をするたびに涙が溢れて。でも東子さんは頷きながら全部聞いてくれました。
こんな自分でも話を聞いてくれるのだと……。
お菓子を食べて、代金を支払った方がいいかともう一度聞いたら、東子さんは必要ないといったけれど、やっぱり気になって。今度、お金を持ってくるからと言いました。
なんだかとても申し訳ない気持ちになったのと、同時に約束があればまたここに来ても良いだろうと思ったから。
そうしたら、東子さんがここでアルバイトをしてみないかと提案してくれました。それが、ここでアルバイトを始めたきっかけです」
雪上はだまってそれを聞いていた。感じたのは、里美にとって東子と言う存在の大きさ。それから、その東子と言う存在をなくした彼は今、大丈夫だろうかと言う心配。
里美はそこまで話をして口をつぐんだ。何かを言わなければいけないのはわかっていた。口をなんどか開いてみたが、ありきたりな言葉しか思い浮かばす、声にならない。
階段の方から足音が聞こえて九曜が顔を覗かせる。
この空間に漂う不穏な空気を察知してか知らずか、一瞬「あ」と言ってきょろきょろと周囲を見回して、「休憩にしよう」と声をかけた。
持って来たペットボトルのお茶と、どこにあったのか煎餅の袋をトレイに開けた。
「雪上君も」
里美はもう先ほどとは表情を変えて、九曜の所に行って礼を述べていた。
「そう言えば、さっき和室で、『蒼龍様の』と、言いかけていたけれど」
雪上は軽い口調でそう聞いたが、里美は言葉を濁す。
「僕も……そのこの町で生まれ育ったわけではなくって、どちらかと言うとよそ者なので、断片的にしか聞いていないのですが、”生贄”がどうとか……その位しかわからなくて」
雪上はまさかそんな単語が出てくると思わずぎょっとした。九曜も一瞬顔をしかめながらも、全く別の話題を振って来たので、その話はそれっきりだった。
それからはたわいもないどうでもいい話をしていたと思うが、実際に何を話したかまでは覚えていない。里美の言葉がぐるぐると雪上の脳裏にたゆたっていた。
休憩を挟み、それからまた作業を開始した。その頃には作業に没頭し、里美から聞いた話は頭の隅に少し置く事が出来る様になっていた。
大きく息を吐いて、次の段ボールの作業に取り掛かかる。
こちら側へ寄せた時に、軽かったので驚く。他の段ボールは、大抵いっぱいにモノが詰まっていて、自分の方へ引き寄せるのも力が入った。
何だろうと中を覗き込むと、いくつかの茶封筒。
不思議に思い一つの茶封筒を中を見てみると、切り抜いた新聞記事がいくつか。大きなものはたたまれている。
日付をみると平成の年号。
この神社が鍾乳洞のことがとりあげられていたのかしらと思たが、記事を見てぎょっとする。
【女子高生通り魔】
【犯人 誰でもよかった】
【将来の夢は看護士 無惨な死】
衝撃的な見出しで始まる記事に雪上は思わず目を奪われる。神社の社務所でなぜ、この様な記事があるのか。見てはいけない、パンドラの箱にでも足を突っ込んだ様な感覚だが、その一つの記事を取り上げ軽く目を通す。
事件はこの神社がある小さな町で起こった様だ。
電車の駅近くの通りで、学校帰りの女子高生が見ず知らずの男に刺殺された。
犯人はすぐに捕まった。四十代の男性で『誰でもよかった。この世界に終止符を打ちたかった』と供述したと書かれている。今は、五十代ぐらいになるのだろうと思う。
被害者の名前は――西片 南。
がつんと、頭を雷で打たれた様だ。
そう言えば、昨夜、居酒屋で誰かがそれらしきことを言っていなかっただろうか。
雪上は法律は詳しくないが、この犯人がもし仮釈放されていたとしたならば……昨日、神主が襲われたことも符合が合わないか?
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