八月某日 土曜日 午後二時
瀧鍾乳洞の駐車場には、相変わらず警察車両があった。
雪上達は購入した弁当と、とうもろこしを持って、石段を駆け上がる。雨は霧雨に変わっていた。どろどろとした気持ちと湿った土とうっとうしいほどの緑のにおいが混ざり合い、胃が重たくなる。それを振り切る様に石段を最後まで駆け上った。
社務所の扉をあけると靴が三足。
教授と神主の分と言うことはわかるが、もう一足の持ち主がわかない。
履き古したスニーカー。昨日婚約したと聞いた大川かと思ったが、なんとなく直感で、この靴を履いて来た人物はもっと年齢が若い人ではないかと直感的にそう思った。
靴を脱いで揃えると和室に向かう。襖を開けると、お茶を飲んで話をしているのは、教授と神主と……雪上よりも年の若い青年。
一斉に三人の視線が九曜と雪上に集まる。
「おお、やっと帰って来たか」
教授の言葉を皮切りに神主が、おかえりなさいと小さく頷く。
「お待たせしました……えっと、そちらの方は?」
九曜は部屋に一歩足を踏み入れたところで見慣れぬ青年に首を傾げる。
白い肌に黒の柔らかそうな黒髪。切れ長な瞳。雪上から見てもその年齢にしては色気があるし、人を惹きつける魅力を持っていると感じられた。
「里美です。はじめまして」
少し高めだが、透る声をしている。
「里美くんはこの町に住む高校生で、時々神社や鍾乳洞の受付などの手の足りないの手伝いをしてくれている」
神主がそう説明しをした。
里美は朗らかに微笑む。つられる様に教授も微笑んでいた。
「祥方大の九曜です。こちらこそはじめまして」
九曜に続いて、雪上も自己紹介をする。
二人は年齢こそ違うが同じ大学の一回生なのだと話すと目を見開いていた。
「大学に入学する年齢は自由だ。学ぼうと思えばいくつになっても学ぶことが出来る。そう言えば、里美くんは高校三年生だと言っていたが、進学は考えているのかな?」
教授の問いかけに対して、里美は首を横に振った。
「うちはお金がないので」
雪上はそれについて返す言葉が見当たらない。
「今じゃなきゃ、大学に入れない訳ではないし、誰もが大学に進学しなければならない訳ではない、九曜くんの様にいくつになっても学ぶ機会はつくれるのだから。でも、もし何か気になることがあったら、私の教室にたずねてきたらいい」
「ありがとうございます」
珍しく優しい教授の心遣いに、里美は頭を下げるが、その表情から憂いが晴れることはなかった。
「多めに購入したので、皆さんで一緒に食べましょう」
九曜はしんみりした雰囲気を破る様にそう話を切り出し、ローテーブルの上に買って来た弁当を並べる。先ほど、コンビニに寄った際、もしもの事を考えて夜の分まで用意をしたのが功を奏した。
とうもろこしも、ラップのまま二つに折れば、人数分にはなる。
適当に買って来たお茶などのペットボトルも各々に渡し、少し遅い昼食を始めた所で、雪上が口を開く。
「何か、捜査の方で進展はあったのですか?」
教授と神主は二人して口をもごもごさせながら首を横に振る。里美は一層、表情を暗くしてみせた。
「あんなに優しかった東子さんがまさか、こんなことに……」
声を震わせ涙を流し始める。周囲はあわあわとしたが、雪上はその涙を見つめ、素直な青年なのだと印象を受けた。
「申し訳ない。先に連絡をしておけばよかったのだろうが、私もそこまで余裕がなくてね……」
神主が申し訳なさそうに俯き、言葉を続ける。それは、九曜や雪上達への弁解を含んでいた。
「今日は夏休みの土曜日だから、鍾乳洞の方も家族連れでにぎやかになると予想して、里美くんが手伝いに来てくれる予定になっていたんだ」
教授はそう説明に里美は涙をぬぐってこくりと頷いた。
後から聞いた話だが、鍾乳洞の管理は役場で担っているが、実際に人のやりくりなど細々としたことは、神主や東子の方でやっていたそうだ。
里美はぽつりぽつりと言葉を紡ぐ。
「うちは母子家庭で、色々と生活に厳しくて、困っていたら東子さんが声をかけてくれて。相談して学業に差支えない土日や夏休みにシフトを組んでくれて。学校も職場がこの鍾乳洞だから、いい経験になるし町にも貢献できると。いろんな人が後押してくれて……でもこの環境を最初に提案してくれたのが東子さんでした。だから、いつか大人になって恩返しが出来ればと思っていたのですが……」
「……」
雪上はご飯を箸で口に運んだが味が感じられなかった。
聞けば東子たちも早くに母親を亡くしているなしい。里美に対して、どこか彼女の中で共感する部分があって、どうにかしてあげたいと思ったのかもしれない。
「里美くんは……もし、東子さんが殺害されたと考えて、誰かから恨みをかっていたとか、そんなことはありませんか?」
雪上は今はそんな話題はどうかと思うがと抗議の目を九曜に向けたが、それよりも早く「まさか……あの、町では蒼龍様の……」と里美がはじけるよう反論したので周囲の方が驚いてしまった。里美は我に返った様に「スミマセン」と小さくなる。
「東子さんにまつわる、トラブルなんかはないんですね」
九曜は壊れた、場の空気を取り持つ様にそう聞いた。雪上は里美が言いかけた言葉の方が気になるのだが、そこはあえて言葉にせず、そのまま話に耳を傾ける。
「恨むとは少し違うかもしれませんが……」
「なにかあるのか?」
言いかけた里美の言葉に九曜がくらいつく。
「東子さんは、キレイな人ですから、僕が思うに多くの異性から羨望の眼差しを集めていました……そんな東子さんに婚約の話がでて……」
「君は東子から婚約の話を聞いていたのか?」
神主がぱちくりと里美を見つめる。
「数日前に、東子さん自身から聞いていました。単純におめでとうございます。と言う気持ちと、他の異性の方とひと悶着あるのではないかと思ったりもしました……」
「それはどういった意味で?」
「その……」
里美は九曜の追及に対して、気にする様に神主を見た。
「構わない。こうなった以上、娘に対してひどい仕打ちをした輩をつきとめなければ」
神主は厳しい口調でそう言い放った。
里美は覚悟を決めた様にこぶしをにぎりしめる。それはかたく、かたく。
爪で血がにじむのではないかと思われるほど。
空気をよむ様に神主に伺いをたてる、大人の振る舞いをみせたと思えば、今度は自分の湧き上がる激情にのまれている。不思議な青年だと雪上は思う。
年齢で言うと、一つしか変わらないのに。
「東子さんは、本人は無自覚なのでしょうが、異性の好意を集める人で。でも嫌味っぽくないんですね。本人は計算なんかしていないんだから。だからこそたちが悪いと言うか……じゃなくって、それで婚約した大川さん以外にも東子さんに好意を寄せている人はいたと思うんです」
「その人に心辺りがあるようだね」
教授は非常に優しい声音で聞いた。
「……その人のことを悪く言うつもりはないのですが」
そう前を置きをして出した人物の名前は本田だった。
「本田君か」
神主はそう言って腕を組む。雪上は九曜を見たが彼は顔色ひとつ変えない。本田と東子の事は先程立ち寄った、道の駅で児玉からも聞いたことだった。
婚約話がでた東子と、本田がこじれて、殺害した。そう考えてはみるものの、雪上の中でどこかしっくりとこない。
神主がそれ以上言葉を続けず、考え込んでしまったため、会話はそれ以上は続かなかった。いや、正確に言えば教授が「そんな魅力があるならもっと話をしておけばよかった」などと血迷ったことをことを言い出したが、誰も取り合わなかったので、沈黙となる。
ただ、黙々と食事を続けながら、確かに里美が言う東子の魅力としては成程と思う部分があった。意図せず、相手の懐にするりと入り込んでくる、あの東子の感覚を雪上も知っている。
だから、どうしたと言う訳ではないが。
多分、この目の前にいる里美も雪上と同じ知って、彼の場合はそれが心地よいと感じたのだろう。
「そう言えば、田川さんは?」
食事を終えた九曜は弁当空を片付けながら、きょろきょろと見回す。
「一度、こちらに顔を見せたんだが、精神的にも落ち着かないだろうと思って、家に帰ってもらうように神主さんが」
教授がお茶をのんでふうと息をはく。
「流石にそこまでの負担をかけるのはつらいだろうと」
しぼんだ風船の様に、神主はしょんぼりと、ふれるとぺしゃんこになってしまいそうだった。
「里美くんもいつまでもここにいてもどうしようも無い事に巻き込まれるだけだ。それを食べたら家に帰った方がいい」
「ですが、家に帰っても何も……それに、少しでも稼がなければ」
里美の声には切実なものがあった。しかし、この状況下でまともに仕事など出来るものではない。それは言葉にしなくとも誰もがわかることだった。しばらく鍾乳洞も開けあられないだろう。
その中であっても、そう言葉に出すということは……この青年は一体何を抱えているのだろうか。
「では、少し社務所の中を整理しようと思っていたので、それを手伝ってはもらえないか? あまり出せる金額は多くないと思う。時間にしても二、三時間程度だろうが……どうだろう?」
神主の申し出に里美はすぐに頷く。
「私達も今日、今からと言ってもフィールドワークにはもう行けないので、よろしければお手伝いさせてもらえませんか?」
特に金額はいりませんと九曜はそう申し出る。雪上も九曜の言葉に頷いた。
ぼうっとしていると思考は沈んでいくし、体を動かしていた方が気分も紛れるというものだ。
教授は差支えなければその間、神主から神主から話を聞きたいと言い、部屋に残ることになった。
遅い昼食を皆が食べ終え、ひと息ついたころ。
「じゃあ、御三方は……」
神主が立ち辺り部屋を出るので、三人はそれに続く。玄関の方にぞろぞろと歩き、壁と同化しており一寸見落としてしまいそうな扉の前で立ち止まる。それが扉だと分かったのは、取っての部分が普段は入れ込まれており、金具の部分を押すと、取ってが出て来たのを見たからだ。
扉を引くと階段が現れる。
「二階があったんですね」
雪上は思わずそう言った。外観からは窓もなかったと記憶している。それは隣にいる里美も同じようで驚き、目を見開いている。彼もその存在を知らなかったのだろう。
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