八月某日 土曜日 午前八時

「それで、お二人は祥方大学の学生さん? なんですね?」

 到着した警察官に事情を聞かれていた。警官は九曜を二度見しながらも、持っていた学生証を提示し納得してくれたらしい。

「はい。この瀧鍾乳洞にまつわる民話の調査で。他にも調査に回る予定でしたが」

「学生さん、二人だけ?」

「いえ、教授も一緒です。今は向こうの瀧神社の社務所で資料の調査を」

 九曜の言葉に忘れかけていた教授の存在を思い出した。

 警察官は比較的若そうで、(若いといっても雪上よりも年上で、九曜よりも若いというだけだ)淡々と質問を重ねて行く。雪上達の向こう側では田川と神主が別の警察官に事情を聞かれている。

「もしかしたら、娘が殺されたのは私のせいかもしれません」

 神主の言葉がちょうど、しんとなった時に発せられたので、誰もかれも、視線が神主に集まった。

「なぜそう思われるのですか?」

 一瞬、間があいて警察官は冷静に神主の言葉に質問を返す。

「実は……」

 神主は昨日、社務所で花器を投げつけられたあらましを話す。

「特に被害はなかったので、警察に通報はしなかったのですが、もし当たりどころが悪かった場合など、大きな事故になっていたと思うと……」

 警察官も身を乗り出し、真剣に話を聞いている。

「被害にあった事に対して、心辺りはないのですか?」

 神主は考えこみながらも首を横に振った。

「はい。……昨日も、そちらにいらっしゃる九曜さんと雪上さんに聞かれて色々考えて見たのですが。お二人はたまたまその時の現場に遭遇して、腰を抜かした私を手伝ってくださったり、割れた花器の処理をしてくれたものですから。それで、思いつく限りでは、やはりありません。私は神主ですしなるべく後ろ指をさされることのないようない生き方を常々心がけておりますから……」

 神主の話が本当かどうか確かめる様に、雪上の目の前に居る警官が九曜と雪上に視線をおくる。話が本当だと言う意味をこめて頷いた。

「それで、娘さんが亡くなった事について、何か因果関係が?」

「私を襲いに来た犯人は、一度失敗し、もう一度犯行を企んでいたのではないかと。それに……」

「それに?」

 警察官は、若干話をせかす様に相槌を打った。

「昨日の夜と、今朝の鍾乳洞の鍵の施錠と確認と開錠は私が行う予定でした。が、昨夜。祥大のが学生さんと先生がわざわざいらっしゃったので、ささやかながら歓迎会を開いたのです。その時に、私の様子を見かねてか、娘が急遽、施錠確認の役割を代ってくれるというので。私も昨夜は疲れていたのか、まあ、今話をした様なことがあって、精神的にもあまり体調が良くありませんでした。ですから娘の申し出を断ることは致しませんで……まさかこんなことに」

 警察官は頷きながら、話をメモに取っていた。その東子が施錠を代ると申し出た場面は雪上も見ていた。

「もしかしたら娘と私を勘違いして……」

「その施錠確認と言うのは、いつも夜にされているのですか?」

「はい。前に一度、朝開錠に来た時に、閉め忘れてしまったのか鍵が開いていたことがあって。夜中は人気がなくなりますし、夏の間は特に……。実は以前に扉に落書きをされたりだとか、悪戯をされたことがあったので、それを防止するためにも行っていたんです。何かあってはよくないと思いまして……それから、確認するようにしているのです。娘も手伝ってくれて交互にやっているので、毎日ではないですし、それほど大変では」

 話を聞いていた警察官はため息をつく。

「貴方のお話では、何処か今回の娘さんの死は殺人であると決めつけている様ですが、まだこちらでは、事故か殺人かも判断できておりません。その状況で、貴方がそこまで娘さんが殺されたと主張するのには何か理由があるのですか?」

「君は、私が娘を殺したとでも言うのか? それに、娘は小さいころから鍾乳洞に慣れ親しんでいる。事故なんてあり得ないだろう……それに以前も」

 神主はわなわなと体を震わせた。年配の警官がやってきて、耳打ちすると神主に対応していた警察官はコホンと咳払いをし、別の質問に話題が変わった。

 ふうと九曜が息を吐いたところで、目の前の警官と目が合う。

「お二人は何か不審なことを見たり、聞いたりされていませんか?」

 雪上は、九曜を仰ぎ見る。

「そう言えば……もしかしたら、こちらの勘違いかもしれませんが、昨夜、社務所の鍵が開いていたのです。出かける時には施錠したと思ったのですが」

 九曜の言葉を裏付ける様に雪上も頷く。

「ほう? 誰か不審な人物が?」

 警官は前のめりに、聞いたが九曜と雪上は首を横にふる。

「いえ、その可能性もあるかと思って二人で中を見て回ったのですが、特に変わったことはありませんでした」

 そうかと、警官は出鼻をくじかれた様に顔をしかめながらも、メモを取る事は忘れなかった。



 雪上と九曜たちは警察からの取り調べを終えたが、流石に何処かに行く気にもなれず、社務所にいた。

「今日はあまり動かない方がいいでしょう」

 教授もそう言っていた。

 とは言っても、そわそわとして何も手につかない。鍾乳洞の中で撮影してきたデータをどうにかしようかとも思ったが、目の前にあの黒髪がひるがえる。作業にならない。

「東子さんは足を踏み外し、転落して亡くなったのでしょうか?」

 警察は事故の可能性を濃厚として、調べを進めていると聞いた。それで、雪上はぼそりとそう呟いてみたが、自分の言葉に疑問を感じた。東子が倒れていたのは、遊歩道の手すりの向こう側。なぜ、わざわざ手すりを乗り越えて行ったのか。手すりを乗り越える時に、足を踏み外したと可能性は確かにあるかもしれないけれど。

「警察は、ああは言っていたが、殺人だと思う。見なかったか? 血がついた岩石が転がっていた。それに上手い事、頭をぶつけてと言うのは少々考えにくい。先ほどの神主の意見はもっともだと思う」

 九曜の言葉にそう言えば、東子が倒れている近くに血痕のついた石が転がっていたことを思い出す。帽子くらいの大きさがあ理、鍾乳洞の中にある岩石とは違う。別の場所から持ってきたような石だと印象を受けた。

「と言うことは、犯人がいるということですよね。だとしても、わざわざなぜ鍾乳洞の中で?」

 人目につきにくい所を選んだ。でも、その理由ならば、ここ一帯がそうである。陽が落ちると、あたりは真っ暗になるのを、昨夜、雪上は身を持って体験していた。ちょっと行けばもう山の中。そちらを選んだ方が良かったのではとも思うのだが。

 それに、鍾乳洞の中は雪上も先ほど入った時、感じたがかなり暗い。田川が電気をつけてくれたので、歩くのに不自由しなかったが、もし明かりがないままあの中に入っていったとしたならば……いくらなんでも正気の沙汰ではないと思う。

「石に頭を打ったことが致命傷であるとは、あの状況から間違いないかと思うが、なぜ、鍾乳洞の中に入る必要があったかと言うことは……わからない」

「何か、入らなければならない差し迫った事情があったということだな」

 教授が二人の話を聞いていたのか、のらりくらりとそう言った。

「差し迫った事情ですね……一番に考えられるのは、何者からか逃げていたということでしょうか」

「確かにそうですね」

 雪上は頷く。

「追いかけられ、逃げ場を失って鍾乳洞の中に逃げた。彼女は幼いころから鍾乳洞に慣れ親しんでいたから、そこが一番いい隠れ場所だと思ったのでしょう。万が一、光がなかったとしても、ある程度の順路はわかっていたのかもしれないですし。しかし、犯人は暗闇の鍾乳洞に怖気付くことはなかった」

「それにこれ」

 教授はぴらりと一枚の紙をつまみ上げる。

「チラシですか?」

 九曜が両手でちらしを受け取り、雪上はひょいと横からちらしを盗み見る。

「鍾乳洞のものですね」

 チラシには瀧鍾乳洞の中の写真がいくつか掲載されている。

「下の方を見てごらん」

 九曜と雪上は教授の言葉通りに、視線を下げると”ナイトツアー”と書かれた文言を見た。

「鍾乳洞を観光地として盛り上げるために、こういった企画をしていた様だ。ここから考えるに、東子さんが夜の鍾乳洞に入ったことがあると考えて間違いないだろう」

 九曜と雪上は教授の説明に頷く。

「でもそうだとしても……なぜ、わざわざ鍾乳洞に入る必要が? 施錠の確認と言うのは、鍾乳洞の見回りも含まれていたのか……忘れものがあったとか? そう言った可能性もあったのでは?」

「施錠確認で中に入ったと言うのは、考えられると思うが、……忘れ物があったというのは、ちょっと違う気もするが」

 雪上の意見に九曜が冷静にそう答える。

「それは……」

「まあ、君が言う通り。東子さんが鍾乳洞に入った理由は様々考えられる。誰かに追いかけられたという話も推測であるし、実際に何があったのかは……」

「誰かに運ばれたということは考えられないかな?」

 教授の言葉に、九曜と雪上は顔を見合わせる。

「中は遊歩道になっているのですが、正直、遊歩道の幅はかなり狭いです。それに、所々天井が低くなっている部分もあるので、運ぶというのは現実的ではないと思います

 雪上の言葉に九曜も頷き、「数名がかりでと言っても、道幅がね」と言葉を付け足した。

「じゃあこれで、一つ可能性が排除できる。東子さんは自分で鍾乳洞に入ったということが明確だ」

「確かにそうですね」

 教授の意見に九曜は同意した。

「神主さんが言っていた様に、施錠確認について、東子さんが自分から代わったというのは本当ですよね。昨夜、九曜さんも一緒に東子さんが神主さんにそう話してたの見ましたよね?」

 雪上の言葉に、「確かに見た」と九曜は頷く。

 ちょうどその時、社務所の玄関が開く音がして、和室の襖からひょいと廊下をのぞくと疲れた様子の神主がとぼとぼとこちらへ歩いて向かってきていた。

「神主さん」

 雪上は思わずそう声をかけると、神主は顔を上げた。立ち上がり、襖を大きく開いて、和室の中に神主を招き入れる。

 声を出す気力もないのか、少し会釈をしただけで、すぐに畳の上に座り込んでしまった。

「この度は本当に大変なことで」

 口を開いたのは教授である。

「こちらこそ、まさかこの様なことが……」

「警察はなんと?」

「死因は恐らく後頭部を強く打った、脳挫傷だと。また今回事は事件ではなく事故ではないかと。でも私には……信じられなくって……」

 神主が声を震わせる。雪上はただその様子を見守っていることしかできない。

「事故だとしたなら……かなり不自然な様子にみえましたね」

 九曜の言葉に、神主は力を取り戻した様にふいっと顔を上げた。

「私もそう思うのです。ですが、それをいくら言っても、わかってくれそうもなくって……」

「東子さんが鍾乳洞の中に入った理由は何か考えられませんか? 例えば、施錠確認の際、中を確認していたとか」

 九曜の言葉に神主は首を傾げる。

「いえ、流石にあの暗い中、中まで入ってということは考えにくいかと。そもそも営業が終了した時点で一度施錠します。昨日は、お二人が出かけている間に、施錠して帰りました。それから、歓迎会に」

 神主は大きくため息を吐いた。

「では、東子さんは鍵をわざわざ開けて中に入ったということですね?」

「恐らく。もちろん、鍾乳洞の鍵は娘も持っていますから」

「なぜ、施錠された鍵を開けてわざわざ中に入ったのでしょう?」

 九曜がそう呟き、腕を組む。

「それがわからないのです……お願いです。もし、何かこの町に滞在している間に、何か東子の死に関係のある様な、ことがあれば些細なことでも構いません。私にも教えてください」

 真剣な神主の視線に、九曜は真顔で頷いた。

 部屋の中に沈黙が流れる。各々が今起こっている状況について考えている様だった。その沈黙を破ったのは意外なことに教授である。

「まあ、とにかくもうすぐ昼だ。二人で弁当でもなんでもいいから買ってきてくれないか?」

 雪上はスマートフォンを見る。十一時半。お腹が空いて来たことを忘れていた。

「じゃあ、行こうか」

 九曜は立ち上がった。

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