八月某日 金曜日 午後八時
だいぶ夜も更け、闇が深まって来た頃。
ようやく九曜が疲れた様子で、雪上の元までやってくると、そろそろお暇しようと小声で言ったので、雪上は気の抜けたコーラの残りを飲み干して、グラスを店の中に返しに持って行く。
スマホを見ると、午後八時。
白亜の壁の内側、店内を見て思わず驚嘆する。――つまり、雪上の中では洋建築”風”なのだろうと勝手に見た目から判断していたが、中に入ってくと天井が高い。二階部分が吹き抜けになっており、思わずため息が出る空間であった。一階部分からゆったりと階段が螺旋を描く。その先の二階部分は回廊になっている。回廊にもイスとテーブルが設けられ店の席として機能しているようだ。
白い壁にマホガニーでは無いと思うが、マホガニー調の重厚な木材が回廊の手すりなどに使われよく色が映えている。本格的な洋建築である。
一階にもテーブルはいつくもあり、既に酔いつぶれてしまった人が数人横になっていた。キッチンは奥の様で、雪上達の気配を察知して女将が顔を覗かせる。
「ご馳走様でした」
「はあい。って、もう行くのかい?」
奥で洗い物をしている女将が、雪上の姿を認めるとそう聞き返す。
「はい。明日は早くから調査に出かけたいと思っているのと、教授も長距離の移動でかなり疲れているみたいなので」
聞けば、秘蔵の酒――日本酒を飲みはじめ、疲れて眠ってしまい、九曜がなんとかひっぱって車に連れ帰り、雪上を呼びに来たと言うことだった。
再度、女将さんに挨拶をして、外に出る。隅の方でまだ食事をしている神主のところに向かう。
「教授は神主さんと飲んでいたのではないのですか?」
雪上は東子と本田に気を遣いながら食事をしていたので、九曜や教授がどこで誰と食べて飲んでいるか、と言う所まで気がまわっていなかった。
「最初はそうだったが、神主さんはアルコールは今日はやめておくと言って、人が入れ替わって日本酒を持って来たのは、あのガソリンスタンドで会った坂さんと言う人と、三女の北華さん? だった。あの二人はなかなかお酒が強くて、案の定、教授が一番先に潰れていた」
九曜は苦笑いを浮かべる。
「九曜さんは飲まなかったのですか?」
雪上のキオクが正しければ、それなりに飲める人だと記憶している。
「車で来ているし、教授があんな飲み方をしていたら、流石に無理だと、誰だって思うよ」
神主は一人でゆっくりと食事を楽しみ、味わっている様子だった。最初に会った時は白い装束姿であったが、今は黒のパンツに黒のポロシャツ姿に着替えている。
眉間に皺を寄せ、どこか一点を凝視し、何かを考えこんでいる様子だった。
「ごちそうさまでした。私達のために色々と本当にありがとうございます」
九曜は神主の目の前に立って、深々とお辞儀をする。
神主ははっとして、すぐに笑顔になった。
「あっ、もう帰られるのですか? 食べて、楽しまれましたか?」
「はい。美味しくて食べ過ぎてしまったくらいです」
そう雪上は笑顔でい合ったが、本当のところは東子と本田の様子が気になってあんまり味を覚えていない。
「それは良かったです」
神主は頷きながら、そう言えばと、社務所には入浴設備は、簡易シャワーを含めてないので、帰りに公営の日帰り温泉施設に立ち寄る様に勧めた。
そう言う神主の表情が心なしか暗い様に思われたので、大丈夫かと雪上は声をかける。
「ありがとう。――社務所での一件もありましたし、まだ心がびっくりしておりまして」
神主はなんでもないようにそう言ったが、お酒も一滴も飲めないほどまだ心の整理がついていないのだろうと思う。
「大丈夫だと思いますが、就寝の際は戸締りだけ気を付けてください」
その神主の言葉に、九曜が礼を言った所で東子が、ずかずかと歩いて来る。
「あら、もう皆さん帰られるの?」
「ええ。明日、朝早くから出かけようと思っているので」
「そう、それならお引止めしても仕方ないわね。それと、お父さん」
東子は神主を見る。
「今日の施錠は私がやっておくから、ゆっくりとしているといいわ」
「そうか……じゃあ、よろしく頼む」
神主はポケットから鍵を取り出すと東子に渡した。
「鍾乳洞の施錠管理は、今でも私と父でやっているの」
東子はそう説明した。
「そこは役場ではないのですね」
雪上の言葉に、役場ではそこまではできないと言われてしまってねと神主は笑っていた。
「そう言えば、明日の朝一番に鍾乳洞を見せていただくことは可能でしょうか?」
九曜の言葉に、神主は頷く。
「大丈夫です。後で受付の女性に伝えておきます」
「その受付の方は?」
「田川さんと言ってね、今日も誘ったんだけど、都合が悪いようだったので……明日、会えばわかると思うよ」
*
神主から教えてもらった通り、日帰りの入浴施設に立ち寄った。
それなりに年数の経った施設の様だが、清掃が行き届いており清潔だった。営業時間ギリギリだったので、タオルをレンタルしさっと入るのみだったが、それでも、大きな浴槽に体を伸ばすと、体の疲れと先ほどまで張り詰めていた緊張感がほどけてくる。
教授は完全に眠りこけてしまっているので、それをわざわざ起してどうこうするもの大変なので、そのまま車の中に残した。
さっと入浴を終えて、車に戻ったが、教授は起きた様子もなくいびきをかいて気持ちよさそうに目を閉じている。それでも社務所に帰れば起きてもらわねば、あの階段を運ぶのは九曜と二人がかりだったとしても流石に無理だ。
車を発進させた時にはもう辺りは真っ暗だった。
街灯はなくはないが、間隔はかなり遠い。道を曲がって、いよいよ家がなくなると街灯もなくなり、車のライトに頼っての走行になる。昼に通っているので、暗闇の向こうの周囲が田園地帯だとわかっている。そのためそれほど怖いとは思わないが、初めて通るのだとしたならば、この道で合っているかどうか不安になりたまらなかっただろう。
道なりにカーブが多くなりだすと、もう少しだと思い、少してあの広い駐車場に到着した。
駐車場には大きな街灯が一つ。明るさがあるとホッとした。
「せっかくなら街灯はない方が良かったな」
九曜がそんな事を言うので、なぜかとたずねると、その方が星空が綺麗に見えるからだと言う。なるほどと思いながら、そんなロマンチックな言葉が九曜から出てくるのが意外だとも思った。もちろん、そんな野暮なことは言わないが。
駐車場には黒っぽい車が一台。既に停車してた。
東子かなと思った。先ほど、神主から鍵を預かり、施錠のことを話していたから。
車の停車させると、九曜は運転席を降りて、後部座席に回り、小笠原教授と名前を呼んで揺り起こす。雪上も反対側の後部座席のドアを開けた。
「教授、着きましたよ。起きて下さい」
船を漕いでいた教授はうっすらと目をあけ、ようやく意識を取り戻して来たのか、きょろきょろと目をこすりながら辺りを見回す。
「教授、降りて下さい。……歩けますか?」
九曜の言葉に反応し示し、無理矢理させられていたシートベルトを外すと、のっそりと車の外に出た。雪上は散らばっていた荷物をかき集めてドアを閉める。
九曜がロックをして、よちよち歩きの教授を支えながら石段を上がる。
なんだかなあと、その様子を見ながらため息を人知れずつきながら、雪上もそれに続いた。
後ろから強い光を感じて振り返ると、車がもう一台入って来た。赤のSUVだ。鍾乳洞近く、石畳の方に車を寄せ、停車すると女性が降りて来た。
先ほども書いた様に、駐車場には外套があるので、誰かがわかった。東子だった。
こちらには気が付かず、真直ぐに鍾乳洞の方に向かっていく。
――じゃあ、あの黒い車は誰だろう。
その疑問は生まれたが、とくにその時は気にも留めずに九曜と教授の後を追った。
駐車場から離れるにつれて、流石に暗闇にのまれてしまうため、スマートフォンのライトを起動し、足元を照らした。
夜の神社は怖いとかそう言った気持ちはなく、ただ教授の足元おぼつかないので、なんとか社務所に辿りつくことに必死だった。
本殿の手前で曲がり、ようやく社務所の建物が見えた時には短い距離であったがほっとしたものだ。
九曜から鞄から社務所の鍵を取り出し、がちゃがちゃとしながらアレっと、不思議そうにしている。九曜のかわりに教授を支えながらどうしたかたずねると、
「もしかしたら鍵を閉め忘れたのかもしれない」
と言った。
「え?」
雪上はそう聞き返しながら、九曜は扉をがらりと開けた。社務所の中は暗く、パチリと電気を点ける。
玄関の土間にはつっかけのサンダルが何足かあるが、誰か他の人物が来たとわかる様な靴はないが。……。
「とりあえず、何もなければいいが……中を見てみよう」
九曜の言葉に緊張感が漂う。雪上はなにかよくないことが起きていると察し、教授に一旦玄関で待っててもらい、一通り社務所の中を二人で見て回ったが、荒された様な形跡はなかった。
ほっとするものの、不思議に思うのは雪上も一緒だった。
居酒屋よしに行く前の足取りを思い出す――雪上と九曜がガソリンスタンドに行き、その足で布団店に寄る。布団を受け取って、社務所まで運び入れ、その時点で、東子も神主も社務所を出た後だった。布団の用意をしてから居酒屋に向かった。
つまり、社務所を最後に出たのは九曜達ではあるのだが。
「九曜さん。ここ出る時、鍵を閉めているの、確かに見ました
九曜が雪上に、鍵を閉め忘れたのだろうかと、もう一度聞いて来たので、雪上はそう答えた。その時の記憶は映像と共に思い出せる。
「もしかしたら、神主さんか誰かが忘れものかなにかで、戻ってきて、急いでいたから鍵をかけ忘れたのかも」
思いつきで言った言葉に九曜は頷く。
「それであればいいのだけど」
息を吐いて、玄関に戻ると、また船を漕ぎかけている教授を部屋まで連れて行き、そのまま布団に横になる様に寝かせた。
雪上は水を飲み、歯を磨き、トイレに言ったりと、社務所の中を行き来していたが、とくに不審な人影等には遭遇せず、そのまま布団に入った。
目を閉じると睡魔に襲われ、泥の様に眠りについた。
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