八月某日 金曜日 午後六時

 神主が『せっかく来ていただいたので、今日は知り合いも呼んで歓迎会をと思っております』そう言って、指定したのは、駅の近くにある一軒の居酒屋である。

 駅前と言っても地方の駅なので、それほど何かがある訳ではない。二、三軒ある店の内の一つで、雪上が見る限り、店と言うよりも住居の一軒である。しかし、外観の見た目は白壁の洋風建築でどこぞの異人街にあってもおかしくないそんな格式のある雰囲気を醸し出す。屋敷の前の庭には薔薇が似合う様な。このゆったりとした地域にはすこし異界に思われ、知っていなければなかなか入りにくいだろう。

 壁には家の雰囲気には似合わない【居酒屋 よし】と書かれた看板がかけられているのでここで間違いない。

 居酒屋の隣が空き地となっており、そこが駐車場を兼ねているらしい。車を停め、向かうと、建物の手前は庭園とは言い難いが、ちょっとした芝生のスペースになっており、テーブルと椅子がいくつも並べられている。

 庭の一角で火起こしをしている一人の男性がおり、こちらに気がつくと笑顔になって会釈をする。

「こんばんは。祥大の九曜と言います。こっちは雪上君。神主に伺ってこちらに……お忙しいなか、わざわざありがとうございます」

 九曜がそう言いながら会釈を返す。雪上もそれに続いた。

「本当に本当に、ご丁寧にありがたいですね」

 後ろからそう言いながらニコニコ顔の教授が追い付いた。火起こしをしている男性が居酒屋の店主らしい。空いている椅子に座る様に促し、店の中に声をかけた。

 中から女将さんが出てくると、大きくお辞儀をして教授にお酒を勧めている。

 あれは早々に酔いつぶれそうだなと思いながら、雪上はスルーして火起こしをしている店主の方に行った。

「何か手伝えることはありませんか?」

「いやいや、あんたら御客人には何もさせられないよ。座って待っていて。火が安定したらどんどん焼いていくから。そのまえに、どこだ……おーい!」

 店主はきょろきょろと回りを見回して、女将の姿を見つけると呼びかける。

 女将はビールのジョッキをもって店内から出てくる所だった。

「こっちのお客さんにも。あと、もういくつか並べて行ってくれ」

 女将も負けじとわかったと声を張り上げ、持っていたジョッキを教授の元に運んで行く。教授は笑顔の両手でそれを受け取り、付き添っていた九曜は、教授を近場にあった椅子に座らせ、そこで飲む様に話しているようだった。

 なんだか介護の現場を見ている様で苦笑い。

 女将さんが九曜に何かを話しかけているが、雪上の近くでぱちぱちと火の音がして何を話しているのかはわからなかった。ただ、時折雪上の方をちらちらと見るので何だろうと思い、余計に気になる。

 女将さんはうなずくと、ぱたぱたとまた店の中に入って行く。

「神主さんはまだいらっしゃっていないのですか?」

 雪上は目の前の店主に聞いた。

 神主と東子は一度、家に帰ってから向かうと言って社務所の鍵を九曜に預けるとそのまま車で帰ってしまったきり。

 もう来ているだろうかと思ったが、店主は首を横に振った。

「いや、まだ来ていないな。多分歩いて来るのだろう……そろそろ……ほら、噂をすればだ」

 店主が通りの方を見て、手を上げる。

 神主と、もう一人。雪上と同じくらいの年齢の女性がこちらに向かってきている。

「あの女の子はどなたですか?」

「娘さんだよ。まだ会っていなかった?」

「東子さんと言う方には会いましたが」

「ああ、上のね。三姉妹なんだ……って、今は違うけど」

 東子と目の前の女性と、三姉妹であればもう一人。雪上はまだ会っていない人がいるのかと思う。

 店主はそう言いながら、気まずそうな顔を見せたが、すぐに表情を切り替えると話を続けた。

「あの子は一番下の娘さんで、大学生。ここから離れた大学に通っているんだ。通学にずいぶんと時間がかるみたいで毎朝早く――だいたい六時頃かな。その位の列車に乗れる様に出て行って、陽が欠けるころに帰ってくる。今多分帰って来て、駅で合流したんだろう」

 聞けば、下の娘さんは北華と言い、毎日特急列車を往復して大学に通っているらしい。雪上にも負けない程の大きなバックパックを背負っていた。

 しかし、そこまでして大学に通っているとはよっぽど根性があるなと思う。

 朝六時の列車に乗って通うと言っているのだから、片道二時間以上かかっている訳だ。雪上なら途中でギブアップしそうだ。通学の時間に自習などをすれば、それほど時間を感じなくとも済むのかもしれないが。それに混んでいると座席に座れない可能性だってあるだろう。座れたらいいが、もしずっと立ったままだと言うのならかなり大変だ。

 神主は教授と九曜に気が付きながらも、雪上と目が合うと手を挙げてこちらに歩いて来る。

「皆さん、無事に到着していたんですね。よかった。あ、この子は娘の北華です」

 紹介された北華はペコリと頭を下げる。

 Tシャツにジーンズとラフな服装だが彼女に似合っていた。明るいインナーカラーを忍ばせた、ゆるやかなボブはここでは都会的に思われた。

「雪上です。お世話になります」

 ちょうど神主と北華の二人を追う様に東子が一人の男性と連れだって来るのが後ろに見えた。

 北華は雪上の視線に気が付いたのか、後ろを振り返ってわかりやすくため息を吐いた。神主は気にも留めない様子で、九曜と教授のいるテーブルの方に向かう。

「君のお姉さんって……なにかあるの?」

 雪上は思わず、小声でそう聞いた。

 別に質問に深い意味がある訳ではないが、北華が東子に抱く感情が雪上が思っているものとは違ったのでなんとくそう聞いてみたのだ。それと、今まで、この町に来てから会った人たちがほとんど雪上よりも年上の人達ばかりで、北華は雪上と近く、余計に親近感を覚えたのかもしれない。だから、いつもだったらスルーしてしまうことを気がつけば聞いていた。

 北華は一瞬むっとした表情を見せ、雪上はしまったと口に手をあてたが後の祭り。

 いつもはそんなこと絶対言わないので気にしなかったが、確かに初対面の人からこんなことを聞かれたらそうなるだろう。

「まあ、……そうね」

 北華はそっけない返事を返す。

 女将さんが助け船の様にちょうど来ると、雪上にコーラを渡した。

「あっちの学生さんにお酒じゃない方がいいと聞いたからね。はい。――あ、北華ちゃん。大学の帰り? お疲れ様。何飲む?」

 女将さんはそう言いながら、お皿にてんこ盛りの唐揚げや温野菜サラダを並べて行く。

「ビール。貰おうかな」

 ニコニコとしてお酒を頼むので、北華は雪上より年上なのだと知る。雪上はまだ二十歳になっていないので、アルコールは飲めない。

 コーラを持ってきてくれたのは、多分、先ほど女将さんと話していた九曜が雪上のことをそれとなく伝えてくれていたのだろうと思う。

 その九曜の方を見ると、教授と神主に囲まれて、何やら話し込んでいる様子のため、雪上の視線には全く気が付いていない様子だ。

「おばさん、これ、つまんでいい? おなかぺこぺこなの」

 雪上の隣の席に大きなバックをおろし、座った北華はそう聞きながら、まだ湯気の立つ唐揚げを一つまみあげ、口に放りこみ「あつっ」と、声を漏らしている。

「もちろん。たんとおあがり。今、冷えたジョッキ持ってくるから」

「俺のもよろしく頼むよ」

 目の前で火の調整をしていた店主も控え目にそう声をあげ、女将さんは苦笑で「はいはい」と答えるとぱたぱたと店の中に入って行った。

 北華は唐揚げを頬張りながら、九曜と教授がいる方を見た。

「君たちが瀧鍾乳洞の研究に来たって言う……祥大の?」

「うん」

 雪上は頷いて、コーラを口に含んだ。

「もう、中、入った?」

「いや、さっき着いて、色々とあってまだ。……そういえば、君のお父さんの神主さん」

 雪上はそう話を切り出して、社務所で花器が壊れた時の一部始終、あらましを伝えた。

 北華は少し目を見開いたが、それでも冷静な様子で話を聞いていた。その姿を見て不思議な家族だと改めて感じる。もし、雪上の父親がそんな目にあったと言うなら、大きな声を出して驚くと思うのだが。

 女将さんが戻ってきて、北華と店主にビールがなみなみ注がれたジョッキを差し出す。

 それと新たに枝豆などのお皿を並べた。

 店主は火が整ったらしく、ビールをくいっと飲んで、食材を取りに行くといって店の中に入って行く。

「さっきの質問だけど、見ての通りよ」

 北華の視線の先には東子がいる。

 東子は三人の男性に囲まれ談笑していた。

「見ての通りとは?」

 雪上はそう聞き返した。

 東子はあの見た目である。未亡人とは言っても他の異性から放っておかれることは無いと言うことを言いたいのだろうか。

「あら、貴方もお姉を狙っている訳ではないの? もしくは一緒に来た……先輩? 教授?」

「ああ」

 九曜と小笠原教授の事を言っているのだろうとわかった。北華は最近、年齢関係なく下は高校生まであるからと嘆く。

「いや、全くない」

 もちろん綺麗な人だと思うが、今回ここに来たのはフィールドワークのためである。神主が謎の襲撃にあったことから西片家の人達に興味があるのは事実だが、北華がにおわせる様な興味ではない。

 雪上個人としては優しい人なのだろうとは思うが、最初に感じた恐いという印象を完全に払しょくすることはできなかった。

 北華はぽかんと雪上を見て、ふっと笑みを漏らした。

「君、何か勘違いしているみたいだけど」

 馬鹿にされているようで、雪上はそう抗議の声をあげる。

「そうね。変なこと言ってしまってごめんなさい。ただ、お姉は、あんな感じの人だから。本人は無自覚に人を惹きつけてる。ほら見て」

 東子の隣にはスーツ姿の男性。二人は腕を組んで並んでいる。

 二人の間には何人かの男性の姿があって、その内の一人に見覚えがあった。ガソリンスタンドで会った坂さんだ。

 それよりも雪上が気になったのは、その内の一人の男性。集まっていた男性の中では一番年齢が若そうである。作業服を着て、日に焼けた健康的な肌とがっしりとした体つき。表情は一見、楽しそうに見えるが、笑顔が消えた時にするどい視線を寄り添う二人に向けたのを雪上は見逃さなかった。

「お姉は一度結婚して、出戻って来たんだ。――ああ、聞いてる? じゃあ、話が早い。その話は私がまだ中学生くらいの話だから、もう大分昔。それから、家に戻ってきてお姉はきままにしていたけど、あの、お姉の隣のスーツの人。役場に勤めている大川さんって言うんだけど、婚約したんだって。私も昨日かな。聞いたばっかりで」

「婚約されたんですか?」

 思わず雪上は聞きかえす。北華はビールをあおって、枝豆をつまんだ。

 雪上も真剣に話に聞き入っており、食べるのも飲むのも忘れていた。少し冷めた唐揚げを口にしてコーラを飲むと、店主が大量の生肉を持って戻って来た。

「さあ、どんどん焼いていくから食べてよ」

 店主は上機嫌で肉を焼いていくと、目の前の皿に焼けた肉を置いていく。その匂いにつられてか、わらわらとそれぞれで話していた人達がバーベキューコンロの前に集まって来たため、北華との会話はそこで途切れる。

 雪上は他の町の人から話かけられる度に笑顔を作っていたが、本音を言うと北華が話していた話の続きが気になっていた。

「あの、蒼龍の伝承についてご意見を?」

 九曜の声が響いて、誰と話をしているのかとちらりとそちらを見ると作業服のあの男性だった。それとなく耳をそばだてる。

「うちはこの辺りでずっとやっている農家なんです。その話は聞いたことありますが、……正直それほど詳しくなくて」

 作業服の男性はあまり、九曜の話には乗り気ではないらしいが、そんなことは関係なく九曜は全く気にも留めず話を続けていくタイプなので、その後もなにかしらやり取りをしている。二人のその話から作業服の男性は”本田”と言って、鍾乳洞の売店で自身の畑で収穫した農作物を販売しているらしい。

 それ以上は聞いていてもどうしようも無い話題だった。そう言えばと横を見たが北華は席を移動してしまったらしくもうその姿は見えなかった。

「雪上君。食事とれている?」

 聞き覚えのある声に振り返ると後ろには東子がグラスを持っている。何を飲んでいるのかと聞くと、「ジンジャーエール」と東子は笑顔で答えた。

「あ、はい食べています。ありがとうございます」

 まさかいると思ってもみなかったから、少しの間があって雪上は頷きながら言葉を続けた。

「食べきれない程たくさんあるので……ですが、どれも本当に美味しくいただいています」

 東子はそれを聞いてふっと息を吹き出して笑う。

 今の言葉のどこに笑う要素がったのか分からず、首を傾げた。

 それから西片家の姉妹は二人して雪上をばかにするのかとムッとなる。

「ごめん。ごめん。馬鹿にしているとかそう言う訳じゃなくて、何というか、真面目なんだなって、君。見た目とは違って」

 からかう様な東子の言葉に雪上はため息をついた。東子は酔っているのかもしれない。そう思ったが、東子は酒は一切飲んでいないという。

 東子から言われた言葉は、雪上を一見した人にたいてい言われる言葉だった。

――なんか派手そうだよね。

 そう言われても、もう何がとは聞かない。めんどくさいので言い返さないことにしている。

 雪上がそうなる様に意識しているのならまだしも、特になにもしていない。ただ、普通にしているだけだ。

「ごめんね、そんな顔すると思わなかったから」

 雪上が何も言わなかったからか、東子が眉を八の字にして謝ってくる。

「いえ、人が思うことは自由ですから」

 だからそう思われたとしても、仕方のないことで、その事を責めても仕方のないことだと雪上は知っているから、雪上自身もどうにかしようとも思わない。

 そもそも自然体でいてそう見られるのだから、逆にどう努力をしたらいいのかもわからない。もう諦めている。

「でも、君が嫌だと感じたことなら素直にそれを言っても良いと思うの。だって君が言うように、人が思うことは自由なのでしょう? じゃあ、君がどう思って何を言葉にしても自由じゃない」

 東子はそう言って歯を見せて笑った。確かに、雪上がどう感じるか、どう思うかは雪上だけのものだ。

「ありがとうございます」

 はっとさせられ、雪上は思わず礼を言った。その時にふと、目の前の東子は雪上の様に、煩わしさを感じたことは無いのだろうかと思う。

「何か聞きたいことがありそうね……神社のこと?」

「えっと……」

「家族……私の事?」

「……」

 矢継ぎ早に繰り出される言葉に返答出来ず、押し黙る。

「さっき、北華ちゃんからいろいろ聞いていたのではないの?」

 雪上が北華と話していた内容が他の人にも聞こえていたのだろうかと思ったが、そうではないらしく、二人で神妙な顔をして話をしていたから、そうではないのだろうかと思ったと東子は話しを付け加えた。

 人の家の事情をまさか、大きな声で話すのは流石に失礼だと、そんな失態をせずにすんで雪上は少しだけほっとした。

「あの、おめでとうございます。婚約されたという話は伺いましたよ」

「……ありがとう」

 東子は困った様な表情を浮かべる。

「まだ、口約束だし、これから本当にどうなるかわからないから」

 あまり嬉しくないのだろうかと思われた。もしくは、あまりそう言った話はしない方が良かったのだろうか。

「こんな言い方をして失礼だったすみませんが、……あまり、乗り気ではないのですか?」

 よっぽど断れない何かがあるのだろうかと、一瞬暗い影を案じた。

「そう言う訳じゃないけど……多分、前失敗してるから。でも、本音を言うとそうかもしれない。こんな事私が言っていたなんて言わないでね」

 もちろん頷いた。雪上はこの町の人にとってはただの通りすがりの人で、だから、なんとなく話やすいのかもしれないとも思う。

 相手の大川と言う男性をふと見ると、他の町の人からからかわれるように談笑しているのが見える。それにわざわざ水を差すような真似はしたくない。

「あの、相手の大川さんはこの町の役場の人だと聞いたのですが?」

 雪上があえてそう聞いたのは、二人の関係についてどうのこうのではなく、これから実施するフィールドワークで、役場に何かをたずねる際の窓口として大川の名前を出しても可能かどうかを聞きたいと思ったのだ。

「そうよ。実はあの瀧鍾乳洞は元々うちの神社で管理をしていたのだけど、……身も蓋もない話で、はっきり言うと運営をしていくお金が……金銭的にかなり厳しくってね。それでそのまま、ただ何も手入れもせずに置いておく訳にもいかないでしょう? だから役場に相談して、今は役場で管理をしてくれているの。今後、観光資源として何か活用できないかって。町の人も色々と協力してくれて。――例えば、鍾乳洞の入り口に小さな売店があるのだけど、そこで特産物を販売したりとかね」

 かぼちゃチップスも売っているのだと教えてくれた。雪上は頷きながらその話を聞き、何か疑問が浮かんだ時や困った時はは大川をたずねても良いかを聞くと、もちろんだと東子は頷いた。

「それから、多分明日ごろには。きっと君たちにとても面白い情報を私から提供できると思う」

 ぱあっと顔を明るくして東子は瞳を輝かせる。

「情報?」

 東子はそれはそれは嬉しそうは表情をしている。一体どんなことなのか聞いてみたが、東子は明日と言って、それ以上のことは教えてくれなかった。

 雪上は首を傾げていると、東子の後ろに視線が引き寄せられる。

「あ」

 思わず声が漏れて、東子が振り返る。あの作業服の男性が東子の斜め後ろにいた。

「こんばんは」

 その男性が眉間に皺を寄せながらこちらに近づいて来るので、何か言葉にしたほうがいいと思って、挨拶と共に会釈をする。

「あ、将人くん」

 東子が猫なで声で作業服の男性に手を振る。それを見た将人と呼ばれた男性はわずかに頬を緩めた。

「祥大から、うちの鍾乳洞の龍について調査に来た、雪上くん」

「うちの。じゃなくて、元だろう?」

 鍾乳洞は今、神社ではなく役場の管轄だと言うことをあえてツッコむ。怒っている訳ではなく冗談めいた口調なので、思わず東子は声を立てて笑っている。そして、雪上を見た。

「こちらは、古くから農家さんをされている、本田将人くん。そう言えば社務所でアイスコーヒーと一緒にかぼちゃチップスを食べたでしょう? あのかぼちゃを生産されている人」

「あっ……そうなんですね。祥大一回生の雪上理来です。チップス美味しかったです」

 なるべく丁寧な口調で雪上はそう答える。

「ああ、そう言ってくれると嬉しい。それより東子。少し話がしたいのだが……」

「話? してもいいわよ」

「いや、そうじゃなくって……」

 本田は決まりが悪そうに雪上をちらりと見る。

「お二人は仲が良いのですね。僕、向こうのテーブルの食事が気になっていて……本田さん、よければこの席どうぞ」

 雪上は空気をよんであえてそう言ったのだが、東子はむっとして立ち上がろうとする雪上の腕を掴んだ。

「いいえ。今、私と鍾乳洞について話をしていたでしょう? まだ話が終わっていないし、お客様である君が取りに行く必要なんてない。ほら、将人くん。ぼさっとしていないで、向こうのテーブルから雪上君に何か持ってきて。――雪上君好き嫌いある? ないわね。ほら、行った行った」

 雪上や本田が口を挟む前に東子が、本田の背中を押しだしたので、雪上はただ本田が無理やり行かされた後ろ姿を見送ることしかできなかった。雪上は口、半開きのまま東子を見上げる。

「いいの、いいの。君はお客さんなんだから、何も気にする必要なんてない。それに心配しなくても、彼が何か話したそうにしているのはわかってる。多分、私が婚約したことについてだと思う……でも、今はあまりその話をしたい気分じゃないのよ。大丈夫。今夜には、早いうちに話をする。こーゆー事は先延ばしにしてもよくないからね。――それより、さっきの話で何か質問は?」

「あっ……えっと……」

 話題が鍾乳洞の事に戻ったのだとわかったが、先ほど東子と話していた鍾乳洞の話と言えば、神社にお金がないので、鍾乳洞の管理が云々と言う話だけであった。面白い情報については聞いても今日はこれ以上のことは教えてくれないのだろうと思ったから。

「その、神社さんにお金がないと言う話でしたが……妹さんの北華さんが、大学に通学するのは問題ないのですか? ……その」

 最後まで言わなくとも東子には通じた様だった。

「ああ、それはもちろん。北華ちゃんの大学の費用は私が出しているから。そのせいなのか、北華ちゃんにはあんまり好かれていないみたい……まあ、理由はそれだけではないみたいだけど」

 その言葉の意味がイマイチ理解できなかった。それと、三姉妹だと誰かが言っていたが、そのもう一人の女性はこの町には住んでいないのだろうか。その疑問を口にする前に、本田がお皿一杯に食事を取って来てくれたので、雪上はその質問を飲み込んで、食事に集中した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る