遭逢欲の破片

夏休みが終わって早1ヶ月。

9月も閉じようとしている頃、

あては変わらず猫カフェに足を運んでいた。

近々では愛咲先輩も羽澄先輩も

受験があるものだから中々誘えずにいる。

この前嶋原と愛咲先輩が

一緒に出かけたという話を本人から聞いた。

嫉妬しかけたが、理由を聞けば

妹へのプレゼント選びの

助っ人として呼んだらしい。

それならば適任かと思い

それ以上踏み込むのはやめた。

あては1人っ子なものだから

その場にいたとしても

あまり役には立たなかっただろう。


愛咲先輩は、選抜入試の一次は

終わったと口にしていた。

そこから更にもう1段階あるのだが、

ゴールは見えてきているとのこと。

彼女のことだし

落ちることはないと思っている。

それは買い被りすぎだろうか。

否、愛咲先輩は学力こそ

不安はあるかもしれないが、面接は強い。

何せあの性格だ、

心配することなんてない。


かつ、かつ。

爪で机を叩く。

すると、それを合図だと

勘違いした猫たちが

すり寄って近づいてきた。


いろは「可愛いねぇ。」


麗香「ねー。」


誰を誘うか迷ったところ

結局は幼馴染に行き着いた。

気軽に話しかけられて

気軽に誘えるというのは

悪いものじゃない。

この前、それこそ愛咲先輩が

戻ってくる前のこと。

喧嘩紛いなことをしたにも関わらず、

誘えば来てくれるのだから

不思議で仕方がない。

もしかしたら嫌だと思いながら

ここに足を運んだのかもしれないが、

今のところそのような雰囲気はない。


前に座るいろはは

ぼんやりと猫を眺めていた。

その目は純粋な心で

可愛いと言っているわけではなく、

どこか慈愛や憂いが

含まれていることを察知する。


先日、1ヶ月ほど前のこと。

いろはの飼っている猫が亡くなった。

寿命だった。

話によると、12年間生きていたらしい。

長い間いろはの側にいようと

頑張り続けてくれたのだ。

いろはの唯一の兄弟と

いってもいい程だったからか、

彼女の胸にはぽっかりと

穴が空いてしまったと聞く。

その傷も癒えてきたのか、

最近では普通のように見えていた。

ただ、強がっているだけなのかも

しれないけれど。


いろは「最近どう?」


麗香「最近?普通。」


いろは「そっかぁ。確かに前より調子良さそう。」


麗香「でしょー。」


いろは「うん。」


麗香「いろはは?」


いろは「最近?」


麗香「そう。」


いろは「…普通かな。」


麗香「本当?」


いろは「えへへ、やっぱり嘘。」


麗香「だろうね。」


いろは「ちょっと色々あった。」


麗香「うん。猫のことは聞いた。」


いろは「そうなんだ。言ってたっけ。」


麗香「LINEでね。」


いろは「あははー…そうだったっけぇ。」


麗香「そうだよ。」


いろは「他にもね、沢山あったんだー。」


麗香「うん。」


いろは「それでね……えっと…。」


麗香「…。」


いろは「うーん…。」


麗香「…。」


いろは「その、ね…。」


麗香「…。」


いろは「………うわーは」


麗香「早くいいなよー。」


いろは「…うん。」


麗香「…。」


いろは「その…絵を描くのを辞めた。」


麗香「…。」


いろは「…。」


麗香「…え?」


いろは「え?」


猫と戯れている手を1度止めて

不意にいろはの方を見た。

今、なんと言ったか。

自分の耳が信じられなかったし、

そんなことを口にするいろはも

信じられなかった。


麗香「辞めたの?」


いろは「うん。」


麗香「絵の具とかは?」


いろは「捨ててないよ。捨てようとしたけど、親に買ってもらったものだしもったいなくて。」


麗香「いつ辞めたの。」


いろは「1ヶ月くらい前。」


麗香「猫が死んじゃったから?」


いろは「それもあるし、別の理由もある。いろいろ重なっちゃったんだ。」


麗香「重なったからやめるの?」


いろは「麗香ちゃんは、辞めてほしくないの?」


麗香「そりゃそうだよ。長年やってきてもったいない。」


いろは「…。」


麗香「いろはは周りよりうまいし、中学生にしては並外れた画力だと思うから、そう言った面でももったいないよ。」


いろは「…言われた。」


麗香「…?」


いろは「ネットの人にも言われたよ、それ。」


麗香「そうだろうね。」


いろは「何回も。」


麗香「…。」


いろは「誰もが、私が絵を辞めることを喜んでくれたら後悔ないのに。」


たかが良くあるスランプというやつだろう。

最初はそう思っていたけれど、

どうやらそうではないようだ。

いろはは、四六時中絵を

描いているような人間だった。

話を聞くに、授業中も描き続けており、

部活はもちろん美術部、

家では液タブという絵を描くための

機材を使用して絵を描いていたという。

中学生早々にして

絵に人生を捧げたようなやつだった。

既に人生の向かう先が決まっていることに

羨ましいと思う時が幾度となくあった。

今だってそうなのかもしれない。


それを、辞めると。

あての水泳の時と同様、

長く続けたものを辞めるという。


麗香「惜しむのが普通でしょ。ネットに限らず学校の人もそう思ってるよ。」


いろは「学校の人はそんなこと思わないよ。」


麗香「何で?」


いろは「…。」


麗香「言いたくないならいいけど。」


いろは「最近、気が向いた時に学校に行くんだ。保健室登校。」


麗香「…。」


いろは「いじめとかじゃなくてね、絵に対しての僻みとか嫉みとか言われたの。」


麗香「…ふうん。」


いろは「普段なら何とも思わないのに、色々重なったからか絵を描くのが好きじゃなくなっちゃった。」


麗香「嫌いじゃないんだ。」


いろは「え?」


麗香「好きじゃなくなったんでしょ?嫌いじゃない。」


いろは「…うん。絵は悪くないから。」


その捉え方はあてには難しいが、

絵は悪くないという言葉が

妙にしっくりくるらしい。

絵というもの自体に

人格を見出しているかのような言い方で、

よくものを擬人化していそうな

いろはから出る言葉として

適切なように思えた。

いろはは時折ものに対して

これって誰だっけ、などの言い回しをした。

そこに何かを見つけ出して

いたのかもしれないし、

偶々そちらの方が

言いやすかったからかもしれない。


ただ、今回のこの言葉に対しては

どうにも偶々出た言葉とは思えなかった。


麗香「じゃあ最近何してるの。」


いろは「何もしてない。」


麗香「何かはしてるでしょ。」


いろは「映画見たり漫画見たり本読んだり…。」


麗香「見つけられそう?」


いろは「…ううん。ないね。」


見つけられそうか。

その問いだけで通じるのは

あて達だけだろう。





°°°°°





いろは「麗香ちゃんなら大丈夫。見つけられるよ。目も当てられない程ぼろぼろになりながら出来るような事。」



---



いろは「目も当てられない程ぼろぼろになりながら出来るような事、見つけられそう?」





°°°°°





お互いの合言葉か、

将又呪いの言葉なのか。

それは紛れもなく

あて達にしか知りえないのだ。


麗香「ふうん…。」


いろは「麗香ちゃんは水泳やめて何してるの?」


麗香「勉強、後散歩。」


いろは「やっぱりそうなるよねぇ。」


麗香「同じ道辿ってる?」


いろは「うん。辿ってる。」


麗香「はは、そのさきがいい未来だといいね。」


いろは「どうだろうね。」


麗香「勉強楽しい?」


いろは「1歳上の友達と一緒に数学解いてるのは楽しい。」


麗香「ひとつ上ってことは中3…受験生かぁ。」


いろは「そう。」


麗香「いろはー。うちの高校くる?」


いろは「…どうだろー…。」


麗香「今から頑張るんならほぼ確実にいけるでしょ。」


いろは「その友達も多分麗香ちゃんと同じ高校行くんだよね。」


麗香「本当にぃ?」


いろは「うん。聞いたことあった名前だったし、間違えてないと思う。」


麗香「へぇ。じゃあうちにくる理由しかないね。」


いろは「うん。」


麗香「従姉妹んとこじゃなくていいの?」


いろは「いいの。お姉ちゃんはお姉ちゃん、私は私だから。」


麗香「それもそっかぁ。」


肘をついてゆるりと

近くにいる猫へと手を伸ばす。

人生なんてものは

分からないものだらけだ。

順風満帆かのような思えた人物が

急に半ば不登校のような形になり、

好きだったことを辞めて

宙ぶらりんのままここにいるのだから。


あてだってそう見えたに違いない。

一所懸命に取り組んでいた水泳を

ある日ぱったりと辞めて、

家の中に籠るようになったのだから。

一応、勉強という名目で、だが。


そして、きっと花奏もそう。

彼女の中学時代の友人が、

大阪に住んでいた時の花奏と会っていたら

大層驚いていたであろう。

今こそ明るく見える人物だが

…否、明るそうに見えるからこそ

これまで多くのことを乗り越えてきたのだ。

乗り越えたから笑えているのだ。


ならいろははこの苦難を乗り越えて、

絵ではなくとも好きなことを

見つけられたその時、

笑うことができるのか。


麗香「…。」


いろは「…可愛いねぇ。」


ならば、あてに出来ることは

今この地点から1歩だけ踏み出す勇気を

与えることくらいだ。

その先はいろはが決めること。

無理強いするのはよくないと

知っているからこそ

誘う程度のことしかできないのだが。


麗香「いろはー。」


いろは「ん?」


麗香「今度、ある2人と旅行に行くの。」


いろは「旅行?」


麗香「そう、日帰りのね。」


いろは「いいねぇー。」


麗香「私は付き添いみたいなもん。」


いろは「…?」


麗香「その旅の目的っていうのも、どうやら自分探しの旅なんだとか。」


いろは「自分探し?」


麗香「新しい自分を探すんだってさー。」


いろは「…。」


麗香「来る?」


いろは「え?」


麗香「普段と違うもんは見れるよー。」


いろはは目をくりくりとさせ、

つぶらな瞳でこちらを見つめた。

その瞳がゆっくりと開いていき、

漸く意味を理解したのか

注文していた飲み物にひと口つける。

小さくふう、と息をついた後、

躊躇いを含んだままの声で呟いた。


いろは「…いいの?」


麗香「聞いてみなくちゃ分かんないけど、あの2人ならいいって言うでしょー。」


いろは「麗香ちゃんの仲のいい人?」


麗香「んー、あんま。」


いろは「そうなの?」


麗香「うん。今回私が誘われたのは親睦会ってことにしたかったってのもあるみたいー。」


いろは「そうなんだ。」


麗香「メインは自分探しだろうけどねー。」


いろは「いいね、そういう緩い関係。」


麗香「緩く見える?」


いろは「私からするとね。」


麗香「ふふ、いいでしょー。」


飲み物を徐に手に取り

そっと口につけてみると、

思っている以上に冷たくて

舌や鼻の付け根がびりびりした。


不可解に巻き込まれたあて達は

緩い関係だと言えるのだろうか。

あての主観で答えるにNOだ。

緩い関係なのであれば、

深い事情なんて知ろうともしない。

あてならしない。

自殺未遂した話だとか

母親がおかしい話だとかを

ずけずけと他人に話したりなどしない。

愛咲先輩ですら未遂時の理由を

伝えていないはず。

不可解な出来事ひとつすらなければ

あては誰にも過去なんて話していない。


これは、緩いの度を越していないか?

緩いの域を超えていないか?

緩いなんて言葉で言い表すことなど

到底できない地点にまで

足を踏み入れていないか?


あて達は、一体どうなりたいのだろう。

決して途切れることのない

強固な繋がりが欲しいわけではない。

あては、そう思った。

皆はどうなのか。


…そんなもの、確かめるだけ毒だ。


麗香「今週日曜だって。どう?」


いろは「うん。…行く。」


麗香「にしし。よしきた。」


いろは「どこ行くの?」


麗香「山か海で悩んでるっぽかったけどどうだろ。」


いろは「自分探しっていうくらいだからね。」


麗香「でも海って頻繁に行けるじゃん?江ノ島とか。」


いろは「なら山?」


麗香「の方が普段とかけ離れるかもねー。」


いろは「…うん。」


麗香「そう伝えとこっかぁー。」


いろは「うん…!」


いろはは何を見出したのか、

微々ながら瞳の奥に

緑色の炎を宿したような気がした。

自分探しは果たしてうまく行くのだろうか。

嶋原達然り、いろは然り

探すものが見つかるといいのだけれど。


猫に触れながらぼんやりと外を眺めると

段々分厚い雲がこちら側へと

押し寄せてくるのが見えたのだった。

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