広告会社の闇ー不法な報酬ー

高藤泰樹

第1話

1.「広告会社の闇」―不法な報酬―        高藤泰樹


高宮は、大手広告会社の媒体マン(新聞やテレビなどの媒体部門に所属している)である。まだ入社5年目で結構重要な役割を任せられ十分こなしていると思っている。高宮はテレビ部門に属し、テレビ局の人からはかわいがられ、よく飲みにも連れて行ってもらえる。これは中興の祖と呼ばれた第四代社長の押田が、テレビ媒体が登場した際に、テレビ広告の将来性を的確に予測して、新しくできつつあったテレビ会社へ人材を送り込むと同時に、テレビ会社が困っていた番組制作費の先払いや、果ては番組のシナリオも制作していたとのこと。聞いたところによると、かつて我が社にはラジオ・テレビ企画部という部署があり(昔はラジオ・テレビ局だった)そこが番組制作の支援を行っていたらしい。現在のスポット広告が15秒単位なのもその頃決まったようである。そのように、テレビ会社にヒト・モノ・カネの面で我が社が全面的にバックアップしていた経緯があり、僕のようなものでも大事にしてくれるのである。同じ媒体部門でも、新聞社は我が社の設立よりも古く、新聞局にいる同期は媒体社の人と飲むときには基本的には割り勘かこちらがごちそうするらしい。(最近ではご馳走になる場合も多いらしいが)このあたりは社内の仲間内では少し違っていて、社内で何人か若い社員を誘った場合は先輩がすべて払うのがあたりまえで、結構な出費になる。

かつては、タクシー券も自由に使えた時代もあったようであるが、今では局長が管理しているので、あまり我々には回ってこない。聞いた話ではあるが、かつてのバブル時代には、テレビ局員は交際費もタクシー券も使い放題だったようだ。ここに広告会社の闇が隠れている。当時、なぜならテレビ局は、交際費とタクシー券の費用の原資を、テレビ会社からの特別な利益(特別手数料と呼んでいる)と媒体社への支払い調整で賄っていたらしい。後で聞いた話ではあるが、スポット広告の前年比をテレビ会社と低く握り、それをクリアして特別に報酬ももらっていたようだ。もちろん他の大手の広告会社も同じような利益を得ていたらしい。また、媒体社からの時間枠を安く買いたたき、社内で営業に高く売ったその差額も原資となっていた。テレビ会社はそれでも羽振りがよかったのは、スポット広告やタイム広告(番組提供)を広告主に高く売っていたのであろう。その費用は当然商品に転嫁されていたので、広告をよく行う商品は比較的高いのが当たり前である。

(最近ではテレビ会社では製作費も渋りがちで、ギャラの安いお笑い芸人を使ったり、散歩番組や、クイズ番組が多くなっている)広告会社は、通常その広告料金の10%~25%(媒体によって異なるが)を手数料として媒体会社からもらっているので、前述の利益と、利益を勝手に決められるイベントが大きな収入源であったと思われる。当然、バブル期には新聞広告や雑誌広告なども好況であったので、その頃広告会社は天国であったであろう。

 同期入社の瀬戸内から飲みによく誘われる。我が社では、新入社員時代同期が少人数(12,3人ずつ)分かれて10年先輩から教育を受けるので、同期は戦友みたいなものであった。彼は情報通で話は面白いが、本当かどうかは僕には良くわからないし、理解できない話も多い。

「Tさんが、オリンピックがらみで捕まったらしいよ」。情報通の瀬戸内はTさんが捕まる前日に教えてくれた。

「ふ~ん。どこからの情報?なぜ捕まったの」と僕は聞く。

「情報源は言えないけれど、親父の電話や会話を聞いているとなんとなくわかるんだ。」

という。彼の親父は政治家である。(我が社には、政治家や広告主の役員、有名人の子息が多い。)

瀬戸内の話によると、かつてT氏は、スイスにスポーツ用品メーカーと我が社で設立した会社JTCのメンバーでもあったらしい。その会社は、ワールドカップサッカーを中心に活動していたが、一時はオリンピックにも関係していたらしく、その際にアフリカや、南米のスポーツ担当重鎮と仲良くなったのだと言う。ただ、2001年に倒、当時そのJTCトップ(外人で、賄賂で現地警察に捕まった)が賄賂をもらっていたことが今回のT氏の事件の真相として透けて見えた気がした。

「Tさんは、当時JTCの有力メンバーで、残務処理をして余ったお金を高級時計に変えて自分を含め、解散した同僚に配ったらしいよ」ともいかにも物知りのように話してくれた。僕は「そうなの」という以外に言葉がなかった。

2001年といえば、我が社が上場した年である。当時の羽田社長の二つの夢は上場と新社屋を作ることだったといわれていたが、その夢を2001年2002年に叶えたのである。

ただ、新社屋はともかく、上場すべきだったかどうかははなはだ疑問である。上場していた海外の大手広告会社の経営者は懐疑的であったと聞く。経営の自由を奪われるからである。

ところで、先輩から入社時に『我が社の常識は世間の非常識』とよく諭された。当時はよく意味は分からなかったが、今から考えると、Tさんの例からもよくわかる。おそらく捕まった、T氏もF氏も自分が悪いことをしたとは思っていないのであろう。なぜなら、やったことは、我が社の常識だからである。

ここで解説しておくと、我が社や電報堂・ABCなど総合広告会社といわれる広告会社の中には、私のような媒体マンと広告主を担当する営業局員が混在している。いわば、仕入れ部門と販売部門が同じ会社の中にあるということである。(海外ではありえないらしいが)したがって、媒体部門で仕入れたスペースや時間(テレビの)、イベントなどの値段を広告会社が勝手に決めて、販売しても問題はない。ちなみに世界陸上、世界水泳、サッカーワールド度カップ、オリンピックのテレビ広告枠の販売などは我が社独占である。海外ではブランドエージェンシー(クライアントを担当し、クリエーティブやマーケティングを行う会社)と媒体エージェンシー(媒体社と向き合う会社)とは別の会社になっており、ブランドエージェンシーは、メディアエージェンシーを通じて媒体社からの請求書のコピーを添付するのが常識であるらしい。また、日本とは違って、一業種一社しか担当できない仕組みだそうである。

羽田社長は社の内外から帝王と恐れられていたらしいが、私の先輩の女子社員が羽田社長が担当局長していた広告主の広告で致命的なミスをしたとき、羽田社長は彼女に『一緒に責任を取って、会社を辞めよう』といったそうである。そのくらい、羽田社長は責任感の強い人であったようである。

水割りのグラスをもてあそびながら、瀬戸内は言う。

「我が社は羽田社長が亡くなって終わったのさ」

「どういう意味なの?」獏は聞く。僕の知らない話ばかりである。

「羽田社長がなくなった後、しばらくして我が社はすべての資産を売り払ったろ。社員がよく使っていた温泉寮や、テニスコートなどの厚生施設、運動場まで資産といえるものはすべて売り払った、果ては新社屋まで。これは、欧米流の経営指標であるROAとかROEを高めるためにったことで、少ない資産で利益が上がっていることを示す指標なんだ。特に海外からの投資を促すためのものだけど、その分投資家はうるさいことを言ってくるけどね。我が社は資金は潤沢あえて上場の必要はなかったわけさ。だから羽田さんが死んだ後、まんまと欧米流はまった感じかな。継いだ人たちにいまだに欧米へのコンプレックスがあったのかもしれないね。想像するに、海外の広告会社を買う際にどこか、あるいは誰かが大儲けしているような気もするしね。我が社は草刈り場のような気もする」

私は次の言葉を待ちきれずに乗り出した。

「そう急ぐなよ」彼は、残りの水割りを飲み干しながら言った。

「僕が思うには、羽田社長は二つの夢で欧米の広告会社を越えようと思っていたのに違いない。プライドの高い人だったらしいからね。以前提携していた国際的なP社の役員会に我が社代表として出席しながらそう思ったに違いない。」と瀬戸内は自分に言い聞かせるように言った。

「上場と新社屋によって欧米の広告会社との違い、まさに日本流の広告業の素晴らしさと見せつけたかったのだと思うよ。ただ、ROEもROAも関係ない世界、また評価制度も中間層を大きくしたままで良いと思っていたらしい。(笑い話でではなく、評価制度を変えようとした人事の担当者は、評価制度の参考書を片手に決めていたと聞いたことがある)上場は形だけで、本当は上場をしないほうが自由な経営ができるはずだしね。彼の意図は、上場することで利益をステークホルダーで分配し、それによってわが社を立派で世界一の広告会社グループにしようと思っていた節がある。(もちろん違う意見のほうが圧倒的に多いけどね)その後の社長・役員は、我が社のアメリカ支社代表にこれまでと違ってアメリカ人を登用して成功したものだから、そのアメリカ人の言うことを鵜呑みにして、イギリスの媒体エージェンシーを高く買うと同時に、言われるがままに海外の広告会社を買いあさり、我が社の資産をすべて売り払ったわけさ。結局は我が社の日本式経営の良さはどっかに行って、欧米ではびこっていたブラック(?)な経営を取り込んだということと思っている。Tさんがいたスポーツマーケティング会社JTMの轍を踏むな、まじめに働いている社員を大切にしろ!、日本を大事にしろ!というのが羽田社長の信念だったと思う。要するに、悪いことはするな!日本式に徹せよ!というのが信念だったと思うわけさ。

生意気言えば、羽田社長時代に作ったインターネットマーケティング会社を根気よく育てていれば我が社ももっとデジタルに強い会社になっていたんだと思うんだ、羽田社長もそのあとの社長も我慢が足りなかったのさ。後任の社長も特にいわゆる4マス(4大マスコミ)に頼りすぎたと思うよ。デジタルに関しても、小さな広告会社に先行されても、後でごそっと取ればよいという風に考えていたのかもしれないね。アメリカでは、M&Aでそういうことも言うことも普通にやっているからね。それなのに、羽田後の社長と役員は羽田社長の信念は理解せず、我が社の株式のシエアの高かった通信社の役員メンバーが減ったことを喜んでいたらしい。確かに、羽田社長もわが社の株式のシエアの高い通信会社出身役員を目の上のたん瘤と思ってはいたけれども、紆余曲折はあったものの、媒体とクライアントを含めてまっとうな広告会社になろうとしたかった気がするんだ。そういう意味で、その後、不祥事が相次いだことを、くさばの陰から苦々しく思っているのかもしれないね。特にTさんの件なんかもっての他じゃないのかな。」

「なるほどそういうことか。」と思いつつ、聞いている話とは大違いだけど、自分自身の社内での仕事に対する意識がTさんに近かったと反省した。

 広告会社(特に我が社)の闇は、媒体会社からの隠れた大きな利益に加えて、オリンピックやFIFA ワールドカップの広告主への値段を勝手に決めて大きな利益を得た構造にあり、業界の給与は高かったが、その分は商品に上乗せされていたことを胸に刻むべきである。また、上に立つものが自分で決められず、部下のシナリオ通りに動いて、まっとうで倫理的な経営を学ぶ必要がなかったことも不祥事に起因している。我が社は昔から言われる、「部長で成り立っている会社」であるとの意味がよく分る。部長は必死に働き、上司に忠実で、良いことも悪いことも言われるままになんでもやった。そのことが今回の遠因であろう。

         =働けど働けど、おいしい思いをするのは上ばかりなり=

                      《完》

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