第21話 ヘルハウンド vs ホーラ
ヘルハウンドたちは、僕と男がいる〈主の間〉に踏み入ると足を止めた。
そして周囲を警戒するように辺りを見回し始める。
「な、何だよ。急に現れたと思ったら、あいつら、俺の強さにビビってるのか?」
男はそう言って、
それに怒ったわけじゃないだろうけど、
「グルㇽㇽㇽㇽ」
先頭にいたヘルハウンドがうなり声を上げ、後ろのヘルハウンドたちとともに僕たちのいる中央に向かって、一歩を踏み出した。
さっきまでの威勢のよさはどこへ行ったのか、
「ひ、ひぇぇぇ!」
男はそう悲鳴を上げ、僕をその場に置いて、九階層へと続く道を一人走って引き返す。
集団の中から一体のヘルハウンドが飛び出し、中央で倒れている僕に見向きもせず、男の後を追う。
「く、来るなぁぁぁ!」
男は必死に走って逃げようとするが、ヘルハウンドのほうが速い。
ぐんぐんとその差が縮まっていく。
男は焦ったのか、足をもつれさせ、転倒する。
ヘルハウンドが男に飛びかかる。
男の悲鳴が、ヘルハウンドの咀嚼音によって搔き消されていく。
後に残ったのは、原形をとどめないほど無惨に噛みちぎられた男の肉塊だった。
ヘルハウンドはゆっくりと振り返り、血に濡れた赤黒い牙をこちらに向ける。
やばい、やばい、やばい――。
さっき男に襲われたときとは桁違いの恐怖が湧き上がってくる。
歯がカチカチと音を鳴らす。
手足が氷のように固まって、動かない。
いや、たとえ手足が動いたとしても、この場からは逃げ切れないだろう。
九階層へと続く道には、赤黒い牙をむいた獰猛なヘルハウンド。
十一階層へと続く道には、十体を超えるヘルハウンドの群れ。
逃げ道なんて、どこにもないのだから。
そして遂に、男を襲ったヘルハウンドが、
「グルㇽㇽㇽㇽ」
うなり声を上げて、こちらへと駆けだす。
牙から滴っていた赤黒い血が、そのあまりの速さに後方へと飛び散り、細かな粒となって消えていく。
強く踏みしめられた地面から小さな欠片が舞い上がり、粉塵と化す。
その黒い獣は僕のところで立ち止まると、鋭い牙で僕を肉塊に変えようと、大きく真っ暗な口内を覗かせ、――。
「死なせません!」
幻聴かと思った。
死の間際に僕の頭が勝手につくりだした、ありもしない妄想なんじゃないかって。
だけど、確かに今僕の目の前で、ヘルハウンドの黒い体が一閃され、消滅する。
「大丈夫ですか?」
ああ、本当に、君は――。
ホーラは出会ったときと同じように、僕のことを心配そうに見つめている。
出会ったのはまだ昨日のことなのに、途轍もなく懐かしかった。
僕がかすれた声で感謝の気持ちを伝えると、彼女は強く頷く。
「あとは私に任せてください」
仲間を倒されたことに怒りを覚えたのか、控えていたヘルハウンドの集団が一斉に襲いかかってくる。
ホーラも駆け出し、ヘルハウンドたちを迎え撃つ。
「ヤアァァァァ!」
ホーラがカザミユキを構え、先頭のヘルハウンドを一閃する。
一撃で消滅するヘルハウンド。
残りのヘルハウンドたちは怯むことなく、集団でホーラに攻撃を仕掛ける。
ホーラは群れに囲まれないように、立ち位置を素早く変えながら、確実に一体ずつ、一撃で仕留めていく。
ヘルハウンドの数が遂に三体まで減り、このままホーラが押し切るかと思ったところで、一体が攻撃対象を僕へと変え、一気に向かってきた。
傷だらけで横たわっている僕の体は、ピクリとも動いてくれない。
「――くっ!」
ホーラはすぐさま身を翻して、僕へと向かうヘルハウンドを追う。
驚異的な速さでヘルハウンドに追いついたホーラは、一撃を浴びせようと刀を構えた。
だけどそこで、信じられないことが起きた。
ホーラの背後から、残り二体のヘルハウンドが突進を浴びせたのだ。
攻撃を喰らったホーラの体は大きく吹き飛び、地面を転がる。
どうして……。
なぜ、ヘルハウンドに追いついたホーラが、背後からヘルハウンドに追いつかれたんだ?
少しして、僕は始めの一体が足を止めていることに気づく。
僕に襲いかかろうとしていたはずのヘルハウンドは、その不気味な赤い目を、地面に横たわるホーラへと向けていた。
背筋がぞっとした。
ヘルハウンドは、ホーラを罠に
僕を襲うと見せかけて一体が飛び出し、余力を残した速さで僕のほうへと向かう。その一体を追いかけるホーラに、全速力で残り二体が接近し、前方に気を取られているホーラに、背後から攻撃を浴びせる。
僕を助けるために現れ、戦っていたホーラだ。
ヘルハウンドは、僕を狙えば彼女が後を追ってくると考え、その隙を狙って攻撃を仕掛けたのだ。
ヘルハウンド――恐ろしいほどに頭が回るモンスターだった。
普段から群れで行動しているため、奴らにとって連携して攻撃を仕掛けるなど造作のないことなのかもしれなかった。
三体のヘルハウンドがホーラのもとへと向かう。
ホーラは体のどこかを痛めたのか、上手く起き上がれないようだった。
ヘルハウンドの足取りは、先ほどとは違い、ゆっくりとしていた。
ホーラがすでに動けないことを熟知しているかのような動きだった。
――くそっ! 僕の体、動け! 動けよ! 動けって言ってるだろ!
僕は必死に体を動かそうと、手足に力を入れようとする。
ホーラは僕の命を救ってくれた。しかも二度も。
その命の恩人を見殺しにするなんて、できるはずがない。
全身がボロ雑巾みたいになっていても、彼女を助けたいという思いが、僕を駆り立てる。
「ウオォォォ!」
何とか気合で立ち上がることに成功したけど、ヘルハウンドはホーラのすぐ近くまで迫っていた。
間に合わない!
そんなとき、今までに感じたことのないほど大きな揺れが、僕たちを襲った。
ヘルハウンドたちがピタリとその動きを止める。
一体、何が……。
次の瞬間、ドーム状の壁の岩が、メリメリと音を立てて剝がれ始めた。
「……そんな、まさか」
よりにもよって、このタイミングで――。
剥がれ落ちて裂け目となった岩壁の向こうから、巨大な手が差し込まれる。
周りの岩壁がメキメキと音を立てながら押し広げられていく。
その光景は、悪夢でも見ているかのようだった。
裂け目から覗く、異様なほどに大きな褐色の顔。
真っ黒な瞳がぎょろぎょろと動き、僕らへと向けられる。
――間違いない。
あれが、ここ〈主の間〉にただ一体君臨することを許された存在――階層主。
「ゴォガァァァ!」
十階層全体を揺るがすほどの咆哮が響き渡る。
岩壁が大きく引き裂かれた。
現れたそのモンスターは、全高十メートルを超えていた。
何より見る者の恐怖を駆り立てるのは、百本にも達する太くて長い腕だろう。
上層の最下層で多くの冒険者の行く手を阻んできた巨人のモンスター〈ヘカトンケイル〉が、僕たちの目の前で復活したのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます