第7話 ダンジョンで異変

 待合室に入り、クレアさんが僕たちに奥のソファを勧める。


 僕とホーラが腰を下ろし、次いでクレアさんが向かいのソファに座った。


 てっきりクレアさんはいつものように表情をコロコロと変えながら、次々と質問をぶつけてくるのかなと思っていると、予想は外れ、淡々とした口調でヘルハウンドと遭遇したときのことを尋ねてきた。


 僕は、帰り際にヘルハウンドに遭遇したこと、火炎瓶などで時間を稼ごうとして上手くいかなかったこと、壁際に追い詰められて噛みつかれそうになったところをホーラに助けてもらったことを説明する。


 僕の話を聞いたクレアさんは、顎に細く白い指を当てて、

「見間違いって可能性はないわよね。アレクトスさんも目撃したわけだし」


 クレアさんは僕の隣に座るホーラを一瞥する。


「はい。あれは間違いなくヘルハウンドでした。強さについては、中層と同じくらいだったのかと言われると、よく分かりません。咄嗟のことで、一撃で倒してしまったので。私がもう少し冷静なら、ヘルハウンドの強さを見極められたのに、すみません」


「そ、そんな! 頭を上げてください、アレクトスさん! セレくんが襲われていたんですよね。あなたが一撃で倒さなければ、セレくんがヘルハウンドの攻撃を受けていたかもしれません。謝る必要なんて全くありませんよ! ――ほら、セレくんも何か言って!」


「え、えーっと、ホーラ、助けてくれてありがとう。ホーラが一撃で倒してくれたおかげで、僕はケガをせずに済んだんだ。ホーラが謝るなんておかしいよ。だから、顔を上げて」


「……分かりました」


 ホーラはゆっくりと顔を上げた。


 身を乗り出していたクレアさんは、ほっと一息をついて再び席につくと、頭を抱えて、

「中層のモンスターが上層に現れるなんて初めてだわ。何が起きているの?」


 ダンジョンでは、上層、中層、下層、深層それぞれで異なるモンスターが出現する。その理由ははっきりと分かっていないけど、階層主が関係していると考えられている。上層や中層の間に存在する階層主が、ある種門番の役目を果たし、それぞれの層にいるモンスターたちの行き来を防いでいるというわけだ。


 中層にいるモンスターが上層に行こうと思えば、十層の階層主を倒す必要がある。階層主は強敵だと話に聞くし、ヘルハウンドが倒せたとは思えない。

 

 それに、これまでにモンスターが階層主を倒したなんて話も聞いたことがない。


 ダンジョンで何か異変が起きている?


「心当たりがあります」


 そう言ったのは、ホーラだ。


「本当ですか⁉ アレクトスさん!」


 先ほどソファに座ったばかりのクレアさんが、僕たちと彼女の間にあるテーブルに手をついて、再び身を乗り出す。


「おそらくですけど、十層の階層主が不在なのだと思います」


「不在、ですか?」


 クレアさんが言葉の意味を図りかねるように首をかしげる。


「はい。ここ一週間ほど毎日中層に潜りに行っていますけど、十層の階層主がいつもいないんです」


「一週間もですか⁉」


 上層の階層主は討伐後、通常なら一日経つとダンジョンの壁から産み落とされ、復活する。一週間も階層主が“不在”というのはおかしい。


「てっきり他の冒険者たちの討伐がたまたま重なったか、あるいは私よりも朝早くに、誰かが階層主を倒して、下の層に向かっているのかなと思っていたんですけど……」


「え? もしかしてホーラって、毎回ダンジョンの一層からスタートして、下の階層に向かってるの?」


「はい。その、転移結晶を買うお金がなくて……」


 ダンジョンで稼いだお金は、食事代に消えているというわけか……。


 普通ダンジョンに潜るときには、前回自分が潜った階層まですぐに行ける転移結晶を使う。特に深い層に潜る冒険者にとっては、必須の道具である。毎回一層から順に下の階層へと向かっていたら、目的の階層に辿り着くまでに何日も、何週間も、下手をしたら何か月もかかってしまう。


 ただ、転移結晶は使い捨てで、前回自分が登録した階層まで一度転移したら、その場で消滅してしまう。転移結晶の費用を抑えるため、ダンジョンからの帰り道は徒歩にするという冒険者もいるので、てっきりホーラもそうなのだと思っていたんだけど、どうやら彼女は行きも帰りも徒歩らしい。


「つまり、今日は一日で十五層までの道のりを往復したってこと?」


「はい」


 恐るべきダンジョン踏破速度である。


 クレアさんはホーラの懐事情を知っているのか、特に驚いている風には見えない。


「アレクトスさん。毎回一層から順に下の階層に潜ろうとする冒険者は、あなたくらいです。この一週間で上層の階層主を倒したというパーティや討伐隊の報告は受けていません。おそらく何らかの異常事態が起きています」


 クレアさんは何やら悩んでいる風だったが、「少しお待ちいただけますか」と言って、待合室を出て行った。

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