第3話 金髪赤眼の女の子

 口元から覗く鋭い牙が、ちろちろと赤黒い液体で濡れている。


 ふと、駆け出しの冒険者が剣を振るう音が聞こえなくなっていることに気づく。

 

 彼もしくは彼女が地上に戻るには、僕がいる場所を通らなければならない。

 

 だけど、僕は姿を見ていない。ダンジョンの奥に進んだのだろうか。あるいは……。


 ヘルハウンドの牙から赤い液体が滴り、地面に黒いシミをつくった。


 背筋をさーっと恐怖が這い上がってくる。


「……でも、どうして、上層に」


 ヘルハウンドは中層のモンスターだ。上層に現れたなんて話は聞いたことがない。


「グルㇽㇽㇽㇽ」

 ヘルハウンドがうなり声をあげる。


 疑問は後回しだ。今は何とかして生き延びなければ。


 ザックから煙玉と火炎瓶を取り出し、ヘルハウンドに向かって投げつける。煙で視界を奪い、炎で接近を妨害する。


 そうしてヘルハウンドを足止めしている間に、僕は急いで身を翻し、上の二層に向かって走り出す。今の僕が戦って勝てる相手じゃないことは一目瞭然だった。逃げるしか選択肢はない。


「ガウㇽㇽㇽㇽ」

 だけど、足止めできたのは一瞬だった。ヘルハウンドは煙や炎を物ともせずに駆け抜け、こちらへ向かってくる。


 僕は走りながら火炎瓶に火をつけ、後方に向かって数本放り投げる。

 

 だけどヘルハウンドは怯む必要がないと学習したのか、もはや少しも走るペースを乱さず、一直線に追いかけてくる。


 まきびしを撒いても飛び越えてくるし、催涙弾で視界を奪っても臭いと音で追いかけてくる。


 上層のモンスターなら十分に足止めできる方法が、全然通じない。


「――ぐっ!」


 そして遂に、ヘルハウンドの攻撃が僕を捕らえた。ものすごい突進で僕の体は大きく吹き飛ばされ、ダンジョンの壁に強く背中を打ち付ける。


 ヘルハウンドは壁に寄り掛かった僕の体を前脚で押さえつけ、身動きを封じた。


 赤くのっぺりとした不気味な目。


 鼻を衝く独特な臭気。


 そして、ぬめぬめとした赤黒い液体が滴る鋭い牙。


 逃げ場はなかった。僕はただの食糧だった。


 この世の闇をすべて吞み込んだような、黒く大きな口が、僕の目の前に広がり――。


「死なせません!」

 

 そう声がしたかと思うと、眼前を覆っていた暗闇が一閃され、ヘルハウンドが消滅した。


 ヘルハウンドの体内にあった魔石が、カラン、と音を立てて地面に転がる。


 僕はゆっくりと顔を上げ、ヘルハウンドを一撃で仕留めた人物を見た。


 それは年端もいかない女の子だった。歳は僕よりも下で、十歳くらいに見えた。


 身軽そうな麻のローブに身を包み、腰ほどまである金髪が、湖面に映った満月のように輝いている。


 ぱっちりとした大きな目は、燃えるような赤い色をしていた。


 彼女は僕がこれまで見てきた女の子のなかで最も可愛く、美少女という言葉が霞むほどだった。


「大丈夫ですか?」


「……うん、ありがとう」


 彼女が差し伸べてくれた手を取り、僕は立ち上がる。


「助かったよ。僕はセレ・クロニク。十一歳。化石ハンターだ。君は?」


「私はホーラ・アレクトスと言います。冒険者をしています。歳は、えーっと――」


 彼女は「一、二、――」と指を折り曲げて数を数えると、

「九歳です」


 はきはきとした口調だった。歳の割に大人びた話し方をする女の子だ。


「よろしく、ホーラ。僕のことはセレって呼んで」


「よろしくお願いします、セレ」


 僕たちは改めて握手を交わす。


「ホーラのおかげで命拾いしたよ。本当にありがとう」


「気にしないでください。私だってこれからセレに助けられることもあるかもしれませんし」


「それはどうかな。ホーラは僕より強いでしょ。その歳でソロで冒険者をしている人って聞いたことがないし。さっきだってヘルハウンドを一撃だったじゃないか。すごいよ」


「あ、それはですね――」


 ホーラは右手に握っていた白銀の刀を掲げて、


「これのおかげです。知ってます? この刀」


「刀には詳しくないんだ。でも、すごい刀だっていうのは何となく分かるよ。刀身は紙のように薄いのに、刃こぼれは一切見当たらない。鍔の文様もシンプルだけど、歴史を感じさせる。柄も丁寧に作られていて、握り心地もよさそうだ。何より、まず始めにその刀を見たときに、すごく綺麗だって思ったんだ」


 化石もそうだけど、どんな物でも、洗練された物は美しい見た目をしている。


「一目見てそこまで分かるんですか。すごいです」


「普段から壁や地面を見て化石を探してばっかりだから、知らないうちに細かいところまで見る癖がついちゃったのかも」


「それは羨ましいです。私は割と大雑把な性格なので――って、刀の話でした。これは伝説の刀鍛冶、マツリ・イガラが作った十三本の刀のうちの一本、カザミユキです」


 マツリ・イガラ――その名前なら、刀に疎い僕でも知っていた。「最初で最後の超一流刀鍛冶」なんて呼ばれるほどすごい刀鍛冶で、十三本の刀を作った後は一切刀を作らなかったと伝えられている。


「すごい名刀じゃないか。それを使いこなしているホーラもやっぱりすごいよ。僕だったら、いくらすごい刀を持っていても、宝の持ち腐れになっちゃうし」


 以前、装備に刀を持つことを考えたことがあった。刀は体が小柄でも大きな力を発揮しやすい武器だと言われていて、僕も使いこなせればもっと深い階層まで潜って化石を発掘できるかもと思ったのだ。


 結局、練習しても全然上達しなかったから、諦めたけど。


「えーっと、今から変なこと言いますけど、引かないでくださいね」

 

 ホーラはもじもじとしながらそう言うと、


「実はその、このカザミユキが戦い方を教えてくれるんです」

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