第十一話
浜の近くにある岩場に向かう。浜は海岸線がU字に凹んだ場所にある。その周りは岩場に囲まれていて、浜に行くなら町に面する堤防を越えるしかない。
例え浜の周囲の岩場であろうと、町民はほとんど近付かないらしい。仁がそこを集合場所に指定してきた。
肩くらいの高さの段差の前に立ち、ため息をつく。手で全身を持ち上げ、足をかけて登る。高い岩を登らないとそこまで辿り着けないので仕方なくこんなことをやっている。僕は体を動かすのは好きじゃない。ここに来てからまともな飯を食べていないので、体力も無くなっている気がする。この町の基準ではあの食事はまともなのかもしれないが、僕の常識からすれば質素にも程がある。揚げ物が食べたい。段々胃が痛くなってきた。
岩を乗り越えると木々が茂っており、その奥に海沿いの岩場が見える。あまり奥に行きすぎると浜に誘われて食われてしまうので、奥に行きすぎてはいけないと言われた。こんなに危険な場所にわざわざ来るのは、二人も町人に見つかりたくないからだ。理由は知らないが、見つかればただでは済まないだろうという僕の予想は当たっていたのだろうか。
和彦は僕が浜に行ったことには気付いたが、その理由までは聞いてこなかった。理由を聞かれていたら誤魔化しきれなかったかもしれないので、聞かれなかったことには安堵している。
森が途切れ、岩場が始まる境のところで正則が待っていた。小高くなっている岩場に阻まれ、ぎりぎり海が視界に入らない。
正則は僕に対する警戒心をほとんど失っているようで、必死に手を振ってくる。僕は手を振り返してから走って近付き、聞く。
「仁は?」
「いるよ。ほら、そこに」
正則の伸ばした指の先には、岩の陰で小さく縮こまっている仁がいる。まだ僕を信用しきっていないのか、僕が後ろから誰かにつけられていることを心配しているのか。
僕はそんな仁の様子を見て、気になったことがあった。だが、彼女は僕の方を全く見ていなかった。しきりに森の方を気にしている。
「なあ、仁?」
仁は目線をこちらに向ける。やはり不機嫌そうだ。
「何?」
「やっぱり町から出ようとするのって、町の人に見つかったらヤバいのか?」
「ヤバい。『浜への捧げもの』とか言って、夜中に浜のすぐそばで縛られて放置される。朝になったらいなくなってる。奴ら、それを殺しとも思わずにやってる。厄介払いと同時に、浜のご機嫌とりもできるって寸法だ」
仁は憎々しげにつぶやく。少し黄ばんでしまっている歯が覗いている。
「ご機嫌とりだって?浜も機嫌を損ねたりするのか?」
僕は馬鹿にするつもりで吐き捨てる。だが、仁はごく普通と言った感じで返してくる。
「するだろ。なに言ってんだ」
「は?いや、確かにあの浜がおかしいのは知ってるけど、あの浜って生きてるの?」
「浜は生きてるだろ」
比喩的に「海は生き物」だとか言ったりすることはあるが、この町では本当にそうらしい。浜はオカルト的な現象ではなくて、オカルト的な生き物のようだ。それならますます理解するのは難しい。
あの夜の出来事のせいで、オカルトを受けいれやすくなっている自分に気付く。百聞は一見に如かずと言うが、実際にそれを体験することになるとは思わなかった。
「僕の知ってる常識だと、浜は生き物じゃない。」仁が呆れたような顔をしたのを見て、僕はにやりと笑う。「町から脱出したら、きっとお前ら驚きでいっぱいになるだろうな」
「おい、早く作戦会議しようぜ。俺、早く帰んねえと母ちゃんに怒られちまう」
正則は少しだけ焦ったように言う。
「なんで怒られんだよ」
「俺、家にあんまり帰らないからさ、家の手伝いをしろって今まで何回も怒られてんだ。あんまり繰り返してたら、本気で怒られるかもしれねえ。だから早くしよう」
僕は子供っぽい理由に小さく笑いをこらえながら、「じゃあ始めよう」と答えた。
「役場に忍び込むって、どうやってやる気だ?」
「そんなの、夜中に忍び込めばいい話だ。夜は誰も出歩かない」
そうやって仁は言う。正則も当たり前と言った感じで頷く。
「え?でも、夜はあの化物が出歩いてるじゃないか」
「ああ。それは大丈夫だよ。気にすんな」正則が陽気に答える。
「冗談じゃない。あんなのに遭うのは二度とごめんだぞ」
「この村に来てまだ二、三日だろ?それなのにもうあれと遭ってるのか」仁が呆れたように言う。
「あれのやり過ごし方も知らないのに、どうやって帰ってきたんだ?」正則が心底不思議そうに尋ねる。
「え?頑張って何とかしたんだよ。でも次はどうなるか分からないぞ」
「そんなのありえないだろ」仁がそう言う。心底不思議そうだ。
「ありえないことはないだろ。実際に僕は帰ってきてるし」
「いや、あれに狙われたら普通は帰ってこれない。お前、これ持ってないだろ?」仁が何かお守りのような小さな小袋を見せてくる。もちろん見覚えはない。
「なんだよ、それ」
「これがあればあの化物に狙われない。浜に入らない限りな。だから家の玄関にこれをぶら下げるんだ。和彦の家にもあるはずだ。」仁は語る。
「つまり、それを持って夜出歩くってことか。なんだ、簡単じゃないか」
「役場に誰もいなければ簡単だろうな」仁は言う。
「誰かいるかもしれないのか?」
「役場は村にとって重要な場所だ。だから常に誰かいるはずだ。俺も何回か確認してるから、確かなことだ。」仁が僕のほうを見る。「協力者が増えたことだし、今回はいけるかもしれない。結構は今日の夜にしよう」
「そんな突然……。」正則が抗議するような目線を送るが、刺さるような目でにらまれ、その後に続く言葉を失っているように見えた。
「出るなら早いほうがいい。もうすぐ時期が来る。そしたら俺は見つかるかもしれない。だから今日やるんだ。」小さくまくし立てるように、仁が言う。
僕は何も言い出せなかった。状況を理解できていないが、仁の切羽詰まった様子を見て、僕は少し二人を信じ始めていた。
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