第七話

 荒れ地は長いこと続いている。わずかな星の明かりでは到底先が見えないほど遠くまで続いている。月は隠れてしまってどこにもない。

 砂利を踏む音しか聞こえない。辺りには自分以外の生き物がいないようだ。

 数十歩歩いて不安になり、後ろを振り向くがそこにはカズオはもういない。僕はあきらめて前に進み始める。

 ずっと歩いていると、何のために歩いているのか忘れそうになる。ひたすら広い地面を眺めて足を前に進める。

 こんなに広かっただろうか。もう何分も先へ向かって歩いているのに、なんの代わり映えもしない砂利しかない。僕は漠然とした不安に襲われる。


「こっちだよ」


 どこからか聞こえてくる。ころころした鈴のような声だ。僕は引っ張られるようにそっちへ向かっていく。


「こっちこっち」


 声は僕を待つように、何度も立ち止まってくれていた。僕は安心して導かれていた。しかし徐々に声との距離が開いていくのを感じていた。

「ちょっと待って、速いよ」

 速足になりながら文句を言った。でも声からの応答はない。ほんの少しだけ腹が立ったが、僕は何も言わずに声についていく。


「こっちこっち」


 声は先へ進む。歩いていては追いつけず、僕は慌てて走り出す。

「待って、置いていかないで」

 声は僕のことを気にせず進む。その声にはどこか喜色があるように思える。僕は必死で追いかける。


「こっちこっち」


 僕は走って追いかける。でもドンドン突き放される。

「待ってよ。行かないで」

 すっかり呼吸が荒くなり、喋るのも一苦労だったが、なんとか懇願をひねり出す。でも声は笑いながら尚も遠ざかる。

 僕は走る。声は小さくなっていく。どうしようもない孤独が僕にのしかかる。僕は泣きそうになりながら走る。

 もうほとんど声は聞こえなくなっていた。僕は声のしていた方へ、ひたすら走った。

 突然、目の前がひらけた。隠れていたはずの月が僕に顔を見せていた。お陰で周りがよく見える。

「なんだこれ……」

 僕は堤防の上に立っていた。目の前には浜が広がっている。粘液質な海が、波を装いながら揺れている。

 振り向くと町が広がっていた。砂利の荒れ地なんてどこにもなく、道から人一人分くらいの距離しか離れていない。僕は無いはずの場所で必死になって歩いていたのだ。

 足元で何かが動いた。堤防のすぐ下の道路に何かがいた。人のようなシルエットだが、確実に人ではなかった。数十はいる。

 体中が水ぶくれのようになっており、手足はどろどろに溶けて液状になっていた。骨格がどこもかしこもねじ曲がっていて、目は焼き魚のように白くなっている。それでも人の形を保とうと努力しているように見えた。

 僕は悲鳴をあげるしかなかった。死体たちは僕の悲鳴に呼応するようにうめき声をあげた。

 どこからともなく、僕の名前を呼ぶ声がする。「颯太ー、颯太ー」と呼ぶ声は下で僕を見つめる死体たちの中から発せられているようだった。そのしわがれた声には、心当たりがあった。

「カズオさん……?」

「颯太ー。気を付けて行けよー」

 カズオと思われる老人の死体は、にやにやしながら僕を見ていた。

 死体たちは堤防に上ってこようとしていた。後ろには浜。逃げ道は封じられていた。僕はどうすればいいか分からず、死体たちを見ながら硬直していた。

 死体に触れられて、僕はやっと正気を取り戻した。気持ちの悪い冷たさと弾力は、底から湧き上がるような嫌悪感を呼ぶ。

「うわー!やめろ!触るな!」

 僕の足に触れて来た手を蹴り飛ばす。その手は水のようにはじけ飛んで消える。死体は痛がっているように見えた。攻撃は効く。

 僕は必死になって蹴った。死体は数が多かったが、動きは鈍かった。さながらゾンビのようだった。

 夢中になっていると、後ろから抱き着かれた。ネチャリとした音が耳元で鳴る。暴れて振りほどこうとするが、思いのほか力は強かった。僕は食われるのかと思い、目を閉じた。歯を食いしばり、痛みに耐えようとした。もちろん逃れようと暴れることはやめない。

 しかし死体たちが噛んでくることはなかった。死体たちはひたすら押してきた。僕は目を開け、死体たちが押し込もうとする方向に何があるのか見た。

 浜があった。死体たちは、僕を浜に入れようとしていたのだ。入るのはマズいと本能的に分かる不気味さが、浜にはあった。まるで大きな口を開けている大型の捕食動物のようだった。

 僕は今までよりさらに強く暴れる。浜に入れば命は確実に失うだろう。それは避けなければいけない。

「やめろよ!離せ!」

「浜には入るなよー」

 またあのしわがれた声だった。耳元で聞こえる。僕に抱き着くようにしている死体がカズオらしい。

「カズオさん!離して!」

「危ないぞー」

 声には感情はなかった。ただ言っているだけの無機質な声だった。

 もう言葉で言っても無駄だと思った。必死に体をねじる。左の腕が拘束から逃れた。僕は必死で腕を振り回す。腕が死体たちに当たり、死体は弾けていく。水風船のようだ。

 後ろにいるカズオを何とかしなければ、この状況から生き残れることはないだろう。そう思ってカズオに肘をぶつける。横腹にあたったようで、一気に力が弱くなり、そのすきをついて何とか逃れることが出来た。

 少し距離を取り、振り返って様子を窺う。数十いたはずの死体たちは、いまは五人くらいになっていた。案外脆い化物に、僕は余裕が出てくる。

 カズオのわき腹は削れて無くなっていた。直立しているのも難しいようで、上半身がだらんと垂れている。

 身構えていたが、死体たちが向かってくる様子は無かった。フリーズしているようだ。

「なんなんだよこれ……」

 僕は堤防から道路側に飛び降りた。死体たちは視線をこちらに向けるが、それ以上何もしてこなかった。

 道路を辿って脱出を試みるか迷う。もう空がうっすらと明るくなりかけていた。もうすぐ朝になる。

「今日は脱出はやめよう……」

 死体から目を離さずにそう呟き、走って町に逃げ込んだ。


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