第三話

 和彦はやたらと筋肉質で、目の鋭い男だった。背は160センチ強しかないものの、適当に切られてツンツンした髪の毛、太く繋がりかけた眉、四角い顎など、その顔の構成要素は全て体の屈強さを際立たせていた。

 町長の屋敷からここまで、和彦は何もしゃべらなかった。僕は集会のあと、何も言わない和彦の背中を追った。和彦も文句を言わなかったから、それで正しかったのだろう。胡坐あぐらをかいている和彦を見る。和彦はなぜか絶対に目を合わせようとはしなかった。

 ここは和彦の家だ。町のはずれにある、小さな小屋だった。町の中心部から橋を渡った先にある侘しい一軒家である。さっきは町民たちから尊敬されているように見えたのに、なぜこんな粗末な家に住んでいるのか。和彦のことがよく分からない。

 和彦は背を向け、ずっと何かを弄っていた。僕は所在なげにそれを見つめるしかなかった。

 しかしあまりにも無口が過ぎないだろうか。僕はもう気まずさに我慢がならなかったし、さっきの話についても聞きたいことが多すぎる。和彦から放たれる無言の圧に、僕は腹を決めて話しかけることにした。

「あの——」

「なんだ」

 食い気味に返してくる。次の言葉が喉に突っかかってしまったが、やっとの思いで言葉を紡ぐ。

「色々聞きたいことがあるんですけど——」

「好きにしろ」

「……ふう。えっと、ここが孤立した場所って、さっき町長さんが言ってたんですけど、どういうことですか?」

「そのままの意味だ」

 僕はその後に言葉が続くと思って待った。しかしいつまで経っても和彦の口は開かない。これで終わりのようだ。もっと喋ってくれてもいいと思う。

「陸の孤島ってことですか?他の街にはいけないんですか?」

「……そうだ。他の場所にはいけない。どうやっても、死ぬまではここからは出られない」

「山を越えられないってことですか?迷いやすい?」

「迷ってるのとは違う。ここに入ったからにはここに縛り付けられる」

「超常的な現象ってことですか?」

「そうだ」

 そういう信仰がある場所ということだろうか。あまり深くは突っ込みたくない話だ。他人の信仰について聞いたところで、益などあるはずもない。あるいは、仲間のフリをすれば益にもなるだろうか。

 僕は唐突に頭の中から靄が発生したような気がして、頭を抱えた。奥深くにある何かが見えた感じがあったのにシルエットすら見えない。信仰は、忘れている僕の何かに深く関わっているような気がして、だけど靄からは何も生まれなかった。

 何十秒か沈黙があったが何も浮かばず仕方なく思考を放棄する。今は聞くことが別にもある。

「——海からは出らないんですか?」

「出られない。海に出るなら浜からしか無いが、浜は恐ろしくて誰も近付かねえ。お前も長生きしたいならあの浜には近付くな」

 さっきまでのぶっきらぼうさと違って、案外喋ってくれた。自分から話をするのが苦手なだけで、話を振れば喋ってくれるタイプのようだ。それかそれだけ「浜」を恐れているのかもしれない。

「僕はここから出たいんです。なんとかなりませんか?」

「無理だ。何をどうしようと、ここに入ったからには無理だ」

 和彦はここから出る方法を教える気はないらしい。本当に知らないなんてありえないと僕の知っている常識は言う。古い信仰が残っているようだし、宗教に洗脳でもされているのだろうか。

「じゃあ、日本じゃないっていうのは」

「もう日本の政府や軍人とも連絡はできねえ。こっちからも、あっちからもだ。もともと日本だったが、もうそんなんじゃあ日本とは呼べねえってことだ」

「時期じゃないっていうのは」

「それはそのうち分かる。——そろそろ行くぞ。ついてこい」

 そう言って和彦は立ち上がった。その手には釣り竿のようなものがあった。海は恐ろしいから誰も近付かないとさっき言っていたのは、気のせいだったのだろうか。

「お前に海を見せてやる」

 僕は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていたことだろう。

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