死人探偵

鈴音

死ぬ事でわかること

 ある日の昼下がり。血で濡れて霞む真っ赤な空と、青ざめる周りの顔。その中で、私は鉄臭い包丁を握りしめて、寝転がる彼を見下ろす。


 ―始まりは、私が彼に出した依頼。ストーカー被害に悩む私に、古い友人は探偵である彼を勧めてきた。曰く、誰よりも信頼でき、有能な探偵と。


 私はその言葉を信用し、友人の持つ名刺から電話をかけてみた。そして、驚いたことに電話の相手は女性であった。どうやら助手兼秘書のようなものらしく、依頼受付や事後処理などをこなしているそうで。


 そんな彼女は、探偵は今出払っているから、明日の昼頃に指定のカフェに来て欲しいと伝えてくれた。


 私はそれに従い、カフェに足を運んだ。平日の昼ということもあり、店は静かで、お昼ご飯を食べながら待とうと思ったけれど、ランチメニューは無かったので軽食のクッキーを齧りながら探偵を待つことにした。


 それから1時間もせず、探偵は現れた。少し大きめのスーツをきっちりと着こなす、優しそうに目尻を垂らした青年。最初は、ただの客と思ったが、差し出してきた名刺は友人が見せてくれたものと全く同じで、その隣には昨日聴いた声の女性が目を閉じて立っていた。


 わざわざ出向いてくれたことに対する感謝としてコーヒーを1杯頼み、早速ストーカー被害に遭っている事を伝える。探偵は、警察に相談しろなどとは直接言わなかったものの、どうして自分を?と、尋ねてきた。


 もちろん、警察にも通報した。が、何故か警察は歯切れ悪そうに、


「はぁ…ええまぁ、調査はしますけれど…」


 と、やる気がないというより、面倒くさそうに言って、それからだ。


 それからは、いくつか確認したいと言うことで聞かれた質問に答えた。家の周りに何があるか、地域の目はどうか、仕事や普段は何をしているか。もちろん答えにくい質問やプライバシーに関わるものには深く突っ込まず、答えやすい質問が多かった。


 その日は、その話で終わった。一度情報を整理し、改めて現地で色々見て調べたいとのことだった。


 そして、家に着いたその時、違和感に気づいた。私は今アパートに住んでいる。こじんまりとした、4部屋しかないアパート。そして、私の部屋の隣に大家さんが住み、毎日部屋の前を綺麗にしてくれるのだが、その日はゴミが散らばっていた。それもただのゴミではない。使用済みの避妊具や男性用の下着、細かく裁断された写真等。


 明らかな異常事態に混乱するも、行動は以外にも冷静だった。


 すぐに警察に連絡し、探偵にも電話をかける。幸い、どちらもスムーズに状況説明が終わり、すぐに向かってくれるとの事だった。


 部屋に入れず、アパートの前で立つ私。そこで、もう1つ異常に気づいた。


 大家さんはいつも、この夕方の時間には電気をつけてテレビを見ているはず。なのに、今日は電気がついていない。疑問に思う前に、体が動いた。


 急いで部屋のドアをノックする。反応が無い。鍵も閉まっている。テレビで見たように勢いよくタックルしても開かない。すぐ隣の窓を蹴り割る。何とか体をねじこめるだけのスペースは作れた。


 そこには、鼻につく臭いを漂わせながら倒れる大家さんがいた。いつも着ている白いちゃんちゃんこが真っ赤に染まっていた。部屋の奥の窓ガラスは、粉々になっていた。


 間に合わない。そう思っても、救急車を呼ぶほか無かった。


 大丈夫!?と、声をかける。大丈夫なわけない。焦って、勢いよく転がしてしまう。


 目に入ったのは、しわくちゃの顔に涙の後を残し、息絶えた大家さんの顔。そして、お腹のところに柄の所まで深々と突き刺さる包丁。吐き気がした。噎せ返る程の鉄の匂い、鼻に上ってくる胃液の酸っぱい匂い、いつも嗅ぎなれた優しい大家さんの古い家の匂い。全部が頭の中をかき混ぜて、顔がぐちゃぐちゃになる。涙も、鼻水も、吐瀉物も、むしろひっこんでしまうほどだった。


 誰がやったか。そんなの混乱していてもすぐわかる。あのストーカーだ。


 ふらふらと部屋から出る。どうして大家さんをと考えながら。そこで、勢いよくガラスが割れる音がした。


 上の階から音はした。驚いて首を持ち上げる。そして、目の前に血が降ってきた。いや、血ではない。血塗れで息絶えた子供。少し気の弱そうな旦那さんと、ふくよかで優しそうな奥さん。このアパートの住人で、とても優しい家族だった。そのひとり息子。それが、血塗れで降ってきた。


 べしょっ。と、柔らかく水を含んだ何かがコンクリートの上に転がる音がした。階段から、あの子のお母さんだったものが転がってくる。お父さんは、いつも帰りが遅いよな。なんて場違いなことを思い出した。


 最後に、その家族の隣の部屋から、顔も服も真っ赤で、股間を露出した男が、1人の女の子を引きずって出てきた。女の子も、もちろん真っ赤で、口の端から泡と、白い何かを付けていた。


 男をよく見ると、警察の被るような帽子と、ジャケットを着ていた。もう、何が起きてるかわからなくなった。


 膝が震え、まともに立てない。ぺたりと音を立てて、その場に座り込んでしまう。


 男は、女の子を放り捨てると、訳のわからない絶叫と共に走ってきた。


 その直後。私の後ろから、パンっ。と、軽いけど大きな音がした。それから、男の胸あたりから何かが飛び出したように見えた。それは、血だった。返り血まみれで、それが本当に男の血かわからなかったけど、多分男の血だった。


 振り返ると、警察が立っていた。拳銃を構えて。


 そこから先の記憶は無い。後で聞くと、私はあの後気絶し、探偵も遅れてやってきた。警察とは顔見知りのようで、現場を調べてくれたらしい。


 その事件から数日。しなくてもいい検査とカウンセリングがようやく済み、外に出ることを許された。


 そして、探偵に呼び出され、話を始めた1言目は、


「犯人はあれではありません。別の男です」


 だった。


 ―現場に残された使用済みの避妊具から検出されたDNAと、あの時いた男のDNAが異なっていたと言う。そして、探偵は続けた。


「犯人の目星はつきました。そして、今日にも警察を呼び、事件を解決できます。…どうしますか、まず解決するか、それとも私が調べた事を聞きますか?」


 正直、早く捕まえて欲しかった。けど、それ以上に好奇心が湧いてしまった。こんな時に何を不謹慎なと、狂っているのかと言われそうだが、私は昔から小説が好きで、なのにこの手の出来事に無縁だった。何より、アパートの人は殺されたが、どうにも現実感がなく、ふわふわとしていて、意識の外に置きやすかった。


「先に結論から言いますと、あの2人は無関係では無く、協力関係にありました。あなたのストーカーをするついでに、といった感じらしいです」


「始まりはあなたが警察に行った時のこと…過去に、失せ物探しで出向いたことがありましたね?その時に、あなたを見かけたのが始まりです」


「そこから犯人…ストーカーですし、Sと呼びましょうか、Sはあなたの事を調べ、ストーキングを始めました。理由はまだわかりませんが」


「その後、トントンと出世することが出来たSは部下に金を握らせ、こっそりあなたの情報を調べさせたり、通報を無視するようにしました」


「その後、近所で痴漢行為を繰り返す男…殺人犯Kを捕まえた時に、取引をもちかけたそうです。時期を見計らい、ある計画を実行する。その時に、好きに殺しても強姦をしてもよい。と」


「その計画の時に、2人は共にアパートに向かい、Kは殺人を実行、Sは部屋であなたを待つことにしました。ですが、その日はあなたが私に相談に来る日。帰りが遅れ、計画にズレが生じた為、先にSは帰宅することにし、部屋で行なった自慰行為の痕跡と、汚れた下着、盗撮写真を持ち帰ろうとするも、袋が破れ全て落としてしまったようで。近くのゴミステーションに穴の空いたビニール袋がありました。」


「それからあなたが帰ってきました。…というのが、あの日の真相です。」


 私は、滔々と語られる内容をほぼ理解出来ずにいた。警察がそんなことをするなんて、信じられなかったからだ。


 だが、もっとわからなかったのは、探偵が語りながら包丁を取り出した事だ。


「これですか?事件解決に使うんですよ。付き合ってくださいね」


 そういって、お金を払い、カフェから出る。


「では、解決に行きましょう」


 ―やってきたのは、人の多い公園。休日で、親子連れも多い中、キッチリしたスーツを着た中年男性が時計の下で、苛立たしげに立っていた。


「さて、あれが犯人のSです。では、これから改めて仕事を始めましょう。」


 そう言って探偵は、少し楽しげな顔でまっすぐ男の元へ向かった。そして


「さようなら!!」


 そう言って、自分の腹に勢いよく先程の包丁を突き刺した。


 目を丸くする私とS、そして、にわかに騒がしくなる公園の人々。その中で探偵は、男の腕を掴み、包丁を握らせた。


「ぐわー!こいつは人殺しだ!早く警察を呼んでくれー」


 などとのたまった。そこで、私は彼の2つ名を思い出す。彼は、その界隈でこう呼ばれていた。


 死人探偵しびとたんてい。と。


 その由来がわかったのは後から。どうやら、彼の常套手段があれで、何度やっても死なないから死人探偵などと言われているらしい。


 警察は、すぐに来た。そして、死人探偵の顔を見てすぐ納得した。


 探偵は、痛みをこらえるように私のところにやってきて、記念だからと血塗れの包丁を無理やり握らせてくる。その時に、彼の血が顔にかかった。


「これで、依頼完了です。またのご利用お待ちしております」


 そう言って彼は仰向けに寝転がった。


 …血で濡れて霞む真っ赤な空と、青ざめる周りの顔。その中で、私は鉄臭い包丁を握りしめて、寝転がる彼を見下ろす。こんな無茶苦茶な探偵がいて貯まるか。


 ―後日談だ。


 どうやらあの秘書は医者として働いていた事もあり、とても腕がたつらしい。ある事件をきっかけに彼と出会い、無茶苦茶な事件解決方法に呆れて、無理やり秘書になって事件解決の時にはその場で救急治療を行うらしい。


 そして、犯人は昔から汚職やパワハラ、賄賂に手を出し続けた外道で、それらの事実と、傷害の冤罪と、ストーカー行為、殺人幇助諸々でほぼ無期懲役となったそうだ。


 それからまた数ヶ月。私は、何とかあの時のトラウマを克服し、引越し先で仲良くなった人と付き合うことになった。それが、また別の事件に繋がるなんてことを知らずに。


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死人探偵 鈴音 @mesolem

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