大好き、は自分で守れ!

CHOPI

大好き、は自分で守れ!

 真っ暗な夜道を一人、家へ向かって歩いていた。


 社会人になって早数年。終電帰りも悲しいことに慣れてしまって、むしろ電車で帰れるならありがたい、とまで思うようになっていた。土日の概念もいつの頃からか無くなっていて、そんなんだから友人と最後に会ったのなんていつの事かすぐには思い出せない。連絡を取るのはほとんど仕事関係の人だけで、だけどそれに対してもう何も感じなくなっていた。


 朝、布団の中で目が覚める。あぁ、今日もまた一日が始まってしまう。そう思いながらなんとか気合いで身体を起こして洗面台に向かう。顔を洗って、歯を磨いて、髭を剃って。鏡の中の自分に向かってニッコリ、笑いかけてみるけれど、途端にアホらしくなってすぐに止めた。キッチンに向かって適当に何か口に、と思って目についた食パンにそのままかじりついた。流れるようにテレビのリモコンに手をかけて電源を入れれば、朝のワイドショーがちょうど今日一日の天気予報を伝えていた。傘が要らないことだけを確認して電源を消し、口にくわえた食パンをさっさと胃に納めて着替える。玄関が今日も重たい気がするのは、どうせ今が朝のせいだ。


 会社に着いて、仕事に追われて。気が付けば今日もまた終電。家に帰ってやっとの思いでシャワーだけ浴びて、冷蔵庫を開けてみればそこには何も入っていなくて。でももう家から出る力なんて残っていないから、キッチンを漁れば運よくインスタント麺を見つけたのでそれを茹でてお腹に入れた。今日もだいぶ疲れ切っていて、さっさと布団の中に潜る。


 この毎日が、いつまで続くのか。先の見えなさに、いっそ誰かオレを殺してくれよ、とまで思うようになっていた。



 本当にたまたま、その日は仕事が早く終わって、だけど特に何も予を入れていなかったオレは、会社の近くにある大きめの電気屋に寄ることにした。仕事で使うUSBを新調しようと思ったから。その電気屋は電化製品の他にも家具や日用生活品、それから食料品の類も扱うような大型の電気屋で、今日みたいな日を利用してなるべく買いだめをしておこうという算段だ。


 エスカレーターで上の方の階を目指す。と、途中にホビーを扱う階があって、用も無いのにその階へと足を伸ばしていた。


 結婚どころか今は彼女もいない自分には、もちろん子どもが居るわけもなく。甥っ子や姪っ子もすらもまだいない。そんなんだから、おもちゃなんてもう何年ちゃんと見ていないんだろう、なんて思った。色とりどりの外箱やサンプル品を眺めていると、こういうものにワクワクしていた頃が懐かしくなる。


 おもちゃに引き寄せられるように、グルッと一周。ゆっくりと今のおもちゃを見て回る。スマホ型のおもちゃが目に入れば『オレの頃はガラケーだったな』なんて思ったり、今のおもちゃのギミックのレベルの高さに『オレらの頃ってこんなに高度なギミックあったっけ!?』と純粋に驚いたりした。そうしておもちゃを見ているうちに、少しずつ、少しずつ忘れていた何かを思い出し始める。


 そして、とあるコーナーでオレの足は完全に止まった。それはヒーローたちを模したソフビ人形がたくさん並んでいるコーナーだった。その中に、かつての自分が大好きだったヒーローが居て、あぁ、今でもヒーローなんだなぁ、なんて。


 一人暮らしの社会人になった今、ソフビ人形一体なんてそんなに痛い出費じゃない。ほとんど衝動的にそのヒーローを掴んでレジへ向かう。『プレゼント用ですか?』と店員に尋ねられて咄嗟に頷いてしまった。普通の袋より少しだけ良い物に包まれたそれを受け取ると、仕事用のカバンに詰め込む。同時に本来の目的を思い出して、慌てて目的を果たしにメディア取り扱いの階へと向かった。


 家に帰って仕事用のカバンからそれが転がり出るまで、オレはそれを買ったことなんて完全に忘れていた。……今日もしんどかった。また明日もしんどい日が始まる。そう思いながら布団にくるまろうとして、床に置いていたカバンに足が当たって倒れていなければ、オレはきっと会社に着いてカバンを開くまでそのソフビの存在を忘れていたと思う。


 少しだけ良さげな包みに包まれているのを丁寧に開ける。キレイに開けられて満足しながら中身を出せば、そこにはオレの大好きだったヒーローのソフビ。手に取って目の前にかざしてみる。あの頃大好きだったヒーローを見て、何故だか急に苦しくなった。



 オレは、いつの間に

 たくさんあったはずの、大好きなものを忘れてしまったんだろう



 その日から、会社への往復の道、仕事の合間、寝る前の布団の中、その他の隙間時間にあのヒーローが頭を過ぎるようになった。ここ数年間何も感じなくなっていた心が、驚くほどの速さで子どもに戻っていくのがわかった。時間も無いのに入っていたサブスクを見れば、オレの好きだったヒーローも取り扱いされていて、だから寝る時間を削って少しずつだけど見返したりした。件のソフビは、あれからずっとテレビ台の上に飾っていて、しんどい時にそれを手に取って眺めてるだけで、何故か少しだけ救われた気がして。そうして、真っ暗で張り合いの無かった日々が、少しずつ、確実に変化していった。


 その年の忘年会。オレの卓はみんな既に出来上がっていて、オレ以外で勝手に盛り上がっていた。だからオレの意識は隣の卓の会話に流れていて、そこでは後輩が飲み会の席で良く出てくる好きなものの話を振られていた。

「えーっと……。ずっと好きなのは、子どもの頃から見ていたドラゴンが出てくるアニメなんですけど」

 そう答えた後輩に上司は

「え、今でもそんなものが好きなの?」

 と言う。その上司の答えに、ついこの間のオレなら同意していたかもしれないけれど、今のオレは『なんだコイツ』、とまで思うようになっていた。

「ははっ、すいません。まだまだ子どもで」

 後輩がそう言ってその話はそのまま流れたけれど、その後もオレは一人、その会話が頭に残ってモヤモヤしていた。


「なぁ、この後二人で少しだけ飲み直さないか?」

 忘年会も終わり、行きたい人たちは二軒目行こう!なんて周りが騒いでいる中、オレはこっそりと先ほどの件の後輩に声をかける。後輩は一瞬考えるそぶりを見せてから、

「良いですよ」

 と言って、そのまま二人で集団から抜け出して二軒目を探す。適当なチェーン店に入って個々の飲み物を頼む。


「さっきさ、一軒目で話してたの聞いてたんだけど。お前、あのドラゴンのアニメ好きなの?」

 そう切り出すとその後輩の顔が少し曇った。もしかすると上司たちの反応を思い出したのかもしれない。

「……はい、そうですけど……」

「あれさ、オレも好きだった」

「え、そうなんですか!?」

 曇った後輩の顔が一瞬で明るくなる。やっぱり好きなものの話をするときは、こういうふうに明るい顔にならないとおかしいだろ。

「あれ、小さい子向けのアニメ、って言う人もいますけど。でも、キャラクターたちの個々の物語って、大人になった今だからこそ違った視点で響くものもあったりして、だから俺、ずっと大好きな作品なんです!」

 一息に一生懸命熱く話すその様子を見て、オレもその熱量に引き上げられていく。

「わかる。オレはさ、あのアニメの主人公たちももちろん好きなんだけど、ヒール側がずっと好きでさ……」


 それから二人、飲みながら話す内容はずっとドラゴンのアニメの話で。だけど忘年会で気ばっかり使っていた時より全然楽しくて。

「すみません、そろそろラストオーダーの時間で……」

 その声で現実に戻されるまで飽きもせずに話し続けていた。



「先輩、ごちそうさまでした」

「いいよ、オレが誘ったんだし」

 律義にお礼を言ってくる後輩にそう返しつつ、二人で駅の方へと向かう。

「俺、子どものまま大人になれてない自覚あったんですけど。だけど、こうやって好きなものの話が出来たの、嬉しかったです」

 そう言って後輩が笑う。

「オレも、こんなに好きなものの話したの、久しぶりだわ」

 そう伝えれば、後輩は少しだけ寂しそうに笑った。

「……俺、大人になって、好きなものの話ほど、上手く話せなくなりました。『そんなのがまだ好きなの』って言われることの方に慣れてしまって」

「……オレもさ、最近なんだよね。自分が大好きだったもの思い出したのって」

 そう言ってから後輩に大好きなものを思い出し始めたきっかけの話をした。あの日たまたま見つけたかつての大好きだったヒーローが、もう一度オレを救ってくれて、今でも一番大好きなヒーローになった話を。


 オレの話が終わる頃、ちょうどよく駅に着く。タクシー乗り場に向かえば前に数人だけ並んでいたけれど、ここなら立地的にすぐにタクシーも来るだろう。

「……オレさ、これからは大好きなもの、もう忘れないように、全部まとめて抱えていくわ!」

 後輩に向かって何気なく宣言すると、後輩も頷きながら返してくる。

「俺も。好きなもの、これから先もずっと、曲げません!」





 ――……大好きなものを全部忘れてしんどかったあの日々よりも

 大好きなものを『大好き』だと言える、今の方が絶対に楽しい

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