第一章 決意と出会い②

 故郷とはちがったなつかしいにおいを感じながら、馬車から降りいつけんの平家の前に立つ。ドアノッカーを数度たたけば「どうぞ」という声。それにともない開いたその先は、薬草や消毒液の匂いがして。

「ほっほっ、めずらしい元気なかんじやさんじゃのう?」

「ごげんうるわしゅう、お医者様」

 彼こそが、お母様を治すための希望の光であり──時が戻る前、私を支えてくれた友人だった。こうしやく家で見た時よりも、目の前のお医者様は少し若く見え、白髪しらがまじりのきんぱつ、そして人のよさそうなじりにはしわが刻まれている。そんな彼に招かれるまま平家の中にゆっくりと足をみ入れた。

「ふむ。わしの知り合いでも、しようかいでもなさそうじゃが……」

「ええ、お初にお目にかかります。ナタリー・ペティグリューと申します」

「おや、ペティグリュー家、貴族の方とは……」

 この時代でお医者様と出会うのは、〝はじめまして〟になる。当たり前の事実に、少しさびしさを感じながらも、未来と変わっていない彼のふんに懐かしさを覚える。公爵家専属の医者でありながら、住まいは敵国と同盟国とペティグリュー領の境界、国同士のけんせいによって中立が成り立つへきに置き、不自由な人々のしんりようを行っているのだ。彼自身、元はセントシュバルツの貴族らしいが、今は身分を捨ててこうして医者をしていると、公爵家にいたナタリーをもんしんする際に話してくれた。

「……身分など、お気になさらないで下さいませ。気軽にナタリーと」

「ほっほっほ。ここまで、わしに気をつかって下さるとは。何か口止めでもされそうじゃのう。これはじようだんじゃがね、ほっほっ」

「ふふ、決して口止めなんて意図はございませんわ」

「そうか。ではお言葉に甘えて……ナタリーじようは、どんな目的でここへ?」

 話し口調はやわらかいが、視線にはするどさがあった。そこにふくまれるのは、疑問と見定め。ナタリーは軽くにぎこぶしをつくり、意を決して口を開く。

「……なみだつゆくさを求めていらっしゃるとうかがいました」

「ほう……?」

「その草をえんいたしますので、それでお作りになった薬を頂けませんでしょうか」

 お医者様の視線が先ほどよりも鋭くなった。それもそうだろう、未来で聞いた話をもとに提案したのだから。公爵家に嫁いでから数年後、彼が涙露草を用いて、刻点病を治療する薬を作った。マイナーな薬草のため、流通があまりなく入手が困難で完成がおくれてしまったとお医者様から聞いた時、歯がゆい思いをしたことをずっと覚えている。もっと早ければ、お母様を救えたかもしれないだなんて──。しかもその涙露草は、ペティグリュー家が所有する山に群生しているのだ。幼いころ、両親と山のふもとの景色を見に行った際、ナタリーが迷い込んだ小さな花園……そこに咲いていた白い花がそれだった。

(こんなに身近にあったもので、お母様が救えたことに……いいえ、あの時はもう仕方なかったのだわ)

 ナタリーの提案から、一向に口を開かないお医者様に、おなかが痛んでくる。もし彼が、うなずいてくれなかったら。優しい彼を知っていたナタリーは、大丈夫だと思ってうそや言い訳をせず話してしまった。でもよく考えたら、いきなりすぎたかもしれない。

(……どうしましょう)

 ナタリーが暗く、うつむきそうになったそのしゆんかん

「ほっほ。そんなに泣きそうな顔をしなさんな。わしがこわい顔をしてしもうて、すまんのう」

「……いえ、私こそ。まどわせてしまって」

「そうじゃのぅ。確かに、どうしてわしがその草を欲しがっていることを知っているのか、疑問はあった」

 ナタリーが俯きそうな顔をあげて、お医者様を見れば。そこにはいつもの優しい彼の顔があった。

「でも、ナタリー嬢がわしをおとしいれるとも思えんからのぅ。……あくまでわしのかんってやつじゃがね」

「……」

「きっと、知っている訳を知りたいと言っても、ナタリー嬢を困らせてしまいそうだからのぅ。支援は願ってもないことじゃ、ぜひお願いしたい」

「……っ。お医者様、本当にありがとうございます」

「ほっほっ、美人さんを泣かせてしまうなんて、わしの信条に反するからのぅ」

(……本当によかった)

 一時は暗雲が立ち込めていたが、彼のがおと返事を聞き、ナタリーはようやくほっと息をつくことができた。

「ああ、そういえば。わしの名を言うておらんかったな、失敬。わしはフランツという。ただのフランツじゃ」

「フランツ様、このご恩は忘れませんわ」

「おや、様なんてこそばゆいのう。まだ恩は売っておらんよ。ナタリー嬢のため、薬を作らないといけないのう」

 お医者様──もといフランツの言葉は、ナタリーの心を確かに明るく照らしてくれる。彼のしようだくをもらったので、草を手配するために動こう。

「聞くまでもないと思うが、ナタリー嬢は刻点病に効く薬がほしい、で合ってるかのぅ」

「はい、そうです。お母様の治療に」

「なるほどのぅ、自分ではなくご家族のためであったか」

 実は刻点病は、薬でしか治らない。ペティグリュー家のいやしのほうが、身内に効かないからというわけでもなく、原因が魔力のまりのため、体内のめんえきでしか治らないのがとくちようなのだ。

「フランツ。なにやら、さわがしいようですが……」

 フランツと今後の話を進めている中。とつぜん、彼の背後にあるカーテンがシャッとばやく開けられた。そして、聞きみのない声と共に。

「ほっほっほっ、起きられましたか、エドワード様」

「……ああ、ゆっくりられましたけど、どこかのご老人の笑い声が耳に。おっと、お客様がいらしたのですね。レディ、失礼しました」

「い、いえ」

 その男性をしっかりと見たナタリーは目を大きく見開く。なぜなら。

(どうして、第二王子がここにいるの!?)

 かたうえまである、ねこの毛のようにふわふわとした燃え上がるような赤いかみに、新緑のひとみを持つ、背の高いじよう。フリックシュタインで二番目の王位けいしよう権をもつ、エドワード・フリックシュタイン王子がそこにいた。

 自国で太陽のようと称されるかがやかしいぼうを持つエドワード王子。一方で、同盟国の公爵であるユリウスは月のような静けさを持ち、だれの手にも入らないたかの花。社交界では二人のうわさで持ち切りと言ってもいいほどだ。そんなえいきわめているエドワード王子だが、彼はナタリーの知る未来では名を聞かなくなっていた。

「ごほっ、ああ。レディ、どうやら君は僕のことをよく知っているようですね?」

「国の太陽にごあいさつを……」

「ああ、そういったかたい挨拶はしなくていいですよ。そうだね。ここではフランツの友人としてねなく話してくれますか?」

「はあ。このわしとお前さんがのう?」

「けほっ、もう長い付き合いじゃないですか。ふふ」

(さっきから、エドワード王子はき込んでいらっしゃるけど……)

 フリックシュタインの第一王子が病弱ということは、有名だった。そして重い病のため、しんしつから出ることができないということも。加えて第三王子も、まだ五歳になったばかり。だからこそ、今一番王座に近いのは目の前のエドワードということになるはずなのだが。

 時が戻る前は、第一王子が戦争の前に病でくなり、続けて第二王子も不幸がおよび亡くなったと、国から大々的に発表された。そして、当時の国王も寿じゆみようが近いため……幼いながらも第三王子が王位を継承するのだ。

「うーむ。しかし全く、少しかいしたかと思えば。またせきが出るのかのぅ」

「ええ。ご、ほ……フランツのおかげで、だいぶましにはなりましたが。何が原因なのでしょう」

「その、少しいいですか」

 ナタリーが声をあげたことにより、二人の視線がこちらへ向く。エドワード王子のしようじようから、思い当たる節があったのだ。変な咳、その症状はナタリーがよく知っている。身をもって味わっていたから。あの時は、薬で治らなかったためナタリー自身の魔法が自分に使えれば良かったのにとこうかいしていた。だからこそ。

「私が……エドワード様のお身体からだてもよろしいでしょうか」

「君が……?」

 室内の温度がヒヤリと下がった気がする。どこからか見られているような、二人以外の視線も感じた気がしてナタリーはぞっとする。でしゃばり過ぎたかもしれない……もちろん、おせつかいで言葉をかけた。しかしそれだけでなく、第二王子が亡くなった理由もわからないのに、このまま放置すれば、あの時と同じことにならないだろうか。そんな不安もあったのだ。

「これこれ、〝友人として〟とさっき言ったじゃろう、そんな怖い顔をするでない」

「ああ。ご、ほっ、失敬。怖がらせるつもりはなかったのですが、周りをやすやすと信じられるかんきようでもなくてね」

「まあのぅ。そんな不便なとこにおるから、こんな遠くまでわざわざ医者を見つけに来たわけじゃからのう?」

「フランツ、それは秘密の話ですよ」

「ほっほ。そうじゃったか、もうとしでのう。すまんかったな。でものぅ、癒しの魔法が使えるペティグリュー家のおじようさんがいるなら、いい案じゃと思っての」

「君が、ペティグリューの……」

 先ほどよりは、いくぶんするどさが減った視線になった。しかし、ぜんとしてナタリーに対する不信感がなくなったわけでもなさそうだ。

「私の魔法に不安を感じられるのはもっともです……ですから、無理にとは言いません」

「……」

「なにより、私の魔法を使ったからといって治る保証もございませんので……」

「ごほっ、いや。正直、体調の悪さにはへきえきしていたんです。レディ、失礼ながら、お願いしてもいいでしょうか」

「っ! はい」

 王族に対するけいそつな発言で、捕まるかもしれないと思っていたが、どうやら、その心配はなさそうだ。エドワードはカーテンの先にあるりよう用の白いベッドの上に座り、「ここで、僕はあおけに寝るのでしょうか。それとも座ったままでも?」と問うてくる。

「あ、仰向けで、お願いします」

「……わかりました」

「わしもそばで見ておるから、そんなおびえた表情をせずとも……」

「怯えてなどおりません! レディ、よろしくお願いします」

 ナタリーのとなりで、フランツが「ほっほ」と楽しげに笑う。そんな中ナタリーは自分の手に集中し、癒しの魔法を発動させながら、エドワードの頭部から足先にかけて手をかざしていく。悪いものを取り除くように、ゆっくりと。そうしていくうちに、ピタリッとナタリーの手が止まった。止まった場所は、エドワードのおなか──胃の場所だった。癒しの魔法を重点的にかけていく。この処置が必要な病には覚えがある。それは、ペティグリュー家でも毒見係がたおれた時の──。

(エドワード王子は毒におかされていたのだわ!)

「終わりました」

 数十分ほどの魔法による処置をし、エドワードの様子をうかがう。

「……のどの不快感、いや全体的なだるさが消えた──」

 自分の体調を今一度かくにんしたエドワードが、ぱっと身を起こして身体からだを動かし始める。ずっとしていた咳も止まり、フランツも自分のことのように、「本当か……! よかった! よかったのう」とうれしがっていた。

「レディ、先ほどは疑ってしまって……本当に申し訳ございません」

「いえ、そんな」

「ほんとうじゃ!」

 フランツに対して、冷たい視線を送り──エドワードはそのままナタリーの目の前でひざまずく。その姿は、絵本に登場する王子様そのもので。

「家名だけでなくお名前をうかがってもよろしいでしょうか」

「えっと、ナタリーと申します。その、エドワード様お立ちになってくださいませ」

「ふふ、おやさしい方なのですね。ナタリー嬢……ナタリーと呼んでも?」

「え、ええ。構いませんが」

 あまりの積極的な態度にナタリーはたじたじになる。しかしそんなナタリーにたたみかけるように……立ち上がったエドワードは、ゆっくりと近づいた。

「ナタリー、少し失礼しますね」

「えっ?」

「王家のペンダントをあなたに」

 ナタリーよりも背の高い彼は、首に手を回し、カチリと何かをつける。首元に金属のヒヤリとした冷たさを感じた。

「あの、これは……」

「あなたに持っていてほしくて。あわよくば、ずっとつけてほしいと、そう思っていますよ」

「その、エドワード殿でんの物を頂くなんて、おそれ多く」

「〝殿下〟は不要ですよ。ナタリー」

 いつもいやしのほうを使っていたナタリーは、そんな大したことはしていないと思っていたのだ。しかしエドワードの方はまるで、長年のおもがとれたかのように晴れやかな表情だ。

「ここ数年、ずっと不調で身体を動かすにも苦労していた自分がウソみたいだ。本当に感謝します」

「そ、それはよかったです」

「ええ、ナタリーのおかげですね。そういえば、しきりに僕のお腹の上に手を置いていましたが……もしかして何か意味がありましたか?」

「……その、エドワード様、常に食べているものなどはございますか」

「食べているもの。まあ、いくつかありますが」

「どれがそれなのかは、わかりませんが。エドワード様の症状は毒によるものです」

「……ほう?」

 今日一日で見たこともないほど──きようあくな視線になった。それほどまでに、エドワードの目は人をあやめられそうなほど鋭くなったのだ。

「……どうやら、しつけが必要な者がいるようだ。例えばさいしようとかね……ふふ、ナタリー、僕は用事ができたのでこれにて失礼しますね」

「は、はい。お気をつけて」

「ええ……かげよ」

 エドワードの「影」という言葉に反応したのか、今まで見えていなかった場所からくつきようが三名ほど現れる。魔法で身をかくしていたのだろうか──彼らは、エドワードの護衛なのかもしれない。

「……ナタリー、また会いましょう」

 エドワードは去りぎわ、ナタリーの耳元で楽しげに言葉をささやく。そして騎士たちと共に、さつそうと平家を去って行った。──首にある金属を返しそびれてしまったと、そこではっと気づく。

(も、もしかして、私……やらかしちゃったかしら)

 確かエドワード王子は、ユリウスと同じくナタリーより四つ年上だったはずだ。しかし去り際に見た、彼の表情はじやで……少年のようにも見えた。

「本当に、さわがしい子ども……じゃろう?」

「い、いえ」

「しかもわしにも言わずに、あんな大層な騎士が護衛におったなんてのう。まったく困ったやつじゃ」

 あんなに守りがかたくても、私が知っている未来では──彼はくなってしまっていた。身体の病気、毒には護衛の騎士も太刀たちちできなかったのだろう。そしてあの変なせきの原因が、毒ということは。こうしやく家にいたナタリーも「毒」をどこかでせつしゆして──? そんな恐ろしい想像に、首元にあったかざりをさわって不安をまぎらわせる。そういえば、ペンダントと言っていたがいったい──? ナタリーは確認をしようと首元についているソレを外した。ひし形の金色の金属。中央にしようらしたがらり込まれたそれは、ちがいなく王族の証明たるペンダントだった。

「ほうほう。そんなものを、ナタリーじようにのぅ」

「フランツ様、ど、どうしましょう」

「いや~わしには、どうにもできんが。まあ……そんなけったいなものをすほど……あやつにとっては、嬉しかったんだろうよ」

「そ、そうですか」

「わしには、ナタリー嬢をがすまいとする首輪に見え──おっと、なんじゃろうのう。こう、友好のあかしじゃろうか?」

「フランツ様、今なんと」

 フランツは「ほっほ」と笑ってごまかそうとしているが、完全におんな言葉が耳に入ってきている。いったいこのペンダントにどんな意味があるのか。参加予定である王家しゆさいとう会で返せばだいじようとひとまずの見通しをつけ、ペンダントはうでけていたポーチに入れて保管することにした。

おそくなったが。エドワード様を助けてくれて感謝するぞ。わしも手をくしておったんじゃが……もうどうしようもないところまで、来ていてのう」

「そこまで酷く……。本当に、りようできて、お役に立ててよかったですわ」

「うむうむ。まあ一見は、あやつが体調が悪いなんて気づかんじゃろうがのう。やせまんで、どこまでも動くからに」

 彼の表情は、エドワードのことをづかう家族のそれで。ナタリーのこともそうだが、フランツは弱っている人をほうってはおけないたちなのだろう。きっとそれが医者の本分なのかもしれないが。

「長い話をしてしもうたのぅ。としをとるとこれだから。すまないのう」

「いえ。フランツ様がエドワード様を思う気持ち、てきだと思いますわ」

「ほっ、そう言われると、照れてしまうわい。ああ、そうじゃ。なみだつゆくさが届きだい、薬を作るからのう」

「っ! ありがとうございます」

「いいんじゃ、やっと一人、かんじやがよくなったからのう。ちょうど時間も空いたわい」

 ナタリーはフランツにお礼を述べ、帰宅の準備をする。かたの荷が下りたのか、フランツも明るいがおげんかんまで送ってくれた。

(よかった……! これできっとお母様は大丈夫だわ……!)

 お母様の病に対する解決の糸口が見え、ナタリーはようやく安心感を覚えるのであった。

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