第一章 決意と出会い①

 ナタリーの悪夢は、自国・フリックシュタインが敵国にめ込まれたことから始まった。きっかけは国同士の関係なのだろうが、巻き込まれる方からしたらたまったものではない。

 ペティグリュー家は敵国との国境に近い領地であったため、戦争に向けて準備をするゆとりもなく攻め込まれた。戦火によって病が悪化したお母様がくなり、敵を引きつけていたお父様も後を追うように命を散らしてしまった。その当時、ナタリーは病気でせっていたお母様を元気付けるのに必死で……力およばず悲しい結末に至った。

 ひどくなる一方の戦争にしゆうを打ったのは、同盟国・セントシュバルツだった。フリックシュタインの豊富なほう知識を共有する代わりに有事の際は軍事力を提供するという長年の盟約のもと、セントシュバルツがかいにゆう──つまりは、二対一に持ち込むことによって戦争に勝ったのだ。しかしペティグリュー家にセントシュバルツのえんぐんが来た時にはもう……両親は倒れていた。

 同盟国の援軍──団を率いていたのが、ユリウスだった。しつこくの騎士と呼ばれ、軍事力にすぐれる同盟国の武力のしようちようとして名高かった彼は、同時にこの戦争の勝利の象徴にもなった。彼は王城を最後まで守ったとされ、騎士団を指揮しながらこうがいの地域にも援軍を出していたらしい。そうして、戦争が終わって自国・フリックシュタインの王族が行ったことが、ナタリーの不幸を生んだ。

(漆黒の騎士に、自国の貴族の令嬢をけんじようする……王命)

 王族は、貴族は、きようだった。同盟国に対していたわりやほうしゆうを渡さないといけなくなり、両親がいなくなったナタリー……ペティグリュー家に目をつけたのだ。伯爵にしては広大な領地と、ナタリーという一人ひとりむすめ。それでまかなおうとしたのだ。王命にあらがうこともできず、ナタリーは、戦争のほうしように漆黒の騎士へ妻として献上されることになった。



『お初にお目にかかります。ナタリー・ペティグリューと申します』

『……』

『これから、妻としてファングレー公爵家へ忠誠と愛をちかいます。よろしくお願いしますわ』

『……俺はいそがしいから、あとはしつを通してくれ』

『えっ、ユ、ユリウ』

『名前を呼ぶことは許可していない。そちらの国のれいはとてもずうずうしいのだな』

『申し訳ございません……閣下』

 同盟国へ献上、ひいてはファングレーこうしやく家へ嫁いできたナタリーに対して、散々な対応だった。執事から説明という説明もないまま、のような小さな部屋に押し込まれ、そうせんたくすい……すべてを自分でやれと、そう言われたのだった。

(さすがに……冗談よね?)

 ナタリーが、苦笑をかべながらも食事をとろうと公爵家の食堂に行けば、そこにはユリウスの母であるファングレー元公爵夫人がいて──。

『あらぁ? 能無しで、男に取り入ることしかできないごれいじようじゃない』

『……お初にお目に』

『あたくし、発言を許した覚えはありませんことよ。身のほどをしりなさい』

『も、申し訳ございません』

『能無しにほどこすものなどございません。早く自分のお部屋に帰ってくださらない? 見るのもかいだわ』

 部屋に戻っても、そこにはただボロボロのパンが転がっているだけ。ナタリーの味方はだれもいなかった。その日から、義母にいびられ使用人にバカにされる日々が始まった。ユリウスとようやく再会できたのは結婚式の当日で、それも牧師と三人だけのつつましい式を挙げるだけ挙げて忙しい日々にすぐに戻ってしまう。会話どころか会うこともままならない中、時折ユリウスがろうこんぱいで帰宅した際にともすることがあった。

『……うう』

(……大丈夫かしら?)

 ユリウスは共にねむるとき、いつも何かにうなされている。時々しか会えないが、態度こそ冷たいけれど彼はじんいかりをぶつけてくることはなかったから──ペティグリュー家に伝わる「いやしの魔法」を使って、彼を治してあげたい……そう思った。このころのナタリーはまだ、ユリウスに対して少しの情があった。整った顔や騎士としての思いやりにすがっていたのかもしれない。義母には、能無しと言われていたが──それでも、りよくながらも癒しの魔法をユリウスにかけていたのだ。

(役に立たないから、公爵家で認められないのだわ……少しでも疲労や傷を癒せれば)

 ペティグリュー家はゆうしゆうな魔法使いの多いフリックシュタインでも数少ない癒しの魔法を使える家系だった。ただ、残念なことに家族──けつえん者には全く効果がないのだが。

『……』

『……ふぅ』

 魔法を使用したあとは、少しばかりユリウスの表情がやわらいだ。だから、きっとこうして心を込めて対応すれば、うまくいく……だなんて明るく考えていた。しかしナタリーの想像に反して、現実はとてもざんこくだった。ある日、夫に呼び出されしつ室に向かえば、そこできつけられたのは身に覚えのない書類の束と冷たい声だった。

『ついに、家の資金にまで手をつけたのか』

『……え?』

『とぼけるな、宝石やアクセサリーを買いあさったのだろう。執事や使用人たちから報告が上がっている』

『わ、わたしは、まったく……』

『このに及んで言い訳が通じるとでも? はぁ、母上。申し訳ございませんが、これからは金庫の管理を』

 まさに針のむしろ状態だった。決してナタリーは、ユリウスの資産に手をつけてはいなかったが、誰もそれを証明するものは現れない。やつれたナタリーの様子に、わざと悲しげに演じるユリウスの母が『まったく……女主人がしっかりしないといけないのに……。あたくしが今後しっかりしますからね』と堂々と言う。ひと目見れば宝石をつけておらず、しようすらしていないナタリーを疑うなんてあるはずもなかったのに。しかし、この事件以降もたびたび資金がなくなるそうどうが起き、そのたびにナタリーへ疑いが向くことになった。



 そうして月日が流れ二年がったころ、ナタリーは公爵家付きの医者と使用人の一人に見守られながら一人の男の子を産んだ。

『おめでとうございます、奥様。元気な男の子ですぞ!』

『ありがとう。この子が……』

 出産は苦痛、大変さをきわめた。じんじようじゃないあせと痛みは、何度も医者に「殺してください」とつい口に出してしまう程だった。けれど、しわくちゃながらも立派なうぶごえをあげる我が子の姿を見るとほっとしてなみだが止まらなくなった。

 ユリウスとはかいにんしてから結局一度として会うことはなかったが、きっと彼も我が子の姿を見に明日にでもおとずれるだろう。そのまま押し寄せる疲労の波に身をゆだね、ナタリーはまぶたを閉じ寝息を立てる。翌日、体力も回復して使用人に我が子のことを聞けば『別室におります』と伝えられた。

(さすがに公爵家のあとりだもの、きっと良くしてくれるわ。ああ、なんて名前を)

 そんなふうに、一人我が子の名前を考えてうきうきしていたら、ナタリーの部屋の扉がガチャっと不作法に開けられた。

『ふんっ、ちょっといいかしら?』

『お、お母さ』

『あなたに母と呼ばれる筋合いはありません』

 とびらから入ってきたのは、ファングレー元公爵夫人だった。そして彼女のうでの中には、我が子の姿があり、ナタリーは目をみはる。

『その、腕の中の子は……』

『ええ、やっと義務を果たしてくれましたので、あたくしがこの子を立派に育てますわ。だから、お前はこの子に近づかないように』

『そ、そんな……!』

 産後の身体からだではまともにていこうすることもできず……そのまま我が子とははなばなれになった。ここから、ナタリーの精神はますますもうしていった。



 そんなナタリーを心配してくれるのは、いつもしんりように来てくれるお医者様だけだった。

『のう。奥様、だん様に相談されては……』

『ごほっごほっ、お医者様。いいの。もうどうにも……』

『老いぼれは、薬を処方することしかできず……きっとこのお部屋にいることが、病を長引かせておりますから。たまには散歩してみてはいかがですかのぅ』

 ナタリーは出産後の肥立ちが悪かった。体調が回復せず、薬を飲んでも治らないせきすらわずらってしまっていた。病にせっているうちに、あっという間に四年が経っていた。

『そうね……久しぶりに歩こうかしら』

 長年の友にもなりつつあったお医者様のすすめで、ナタリーは部屋から出ることに決めた。散歩でもすれば、気分が良くなるだろうと。それが悲劇につながるとは知らずに──。

『あ、悪いやつだ!』

 ユリウスに似たかみいろに、こちらをにらむ彼よりもうすい赤のひとみ。敵に対するようにナタリーを睨みつけている男の子と──その後ろには、ファングレー元公爵夫人の姿。

『えっと……』

『ふふふ、やんちゃでございますこと。教えましたでしょう? アレは、仮にもあなたのお母様なのですよ』

『でも~僕、あんなの……』

 小さなユリウスは、きっとナタリーを悪とする教育を受けているのだろう。勝ちほこった義母の瞳はゆうべんに語っていた。子どもに罪はないということは重々わかっていた……それでも、自身の子どもから悪意を向けられたことに──ナタリーの中で今までのにんたいの積み重ねが、バラバラとくずれる音がしたのだ。

『そう……』

 反論も、抵抗心もかなかった。きっとこの頃の自分は、何もかもをあきらめ始めていた。夫に縋ることも、子どもを取り返そうとすることも──無理だと、そう思ってしまった。ナタリーはこの時を最後に自室から出ることをやめた。もはや「笑う」ことすらできず、再起不能になりつつあったナタリーを突き動かしたのは、彼女の両親だった。それは、いくばくかの年月が経った……秋も深まった頃───。

 ふと、輿こしれの時に持ってきたかばんすみに手紙を見つけたのだ。シンプルながらも、ていねいあてさきひつせきに、ミーナからの手紙だとピンときた。こうしやく家にだれも連れて来ることを許されず、ミーナはペティグリュー家に残ることになった。けれど輿入れした数年後、病によってたおれたとれんらくがきて──。ナタリーが去った後のペティグリュー家がどうなったかは知らないが、きっと楽しかったあの頃とはもうちがうのだろう。しかし、ミーナのことを思うと……なにもかもがおつくうだった手がその手紙を取る。


『親愛なるおじようさま

 鞄の中へ不作法に入れてしまい申し訳ございません。別れの日に、わたす時間が取れそうもなく、このような手段を強行しましたことお許しください。とつぜんの戦争にペティグリュー家は巻き込まれ、すべてが変わってしまいましたね。あの日がなければ、きっとみなさまで笑い合える日常があったかと思うと、くやしくてなりません。そしてお嬢様も、同盟国へ行ってしまい……。しかし、ずっと後ろを向き続けてはいけない。できることをしようと、私は思います。お嬢様が最後に命令してくださった……旦那様と奥様の墓石を作る手配がかんりよういたしました。お二人の墓石を、私はずっと守っております。だから、もし生活が落ち着きましたら墓参りに来てくださいませ。きっと天国にいる旦那様も奥様も、お嬢様にお会いしたいと思ってらっしゃいます。どうかナタリー様に幸せが訪れますよう。

愛を込めて ミーナ』


(会いたいわ、お父様、お母様、ミーナ)

 ナタリーのほおを熱いものがとめどなく、あふれるようにつたう。近くにあった窓を見やれば、庭先の風景が見える。秋空にさびしくくコスモスがあって──そういえば、お母様はコスモスが好きだったと──なつかしさを覚える。手紙をぎゅっとにぎり、ナタリーは決心した。ユリウスにえんを申し込もうと、どうせ愛などなく……こちらを悪者にする公爵家にとってナタリーなどらない存在なのだから。

(身分なんていらない。あの故郷に帰りたい。そこで死のうが関係ない、大切な人たちが待つあそこへ)

 そう思えば、ナタリーの行動は早かった。のような部屋の扉を開けて、ずんずんとしっかりとみ出す。目指すのは、もうほとんど顔も合わせないあの男のもと──。



 十数年も住めば、覚えたくなくてもしきの間取りはわかるようになった。屋敷がそうぞうしかったから今日はユリウスが帰宅していると確信していた。だから彼がいるであろうしつ室へと向かう。ノックをせずにバンと勢いよく扉を開いた。れいなどもう、どうでも良いと思ったからだ。むしろそれを理由にさっさと離縁してくれるのであれば、もうけ物だと思うくらい。

『……無礼だな、なんだ』

『……』

 室内には二人の存在。一人は目当ての公爵でもう一人は、きちっとした礼服を着込んだジュニアだ。ジュニアは、会うことがなかった数年の間にずいぶんとユリウスのぼうに似てきていた。

『その……っ!』

『はぁ、まあちょうどいい。お前のことについて苦情がきている。改めるように今から伝えよう』

『私の話を!』

 ユリウスの口から出たのは、ナタリーの行動を制限する言葉だった。栄養失調ぎみだったナタリーの声をさえぎるように、今後屋敷で暮らすためのルールを告げられる。部屋から決して出ないこと、子どもの教育に文句を言わないこと、公爵家の資産に手をつけないこと──もうどれもナタリーにとって目新しくないことばかりだ。しかし、そんなことはどうでもよかった。自分の言いたいことを言おうと、声で遮られないようにユリウスの言葉が終わるまで待ったのだ。そして待ちに待ったそのしゆんかん──。

『ほら、今後の生活に関する予定表だ。お前の意思などこうりよあたいしない。口答えは決してするな』

 たしなめるようなその視線に、ナタリーの中でプツンと何かが切れる音がした。私の意思は見ない──それは、離縁をしてくれない……どころかナタリーをしばり付け、両親、ミーナのところへ行くことなんて……夢のまた夢になる。もうまんがならなかった。

『……死んだほうがましですわ』

 だからそう言って、たんけんで自分の胸を一思いに……した。そして、気がつけば過去に時がもどって──懐かしい自分の部屋で目が覚めたのだ。


    ● ● ●


(あれほど切望していた──お父様とお母様のがおがこんなに近くにあるなんて)

 朝食を食べるナタリーのそばには……微笑ほほえむ両親とミーナがいる。本当に夢みたいな瞬間だと思った。しかし、先ほど感じた頬の痛みや一口ずつめて食べる食事が、ナタリーが確かに〝生きている〟という実感をあたえてくれる。だんしようしながら食事ができる大切な時間、この時間をもう無くさないように、自分で守りたい──なにより、もうあのごくのような日々はかんべんなのだ。

(だからこそ、お母様の不調と戦争をどうにかしなければ──いけないわね!)

 朝食を終えて、自室に戻れば……さつそく、自分が何をするべきかを考える。ずっと願っていた故郷にいるためか、より前向きになれている気がした。

(戦争のほうしようとしてとついだあとも、一応この領地は私の所有だったわね)

 王族もナタリーに対して可哀かわいそうと思い、そうしてくれたのだろうか。いや……それはない。きっと自国の領地だから、ナタリーが死んだ時にでも適当に言って再び回収する算段だったのだろう。そんなふうに思うのは、戦争後の王家がはいしてしまった……というより、戦争が始まるあたりから王家は、おかしくなっていったように感じているからだ。

 お母様の不調を解消したら、過去に……今となっては未来に参加する王家しゆさいとう会に行かねば──。



 ノックをすれば、お母様が「あら? 誰かしら」と返事をする。早速、お母様の体調をかくにんしにきたのだ。

「ナタリーです。お母様、入ってもよろしいでしょうか?」

「まぁまぁ! ナタリーね。ええ、入ってちょうだい」

 木製のしっかりしたドアを開ければ、シックな調度品に囲まれたお母様の部屋が見える。そしてその中央にあるベッドに、お母様は横になっていた。声は元気そうだったのに、顔色が少し悪い。ベッド近くのへとナタリーはこしけた。

「お母様、お身体からだだいじようですか?」

「あら、心配してきてくれたの? ふふ、大丈夫よ。きっと季節の変わり目で、風邪かぜをひいてしまったんだわ」

「それでもっ。私はお母様のお身体が心配です」

 なやましげな視線を送ったことがわかったのだろうか、お母様が起き上がってナタリーの頭をでてくれる。撫でる時にチラリと見えたうでには、不気味な黒いはんてんかんでいた。

(やっぱり……こくてんびようにかかっているんだわ)

 刻点病は、りよくの流れが悪くなるのが原因ではだに斑点が現れる。症状が重くなると血液の流れすらも止まってしまう病だ──しかし戦争が始まる前の今は、まだあまり認知されていない。

「ほら、可愛かわいいナタリー。明るい笑顔を見せてほしいわ……あなたには笑顔が似合うもの」

「そう、ですか?」

「ええ。あら、もう……無理をさせてしまったわね。私ったらだめね」

「そ、そんな」

 笑うために頬を動かしたはずなのに、私の顔を見たお母様は──ひどく悲しそうで。そのままぎゅっときしめてくれた。

「いいこ、いいこ。ナタリーはよくがんっておりますよ。何か悩みがあるのなら……いつでも言ってね」

「……っ」

「よく考えたら、こうしてしっかりと話すのは久しぶりに感じるわね」

「……ぅ、ひっく」

「ふふ、好きなだけ、ね。人はゆっくり、立ち止まることも大切だから」

 お母様のぬくもりにふれて、今までき止めていた感情がけつかいした。それでも、何かが少しずつ変わったような──失っていたものを取り戻したように感じた。

「お母様。その、みっともない姿を……」

「いいえ、ナタリー。そんなことないわ。お父様でも私でも、かかえきれなくなったらいつでも来ていいのよ」

「……ありがとうございます」

 お母様は、私の目の下あたりを布でやさしくぬぐってくれる。

(この病を、絶対にどうにかしなければ)

 大好きなお母様を二度と失わぬように──ナタリーは、部屋から出てミーナに外出する手配をたのむ。「あら、急ですね」と少しおどろいた表情をしていたが、すぐに馬車を用意してくれた。

(刻点病は確かにまだあまり知られていないけど……今の私はそのしようさいを知っている)

 馬車に乗って、目的の場所を伝える。ペティグリュー領から少しはなれた先にある、りんごくとの国境へ向かって馬車は走り始めた。

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