プロローグ

「……死んだほうがましですわ」

「……なに?」

 冷ややかな視線が二つ、私──ナタリー・ペティグリューに向けられている。一つはこうしやく家にとついでからずっと……もう一つは数年前から、会うたびに私へ向けられていたものだった。暖かいだんが完備されたごうしつ室に、その視線はとても対照的で──物の方がぬくもりを感じられるなんて、本当に皮肉だ。

「このままここで暮らし続けるより、死んだ方がましって言いましたの」

「………」

「はぁ」

 妻をいつさいかえりみないどころか、ちようしようれいぐうしてくる……目の前の男──それが、公爵というかたきを持つユリウス・ファングレーという人物だ。一方でため息をつき、こちらをべつしてくるのは私が産んだユリウスジュニア……名前は、呼ばせてもらえていない。

「仮にもお母様なのですから。わがままは、おひかえください」

「ごほっ……生意気なぼうやはだまってくださいませんこと?」

「なっ!?」

 わがままなんて軽い気持ちだったら、平和だっただろうに。息子むすこを産んだらすぐに引きはなされ……数年後に再会した息子は母親をさげすむクソ人間になっていた。けれど私を蔑んでいるのは息子だけではない。メイドたちも食事をまともに出してくれず、そのせいなのか気づいたら変なせきが止まらなくなっていた。医者を呼んでも治らないので、ずっと体調が悪いまま──心地ごこちも最悪なこのかんきようにずっとえ続けるのは……もう無理だった。だから文句を言いに、加えてえんを申し込みにきたのだ。そんな私のことなど、お構いなしにユリウスは「……はっ」と鼻で笑ってきた。

「なにが、ごほっ、おかしいんですの?」

「文句だけは一人前だと思ってな」

「はい?」

「できもしないくせに、死んだ方がましだと?」

「……」

「そう言えば、金がもらえると思ったのか? ……強欲な女だな」

 離縁を申し込もうと思ったのに、あんまりな言葉を投げられ絶句してしまう。輿こしれしてから、言いなりになっていた私がどうして──まあそれがいけなかったのだろう。しつこくつややかなかみにルビーのようなかがやひとみを持つ、ぼうだん様に何も言えなかった私が悪いのだ。

「……勝手なことを言わないでください。げほっ、私が気に食わないのなら離──」

「ふん……そんなに言うのなら、そくの異名を持つたんけんを貸してやろう」

「はい?」

「言葉通りに、死んでみろ」

 そう言って、ぞっとするほど冷たい目をしたクソ男はさやに入った小ぶりの剣を投げてしてくる。それを見ていたクソ男とうりふたつなジュニアも鼻で笑いながら、見つめてきて。

(ほんっと頭にくる! 私のことをどこまでバカにすれば気がすむのかしら)

 ゆかに落ちている短剣に視線をやる。人は絶望やいかりが頂点に達すると、思い切りがよくなるようだ。まさに今の私みたいに。

「まあできないだろうが……は?」

「えっ」

 二人の男が、ぎょっとした目でこちらを見る。結局生きていたって、もうドン底の人生だ。生きるのにもつかれた私は、ばやく短剣を拾い鞘から取り出し──ありったけの力を両手にこめる。

「だいっきらい! あなた方を……にくみますわ!」

 そうたんを切って、私は短剣を自分の胸にり下ろした。きようれつな痛みと共にくらむ視界、せいぎよかなくなっていく自分の身体からだ

「ごっ、ほ……」

(お父様、お母様……本当にごめんなさい)

 のうかんだのは、自分を愛してくれたき二人の顔。現実からは……耳元で大きな足音や声が聞こえた気がしたが、最後までかいきる音だった。もう息子なんて、そもそも夫なんていらない。

 ──こんなみじめな人生なんて、もうこりごりだ。もし来世があるのなら……幸せになりたい。

 暗く染まる視界のはしで、私をなぐさめるかのようにむなもとの短剣がキラリと光った気がした。



「あらっ!?」

 朝日がまぶしいと思い、パッと目を開けたら不思議なことが起きていた。公爵家であてがわれていたボロくきしんだベッドとはちがい──心地ごこちのよいベッドのかんしよくはだに伝わる。それに加えて、間違いなく私の胸に短剣をしたはずなのに、どこも痛くない。

「ど、どういうことなのかしら……?」

「あっ! おじようさま、もうお目覚めなのですね」

「えっ」

 とびらからゆっくりと入ってきたのは、幼いころからずっとおさなじみのように接してきたペティグリューはくしやく家のじよだ。少しだけ年上で、私のめんどうを見てくれていたやさしい──。

「ミーナ?」

「そうですよ。あら、お嬢様そんなおどろいた顔をして、このミーナのことを忘れてしまったのですか?」

「……っ」

 ミーナに最後に会ったのは十数年前。その頃よりも、ずっと若々しい姿をしている。あまりのなつかしさになみだがにじんできた。

「おっ、お嬢様!? 何か失言してしまいましたか?」

「ううん、全然よ……ただうれしくて」

「……?」

 ふわふわなきんぱつをおさげにしているミーナ。公爵家に嫁ぐことが決まってからも、いつしよに付いていくと言ってくれた彼女は、とつぜんの病でたおれ帰らぬ人になってしまった。

「うーん、変な感じですが……あっ! それよりも早くたくを! 朝食に間に合いませんよ」

「もう、天国にいるときくらい……そんなあわてなくても」

「何をおっしゃってるんですか! ほら」

 ミーナが私の背をぐいぐいと押して、ドレッサーの前へ着席させる。そこに映っていたのは、紛れもなく──。

「あらあら、若い私ね!」

「もうっ! まだ寝ぼけてるんですか!」

「ちょっとミーナっ、冷たいってば。ふふっ……ん? 冷たい?」

 ミーナが水をふくんだタオルで、私の顔をぬぐってきた。そこまでは良かったのだが、感覚がちゃんと伝わってきたのだ。天国にしては、だいぶ現実味がある。

「えっ? イタッ」

「……お嬢様、いったい何の遊びですか」

 ためしに自分のほおを勢いよくつねれば、とても痛くて……そんな私をミーナがあきれた顔をして見ている。夢でも天国にいるのでもなければ、これは。

「ミーナっ! 今っていつ!?」

「ええ? お嬢様本当にどうしちゃったんですか? 今はていこくれき八八六年ですよ」

「……へ」

 戦争が終わり夫とけつこんしたのは八八八年だった。それから十数年あの苦しみに耐え続けた。しかし聞こえてきたのは、死んだ時どころか結婚するよりもさらに前の年。それが意味することは……まさかと思い、無意識に手がふるえ始める。

「わ、わたし、十八歳よね?」

「そうですよ! 当たり前のことを聞くなんてどうしたんですか?」

「い、いったい」

 どうなってるの──と続けようとしてハッとする。勢いよく立ち上がり、驚くミーナを置いて自室からろうへと飛び出す。「お嬢様っ!?」とあせった様子で呼びかけるミーナの声が聞こえたが、無我夢中だった。食堂へと走っていけばそこには──。

「あら? ナタリー、慌ててどうしたの?」

「本当だな、いやな夢でも見たのかい? 今夜は父さんがもりうたでも」

「あなた……歌が下手なのに子守唄って……」

「す、すまない……そんな残念そうな目……や、やめてくれ……」

 大好きなお母様とお父様が……元気な姿で「おはよう」と声をかけてくれる。

「……」

「おや? ナタリー、気分でも悪いのかい?」

「お父様のじようだんが嫌だったかしら? だいじよう? ナタリー」

 ずっとがれていた光景が、姿がそこにあった。もう二度と会えないと思っていたのに。

「……ううん、おはようございます。お父様、お母様」

 私と同じ銀色の髪に、アメジストのようなうすむらさきの瞳。ペティグリュー家のとくちようで、大好きな色だ。優しい二人は……私がとつぐ一年前の戦争で亡くなった。

(もし、本当に過去に時がまきもどったのなら……お父様とお母様を救ってみせる)

 夢見心地だった自分の頭が、わたっていくのがわかる。たしかに歩くことができるしきの床は……地に足の着く現実で。

(神のせきなのか知らないけど、感謝するわ!)

 久しぶりに見るお父様とお母様の顔をしっかり目に焼き付けながら──ナタリーは、後ろから追いついたミーナに引きずられるように……朝の支度に戻っていくのであった。

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