第一章 決意と出会い③

 それはフランツのしんりようじよからしきへと帰るちゆうでの出来事だった。ガコンッと、とつぜん馬車が止まる。ぎよしやと話せる小窓を少し開け、「どうかしたの」と聞けば。

「お嬢様っ。どうやら、とうぞくに囲まれたようです……」

「……そんな」

(ここに盗賊がいるなんて初耳だわ……もしかして本来の運命とは違う行動をしたから?)

 気づけばゆうやみの時刻になり、辺りはうすぼんやりとした暗さに包まれていた。ペティグリュー家までは、まだ少し遠く……窓の外を覗くと、松明たいまつの火がぽつぽつと見えてくる。

「へっ、今日はツイてるぜ! こんなお貴族様の馬車がノロノロと現れたからなあ!」

「カシラァ! どうやら、この馬車の中にはお貴族様の女がいるようですぜぇ」

「そいつはいい! 貴族の女はれいオークションで高く売れるからなあ!」

「へへ、上玉だったらオイラたちにも、味見させてくれねえですかい」

 おぞましい会話が聞こえる。ナタリーはどうすればこの危機からだつしゆつできるかを考える……が、フランツの所にもどろうにもきよが遠すぎるし、もうすでに囲まれてしまっている。盗賊のリーダーらしき男が、「かかれ!」と周りに命じたのをきっかけに……男たちのたけびがひびいてくる。御者は小窓しに、「お嬢様っ、どうしましょう」とパニック状態だ。

(──このままではいけない……まだ捕まると確定してないのだから気をしっかりと持たないと!)

 近づく盗賊たちに、御者の悲鳴は大きくなるばかり。ナタリーがふるえる手をぎゅっとにぎるのと、一番早くせまってきた盗賊が馬車の窓に手をかけるのはほぼ同時だった。

 ──パリンッ!

 窓ガラスがどんによって割られて、その勢いで引かれていたカーテンまでもさらにビリビリと破られてしまう。「……ひっ!」と小さな悲鳴をあげながら、ナタリーが顔をこわばらせて外をぎようすれば、下品な笑いをかべる盗賊と目が合った。

「うひょ~かわい子ちゃんはっけ~ん」

 盗賊はものをすぐにでも手にかけたいのか、馬車のとびらに強く鈍器を打ち付け始める。にぶく重い音が徐々に大きくなっていく。このままでは打ち破られてしまうのも時間の問題だ。

(いえ! まだあきらめてはダメよ……! 扉を素早く開いて私が逃げれば、盗賊たちはこっちに向かってくるはず。その間に御者が屋敷まで戻ってくれれば)

 少しだけでもすきが作れるかもしれない。このまま待っていたって、絶望に変わりないのなら──やれることは全部やらないと、誰かを守ることなんてきっとできない。

 ナタリーはきようふるえる自分に活を入れて、ぎゅっと手をにぎりしめる。そして馬車の扉に手をかけ、盗賊が再び鈍器を扉に叩きつける前に思いきり力を入れて開け放った。

 扉の前にいた盗賊は、まさか開くとは思っていなかったようで扉に顔面を強打する。その隙をついて飛び出そうとして、ナタリーは扉の前に変わらず立つ盗賊の姿に気がついた。

「ってぇな……可愛かわいいからって油断してたのによぉ。とんだじゃじゃ馬じゃねえか……まあ、それなら手荒な真似まねもしかたねえよなぁ?」

「……っ! どいてください!」

 必死に声を上げるナタリーになど構わず、盗賊はにやりと笑って馬車の扉に手をかけた。

(私は……なんて、無力なの)

 甘い考えだが、自分がおとりになれば少しでも隙を作れると思っていた。しかし、実際は盗賊に少しのをさせただけ。今にも馬車に乗り込みそうな盗賊を前に、身を守るようにかがむのが精いっぱいだ。そんな自分が情けなくて、きゅっと唇をんだ──そのしゆんかん

 ──ヒュンッ。

 何かが風を切る大きな音と共に、馬車の扉に手をかけていた盗賊がき飛んでいく。時が止まったかのように、ナタリーの動きは止まってしまった。

「……危ないから、開けるな」

 ナタリーの前にある扉が、再び閉まるのと同時に──聞きなれた低い声が耳に入る。夕闇よりも暗いしつこくまとう、その姿を目に焼き付ける。ルビーがはめ込まれたかのような赤いひとみが、獲物に向き、黒毛の大きな馬と共に走り出す。

「……っ」

 そこにいたのは紛れもない──漆黒のユリウス・ファングレーであった。その姿をはっきりとにんすると同時に、手の震えが止まらなくなる。

(……まさか、こんなところで)

「大丈夫、大丈夫だから……きっと大丈夫」

 念仏でも唱えるかのように、自分を落ち着かせるために言葉をく。この不安は、一度死んだことで考えないようにしていた存在が目の前に現れたためなのだろうか。外ではするどざんげきと盗賊たちのり声、そしてユリウスの加勢に来たのであろう知らない男性たちの声が響いている中、ナタリーの頭は混乱でいっぱいになるのだった。



 どれくらいの時間がったのだろうか。コツコツと蹄を鳴らす音が、馬車の窓付近に近づいてくる。

「……盗賊はみなばくした。ご令嬢、大丈夫か」

 ナタリーが馬車の中でじっと待っているうちに、けんそうは静まっていた。声がした方に顔を向ければ、そこには忘れもしないれいてつな顔があった。自分のよく知る顔よりいくぶんか若く感じるが──ぼうのせいなのか赤い瞳のあつかんは変わらなかった。

「え、ええ。だ、だいじょうぶ、です、わ」

 震える手をどうにか動かして馬車の扉を開けるが、言葉を発しようにも、口がおぼつかない。手の震えもどんどん酷くなる。以前ユリウスにたんを切った時の気持ちは、どこかに忘れてしまったみたいだ。だいじよう、目の前のユリウスはまだ自分とは会っていない別人だ。大丈夫だからと、頭に指令を送る。それなのに、赤い瞳としっかりと目が合ってしまうとどうしようもなかった。

「その……ああ、ありがとう、ございま、す。お、お礼など……」

「いや……別に」

 ひどくなるしやべりに、震える手。いよいよ、いやな思い出が頭に再生されそうな時。

「え?」

 バサッと音が鳴ったかと思うと……目の前が真っ黒になり、ナタリーは自身の身体からだに重みを感じる。頭から包み込んでくるこれはいったい──と見てみれば、大きな黒いがいとうが頭から身体をおおうようにかけられていて、手の震えよりも、おどろきがまさった。

「どうやら、ごれいじようそうどうに驚いているらしい。おい、そこの団員五名。ご令嬢をしっかりと屋敷まで送ってさしあげろ」

「え! その団員ってもしかして、副団長である俺もふくまれていたり~?」

「当たり前だ、これは命令だからな」

「横暴だな~ユリウス、そんなこと言うとモテな……あ~はいはい! 行きますってば」

 窓の外からはユリウスとは別の──軽快な声が響いてくる。そして身体を包み込む衣服から、ユリウスが黒いマントのような外套を着ていたことを思い出す。それをいで、馬車から身を乗り出していたナタリーにかけたのだろう。そうした事態を冷静に考えるほどには、ナタリーは落ち着きを取り戻していた。ユリウスの外套に注目するおかげで、ユリウスの瞳に恐怖を感じずに済むという……皮肉だが、安心感をナタリーは持ったのだ。しかし、それと同時に「どうしてそんなことをするのか」という疑問が湧いて戸惑う。そんなナタリーの混乱に、ユリウスは気づいていないようだ。

「窓の外はあまり見ない方がいい。騎士団の者を数名、ともにつけよう。お帰りは、気を付けて」

「は、はい?」

 ナタリーの疑問の声は届いていないのか、コツコツと馬を歩かせて「おい」と御者に声をかける。

「これからこの道を使うときは、気をつけろ。ここ最近ならず者が出現することで有名だからな。わかったな?」

「かしこまりましたぁぁぁ!」

 ユリウスにおびえているのか、御者はあわてながら答えている。そして仕事を始める合図のためか、馬車内をへだてる小窓を少し開け、「お嬢様、出発するので扉を閉めてください!」と声をかけてきた。

「え、ええ」

 まだ自分の心臓がこわれたみたいに、はやがねを打っていながらも──ナタリーがぎよしやに合図を送れば、御者は張り切って馬に声をかける。馬車が走り出しても相変わらず、外の景色を窓から見ることはできないままで。いつもより多くの馬のき声と共に、視界を黒色がさえぎっていた。

「いや~! あのおかたいユリウスに春が来たかもしれないなあ」

「副団長……あまり、そう言いますと……」

「え~? ユリウスがいない今だからこそ、だろう? それにしても、ユリウスが〝令嬢〟って単語を言えるってことに……俺は感動しちゃったよ~」

「ふ、副団長……」

 ナタリーをしきまで送る騎士たちが、楽しげに会話をしているのが聞こえてきた。しかも、副団長と呼ばれた男はユリウスのことを話題にあげ部下にいさめられているようだ。そんな声をナタリーは耳にしながら、いまだに気持ちの整理が追い付かなかった。それもこれも、ユリウスを見てから混乱が続いている。

(ずっと冷たい態度の閣下が、私を助けるなんて訳が分からないわ。そもそも今の時代の閣下は私を知るはずもないし。となると、騎士団長とまで地位が高いのだから、そつせんして人助けを行っていたとでもいうの? ……でもそんな周りをづかひとがらなら、どうしてふうだったあの時は──)

 そうしてさらに混乱が深まるうちに、馬車がゆっくりと止まりとびらが開かれる。どうやら屋敷へとうちやくしたようだった。

れいなご令嬢、お手をどうぞ」

「……へ?」

 開いた扉からは、いつもならしつが手を引いてくれるのだが──ナタリーの視線の先には、見知らぬ騎士が手を差し出している。きんぱつで、たれ目の彼は女性をまどわすような甘い顔つきをしている。騎士の手をとると同時に先ほどのユリウスの言葉を思い出す。もしかして彼は──。

うるわしいご令嬢──俺は騎士団で副団長をしております。うーん、堅苦しいあいさつが苦手なもので、気軽にマルクとお呼びくださいね」

「あ! ご挨拶ありがとうございます。私はナタリー・ペティグリューと申します」

 目の前のマルクは、ナタリーを見るとわかりやすくそうぼうゆるませ、「いや~! れんな方に挨拶をしてもらえるなんて、今日の俺はついてますね」と軽口を言う。

「はあ、団長、もったいない。まあ、無事にお送りできて幸いです」

「あ、ありがとうございます」

「いえ、として当然のことをしたまでですから」

 ウィンクをしてくるマルクからは、ちやっ気を感じる。人から好かれやすそうな男性だ。そんな中、ふと自分のかたにかかっている外套に気が付き、返さなくてはと手に取ってマルクに話しかけた。

「その、これを──」

「ん? あぁ、団長の服ですか……! よごれてますし、もう捨てちゃってもいいと思いますよ!」

「え? えっとそれは申し訳ないと言いますか。マルク様から……」

「お、俺!? いや~それはな~。たぶん団長も、直接返してもらった方がきっとうれしいと思うので……」

「?」

 マルクがいったい何を言わんとしているのか、見当がつかないが……どうやら何か問題があるらしい。そうしたら、どうしようか……とこんわくしていれば。

「あ! そろそろ俺らは帰りますね! おそくなると、うるさそうなので……。では、麗しいご令嬢ナタリー様、また会えたら、どうぞよろしくお願いします」

「え、ちょっと!」

 だつのごとく、ユリウスの騎士団の面々は来た道をもどるように走り出す。まだ困惑しているナタリーの手元には、ユリウスの外套だけが取り残された。助けてくれた騎士たちをもてなすひまもなく、外套を同盟国へ届けようにも、自国の王族から許しを得なければ国を出ることも難しい。

「おじょーうさま──!」

 屋敷からは心配するミーナの大きな声が聞こえた。その声を合図に使用人だけでなく、お父様とお母様もむかえに出てくる。こんなよるおそくまでいったいどこにと心配のあらしに巻き込まれそうになったが、きっとつかれているだろうからとお母様の一声でなんとか解放してもらえた。れない出来事と山積みとなった問題に頭がくらくらしていたから正直ほっとした。

「と、父さんは、まだナタリーのけつこんは早いと思っているからな! いやずっと独身だって父さんは──」

「はいはい、あなた。行きますよ」

 そんな二人の会話を背に自室に戻ったナタリーは、る前に、とミーナになみだつゆくさの件と汚れた外套をお願いした。王子から受け取ったペンダントは、壊れるといけないので引き出しの中へう。

「わかりました!」

 キラキラと目を輝かせるミーナが、質問したくて仕方ない──という欲求を必死におさえていそうなことは分かった。しかし疲れがまさり、そのままふかふかのベッドへ吸い込まれるように眠ったのだった。



 再び起きたら、実はすべて夢だった──なんてことはなく。死んでから目覚めた日をきちんとこうしんした。引き出しを見れば、ペンダントは入っているし、ミーナからは「〝だれか〟のお洋服、きちんと綺麗にしましたよ!」と強調して報告を受けた。

「そ、そう。ありがとうね」

「ええ! おじようさまが急にお出かけしたいだなんて、変だなと思っていましたが。だいじようです! ミーナはおうえんしておりますからね!」

「あ、あはは」

だん様に報告したら大変なことになりそうだったので。うまくごまかしておきました!」

 ミーナはナタリーのじよとして、とてもゆうしゆうである。たのんでいないことも、察して行動してくれるのだから。ただ、引き出しに対する視線とがいとうに関して聞きたい欲をもっとかくしてくれれば……。

(ミーナがどうしてか嬉しそうだし、まあ、いいかしら)

 説明がめんどうになったナタリーはいつか誤解を解こうと心に決め、今はいつたん忘れることにした。そしてお父様には馬車の壊れ具合から……正直に事のてんまつを話し──余計に心配されたが「運よく騎士に助けられた」と伝えれば、やっと落ち着きを取り戻してくれた。

「ま、まあ、親切はありがたいがっ。絶対ナタリーによこしまな目を向けたやつがいるはずだ! そいつらの目をふさいでやりたかった!」

「はあ。ナタリーは、もう十八歳ですよ。こいの一つや二つくらい……」

「恋の一つや二つ!? やだ~父さんはやだよう~」

 お母様の大きなため息が聞こえた。ナタリーはていせいしようか迷ったが、みように合っている部分があるから……しづらいのだ。邪な目の副団長とか。あまりしようさいな話をするとやぶへびになりそうなので、なげいているお父様にがおを向けてやり過ごした──。結局ペティグリュー家では、昼までこの「ナタリーそうどう」に関して話がふんきゆうすることになった。

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