第8話 「お縄どころか死刑だよな?」

 土曜日が終わり、やってくる日曜日もまた休日である。

 今まで通りであれば、お昼前まで寝ているところだ。

 でもそういうわけにもいかない。

 朝ごはんを食べようとした神奈月さんが、一体何をしでかすか分からないからな。

 卵が割れただけで、謎に卵焼きを作れる自信を身に付けた彼女だ。

 下手なことをして事故になっては、俺の責任を問われかねない。

 何せ家賃無料って、実質的に金銭で報酬を受け取ってるようなものだもんなぁ。

 そんなわけで、俺は7時にアラームをセットしてきっかり目覚めたのだった。


 ――おはよう!

 ――朝ごはん食べたくて何か作るなら声かけてね~!


 もうやってることは子守か介護だよなと思いつつ、そんなメッセージを送って朝のお茶を飲んでいたその時。


「きゃあっ!」


 隣の部屋から女性の悲鳴と共に、ガタンゴトンとすさまじい音が聞こえてきた。

 俺は慌てて湯呑みを置き、部屋を飛び出す。

 隣の部屋のインターホンを鳴らすのと同時に、神奈月さんがドアを開けて出てきた。

 朝早い時間帯ではあるが、そこはお嬢様らしくきちんと服を着替え、髪もとかされている。

 今日もちゃんとかわいい。

 間違ってもパジャマ姿をさらすようなことはなかった。


「大丈夫!?」

「びっくりしたよぉ……」


 神奈月さんは泣きそうな顔で、玄関にしゃがみ込む。

 かなり焦ったようだ。

 しばらくそのまま、呼吸を落ち着かせていた。

 そして立ち上がると、俺を玄関の中へと招き入れる。

 女子の部屋に入るの初めてだなんてことよりも、今は神奈月さんへの心配が勝った。


「何があったんだ……?」

「それがね、洗濯機が急に暴れ出したの?」

「洗濯機? 暴れ出した?」

「今日は本格的にひとり暮らし初日だから、気合を入れて早起きしたの。顔を洗って、着替えて、それから洗濯をしようと思ったんだけど……」

「洗濯機が暴れ出したと」

「うん。こっち来て」


 神奈月さんは俺を洗面所&風呂場へと案内する。

 このアパートはどの部屋もほぼ同じ造りなので、風呂場の位置も俺の部屋と一緒だ。

 入ってみれば、所定の位置に最新式のピカピカな洗濯機。

 ひとり暮らしのために新しく購入したものだろう。

 ただ残念なことに、ホースはぐっちゃぐちゃに絡まり、洗濯物が飛び出して床にまで散らばっている。

 どうしてこうなった。

 いや、本当にどうしてこうなった。


「どうしてこうなった?」

「分からない……」


 まあ、めちゃくちゃな使い方をしたのだろうということだけは分かる。

 少し道を踏み外したくらいでは、この有り様にはならない。


「正規の使い方を教えるから。ていうか、大抵の家電には取説があるからそれを読めば理解できるはずだよ。神奈月さん、頭いいんだし」

「取説……取扱説明書?」

「そうそれ。この洗濯機のはどこにある?」

「あー、えっと……箱の中に入ってるかも」


 取説探しに出て行った神奈月さんは、数分ほどで小冊子を持って戻ってきた。


「これだよね?」

「そう。うーんと、おおむね普通の洗濯機と変わらないな。とりあえず、やってみせるから。覚えて?」

「うん!」


 俺はひとまず、床に散らばったく洗濯ものを洗濯槽に戻そうとかき集める。

 神奈月さんが昨日、俺の家を訪れた時に着ていた服。寝る時に着たのであろうパジャマ。ハンカチやバスタオルなどのタオル類。

 ここまではギリアウトのような気もするけどギリセーフだろう。

 問題はここからである。

 床には下着だけが残る展開となった。

 これはもうアウトだろう。

 触れたら……絶対にダメだよな?

 お嬢様の下着だもんな? お縄どころか死刑だよな?


 完全に固まってしまった俺に対し、遅れて気付いた神奈月さんの方もカチコチになった。

 秒針が一周したころ、そっと神奈月さんが下着を拾って洗濯機へ入れる。

 顔が赤い。かわいい……とか言ってる場合じゃない。

 向こうは何も言わない。俺も何も言わない。

 お互いにお互いの傷をえぐらないよう、何もなかったかのように装う。


「せ、設定はこんな感じかな。すすぎの回数と取水の仕方を間違えなければオッケー」

「う、うん」

「そしたら次は洗剤な」

「これだよね?」

「そうそう。このスイッチを押したら、必要な水の量を自動で計ってくれるから。それに応じて洗剤を入れればいい」


 神奈月さんの家にあるのは、ボー●ドのジェ●ボール的なポンと投げ入れるタイプの洗剤だ。

 ひとり分の洗濯物なわけだし、これを1つ入れれば十分だろう。


「これであとはスタートを押せばオッケー。もし節水を心掛けるなら、お風呂の残り湯で洗濯することもできるよ。その場合は、このホースをここに挿し込んで、反対側を浴槽に入れればいい」

「なるほどなるほど」

「まあ、この辺も取説に書いてあるから。はい、神奈月さんがスタート押して」

「うん!」


 スタートが押され、洗濯機が動き出す。

 さすがは最新式。驚くほど静かな運転音だ。

 とても、さっきけたたましい音で暴れまわったとは思えない。


「洗濯が終わったら、干すんだけど……。この洗濯機は乾燥機の機能もついてるし、今の設定だと干さなくていいかな。終わったら畳んでしまっちゃっていいよ」

「ふぅ……本当にありがとう」


 神奈月さんがはにかみ、そして頭を下げる。

 上げた顔にはほっとした笑顔。

 かわいい。

 守りたい、この笑顔。


「それじゃあまた何かあったら呼ん……」


 ぐぅ~。

 神奈月さんのお腹から音が鳴り、その顔がまたしても赤くなる。

 うつむいて恥じらう彼女。

 かわいい。

 俺は洗面所を出て行った。


「朝ごはんにするか」

「ううっ……恥ずかしい……」


 お腹を押さえつつ、神奈月さんは照れ笑いを浮かべる。

 かわいい。

 かわいい。かわいい。かわいい。

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