第3話 「家なき子」

「ごちそうさまでした」


 丁寧に手を合わせた後、神奈月さんはスマホを見て時間を確認した。

 昼休みが終わるまでには、まだ残り20分ほどある。


「平坂くん、何か困ってることない?」

「困ってること?」

「うん。助けてもらったお返しがしたいなって」

「いいよいいよ。たかがコロッケパンひとつだし」

「むー」


 神奈月さんは、ちょっぴり頬を膨らませてこちらを見ている。

 あー、何かお返しをしないと気が済まない性格なんだな。

 受けた善意にしっかり善意で返さないと気になってしまう。

 その気持ちは分からないでもない。


「困ってること……困ってること……」


 空を見上げ、何かないかと呟きながら考える。

 それにしても、どこまでも突き抜けるような青空だな。

 こんな爽快な空を見ていたら、大抵の困りごとなんて忘れちゃいそうだ。

 いやいや、この場合は忘れちゃダメなわけで。


「あっ」


 ふと、頭の中に売却され取り壊される予定のアパートが浮かぶ。

 しかしそれと同時に、アパートのことを神奈月さんに言ったからどうなるんだという、至極真っ当な考えも浮かんできた。

 しかし時すでに遅し。

 ついうっかり「あっ」という言葉を漏らしてしまったがために、神奈月さんが食いついてきたのだ。


「なになに? 何かある?」


 期待するようなまっすぐで清らかな目。

 今さら、何でもないとお茶を濁すようなことはできなかった。


「まあ、困ってることはあるっちゃある」

「聞かせて聞かせて?」

「いやでも、一個人じゃどうにもならないことというか。実は俺の住んでるアパートが取り壊されることになったんだよね」

「え?」

「オーナーが高齢で売却されたんだけど、俺しか住んでなかったし採算が合わないんだって。仕方ないから新しい物件を探してるんだけど、難航中って感じで。もうすぐ家なき子状態になるっていうか」

「なるほど……。確かに、今すぐにどうこうできることじゃないね……」


 それはそれは残念そうな顔をする神奈月さん。

 この昼休みというわずかな時間で推測した彼女の性格を考え、俺は慌ててフォローを入れた。


「ま、まあさ、今は思いつかないけど何か困ったことがあったら言うよ。その時に神奈月さんの気が向いたら、助けてくれればいいから」


 神奈月さんは、まだ神妙な表情で、そして何かを考える素振りを見せながら頷く。


「そうだね。気が向いたらじゃなくて、力になれることは絶対に何でもするから」


 海老で鯛を釣るならぬ、コロッケパンで学校のヒロインを釣る。

 ちょっとした思い付きと親切が、なかなかの結果を呼び込んだものだ。


「連絡先、交換しようよ。何か困ったことがあったら、いつでも連絡してきて」


 神奈月さんの差し出したスマホに、メッセージアプリの友達を追加するQRコードが表示されている。

 彼女と男子がやり取りしたなどと言う話は、まるで聞いたことがない。

 告白は全て直接だったらしいし、そもそも神奈月さんとやり取りしたのなら大抵の男子は自慢するだろう。


「あー、じゃあ」


 俺は本当にいいのか? と少し考えた後、かといって断る理由はどこにもないと思い直し、素直にコードを読み取った。

 かわいらしいハムスターのイラストのアイコンが、新しい友達として追加される。

 名前は「かれん」。

 向こうにも、俺が友達として追加されたことだろう。


「そろそろ予鈴が鳴るな」

「あ、本当だ」


 俺たちはそろって立ち上がり、屋上を後にする。

 並んで教室に入れば、良からぬ噂が立つかもしれない。

 俺はともかく、神奈月さんには迷惑な話だろう。

 だから途中で、トイレに行くといって別れたことは言うまでもない。


 ただこの時の俺は、神奈月楓怜という人間について3つほど誤解をしていた。

 一つは彼女の時間に関する概念について。

 一つは彼女の金銭に関する概念について。

 そして最後の一つは、彼女の恋愛に関する概念について。

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