第2話 潜入任務②
マンハッタン十番街通りのナイトクラブ内にある、ゲストルーム。
複数のテーブルがあり、それに隣接したソファが扇状に展開している。
部屋は全体的に薄暗く、人の出入りはなく、場はしんと静まり返っている。
その部屋の片隅には、椅子に縛り付けられた老人と、それを見つめる男がいた。
「もしもし。……おかしいですね、そろそろ目覚めてもいいはずですが」
薄っすらと声が聞こえる。耳慣れない男性の声だ。
遠くのようにも聞こえるし、すぐ近くのようにも聞こえる。
(あ、れ……。なにが、起きた……。確か、任務中、だったよな……)
ゆっくりと思考が回り、サーッと血の気が引いていくのを肌で感じる。
「……っ!!」
同時に、頭に割れるような痛みが走った。
気分は最低最悪だったが、おかげで目が覚めた。
体はガタンと動き、暗かった視界に、光が差してくる。
見えたのは薄暗い地面と、白スーツを着た高身長の男性の姿。
灰色の髪のオールバックで、目は鋭く、肌は褐色。左頬には刃物傷。
明らかにカタギじゃない男が、こちらの顔を神妙な面持ちで覗き込んでいた。
(どう、なってる……。ナイトクラブに潜入して、それで……)
とっさに、起きた前後の記憶を頭に思い浮かべようとする。
しかし、頭に霧がかかるような感じがして、何も思い出せない。
「んんんっ!!」
探りを入れるために叫ぼうとしたが、声が出ない。
口には縄が食い込み、手足も縄で椅子に縛られていた。
(相手は恐らく、マフィア……。変装が、バレたのか……?)
その間にも、状況を分析し、消えた前後の記憶を補完していく。
「良かった。目が覚めたようですね。少し失礼しますね」
そこで男は安堵した様子で、口縄を外していった。
(いや、落ち着け。相手は下手に出てる。つまりは……)
戦闘を視野に入れつつも、冷静に状況を見ないといけない。
「げほっ、げほっ、手荒な真似をしてくれる」
変声機を通じて、しゃがれた声が生じる。
どうやら、マスクは調べられなかったようだ。
取引相手の司教には、手荒な真似ができなかった。
そう考えるのが妥当か。気を失った経緯は不明だが。
「申し訳ありません。少しアクシデントがありましてね」
静寂に包まれた部屋に、男の声だけが響く。
他に人がいる気配はない。話は順調に進んでいる。
「司教を拘束する以上のアクシデントなど、存在するのか?」
とにかく今は、正体がバレないように会話を続けることが最優先だ。
司教になりきれば、いつでも逃げられるし、取引を阻止できる可能性もある。
「ええ。左側をご覧いただけませんか?」
そう考えていると、男は不穏なことを告げてくる。
嫌な予感がする。仲間がやられている可能性があった。
言われた通りに首を左側に動かし、目の焦点を合わせていく。
「……っ!!?」
そこにいたのは、白い司祭服に白髪混じりの老人。
変装マスクの元となった人物。本物の白教司教だった。
こちらと同じように、椅子に縄で縛られ、目を閉じている。
(殺したのか? いや、それにしては……)
よく見ると胸は上下し、耳を澄ませると、かすかに寝息が聞こえてくる。
「同じ顔の人物が二人。失礼ですが、尋問させてもらいますね」
男は前置きを省き、話を進めようとしている。
恐らく、取引現場に同じ顔の交渉相手が二人いた。
だから、両方気絶させて、先にこっちが目を覚ました。
これから、本物と偽物の選別作業をするってとこだろうな。
「ああ。そういうことなら、早くしろ。できるだけ手短にな」
話に乗ってやるしかない。むしろ、好都合だった。
ここで信用されれば、目的達成したのも同然だからな。
「では、千年祭の詳細について、お答え願えますか?」
ただ、そう簡単にはいかないようだ。
尋ねられたのは、本職しか知り得ない質問。
本来なら、答えられずに、ここで詰んだだろうな。
(千年祭……。本当に聞かれるなんてな……)
しかし、それは奇しくも、あいつに講義された内容と同じ。
復習はサボったが、覚えていれば、恐らく、出し抜けるはずだ。
「……」
その間を不審に思ったのか、男はスーツの懐を探る。
そこから取り出したのは、9mm口径の黒色の自動拳銃だった。
スライドを引き、銃口をこちらの頭に向け、引き金に手をかけている。
(沈黙は、死か……。上等だ、やってやるっ!)
心地いい緊張感に満ち、ダンテは大きく息を吸い、口を開いた。
「開催日は、今年の12月25日の正午。主様が生誕して千年目を記念する全世界規模での儀式。各地聖堂内にて、信徒へパンとぶどう酒を配り、祈りを捧げ、食す行事だ。私の役割は、儀式全体の進行を管理する司式になる」
あいつが言ったことは、一言一句覚えてる。
忘れてやるわけがない。これなら乗り切れるはずだ。
(どうだ……)
ダンテは相手の顔色を恐る恐る見る。
顔に表情はなく、無言で何度も頷いている。
(よし、よし……。この反応なら恐らく……)
手応えはあった。内容は間違ってない。
誤魔化し通せるビジョンしか見えなかった。
「……なるほど。やはり、偽物でしたか」
だが、男は冷たい声を響かせ、引き金に手をかける。
(おいおいおい。嘘だろっ!!)
まさかの展開に、脳内はパニック状態。
手足は縛れていて、回避するのは絶望的。
「――」
その間にも、男は容赦なく、引き金を引いた。
銃声。銃声。銃声。三発の銃弾が間髪入れず放たれる。
「――くっ!!!」
こんなもの、避けられるはずがない。
成す術もないままに、痛みと衝撃に備える。
体は強張り、背骨にビリッと電流が走る感じがした。
(死ぬ死ぬ死ぬ……っ! 止血圧迫消毒、体位の確保!)
あいつと違って、銃弾を生身で受けられるほど鍛えてない。
腹でも貫かれたら、出血多量で死。足なら半殺しで拷問行きだ。
体を震わせながら、少しでも出血を止めるように患部に力を込める。
(……ちょっと待て。どこを撃たれた?)
しかし、痛みはない。耳はキーンとしたが、ただそれだけ。
体を入念に見回しても、風穴も、赤い染みも、見当たらなかった。
(は……? 助かった、のか……?)
反射的に辺りを見回し、状況を見る。
わざと外して、様子を見たのかもしれない。
そう思っていたが、違った。そんなに甘い相手じゃない。
「……っ!?」
左隣には、白い司祭服を着た、血まみれの老人。
変装マスクの元になった本物の、無残な姿があった。
「手荒な真似をして申し訳ありませんでした。司教様」
男は何事もなかったように、手足の縄を解いていく。
本物だと確信できるほどの何かがあった、ということだろう。
隣のやつには同情するが、これが裏の世界だ。ここで取引したのが悪い。
「……ふん。取引は破談だ。二度とうちと関わるな。ゴロツキどもが」
ダンテは、司教を完璧に演じ、体のいい別れ文句を告げる。
情報を引き出したいのは山々だが、ここに留まるのはリスキーだ。
捕まった状態から、取引を破談させて、家に無事帰れるだけで上々だろう。
「ネズミを招いたのはこちらの不徳の致すところ。申し開きがございません」
特に反論する様子もなく、男は出口まで案内しようとしている。
さすがにやられたかと思ったが、なんとか首の皮一枚で繋がった。
帰ったらあいつに感謝しないとな。講習がなかったら、終わってた。
(待て……。なんで、こんな大事なことを忘れてたんだ)
そこまで考えた時、頭の片隅で忘れていた存在を思い出す。
「……それより、付き人はどこへやった?」
出口に向かう男の背中を追いながら、ダンテは自然に尋ねた。
奥には両開きの扉が見え、そこを出れば、ほぼ外に出たようなものだ。
「ああ、その方なら、そこにいらっしゃいますよ」
男が指を差した先。そこには司教同様、椅子に縛られた三人。
少女二人と、青年一人。白い修道服と、紺の作業服を着ている。
顔にはところどころ青い痣があり、衣服は真っ赤に染まっていた。
「……っ」
間違いない。苦楽を共にした仲間。
同じ釜の飯を食った
「抵抗されたので、やむを得ませんでした。お悔やみ申し上げます」
心を殺せ。仲間は切り捨てろ。自分だけが生き残る術を磨け。
「……間抜けなやつらだ」
人情があって、仲間を守るために、自分を犠牲にした仲間たち。
まるで、真逆じゃないか。不向きにもほどがある。だから、殺されるんだ。
「ええ、全くです。死体は犬にでも食わせるとしましょうか」
耳を貸すな。ただの戯言。生き残るために必要のない情報だ。
心を殺し、仲間は切り捨てる。このまま出口に進めば、まず助かる。
「……お前に一つ、言い忘れていたことがあった」
それなのに、ぴたりと足は止まってしまう。
無視するだけでいいのに、体が反応してしまう。
「なんでしょう?」
男はこちらを振り返り、小首を傾げている。
もう偽物はいらない。あるのは本物だけでいい。
ダンテはマスクを取り、険しい素顔を見せ、言い放つ。
「俺の仲間を侮辱する奴だけは、何があっても許せねぇ!!!!」
一人の少年は吼えた。仲間の死を背負い、復讐を果たすために。
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