面倒くさがりな友人

惟風

面倒くさがりな友人

 朝起きると、右目にものもらいができていた。

 昨日は一日中、無精ぶしょうの極みの友人宅の掃除や片付けをした。今もその疲労は抜けていない。

 汚部屋と知っていたのでホコリ対策として高いマスクはしていたけれど、目は無防備だった。汚れた手で無意識に触ってしまったのかもしれない。

 重たく膨らんだ瞼が熱を持ちジンジンといたがゆいので、眼医者に来た。

 週明けのせいか思ったより混んでいて、半休を貰っておいて良かったと思う。

 自分の番が来るまでにはかなりかかりそうだったので、待合室の椅子に深く腰掛けて目を閉じた。


 ◇ ◇ ◇ ◇


 先週、何事にもやる気の無い友人、上田うえだからの着信があった時、あいにく俺は残業中ですぐには出られなかった。

 あの無気力人間がよく電話をかけてくる気になったものだ、と今になって思う。


 ――猫が死んだんだよ


 前置きどころか「もしもし」の言葉もなく話し始めるところが、実に彼らしい振る舞いだと思った。


 ――もう、何もする気にならなくってさ


 何もしたがらないのはいつものことじゃないか、と返事をしかけて、留守電に吹き込まれたものだと思い直した。

 昔からぐうたら人間ではあったが、最低限の社会性はある男だった。

 それが、愛猫の死で色々取り繕うのが嫌になったらしい。


 ――一人じゃ無理そうだから、手伝ってくれないかな



 訪問した時、「めんどくさい」が口癖の上田はゴミなのか荷物なのかも判別できないモノに囲まれ、部屋の真ん中に鎮座していた。

 古い一戸建ての二階、余りにも汚すぎて最近は両親も上がってこないらしい。一緒に住んではいてもほとんど顔を合わせていないとのことだった。

 階段も廊下も、歩くたびにミシミシと音を立てた。


 一歩足を踏み入れ、灰色の布のように積もった埃が靴下について、思わず顔をしかめた。

 窓から差し込む光にきらきらと舞う細かな粒も、同じモノでできていることに思い至って「う……」とうめき声が出た。

 猫がいた頃はここまでではなかった。

 友人が人間らしい生活を送る最後の砦だった生命は、大きな病気もせず眠るように寿命を全うしたそうだ。

 久しぶりに顔を合わせた彼は、最後に会った時よりも随分と髪が長くなっていた。

 何かのこだわりや美学ではなく、単に切るのが面倒くさかった結果なのだろう。

 それでも、伸ばしっぱなしの黒髪はなまめかしく肩口から垂れていた。

 痩せ細った身体は儚さを際立たせていて、正しく“掃き溜めに鶴”の様相だった。

 俺は、持参したリュックの中から手袋やゴミ袋、大物を解体する道具類を取り出していった。

 雑多なものにまみれた床に置くと、それらはガラクタと見分けがつかなくなった。



 上田と知り合ったのは、高校二年の時だった。

 教室の中に、同級生として机を並べるにはあまりにも異質な人間が、自分の後ろの席に座っていた。

 春の陽を浴びた肌はしっとりと光り、瞳も唇も艶々つやつやとして、通った鼻筋は日本人離れしている。

 黙っていればその容貌に皆が惹かれ、何もせずとも周りに人が集まるような存在だった。

 ただ、彼の生来の怠惰で気ままな短所はその美貌を持ってしてもカバーできなかったようで、すぐに人は離れていった。

 どうして自分が仲良くなったのか、もう朧気おぼろげだが、上田の方から声をかけてきた。

 確かその時履いていた俺のスニーカーの色が、とても良い、と。

 きっかけは彼からであったが、その後の関係を続けたのは明らかに私の熱意によるものだった。

 彼は私を拒まなかった。それは好感からではなく、あしらうことの煩わしさからだろうが、ともかく私達は友人としてやり取りすることになった。


 学校の外で会う彼は、学内以上に私の視線を惹きつけた。

 引き締まった手首に巻いた腕時計の、文字盤が洒落ていた。

 秋物のジャケットは長身の彼にぴったりの丈だった。

 細身で中性的なシルエットからは想像もできないほどに低く重い声は、離れていてもよく通った。

 上田の自発的な部分を知ることが、心地良かった。


 彼が仔猫を拾ったのも、この頃だった。

「目がお前のスニーカーと同じ色してる」と笑い、名前を考えるのが面倒だという理由で仔猫に“テルキ”と俺の名をつけた。


 大学は別々のところに行った。

 中退するのでは、との周囲の心配をよそに、友人は留年することなく卒業した。

 会う度に交際相手が変わっており、断ることが億劫なのだと薄く笑う。構うことも追うこともせず捨てられる、を繰り返していた。


「変わらず一緒にいてくれるのはテルキだけだよ」


 酒に酔うと時折漏らすその声は、低く俺の中に沈み込んだ。


 俺の意に反して、甘い絆は日々の生活に呑み込まれていった。

 学生時代とは比べ物にならない責任と重圧に侵食されるうちに、交流の頻度は擦り減っていった。

 元々俺から誘わなければ繋がらない縁なのだから当然だ。

 だからこそ、突然の呼び出しに俺は一も二も無く飛びついたのだった。

 彼に頼られることが誇らしかった。



「なんで、俺に頼んだんだ」


 手袋を嵌めながら、上田の方へ顔を向ける。

 彼はチラリと手元のスマホを見てから、気怠そうに口を開いた。耳を澄ましていなければ聞き逃しそうなほど、小さな声だった。


「お前の名前が、真っ先に出てきたから」


 虚ろな目は、何も見ていないようだった。


「……そうか」


 俺はロープをしっかりと握り締めた。


 ◇ ◇ ◇ ◇


 不意に、自分の名前を呼ぶ声で現実に引き戻された。

 瞼の腫れはどんどん増していて、重たくて開けるのに苦労する。


相田あいださん、相田あいだ輝樹てるきさん、先に視力検査を行いますのでこちらへどうぞ」


 左目から涙がこぼれた。雑に手でぬぐう。

 アイツは最期まで俺のことを名字でしか呼んでくれなかったな、とぼんやり考えながら立ち上がった。







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