第2章


  1


 一行(いっこう)は飛行船に乗って、エンタを離れてステージへと移動する。宙に浮かぶマップの目的地点と現在地点の丸と三角が接近する。

「さあいよいよ第一ステージ──『迷宮の王国ロゼリア』だ! 名前は王女の名前からつけられているんだよ」  

 超ド級──蒸気と歯車の圧倒的なスチームパンクの島が近づいてくる。中心に機械仕掛けの宝石のようにきらびやかな城がそびえ立ち、島は段階的になっていて、上から下へ街並みが少しずつ華美から地味になっていく。

 城に続く道に着陸し、歩き出す一行。ほぼ他の子どもたちはグループを作っており、自分から話しかけることなんてできず、アビーはおどおどと歩く。でも、「チョーット失礼」と、大きな手が寂しがる彼女の手を包み込んだ。

 ドキッとして見上げる。ピエロがやさしい笑顔で茶目っ気たっぷりに片目を瞑(つむ)り、人差し指を口に這(は)わせる。

「女性がひとりで歩いてちゃ、危ないよ」

 また心臓が高鳴って、うん……とちょっぴり下を向いた。

 ──優しい……やっぱり、王子様みたい。すごく嬉

『おっさ~~ん!』

「はあ? え? 今おっさんっつった? え? ちょ、誰がおっさんって?」

 秒で手が離れた。

「あ──」

 彼はずんずん歩いていって双子がけらけら笑う。呆然と他の子と愉快に話す彼を見て、落ち込んで俯いた。

「アビー!」

 でも彼よりも小さな手が、ひとりぼっちの手を無邪気に握った。驚いて見上げると、真夏の太陽みたいな笑顔のお姉さんがいた。

「エイミー……お姉ちゃん」

「ともだちになろう!」

 え──。聞いたこともない言語を聞いたような反応をしたが、アビーが暗闇のなかで何度も想像していた言葉だった。エイミーの偽りのない笑顔と言葉に、また泣きそうになる。一瞬だけ閃(ひらめ)いて揺れて、不器用にも綻(ほころ)んだ。

「うん……!」

「よいしょーーーーーーーーー!」

「きゃあああああ?」

 なぜかエイミーがアビーを大胆にお姫様抱っこした。

「お、お姉ちゃん?」

「もうこんなに大きくなったんだなあ! エイミーは嬉しいぞ!」

 エイミーパパになっており、天然にどう対応すればいいのかわからず頭は大パニックだ。

「え? えっと……」

「エイミーって呼んで!」

「う……うん」

 嬉しくてアビーは染まる。時々男の人の口調になるし天然だけど、明るくてすごくいいお姉さんだ。あ! アビーの目にお花が咲いてる! かわいいね! そんな微笑ましいシュールな図を始終(しじゅう)エトワールが楽しそうにセシルはひきつって見ていた。

「何やってんだ? アイツ……」

「彼女、天然でかわいいよね」

 エトワールがセシルの隣でおっとりと笑う。同年の平均のセシルよりエトワールの方が背が高い。近くで見ると粗(あら)のない整った顔立ちが余計わかるが特に何も思わない。

「は? お前あんなのがタイプなの?」

「うん、一目惚れなんだ」

 思わず嘲(あざけ)りの大きな失笑がこぼれた。

「マジで?」

「そういう君だってあの子のことが好きなんじゃないの?」

「笑わせんな俺は人間がタイプだ、動物愛護センターとは違う」

「じゃあ、俺がもらっていいの?」

「……あ?」

 ……俺? エトワールをみると、悪魔的にぎらつく漆黒の薔薇みたいな笑顔を浮かべていた。小学生の顔ではない、男の顔つきだ。セシルは奇怪に思って返す。

「好きにしろよ」

 悪魔が天使に移り変わるように微笑む。

「ありがとう」

 エトワールはそう言うと、セシルを通り過ぎエイミーの方へと行った。二重人格とも違う、天地(てんち)ほどの二面性を持つ少年。いけすかねえと口パクで言い、今まで会った中で一番謎めいた気色悪い奴だ。唯一わかったことといえば、腹黒王子様(爆笑)。なんかあいつに勝手に恋敵にされ(激しくどうでもいい)宣戦布告をされたようでむしゃくしゃする。

 大げさに腕を曲げた後、セシルは爽やかなとてもすばらしい笑顔を背中に送った。

「いいキャラしてるよ」

 中指を忘れずに。

 

 中世風の小さなホールで、ピエロたちは美しい秘宝『ジェム』と呼ばれるブローチを左胸に、アイテムをいろいろ収納できるベルト等を各々(おのおの)装着した。ピエロが前に踊り出て説明する。

「さあロゼリア王国へようこそ! 第一遊戯は『脱出ゲーム』! ロゼリアには貴族、平民、貧民の身分がある。殊(こと)に殊に、お貴族様は宝石が大大好物、君たちのジェムを見るなり目の色を変えて襲い掛かってくる変態だ。迷宮では仕掛けやアイテムが盛りだくさん! 武器を使って戦うのも逃げるのもよし、しかし絶対に! ジェムを盗(と)られてはいけないよ? 制限時間内に脱出出来なくても脱落だ。制限時間は三十分!」

 ピエロが壁のレバーを引くと、城の外れにある巨大な砂時計が歯車仕掛けに反転し、砂の末端(まったん)が零れ始める。

「さぁ、脱出ゲーム開始だ!」

 大きな両扉が勢いよく開け放たれる。きらびやかな輝きが出迎え、ごてごてと装飾された仕切りと仕切りの間を皆が駆ける。からくりだらけの複雑な迷路になっている。

 いくつか曲がると、着飾った華麗なる令嬢(レディ)二人と双子が鉢合わせる。

『おぉ! 美女ー!』

 逃げるどころかハモって喜ぶ。

 上品に談笑していた二人が顔を向けると、目を大きくした。

 あら! まあ!

『ジェ~ム!』

「宝石はコラーゲン……」「宝石は美容液……」王女の弟君のアホみたいな金言(きんげん)だ。

「見てるだけで肌が弾むわ! ねえ貴方(あなた)、その宝石頂けない?」

 ジェムは心臓にあたるものだ。手放すような愚かな真似はできない。

「はいこんな安物でよければ喜んで!」

『どうぞどうぞ』

 同時にジェムを差し出した。

『──ってバカやろう! 鬼だぞ!』

 お互いがお互いに言う。

「ならば力づくでも奪い取るわ! 待ちなさい! 坊やたち!」

「待ちなさい! お嬢さん!」

 そして十くらいの紳士(ダンディ)(大体貴族はドール)の軍勢(ぐんぜい)に笑いながらエイミーが追われ、あ! と仕切りにくっついていたダンゴムシをもぎ取った。後ろからダンディに抱きしめられる。

「さあ、捕まえたよ、お嬢さ」

 くるりと無邪気にムシを見せびらかした。

「みて! ダンゴムシみっけたぁ!」

「ギャアアアアアアアアアア!」

 即座に飛び退(の)き、手のひらサイズのダンゴムシに絶叫して華麗なる紳士たちが尻餅をついた。これあげるね! と彼らにムシを投げるとアアアアア! いやあぁあぁあ~! とムシハザードに無様な悲鳴を上げて投げ合う。

「おっと言い忘れていたがお貴族様はムシが大のニガテだ!」

『先に言えー!』と子どもたち。

「わ~ん! 貴族なんて宝石いじくるだけだしつまんな~い! 誰か私と遊んでよ~!」

 と邸宅から抜け出して貴族の美少女が泣いていたが、マルクスは空気のように堂々と真顔で通り過ぎる。

「ちょっと? 後でいいことあるから助けて?」

 利害が一致したのできゃっきゃと笑うティナ令嬢と手を繋いで走る。そこで華麗な羽根で宙を飛行するオカン系オネエ執事が飛来。

「ちょっと? 待ちなさいったらアンタたちイ! 逢瀬(おうせ)なんてまだ十年速いでしょ?」

 マルクスが後ろを見るとトンボだったので、目と目の間に人指し指を突き出し、「?」くるくると意識を操って横に素早く払うと、「あらま?」その方向へぴゅうんと壁に衝突。

「待って待って待って待って待たないと僕泣いちゃうからねいいの? 待たなきゃダメ~!」

 とかわいい系わんこ執事がアビーに迫り、フンっとフリスビーを投げると「僕のガールフレンド~!」尻尾(しっぽ)をふりふりして方向転換。

 低木で双子のツボミがぱっと大輪に咲いて、中から同時に貴族が顔をだす。

「宝石の匂いがする!」

 全速力で駆けて来る双子を見つけて

「おは」 

 と言い終える前に同時に双(ふた)つの顔が暴力でツボミに戻り、

 カチ、カチ、とプルバック式の靴の発条(ぜんまい)が巻き──

「僕は一途でして……一度恋をしたら決して止まりませんよ!」

 止まった瞬間猛スピードでダンディが迫って来るが、ピエロがつっと角を曲がると「ええええ?」と一途過ぎて壁に向かって衝突。

「フハハハハハ! 逃げ足は一流なのだよ! 誰も私を出し抜く真似は出来まい! さて……今回も完璧に逃げ切ってしまうのかな……」

 と言ったところで『とらっぷ』と書かれた地面のスイッチをカチッと踏んでしまい、サイレンが鳴る。

「狙った獲物(えもの)は逃さないぜ」と、ロボ男爵が双子目掛けてガトリングガンを乱射し、

「ジェム一対(いっつい)、ロックオン」と、ロボ伯爵(はくしゃく)がジェット機にトランスフォームして宙を切り裂く。

 次々と誘導ミサイルが周囲で爆発して網(あみ)になって襲いかかってくるのを、双子は高い運動神経で躱し、曲がり角を多利用してギリギリで逃げる。別のコースでピエロが視界に入ってくる。なんかポリスもいるが。

『ピエロー! ヤバイ!』

「──その恰好はなんですか?」

「あ、いや、仕事で……」

「ご職業は?」

「えっと、ニ……道化師です」

『職質受けてるううううう!』

 ようやく身柄が解放され、とぼとぼと歩く。

「住所『空』の私が職質を受ける日が来るとは……」

 紳士淑女に追われるニコラが後ろから走ってくる。

「きゃあ~! ピエロ~!」

 ん? 普段生意気な女の子が私に助けを求めている。ばっと意地の悪い笑顔で振り向いた。

「お? ニコラ~! なんだなんだ? 追われているのか? かわいそうにい~!」

 足を踏み出したとたん地面からバキッと脆い音がして、

「えっ?」

 地面が崩落して落とし穴。

「踏んだり蹴ったり~!」

「きゃあ!」

 ニコラを巻き添えに深い穴に共に落ちる。スカートが捲れ上がり急いで「いやっ!」と押さえた。

「おお……これぞ不幸中の小幸(こざいわ)い……」

「ぶっとばすわよ?」

 華麗に身を踊らせ、さっと細い体をわいせつ目的ではなく抱き寄せて、落ちゆく中シルクハットをビールのように掲げた。

「さあ! 不幸に乾杯だ~~~!」

「こいつもイヤああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 子どもたちはそれぞれ出口を抜け、新たな迷宮の世界へ足を踏み入れる。

 双子は急いでトロッコに乗り込んでルイスがレバーを引いた。と、コースターの奥方で歯車が動き出したような音が聞こえ、ゴトゴトとまずはゆっくりとトロッコが動き始め、坂道に差し当たると勢いよく滑走して間一髪で貴族から逃れる。

 ジェットコースターそこぬけのスピードで歓声と悲鳴がブレンドし、迷路を抜ける。と、先ほどレバーを下ろしたことで動き出した、すべてがまるで真鍮(しんちゅう)で出来たような、アトラクションサイズのからくり玩具(おもちゃ)装置の巡(めぐ)るコースターに滑り込む。

 カーブし、中堅(ちゅうけん)マンションばりに大きいギアの中の部屋に吸い込まれる。回転のエレベーターですこし上昇し、吐かれ、ジグザグのスロープを滑り、S時に進んだかと思えばトルネード型にぐるぐると滑走して、真っ直ぐ出口の光を突き破る。

 無事にトロッコがゴールまで止まった。城からだいぶ離れた平民の町にやってきた。

 トロッコの余韻(よいん)が抜けきれずゲラゲラと歓談して路地を歩く。そこにはポケモントレーナーのようにおもちゃたちが等間隔に並び立っているのだが、双子はまったく眼中にナシで、何事もなく双子が通り過ぎた。

「いや話しかけろよ!」

 おもちゃたちが急に動いて抗議した。

「え、なになに普通こう並んでたら話しかけるよね? 普通話しかけたらいいことあるって思うよね? ポケモントレーナーって言葉知ってるよね? それと同じだと思って? もう一回やり直しね?」

「はぁ?」

 なんか貰えるらしいのでもう一回路地を歩いた。一番近い奴を話しかける。スイッチでも入れたように急にハイテンションで喋った。

「やあ! 俺はダック・ザ・エッグ! 君たちと同じ人生の迷子さ! 俺の大道芸みてくれよ! 雄なのに卵が産めるんだぜ? ──くだらないって? ちょまあまあみてくれよ!」

 一人で会話を成立させ、ダックは和式トイレの大いなるポーズをして来たるモノのため踏ん張る。

「ふーーん! フーーーーーン!」

 ポンっと落ちた。いや、生まれた。お、ちょうど双子だぞーと言ってダックは翼の手で金の卵を差し出した。

「はい」

『いらねえええええええ!』先入観がもううんこだ。

「おいおい超ラッキーアイテムだぞ?」

『うんこだろ!』

 ポケモントレーナー補正により聞かない。

「いずれ君たちの役に必ず立つさ! 時間が立つほど中のモノが成長して殻(から)を破る。そして君たちも生まれ変わるだろう! 卵にカウンターがついてるだろう? それに自分の体のサイズを選んで君のDNAを刻んでくれ」

 渋々と受け取り、彼の言う通りカウンターにサイズを入れ、ショルダーにしまった。

 

 ──贅(ぜい)の限りを尽くした王女の一室。

 貴族のウワサは早く、絶世の宝玉を胸に宿すネズミが九匹も入ってきたと、美紳士に囲まれた秘宝のようなドールの美女、ロゼリアが指の宝石のきらめきに陶然としている。

「ふ~ん……絶世のジェムが九つも歩いているの……その宝石は、わたしよりも美しいの」

「いえ。あなたに勝る宝石などこの世にありません」

 ふ、と彼女が錆びついた笑みで微笑する。

「──錆びた言葉。なんの光沢もない。心よりも宝石が欲しい──心潤すものは不確かな愛より確かな光。宝石こそわたしのすべて。 一匹残らず捕らえよ! 傷ひとつつけてはなりません。一つ、二つ──ネックレスのように繋げて差し上げましょう──私の愛しいアクセサリー」


 ──へんな迷路。

 宙に浮かんだ道も、無数に浮かぶ時計も、不思議な空間の物体すべてが可笑しく歪められ、迷路の随所(ずいしょ)に前後に壁のないドールハウスの一室が点在している。道は仕切りがなく、落ちたらどうなるのか分からない。アビーが道を少し進むと、

「わあ綺麗! ほしいなぁ」

 少年の声が、斜め上方から聞こえてきた。振り向くと、時計の上に座っている明るそうな男の子が、美しいガラス玉の目をきらきらさせて自分のジェムを見ていた。付近の色々なハウスにも子どもたちが家庭的に寛いでおり、ぐにゃりとした道の上にも坐(ざ)して、くすくす笑っている。

 皆、完璧なまでに美形だ。スチームパンクな恰好であり、白い脚には球体関節がある。──全員、貴族の子だ。

 不安が黒い霧(きり)みたいにもぉんと過ったが、払い、アビーは凛と彼らを見据(みす)えた。

 少年が時計から身軽に降りて、陽気な身振りで言う。

「やあ女の子サンっ、ようこそ! ココは時間と空間の概念が存在しない、ボクらの秘密基地だよ! イタズラで、時空をバカにしたんだっ! すごいでしょー?」

「ここから出ないと帰れないわよね? でも出口なんかないわよ? 〝今〟はね」

 と、子どもたちがまたくすくす笑い。

「時計は時間を忘れてしまった。現在(いま)がここには存在しない。ここから抜け出すにはただひとつ──すべての調和の心臓である『はじまりの時計』のカギを見つけて、鍵穴に差し込むことができたら、空間が目を覚まし、現実を思い出すだろう」

 彼らが視線で教える先を辿(たど)ると、かなり遠くの方で、一際壮大で正常な形をしたからくり時計が存在感を放っていた。

「まあ、それをくれたら、もっと早く教えてあげるけど。ボクら、アンティーク・ビスクドールと遊ぼうよ! ──ねえ。それ、チョウダイ?」

 少年がかわいらしく首を傾(かし)げて、まるでそれを合図に貴族の子どもたちが一斉に襲い掛かってくる。中には少年が伸縮自在のサイボーグの腕をジェムの方へ猛烈に伸ばしてくる。アビーはそれを躱して、踵(きびす)を返し稲妻(いなずま)のように駆(か)ける。

「つかまえろ!」

 両側から別の少年たちが挟み込んでくる。左右から腕が矢のように胸に伸びてくる──が、閃くようにアビーが地面に跪き、彼らの視界から忽然(こつぜん)と消える。

「?」

 目にも止まらぬ速さで足の塀(へい)の隙間を駆け抜ける。

「速い……!」

 背に大勢の子どもたちを引き連れて歪なコースへ枝のように飛び移り、またも両側から少年少女が挟み撃ちにアビーに迫ってくる。曲がれる道はない。かくなる上は──

 足の回転を止めぬまま、むしろ加速してアビーは柵もない道端に突っ切り、タン、と高く飛躍。寄りべない空中の感覚を足で味わう。地面は優に五メートルはありそうだ。

「危ない!」

 飛んだ道端に追いついた一人が叫ぶ。アビーは時計の歪んだ枠に向かって蹴りを入れ、仰向けの体勢から宙を一回転し、子どもたちの頭上を泳ぎ、ぽかんと面食らった面々と目を交換する。

『えええええええええ?』

 まさかのアクロバットにびっくり仰天。花の眼帯をつけた童女の反対の目はまるで「追いついてみなさいよ」と笑っている。

「カッコいい!」

「素敵……」

「イケメン……」

「すげえ!」

 ジェムというよりもはやアビーが目的になってらんらんとその背を追いかける。

『女の子サン! 待って~~~!』 


 ──洋風の雰囲気をがらりと一変し、どこもかしこも日本和紙でつくられている庭園がマルクスを出迎える。花壇の上の風車(かざぐるま)がまるで歓迎し、毬が無邪気に転がっている。城の中に御殿(ごてん)。寄木(よせぎ)細工(ざいく)の秘密箱(順番通りに側面をスライドすると開くカラクリ箱)を巨大化し、なおかつ屋根を被せたような立派な屋敷が彼を見下ろしていた。

 そこに続く階段を上り、古式ゆかしい扉の前にやってくる。すると迎え入れるように、秘密|屋敷(ばこ)の側面が無人の指に弾かれるごとく高速でスライドし、カチッと音がすると、扉が自動的に観音(かんのん)開(びら)きで開いた。

 十畳ほどの縦長の和室が玄関も介せず最初に来る。薄暗がりに照明が朱く妖しげに灯り、お香の匂いがする。芸妓(げいこ)のような結髪(けっぱつ)の、美しい着物を纏った女性の後ろ姿を前にとらえた。

「──ここは箱根(はこね)寄木(よせぎ)細工(ざいく)・秘密(ひみつ)屋敷(やしき)」

 典雅(てんが)に身をひねり、扇子を口元に添えて紅い流し目が振り返る。目が合ってどきりとする。おしろいに紅(くれない)の刷く、艶やかな化粧をしたその顔が素顔の、東洋の美人だ。

「おこしやす」

 雰囲気は異なるも、華やかな身なりからして貴族ということは変わらない。

「そう身構えなさんな。うちは宝石には興味あらしまへん」

 と、襲う身振りもないゆったりとした彼女に、警戒はしつつもじっと見澄ます。彼女は扇子を蝶のように舞わせて言う。

「うちはニホン人形・孤蝶叶笑(こちょうかのえみ)。ここの女将(じょしょう)どす。ここから出たいのなら解き明かしてみよし。 刹那か、流浪(るろう)か──たんと、うちと戯(たわ)けまひょ」

 叶笑は見返るようにはんなりと笑い、そして朱く光る障子に、着物の少女たちの影法師が突如現れ、くすくすと笑う。

「シャドウ。乱暴(わや)はあかんえ」

 叶笑が優美にそう言い、鮮やかに舞うと、側面の対の障子が無人でザンと開く。

 弾かれるように中に入ると、同じく和室だった。彼女が舞うと、彼に当たらないように壁や戸棚などが部分的に急に押し寄せ、複雑な迷宮を形作り、マルクスを取り囲む。

「これは、最高のおもてなしですね」

 別室にいるのに、不思議にも彼女の声が屋敷中に響いて聞こえる。

「おおきに」

 迷路は生憎(あいにく)得意分野だ。自分のあのそつが出ないように神経を細部まで研いでいれば、自分にできないことは運動以外にない。マルクスは楽しんでさえいて迷路を通る。

「こんなの楽勝です。数学となんら変わりません」

「算数では?」

 障子を開け、予想していたシャドウの障子から伸びる手を躱し、隣室の移動に成功。

「フフ、できましたが?」

 嘲笑気味に眼鏡に触れるが、ブブーっ! と部屋中にそんな音が響いた。

「ちゃいます。ゼロからふりだしどす」

「……スパルタでは?」

 簡単にはいかない、しなやかな頭でカラクリを解くのだ。

「つかまえろ!」

 アビーは大勢の追っ手を引き連れて、ハウスの中に入り、何度目かの宝箱を急いで開けると、

「あった!」

 鍵を見つけ、迫る魔の手からすばやく足を切り替えて全速力で走る。前からも襲い掛かってくると軽やかに頭上を跳躍し、肩を舞台に踊るようにして子どもたちの波を躱す。

「クソ!」

 着地、駆け抜け、立ち塞がる少女たちの隙間をスケボーみたいに屈んで滑り込み、起き上がる弾みで宙を高く舞う。手を同時に伸ばしてくる二人の少年をぎりぎりで避けて、二個の背を片手で拝借し、より高く舞い上がる。はじまりの時計に続くコースに飛び乗り、駆け走り──子どもたちの手が背に伸びる。時計の鍵穴へカギを差し込んだ。

「しまった!」

 ガシャン──。

 子どもたちがぴたと静止する。空間が目を覚ます。

 大時計の中心のギアから回転を始め、時計の針まで走り出し、端にまで伝播(でんぱ)する。連続して空間の歯車も時計も続々と合唱し、すべての物体が粘土みたいに正常な形を取り戻して、子どもたちがわーっと歓声をあげる。

 そしてラスト、はじまりの時計の豪華な両扉が開いた。道が続いている。

「ちぇー、きみの勝ちだ。まあ楽しかったからいいや!」

「きみすごいね~!」

 後ろを向くとクラス分の数はいる子どもたちが笑顔で自分を褒めていて、恥ずかしさとともに嬉しかった。

「バイバーイ!」

「ばいばい。ジェム、盗らなくていいの?」

 あーーーー! と叫んでいるうちにアビーは笑いながら扉に逃げ込んだ。遊戯は始まったばかりだ。

「屋敷(ここ)は寄木細工。順序正しないと、道は開かしまへんで」

 脱出を何度も試みるがぜんぶ失敗に終わる。周囲には相変わらず部屋の一部が押し寄せた迷路。

 迷宮ということでてっきり抜け出せばいいという先入観を持っていたが、それだけじゃダメなのか? 何か捻(ひね)りがあるのだろうか。たとえば仕掛けとか……? 順序? 順序ってなんだ? なんのだ? クソ、あまりにも抽象的過ぎる。僕が迷うとは。仕掛けの類(たぐい)を探すがらしいものもない。ここを迷路で固める意味がわからない。ただの障害だ。

「クソっ。埒(らち)が明かない! おい壁、邪魔だ! 人間が通るんだぞ!」

「そんなもの、はよほかし」

 はよほかし? は? 早く屠(ほふ)れという意味か? それができたらどんなに楽なことか。屠ってやりたいとも。屠って……邪魔だから、

 ──あ。

「捨てる」異口同音。「捨てよ」

 突如、マルクスは腕を鞭のように振り払い、横の戸棚を押し出した。まるで引き出しのように軽やかに戸棚が反動もなしに引っ込んで、ガチッと合わさった音を立てる。

 力業(ちからわざ)、これはスポーツなのだ。すべての障害物を押し戻せば道は開かれる。

 手足をフルに酷使して次々と迷路に化けた障害物を押し戻してやる。活路は見えた、しかしこっちは早く行きたい。怒りを込めてプッシュ。

「クソ邪魔だ!」

「──否(いな)めない。しかし案内もしている」

 屠り終えると、障子に【壱(いち)―ONE―】と、和風なサウンドと共に秀麗な習字と絢爛な浮世絵が灯る。

 案内だろう──障子に笑うシャドウたちが現れ、彼女たちを追う。隣室へ着けば叶笑が舞い、さっきとは違う形の迷路がまた彼に押し寄せる。屠る中、床板の上に玉手箱みたいな箱を見つけ扇子×二をゲット。

「こんなの何に使うんだよ!」

 愚痴りつつも一掃(いっそう)に成功する。

【弐(に)―TWO―】

 少女たちを追い、急ぐあまり攻撃の存在を忘れ、シャドウたちがくすくすと笑い、それに似合わぬ凄まじさで二つの魔の手がジェムに襲い掛かる!

 

 しまった、盗られる──

 

 ──ザン! 腕を交差し、両の扇子を満開に開いてガード。危機一髪。アイテムもそうだが、頭の回転が閃光で助かった。

 新たな部屋へ移動し、障害をのべつ幕無しに捌(さば)いていく。最低限の力で調整して効率化しコツを掴んできた。

「やりますね」

「運動神経はないですが、情報処理能力は一流ですよ」

 参(さん)──THREE──、肆(し)──FOUR──、伍(ご)──FIVE──、陸(ろく)──SIX──とクリアしていき、マルクスが一個ずつ掃(は)くたびに屋敷の側面がカタカタと音を立ててスライドする。

「屋敷という箱──あなたの一手が屋敷の一手、すべては連動するカラクリ」

 そしてラストの部屋へ、叶笑が舞いで障害を踊らせる。

「いや、ほんますばらしい。しかしここで誤れば、ゼロに後戻り」

「それはないですね。あなたの子どもが道を誤らない限り!」

 目にも止まらぬ速度で片づけ、最後の壁を、渾身の力を込めてプッシュ。

「邪魔だアアアア!」

 壁が弾かれるように引いていった。

【漆(しち)──SEVEN──】

 すると、ゴゴゴと地鳴りと共に、屋敷全体で足が揺らめくほどの地震が起こり、危うくバランスを見失って転倒しそうになるが──ふわりと着物の香りがして、優しく叶笑がマルクスを抱きしめる。

 カラクリが解かれたことで秘密屋敷の屋根も含めて、立体的に圧倒的なまでに展開する。叶笑たちを取り囲う部屋もがらりと変わり、最後の部屋から続くように長い階段がつくられる。

 叶笑が身をゆっくり離し、マルクスと同じ目線で笑いかける。

「おめでとうさん。ようできました」

ちょっと彼は赤くなって、どうも、と目をぱちぱちと逸らした。叶笑が深く笑んで立ち上がる。

 マルクスは去ろうとしたがハッと身を返し、「ありがとうございました!」と、律義(りちぎ)に四十五度のお辞儀をした。障子から出た影の女の子たちが真似をして「こちらこそありがとうございました!」と訛(なま)った言葉でお辞儀して返した。叶笑たちに背を向け、階段を駆け上がる。女の子たちが無邪気に手を振っている。おおきに、叶笑の奥ゆかしい声に続いておおきに! と無邪気な声が合わさった。

 

 ──双子は寂(さび)れた貧民街に着いた。迷路はなく、錆びたようなネオン灯の看板を提(さ)げる店が立ち並び、落書きのある道路に、頭(とう)足人(そくじん)などの人型を成さない大勢のおもちゃたちが死んだように倒れていた。

「うわー……」

 風が吹き、ゴミでできたサッカーボールが転がる。皆顔が死んでいる。

「僕は何故生きているのだろう。え? もう何? 生きるって? え? にんじん?」

 所詮(しょせん)上流の奴隷、労働辛い、この世の生をぶつぶつ嘆(なげ)いている。ホームレスみたいに道端に座ったおもちゃがプレートを掲げている。

『僕たちを元気づけてください』

「は? だりー」

「金じゃなくテンションを要求するあたりこの国らしいね」

 双子は顔を見合わせ、やれやれと肩を竦(すく)めて腕を曲げた。どうせポケモントレーナーみたいに何かしてあげなければ通過できないのだ。

 ギルベルトは一番近くで語尾に「にんじん」と嘆いていたおもちゃの前でしゃがんだ。こっちを向いているが死んだ顔にニッと歯を光らせる。

「よっ、兄弟」

「え。誰ですか? テロ?」

「通りすがりのただのパリピさ」と、ルイス。

「人をからかって楽しむちょっとワルイ子だよ」

「あー終わった。人生も終わった」

 寝返りを打つおもちゃ。

「お前おもちゃなんだろう? 赤ん坊に手を出す趣味はさすがにねえよ」

「君はおもちゃを何だと思っているんだ」

「何してんの?」とルイス。

「生きる希望をなくしました。人生という迷宮に迷い人生に絶望しています。ああそもそも僕人間じゃなかったわ人生も何もなかったわゴミだったわガラクタでした、はい人間様が僕のようなガラクタのゴミに何のご用でしょうか。殺戮(さつりく)?」

 双子が声高に笑う。

「がっはっはっはっはっ! オメェ面白ぇな! 何があったのか興味ねぇけどおもちゃも悩むんだな! 初めて知ったぜ! おし、音響」

 と、おもちゃがお腹のスイッチを押してBGMをかけた。希望が湧いてくるような。

「絶望だっけ? んなもう俺たちの方がえげつねぇよバーカ。遊ぶもんも何ひとつねえ! 勉強ばっかでクソつまんねぇし、センコーは鬼みてぇにこえーし看守だ看守、下見てみろよ? 地獄だぜ?」

「彼女はいないし」

「童貞だし」

「女系家族で男は尻に敷かれてるし、妹と姉さんも鬼ババ!」

「家(うち)に帰りゃ母ちゃん・姉ちゃん・妹が並んで説教が毎日待ってんだ。左にルイ、まん中に俺、右に父ちゃんが並んで決まった位置で正座して一緒に聞いてんだよ! あっはははははは! 『お前の躾(しつけ)が悪い』って怒鳴られてんの。俺は成績だったり学校のこと、女は鬼みたいにこえー」

 おもちゃたちはぱちぱちと、楽しそうに笑うギルベルトたちを見ている。

「俺だって色々闘ってんだぜ。物理的にも精神的にもな! 父ちゃんが言ってた。『人生は有限だ! 子どもの時からたくさんチャレンジして目いっぱい楽しめ!』ってな。俺たちは機械じゃねえ。世界はダメだっつっても遊びてぇし楽しみたいんだよ。これは世界への反抗期だ! 遊ぶな? クソ食らえだぜ! めっちゃ遊ぶ! 好きなように生きてやる! 俺はゴリラだ! ゴリラのように生きてる! ゴリラって超カッコよくね? 俺ゴリラってよく言われんだよ、つえーし自由だしジャングルといえばゴリラだろ! 俺にとっちゃ最高の褒め言葉だ!」

 ルイスは弟の横顔をちらりと見るなり、父さんにそっくりだと思った。

「よし決めた! オメーらを今から俺たちのダチにしてやる! 反論はこのギル様が許さねぇ!」

「ダチ……?」

「ダチは困った時には助け合うもんだって父ちゃんが言ってた。だから俺はお前らを見捨てねぇ。おもちゃも人間もそう変わらねぇよ、オメーらは機械じゃねぇんだ。とりあえず生きろよ。おもちゃだろ? 道化師だろうが、生きて生きて絶望を笑わかしてやれ! 絶望なんかに負けんじゃねぇよ! 足は歩くためについてんだよ! 笑うために表情筋があんだよ! 命は燃やすためにあんだろうがよ! 燃えもしないで灰になって母ちゃんを泣かすんじゃねぇ! 母ちゃんを泣かすヤツは、ダチであってもこの俺が許さねぇ!」

 そこは「女」でいいだろとルイスは笑う。陽キャの明るさと力強いエネルギーで空気を鼓舞(こぶ)し、おもちゃたちはギルベルトに感化されるように見上げている。すごい──この義侠(ぎきょう)心(しん)、彼の英雄的な才能をルイスは横で見る。

「立とうぜ! 笑おうぜ! 絶望を楽しもうぜ! 楽しもうぜ世界! 楽しむために世界はあんだよ! お前らはおもちゃだけど玩具(おもちゃ)じゃねぇんだ。この世にあるすべての理不尽を俺たちと一緒に負かそうぜ! 絶望を虐(いじ)めてやれ! 悩みなんて鼻くそだと思え! そうだろう? 兄弟!」

 ギルベルトの命の炎が飛び火するようにおもちゃたちのアイが燦然(さんぜん)と輝く。ある種のカリスマ性のある弟のギルベルト。感心した。

「さすがだねギル。やっぱ君は僕の最高の弟だ」

「ちげぇよ、俺たちは双子の兄弟だろ? ルイ」

「わかってるよ兄弟。やりますか」

「おうよ兄弟!」

 双子は笑顔で並び立った。

「俺様は人類最強の怪力ゴリラ! ギルベルト!」

「僕は海藻の踊り子ルイス」

 そして調和した。

『──さあ、パリピしようぜ?』

 絶望したおもちゃたちに励みの言葉をいくつかかけてやると町が再興を始めるようになっている。双子が踊ろうとしたちょうどその時、街全体で陽気な音楽が大音量でかかり、ネオン灯が次々と踊り灯り、おもちゃたちがポップコーンみたいに跳ね上がって元気を取り戻した。

「ああそうだな兄弟! くだらないことで悩んでたぜ! 俺たちの悩みなんか鼻くそ以下だ! 人生は有限! 今ある時を盛大に楽しもう! 教えてくれてありがとな! 俺たちはパーリーピーポーだ!」

「いいってことよ! オメェらノってこうぜ~~! パーリーピーポー!」

 フォーーーーーーー! と双子が言うとおもちゃたちも同じようにフィーバー。車も通っていない道路をパリピたちが歌って踊っての乱痴(らんち)気(き)騒(さわ)ぎが巻き起こる。道路の先にある店のネオン灯まできらびやかに灯り、閉ざされた扉が開き、新たなコースへ道が繋がる。

 パーリーパーリー! と双子はパリピしながら達者でー! と手を振るおもちゃたちと別れ、扉をくぐった。打って変わってきらきらとした上品な街にくる。

「あー楽しかった。やっぱパリピは最高だぜ~」

「この国マジ最高だよねー」

「それなー」

 開始前にもらった懐中時計で時間を確かめるとあと二十分くらいある。まあ余裕だろと双子はのんきに構え、少し遠くで踊っている華麗な集団を発見。

「お? 行こうぜルイ!」

「ちょ、待って」

 加わろうと歩を進めるギルベルトをルイスが引き止める。ぱち、と集団と目が合った。

「まあ!」

「あのきらめきは!」

『ジェ~ム!』一斉に喜ぶ。

 そういえばそんなのいた。

『貴族うううううううう!』

 悲鳴を重ねて急いで走り、紳士淑女は踊りながら追って来る、何気に速くこれはヤバイ。

「さあ、捕まえたわよー!」

 レディの手がギルベルトの背に伸び、双子が同時に振り返ると貴族がもう真ん前に──

「ヤバい!」

 その時。

 ポンポンポン! グリーンピースのような弾が貴族に一匹残らず命中し、弾から黄緑の煙が溢(こぼ)れる。

「くっさあ!」

 強烈な青臭さにその場に崩れ落ち、貴族が地に伏せてもがく。銃撃者は銃口からくゆる煙を息で吹いて、両の銃をくるくるとカウボーイのように操り、ホルスターに仕舞った。双子が同時にその顔を見る。

 アビーだった。

 クールな流し目が「気を付けろ」と言い、何も言わずに背中を向けて、去っていった──。

「あっ!」

 エイミーは二階くらいの高さから、下側のコースで亜麻色の頭を見つけると喜んで駆けていった。

「セシルみーーーーーーーーーーーーーーっけえええ!」

「うわああ! あぁ?」

 出会ったときと同じ普通にいい悲鳴をセシルは上げて即座に振り返るがいない──やたら元気な猿の足は自分の腹に組み合っているので顔をねじればキスできるほど近くに顔がある。「なっ……? 何すんだブス! 離しやがれ!」

 よほどインパクトがあったのか鼓動がバカ騒ぎしている。背中を振り乱すが楽しそうに笑っている。さらにがっしりと粘着してきて離れない。柔らかいし……なんかちょっとあたっている。

「へへへ~! ともだちだもん! 面白いから離さな~い!」

「俺がいつどんなときに地球が何回まわった後でお前とともだちになったんだよ!」

「今あ!」

「はあ?」

「一緒に行こう?」

「非効率だろバカ!」 

 セシルはエイミーを引き剥がして歩行を再開する。とことこと愛らしい空気がついてくる。

「セシルは、お歌とかすき?」

「別にふつう」

 彼はそっけなく答える。

「いつも何してるの?」

「勉強」

「他には?」

「……ピアノ。そこまでうまいわけじゃないけど」

 ピアノ? あの黒と白のツルツル光ってるやつだ。テレビで知らないおじさんが憑かれたみたいに弾いていたのを思い出す。その顔をセシルに替えたら心がわあって弾んだ。

「すごいねえ! 何を弾いているの?」

 横からひょこっと首をかしげた笑顔の少女が現れ、ドキッとする。鼓動が異常に速い。顔が見れない。

「……クラシックしかねえだろ」

 ふいにエイミーの目はセシルの顔を通り過ぎて、二階くらい高いコースに宝箱を見つけた。とたん「あ!」と好奇心はそちらの方に傾き、彼を横切った。

「エイミー?」

 カーブした坂を走り、いくつか角を折れると幸運にも目星(めぼし)に行き着いた。宝箱の前まで駆け込み、嬉々ききとして蓋(ふた)を開ける──周辺に防犯ブザーがあることをセシルは気づく。

「エイミー! やめろ! 罠だ!」

 中から勢いよく煙が噴射して顔に直撃した。ブザーが発光して警報を鳴らし、貴族がぞろぞろと違うコースから走ってやってくる。そして数人が彼女のいるコースへ辿りついた。彼女はようやく状況を理解して顔に恐怖が走る。

 エイミーが脱落する──もう会えなくなる──そんなの嫌だ。

 ──守りたい。

 足が弾んだ。しかし、

 ──あいつなんか助けてどうするんだよ。

 泥沼から這い上がるように現れたもう一人の自分の手に掴まれ、足が沼にはまった。

 ──俺には関係ない。あいつなんか興味ないから。

 その得体の知れない自分の声は、悪魔的な強大な力を放って、もう一つの声を掻き消す。

 守り………──動くな。助けなくていい。

「エイミー!」

 エトワール。エトワールがセシルを風のように横切る。

「…………」

 名前の知らない闇の感情が心を飲み込む。

 紳士が束になってエイミーに襲い掛かる──エトワールは駆け抜け、エイミーを庇(かば)うように強く胸に抱きしめ、手榴弾(しゅりゅうだん)を背後の紳士たちに投げ捨てる──強風とともに爆破し、激臭の煙で全員まとめて死骸(しがい)のようにさせた。

 流し目で鋭く睨みつける。

「……蠅(ハエ)が」

 そしてしなやかに微笑んで、抱いたままエイミーを見下ろす。

「大丈夫?」

 エイミーはにっこりと満開に笑う。

「うん! 平気! すごい爆発だねえ!」

「切り札のためにとっておいたレアアイテムなんだ」

「へえ! あ……エイミーのためにごめんね」

「ううんいいんだ! さっきのは本当に切り札だったんだよ」

 エトワールの目が細く、白いほほがほんのりと赤らんで、すこし小さめに言う。

「国よりも、君の心がほしいから」

「助けてくれてありがとう!」

 毎回この人は気づかない。

「よかったあ! 無事で!」

 笑み、ぎゅ~っとエイミーを抱きしめる。

 ──複雑に感情が綯(な)い交ぜになった面持ちで、その光景を見上げる。自分だって、本当ならそこにいたはずなのだ。ぎっと歯の根を食いしばり、拳を握りしめる。

 もう逃げるな。そうわかっていながら、彼と彼女を背中で隠した。

「これはっ……大丈夫か? 子ども? ──ジェムだ! みんな! つかまえろ!」

 爆発の音を聞きつけてバタバタと貴族軍団がふたたび来襲する。エトワールが驚いて振り向く。あんな大人数を倒せる武器なんてもう持っていない。一緒に逃げようと彼女の手を握った時だった。

「ぐあぁ!」

 虫の砲弾が次々に紳士に命中し悶え倒れる。貴族の肩を掴んで華麗に跳躍(ちょうやく)し、こびりついて離れない延々(えんえん)の苦悶(くもん)を与えるくっつきムシを手裏剣みたいな要領(ようりょう)で目下のダンディースに投げ、終いには時限ムシ閃光弾でフラッシュさせ、きれいに一掃した。

 アクロバティックなすばらしいパフォーマンスを魅せたアビーが、笑顔で振り返る。

「エイミー! エトワール! 大丈夫?」

「はい」

 思わず敬語になるエトワール。

「アビーカッコいい~!」

 エイミーは彼からぱっと離れて、アビーに飛びつくようにハグして絶賛を浴びせる。

「へへへ。あのね! おもちゃを助けたらゴールの近道になるコースを教えてもらったの! 一緒に行こう?」

「はい! 一生アビーについていきます!」

 と、かわいい女の子たちはとても仲良しにまるで周りに百合(ゆり)の花園が咲いているように手を繋いで、エトワールを置いて去っていった。

「チ……ひとり増えたか」

 と、闇の人が怖い舌打ちをした。

 

 バタン──と両開き扉を開くと、豪華なワルツが爆発する。

 着飾った仮面の紳士淑女がダンスホールで円舞し、その外れで大勢の貴族が上品に談笑している。そして一際囲まれている華やかな美男美女がロゼリアと弟君のリースだ。

 ニコラは貴族に扮して、重要な通過点である舞踏会場の階段を下りている。ジェムを蔽(おお)い隠すジャボ、そして、素顔を偽る仮面。時間もあり元々着たワンピースの上に羽織(はお)るように着飾っただけだが、十分美しい貴族の娘に見える。

 その前、城に隠居しているらしい自称魔女サティに帽子を見つけてあげると、お礼に魔法アイテムをくれ、そして彼女はこう言った。

 ──飾りが透明になるまで効果は三分。そこは仮面舞踏会よ、誰にも正体を悟られず、タイムリミットまでに逃げ切りなさい。

 扇子を口元に添え、優雅に階段を下りる姿は貴族そのもので誰も気づかない。ダンスホールで内心ハラハラしながら、多くの貴族に紛れて目を光らせ、隈(くま)なく探す。出口! 出口! 出口はどこ?

「……あそこね!」

 大胆にも玉座の後ろに巨大な歯車仕掛けの扉があり、こっそりそこに行くと近くにレバーがある。そして、鍵穴である。はぁ? と叫びたいのを堪(こら)え、カギを探しに回るが宝箱はない。とすれば──

 円舞(えんぶ)に紛れ、流れで見つけた紳士とワルツを踊る。誰かが隠し持っているに違いない。華麗なる微笑(びしょう)のまま男の体をなめまわすように見る。

「ダンスがお上手ですね」

「光栄ですわ」

 頻繁に召使いとパーティを開いて踊っていたため舞踏はうまい方だ。あんたは違う。次よ次! くるくると巡っているとついに巡ってきた。まるでネックレスとでも言いたげにカギがぶら下がっている。ぶんどりたいが我慢。

「あら大変。頭頂部にゴミがついてる」

 ゴミ? ホントですか? とパートナーは騒ぎ、さりげない手つきでギる。即退散よ! しかし、悲鳴を飲み込んだ。  

 ふいと下を見ればジャボが透け出している。つまり、三分が経過してしまったのだ。みるみる焦燥感に駆られて顔に血が上る。ヤバイ──急いで駆ける。そして悲鳴と似た歓声が胸を切り裂いた。

「きゃあ! ジェムよ!」

 ジャボは紗(しゃ)の役割を忘れ、魅惑の輝きを放つ宝石が公然と晒(さら)される。

「あれは……!」

 それを見た貴族の目が強欲に光り、とたん音楽も止まり円舞も中断して、たったひとつの宝石に騒乱する。

「ジェ~ム!」

「美しい~!」

 とんだ大人数の貴族が、自分の胸目掛けて三百六十度猛烈に追ってくる。もう意味もなさない透明な仮面もショールも、ガラスの靴のようなロマンもなく投げ捨てる。

「イヤあああ! 変態! こっちこないで頂戴!」

 憑かれたように走る多勢とは反対にロゼリアとリースは静かに瞠目する。

「ジェム──あれが?」

 前も横も塞がれてニコラは大きな丸に囲まれてしまった。歯を食いしばる。足を弾ませる彼らを「待て」と王子が制止し、正面の貴族が道を開け、ロゼリアが頬に手をやって恍惚(こうこつ)とした笑顔で現れる。

「はぁ……想像以上ですわ! 見ているだけで若返るようです。欲しいッ! 恋をしてしまいました……あなたのそのジェムに!」

 そして容姿の似た美青年のリースがうっとり顔で変態的な身振りで登場。

「宝石はコラーゲン……宝石は美容液! 僕のハートは今ここで盗まれた! 貴女の輝きを前にね」

 顔芸の域までに嫌悪丸出しのニコラの前にリースが王子然とひざまずく。

「まさか、こんなに美しい人が隠れていたとは露知らず、美の女神よ、僕はなんて罪深いのでしょう」と明後日(あさって)に手を伸ばす。

「あんた誰」

「僕は王子のリースです。後ろの女性が姉君のロゼリア王女。美しい! あなたに一目で恋に落ちました」

「フン、ジェムでしょ?」

「いえ。あなたのガラスでもない天然の瞳の輝きに! あなたのアイこそ本物のジェム。あなたは極上のオイルになる! どうか──僕の宝石になってください」

「あんたのアクセサリーにはならないわ。あんたよりもカッコいい王子様が他にいるもの」

 リースは立ち上がりくつくつと笑う。

「ならば……力づくでも奪い取りましょう──あなたを」

「ジェムを!」

 かかれ! 二人の声を合図に一斉に紳士淑女が飛び掛かる。まあ、泣く準備はできているわ。ニコラが顔を覆った、その時である。

 会場あまねく豪快な音を立てて扉が開かれ、一人の紳士が現れる。

「こうり~~~~~~~ん! ピエロ・ペドロニーノ様のお通りなのだ~~~! ──あ」

 しーん。貴族がありんこみたいにうじゃうじゃいた。ピエロの胸には色違いの宝石がある。

『ジェ~~~ム!』

 熱狂。

「なんと美しいの! その宝石も、その姿も……」

 ロゼリアが陶然と恋に落ちる。矛先(ほこさき)が完全に彼の方に行き大群が押し寄せる。

「来たアアア! クっ……背中を向けて逃げるなど紳士の恥! 行こう!」とくるりと背中を向けて扉の方へしっかりと逃げる、ん? と振り返ると少女を発見し指をさす。「あ! ニコラちゃんみっけーーーー!」と言い、反転して手すりを滑り走ってくる。

「バカなのぉ?」

 襲い掛かってくる荒波をぎりぎりで避けて「いやあ! こっち来ないで! ヤバいヤバイイヤあああ!」とぴーちく騒いで走り、大軍を牽引(けんいん)する。

「出口どこおおおおお?」

「あーもうあのバカ!」

 一人で逃げようとしたもののニコラは身をひるがえし、自ら貴族の方に駆け、彼の手をもぎ取る。

「行くわよ!」

「おお?」

 彼女にぐいっと引っ張られて走り、ピエロは意外そうな顔をする。

「これはこれは……まさか紳士が淑女のエスコートを受けるとは」

「のんきなこと言ってないでそのムダに長い足を動かしなさい!」

「フフ。仰(おお)せのままに? お嬢さん!」

 斜め前から来たダンディをくるっと華麗に躱した拍子に、ニコラを姫のように抱き上げた。

「きゃあ?」

 慌てて首に腕を巻いて、銃弾のように彼は走る。

「遅れたけど、迎えに来たよ」

 無視して、出口を教えカギを渡すと流れるようにピエロがカギを挿(さ)してレバーを引き、早くう! とムダなスペクタクルを待って扉に隙間が出来た瞬間に飛び込む。

 廊下に出る。背後を見ると足の速い紳士たちが全力で追いかけてくる。

「もっと速く走りなさい!」

「なんと! 馬だ!」

 騒ぎを聞きつけた紳士が正面からも左折(させつ)の階段からも走って来て大ピンチ。

「きゃあああ! どうするのよお!」

「心配ご無用! いいアイデアがあるんだ!」

 とうっと飛躍し、股をダイナミックに柔軟に開いてムダに長い脚を両側の手すりに引っかけ、常識外れなやり方で手すりを滑る。

「大開脚だ」

「きゃあああああ! どんなアイデアよ~! へんたぁぁぁい!」

 挟めー! と階段を駆け上がっていた紳士たちだが股間が猛スピードで前から迫って来る。

「ええええええええ? 股間~?」

 進撃の大開脚に仰天し、慌てふためき結局蹲る。廊下の高貴なる紳士たちまでもが続けー! と階段を使っても衝突するので大開脚で列になって滑る。

 そこで広場に迷い込んだセシルがん? と偶然手すりを滑る股間の大行列を目撃。

「きもおおおおおおお!」

 すぐに彼も逃げ、ピエロは廊下を奔走し、ジャンプ台を正面から見つけるなり飛び込んで大ジャンプ。幾重の階を飛び越えて城の屋根に到達。ダンディースが背後に続きながら、塔の上でもバレリーナのようにムダな振りをつけて逃亡を続ける。

 もう可笑しくて笑っているニコラにピエロが微笑みかける。

「遅れたけど、迎えに来たよ」

 何も返してくれなかったのでもう一回言う。

「ふっふふ……あんたってほんと可笑しい」

「無視?」

 この子は純粋に笑うと本当に可愛い。

「惚れてもいいんだよ、ニコラ」

「顔がタイプじゃないわ」真顔で言う。

「仮面なのにいいいいいいいいいいい?」


 ──フォルダーの中に震動があり、もしかしてとルイスが金の卵を取り出すと的中。

「卵が割れてる!」

 マジで? とギルベルトも興奮して自分の卵を覗き込む。金の表面のヒビが増えていくと卵の動きが激しくなり、そして二手に割れた。黄金色の光が二人の目を穿つ。

「おおおおおおおお!」

 すくすくと卵の中で成長し孵化(ふか)した、折り畳みになっていたそれを広げると、身に纏う。

「これはすごいぜ。まさか……こんなレア物だったとはな」

「ナイスうんこ!」

 ニヤリと笑い合う。サイズぴったりな色違いの昆虫着ぐるみコートである。もう貴族に逃げることも怯える心配もない。逆襲と行こうじゃないか。

 双子はムシとなって、このお上品なお城の中を、今蹂躙する──!

『ウィーーーーーーーーーーーーーー!』

 同時に奇声を上げ、角を曲がり、貴族がうようよいる通路で腕を曲げて奇行種のように走る。触覚のついた、トンボの目の、全身緑黄色、ガリとデブの何故か二足歩行のその昆虫に、歩いてくる令嬢たちが早速甲高い素晴らしい悲鳴をアンサンブルさせ逃げる。

「イヤああああああ!」

「ムシだあああああああ!」

 そのまま駆け抜け続々と貴族のグループが前から順に悲鳴を奏(そう)して面白いくらい泡を食って乱れていき、転び、背中を向け、情けない悲鳴を上げ、壁に張り付き、互いを盾にし、少女たちのグループに行くと甲高い悲鳴を上げ手を取り合い、紳士に行くと尻餅をつき、「来るな! 来るなアァアアアアア!」と恐怖顔で後退し、終いにはガタガタと蹲る。双子は爆笑である。

「誰かあのムシをつかまえてー!」

「任せろ!」

 勇敢のある紳士が食い止めようとゴールキーパーのように腰を低くして立ちはだかるが、結局怖気ついて尻をついて「ヒエエエエエエエエエ!」と情けないゴキブリスタイルで後ずさる。

『ウィーーーーーーーーーーーーー!』

 昆虫二匹がGのように城の中を駆け巡り、至る所で悲鳴が踊り交い貴族はどんちゃん騒ぎだ。それがロゼリアの耳にも届く。

「ムシが暴れ回ってるですって? そんなの子どもの仕業に決まっているでしょう? ジェム一つも手に入らない……かくなる上は」

 突如、ロゼリア全土にブザーが轟(とどろ)き渡り、随所のスピーカーから王女の声が響き渡る。

「緊急指令。たった今、すべての迷宮を解放し、平民、貧民、貴族、総動員でジェムを持つ子ども、および大人を捕らえジェムを捕獲しなさい。なお、城に侵入したムシは人間です。繰り返します──」

 島全体が唸(うな)りを上げて震動し、子どもたちの足をも揺るがす。

「なんだ?」

 城、貧民と平民の町、貴族の街、島にあるすべての迷宮の仕切りが自動的に下がって地面へと消える。姿が、丸見えだ。

 へたり込んだ貴族たちがゆっくりと起き上がる。ムシを装った双子に紳士たちが近寄る。

「もうその手には乗らないよ」

 ギクリと背中が凍った。

「げっ……」

「さあ……渡してもらおうかッ!」

 鞭(むち)のような俊敏(しゅんびん)さで腕が宙を切り、ギルベルトの胸に伸びる──しかし、

「やめときな!」

 突然スコップの柄(え)が彼を庇い腕を食い止めた。華やかな貴族とは程遠い、人型を成さない、鄙(ひな)の男だ。

「──探したぜ。危なかったなぁ、兄弟」

 兄弟、と笑うその顔をどこかで見たことがある。そう、荒廃(こうはい)した町で絶望していたおもちゃだ。

「あああああ!」

 双子が思い出し、スコップの男が探したよと言った。スコップ、桑(くわ)、楽器など武器を持った大勢の強かに笑う男たちが、ぞろぞろと双子を庇うように壁になって現れる。

「お前らは……貧民? なぜだ! これは裏切り行為だぞ!」

「なぜって、別にテメェらみたいに金目が欲しくてやってんじゃねぇよ。俺たちには、宝石よりもすげえオメェらの知らないお宝を持ってる!」

 と、柄で強くその腕を振り払い、紳士が勢いで後ずさる。男はスコップを肩に持たせ、農夫のような豪胆さで笑った。

「ダチ──だからさ」

 おおおおおおおお! と双子は感動の声を上げた。貴族が雪崩れるようにやってくるが、貧民たちは数え切れないほどの仲間を引き連れ双子の壁となり、襲いかかる貴族に武器で対抗する。

「さあ行け兄弟! ここは俺たちが食い止める! 前を向いて、希望に向かって突き進め!」

「おう! あんがとよ!」

「テンキュー!」

 双子は背中を押されて友情がつくってくれた道をひた走る。彼らを囲うように仲間も一緒に走る。

「ゴールに行きたいんだろう? なら、いい道知ってるぜ!」

 貧民だけでなく、平民や騎士までもが「いかせねぇよ」と子どもたちを守る。ティナ令嬢が元の屋敷の窓に頬(ほお)杖(づえ)をついて笑う。

「ふふふ。ただの恩返しですよ」

 影の少女たちが毬を無邪気に投げ、着物の美女が扇子と舞うと花吹雪が吹き荒れ、貴族を阻害する。

「……叶笑様! 一体どうして」

 叶笑ははんなりと言った。

「ハイカラ、箱庭──ようやく、子どもたちを外に遊ばせられるやろう?」

 かつて敵として戦った者、助けた者たちが反旗(はんき)を翻して子どもたちをゴールへ導く。エイミーに襲いかかろうとした紳士を平民の男が大根で庇う。

「大丈夫か?」

「うん!」

「さあこっちだ! ここから脱出するには島の一番外側の町にある北西のエレベーターに乗る必要がある! でも嬢ちゃんたちは幸運だな! もっと速くてすげぇのがある! こっからちょっくら走ってすぐ──北西の駅に行け! もうそろそろ来るぜ?」

 ポッポォォォ!

 汽笛の音。スチームパンクな汽車が空に架かる線路を駆け走る。

「しまった!」

 ロゼリアが空に向かって叫んだ。

 砂時計の砂はもうわずかしか残っていない。

 汽車がプラットフォームに到着して息を吐く。エイミー、アビー、双子、マルクスが全速力で駅を駆け上がり、汽車の箱に乗り込む。

 セシル、エトワール、ニコラ、ピエロは南西のエレベーターに乗るべく疾走する。

「逃げられてしまう……ジェムが。私のアクセサリーが! ジェム……わたしのジェム」

 全土に響く汽笛。いち早く汽車が発車し、子どもたちを運ぶ。反乱を起こす者たちが、空を見て笑った。ロゼリアから脱出した時点でその子どもたちはゴールであり、脱出に成功である。リースがニコラを追い求め焦って叫ぶ。

「アミノさあああああああああん!」

『ジェエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエム!』

 貴族たちが絶叫するが、宝玉はもう空にある。

 先に脱出した子どもたちは次の駅に到着し、休憩広場で待機するように命じられた。

 女の子グループのアビーとエイミーはロゼリアの思い出に楽しかったね! とかわいらしく花を咲かせ、マルクスは観葉植物を熱心に観察し、双子は「まじ」「ヤバい」を連発して下品に歓談している。

「おい見ろよ」とギルベルトが顎をしゃくりルイスに視線を促す。その先にはエイミーがいる。ちろちろと見て陰口めいた笑いを上げる。ギルベルトが彼女たちにも聞こえるように、声を張り上げて空間を見渡した。

「はぁ? こんだけかよ。たった五人だぜ?」

「あらら? 協力派の皆さんは二人だけですかあ? 味方を犠牲にしちゃったのかなあれあれ?」

 エイミーたちの方に歩を進め、一メートルの間を入れてやってくる。嘲(あざけ)りに満ちた悪い笑顔で、加えて高身長の威圧は迫力があり、アビーはひっと委縮(いしゅく)して後ずさる。双子は距離を縮めて、ギルベルトが残忍な笑みでエイミーに身を乗り出す。

「──なあ、リーダー。小人数をアジってしゃしゃり込んだ割には、味方はほとんど置き去りにして自分だけ先抜けって、どうなのよ? 大層いいご身分じゃねえか、あ?」

 変貌する鬼の形相が至近距離に迫る。エイミーは首を高く据(す)えたまま物怖(ものお)じしない。前半の言っていることはよくわからなかったが、仲間がいるというのに先抜けはズルいだろということは解(げ)した。確かに、本当にそうだとハッとする。

「ほんとだ。エイミーみんなを置いてきちゃった。エイミー、そこまで頭がまわらなかったよ。でもだいじょうぶ! みんなはきっと来るよ! あとで謝る! 今度はみんなと手を繋いで遊ぶよ!」

 と、申し訳なく思った割には満面に笑う顔を、ギルベルトは一瞬満面に失笑して、つっと身を引いてげたげたと二人が嘲笑う。

「草過ぎ!」

「こいつ花畑過ぎだろ! 俺よりバカだぜ? 手を繋ぐ? そもそももう脱落してお手々も何も繋げねぇよ! 協力派なんぞ形だけだな!」

「バカが率いる協力派なんてみんなバカの寄せ集めさ。全員お手々を繋いで『きっと出来るよ』とか言って国からジャンプして空に落ちてるイメージ」

「それな!」

 ありったけの侮辱(ぶじょく)を吐き散らかすように爆笑する。

「あのね知ってた? お空は飛べないんだよおちびちゃん」

「大丈夫! みんなはきっと来るよ!」

「ほら見ろ、『きっと』だ、『きっと』だろう?」

「みんなで、おもちゃの国を手に入れるの!」

 またしても腹を折り、カカと嘲笑する。ひとしきり笑い、静かになる。そしてギルベルトは鼻で笑い、喉を絞った。

「……気持ちわりい。チビ、オメェが何よりも一番気持ち悪いんだよ。オメェも、独占派と変わりゃしねぇ。結局人間自分がすべてなんだよ! 欲望だ! テメェは結局ちやほやされてぇブスと同類だ! うぬぼれんなよ──クソビッチ」

 ギルベルトが射るとエイミーは笑顔を恐怖に変えた。双子が足を進める。エイミーは動けない。まるで蛇に睨まれたように。二人は笑っている。

「きもいんだよ。女子でチビでバカなくせにしゃしゃりやがって。この世で最もイキっていいのは男の俺様とルイスだけだぜ? テメェの口だけの夢なんざ叶わねぇ。テメェも裏切り、裏切られるのが運命だ」

 目鼻の距離まで詰め寄り、理不尽を弄(ろう)する。

「先駆け」

「ビッチ」

「我利(がり)我利(がり)亡者(もうじゃ)」

「救いようもねえ──有罪判決だ、チビ」

 双子が悪く口を歪める。

『──さあ、アソぼうぜ?』

 対(つい)の手が空を切り、赤毛の束を思いきり引っ張る。頭を引き裂くような激痛が走り、エイミーは鋭い悲鳴をあげた。アビーは恐怖のあまり立ち尽くしている。あの時のようにげたげたと笑い、ざまぁみろ、気持ちわりぃ、娼婦の髪──悪口の嵐を浴びせて、心の傷を抉る。

「お前なんて、誰も愛さねぇんだよ!」

 悲痛に満ちた叫びをあげても助けてくれる人なんていない。怖くて、痛くて、泣きそうで、でもエイミーは絶対に涙はこぼさない。必死に抗(あらが)おうと食いしばり、手足に力を入れるが強い力と激痛から圧(お)されて、逃れられない。

 自分を見下す、複数の大きな笑い声。

 ──助けて……。

 みんなの顔が浮かぶ。でもここにはいない。誰も助ける者はいない。みんな、ほんとうに、落ちてしまったのだろうか。自分が遊びに夢中で、置いていってしまったから。ほんとうは怒っているんじゃないか。陰口を言っているんじゃないか。アビーの笑顔も実は努力で、ほんとうは、ほんとうは、だれにも愛されていないんじゃないか。このまま、ずっとひとりぼっちなのか。

「コイツなかなか泣かねぇな。もっと強くやろうぜ」

 ギルベルトが残酷に笑い──、世界が真っ白になるほどの一撃が頭蓋(ずがい)を走る。彼女は心の中で絶望する。強烈な絶叫を噛み砕き、呻きを漏らした。

 ──エレベーターの扉が開かれる。

 出口を抜け、亜麻色の頭が止まった。眼前で、背の高い不良たちが、げたげたとエイミーの赤毛を乱暴に引っ張り合っていた。

「……っッッ!」

 かつて、己を浸したもう一人の自分が足を掴みにかかる。人形でもなく凶暴な人間に虐げられた、悲しみに苛(さいな)まれる彼女を「どうでもいい」と言う、もう一人の自分を、

 ──殺して、『どうでもいい』と、彼は地面を猛烈に蹴った。

 もう逃げないと、決めたから。

 全力で走り、セシルは大きく叫んだ。

「このクソデブ! エイミーを離しやがれ!」

 その丸々とした顔が振り返ったと同時に、満身の力を込めてギルベルトの頬を殴った。怒りと、ピアノで鍛えた努力も手伝って、手が赤髪を解き放って、強烈なパンチにでかい図体が吹き飛ぶ。キッとルイスを睨み反射的に彼は後ずさるが、腹に鋭い横蹴りを入れ細身が布団(ふとん)のように飛んだ。

「クッ……痛ぇ……よくもやったな」じんと痛む殴られた箇所を押さえ、ギルベルトが起き上がり怒り叫ぶ。

「アマ! テメェ何しやがる!」

 ギルベルトが踊り掛かるよりも速く、セシルが詰め寄り胸倉を掴んだ。目線を強引に合わせ、ギルベルトが怯むほどの怒りで怒鳴る。

「それはこっちの台詞だゲスの極みデブ! 女の髪引っ張って笑って楽しいかよ? ジャングルのゴリラの方がまだ躾がなってんだよ! 動物を見習って刑務所か森に帰りやがれ!」

「こッ……」

 言いかけるが、セシルの全霊の怒りの叫びが圧倒する。

「ゴリラからいっぺんやり直せ! エイミーに謝れよ! 謝れ! 土下座しろ! エイミーを、傷つけるヤツは、俺が許さねえ!」

 その場にへたり込み、その瞳はきらきらと涙と震え、自分よりも図体の大きい相手でも屈することもなく怒るセシルを、彼女が見上げる。

「クッ……このアマ! 聞いてたら好き放題言いやがって! ミンチにしてやる!」

「ミンチはてめぇの方がお似合いだろ!」

 ギルベルトの拳骨(げんこつ)が顔に降りかかる前に掌でセシルが受け止めるが、力の強いギルベルトに組み敷かれ、怒号を散らして激しく取っ組み合う。

 そこで時間ぎりぎりで脱出した男女のグループが現れ、楽しげに話をしていたようだが、眼前の修羅場を目撃したニコラが口を覆って悲鳴を上げる。

 エトワールが、その光景に衝撃を受け、ピエロが形相を変えて怒鳴る。

「君たち! 何をしているんだ!」

 急いで駆けつけ、馬乗りになって興奮しているギルベルトを後ろから「やめなさい!」と力づくで引き剥がし、遅れてエトワールも鎮静に加担した。暴れ回る彼を二人がかりでなんとか動きを封じる。

 セシルは剣呑(けんのん)を浮かべた赤い顔でギルベルトを一目見、ひとつ瞬きを落とすと立ち上がる。ゆっくりとエイミーの方へ歩く。彼女は、まだ瞳に涙を浮かべて、怯えた様子で静かに彼をじっと見上げていた。

 す、っとセシルが屈んで、無言で手を伸ばす。こくんとうなずいて、エイミーは彼の手を借りて立ち上がる。

 まっすぐに群青(ぐんじょう)の瞳が彼女を見つめる。

「大丈夫か?」

 彼女は俯きがちで、びくびくとしきりに瞬いて、上目で彼をちらちらと見、うん、と小さく顎を引いて答える。

 彼は少々斜めに俯いて、いくらか瞬きをすると、足を踏み出し、彼女に歩み寄り、自分より少し低い後頭部に手をそっと添えて、その手で優しく手前に引いて彼女を肩に添えた。

 彼女は目を見開く。見えないその顔には、過去を見る静かな悔恨(かいこん)があった。

「……ごめん。お前が最初に双子に絡まれたとき、何もしてやれなくてごめん。貴族に襲われたとき、助けてやれなくて、ごめん。色々、ごめん」

 一つ瞬き、息を吸い、青い瞳の中に、決然とした光が日の出のように現れる。騎士の剣のようにまっすぐ、前を向いて、彼女に誓った。

「守るよ」

 エイミーの、さらに見開かれた瞳が震える。片手で力強く、しっかりと赤毛の頭を抱き寄せる。

「もう、そんな顔はさせない。そんな顔をさせる自分も、男も、もう俺は許さない。助けるよ──お前は、俺のともだちだから」

 そして、ゆっくりと彼女を離し、少しだけ距離を置く。彼は照れながら淡く笑いかける。

「どっちでもいい、なんて、言ったけどさ、いいよ、協力派に入るよ。一緒に、みんなで? 国勝ち取ろうぜ。中途半端が、一番ダセぇからな」

 と、友達に向けるいい顔で笑う。

「みんな……エイミーのこと嫌いじゃない? 勝手に言い出して、みんな、気持ち悪いって思ってない? ともだちだって、ほんとうに思ってるかな」

 と、彼女はしきりに心配そうに瞳を上下して上目で彼に訊く。

「はあ? アイツらはともかく、なんでみんながお前を嫌いになってんだよ。別に俺は……ああ嫌いじゃねぇよバーカ! 嫌いなわけねぇだろ! ともだちだと思ってなきゃ協力なんかしねぇよ。やましさ無かったらな……ったく、バカだな、ほんとバカだな」

 双子にそんなことを言われて心配になったが、彼は違うと言ってくれた。アビーやエトワールのことも一瞬疑った自分は確かにバカだった。彼らのあの笑顔のどこがウソなのだ。自分に好意を抱いてついて来てくれた。

 それからともだちだと言ってくれたセシル。悲しみの淵から手を伸ばして助けてくれた。すごく、すごく、すごく嬉しい。

 髪を掻いて目を逸らしている彼をじっと見つめる。彼女は、セシルが今まで見た中でも最高の笑顔で、ゴールドに輝き溢れた。

「セシル。ありがとう!」

 ──ドクン。

 目を瞠(みは)る。彼女のその輝きだけが切り取られ、世界が写真と化したかのように。

 ──ドクン! 病気のように激しく。

 思い出した。

 あのとき、エイミーに脅かされて振り返った、はじめてエイミーを見た時。驚いた衝撃に隠れて気づかなかった──あのもう一つの衝撃。

 何よりも、誰よりも、太陽のように明るく、眩しく、黄金色に輝いていた、あの笑顔に。

 ──俺は、一目惚れしたんだ。

 大きく開いた瞳孔を、ゆっくりと閉じた。

 ……エトワール。お前の言う通りだ。俺は、マジでバカだったよ。

 セシルは背を向ける。彼女は彼の背中を少し見てから、かわいらしく微笑んで俯いた。

 ひとりになった彼女をアビーが急いで駆けつけて、助けてあげられなくて本当にごめんねと泣きそうな顔で何度も謝った。エイミーはにっこりと桃色の花のように咲く。

「ううん。平気! セシルが守ってくれたから」

 少し前に役目を終えた、エトワールの前にセシルはやってくると、足を止める。エトワールは無表情で彼を見据えている。「エトワール……」

 セシルは、男の顔付きで鋭く笑って言った。

「お前がもし、エイミーにハグなんてしてたら──めちゃくちゃ嫉妬するよ」

 同じく、エトワールが鋭く彼を見た後、ふわりと笑った。

「俺も、君がもしエイミーにハグなんてしてたら──殺気が湧いてくる」

 男同士、剣の峰(みね)を向け合うように見つめ合い、意味深に笑った。

「──やれやれ、退屈しないね」

 ガキ大将の処置に思春期|只今(ただいま)の色恋|沙汰(ざた)。ピエロは少し遠くの方でやれやれと腕を曲げる。そしてなんとか烈火(れっか)から青い火に収まったギルベルトは陰険な面持ちで苛立っていた。

「あの赤毛チビとクソアマ……覚悟しとけよ。二人まとめてミンチにしてやる」

 隣でまたも悪計(あっけい)を企てる弟のギルベルト。空の国でも、暴力などしてほしくない。それに自分が加担するなんてもう辛い。ルイスは勇気を振り絞って、しかし弱々しく言う。

「ねぇ。もうやめにしないか。少なくとも、ここではそういうことはやめようよ」

「あ? んだよルイ! テメェも俺に逆らうのかよ! さっきはあんなにイキってただろうがよ!」

 着火した烈火に縮み上がる。

「そう、だけど……やっぱり、よくないよ」

 最後は消え入りそうな声で言い、急に萎んで小さくなったルイスを怪訝(けげん)に「ああ?」と気色ばんで驚いて見たあと、舌を打った。

「ハ──そうかよ。テメェもか。テメェもちゃんちゃら協力隊に入りたいってわけか。いいぜ? じゃあ俺が一人でこの国を独占してやる。ハ! 最高じゃねぇか! オラ、さかってろよ。俺に逆らう奴は兄弟でもハブだ」

 と、ギルベルトは威圧に満ちた目でルイスを見た後、フン、とルイスを横切る。

「ちょ、待てよ! ギル! …………」

 ギルベルトの背中は戻らない。頼りになる弟を失い、普段陽気で活き活きとした自然体が嘘のように、ルイスは肩を落として萎(な)えた。

 その後エイミーは先に置いていってしまったことをみんなに謝った。しかし皆全く怒っていなくてむしろきょとんとして笑った。迷路だったしバラバラになるのもしょうがない、バラバラになった方がうまくいく時もある、とエトワールがやんわりと言った。ひとりひとりを信じようと、協力派の子どもたちは結束を固めた。

 

  2

 

 新たな乗り物に乗って道路の上を飛翔(ひしょう)し、近未来な建物の自動ドアを抜ける。ワンルームの電脳空間が出迎え、女性ロボが中央に佇(たたず)んでいた。彼女の背後にゲートがあり、奥の方にデジタルな金庫風の扉がある。ロボの前に停車し、ロボが感知するなりメカニカルに顏画面に顔が点いて笑った。

「イラッシャイマセ! ズーニーガ、居眠りカラ起床致シマシタ! 『ズーニーのホーム検索窓口』へヨウコソ! 遊ビニ行キタイ場所ノ、住所ヲ教エテクダサイ!」

 彼女は心を持たないマシンなのでオモチャに分けられる。ピエロは早口で言った。

「『一一二一〇一〇一二〇コンマ三一九一二二一ルート一三五一てん一デルタドットコムπ』でよろしく頼むよ」

「よく覚えてたなその円周率」

「『一一二一〇一〇一二〇コンマ三一九一二二一ルート一三五一てん一デルタドットコムπ』ヲ検索シマス」

「お互い頭どうなってだよ」

 ズーニーの顔がロード画面になり、「サーチシテイマス」と復唱し、効果音が鳴る。

「『ヤマグチさんのお宅』ガ見ツカリマシタ。ダイヤルトンネルヲ、リリースシマス。シバラクオ待チクダサイ」

 そう言うと、扉の外側を囲う数字と記号の書かれた何重ものサイバーダイヤルが、ぐるぐると外側から互い違いに回り、住所を刻むと扉が近未来的に開く。ズーニーが移動する。

「サア! 目的地マデ、ヒトットビデス! 行ッテラッシャ~イ!」

 ゲートが開いて高速でトンネルの中を飛び込み、未来へワープするようなサーバー空間を閃光で駆け抜け、子どもたちの明るい声が舞い踊る。そして黒く光る出口を抜け、第二ステージへ突入する。

 予想に反し、昼下がりの明るい青さはどこへ、辺り一帯暗闇で夜風(よかぜ)はなく、気候は昼と変わらない。

 周囲はレーザーとネオン織り成す、空中に浮かぶサイバーパンクシティが大規模に広がり、眼前には脅威(きょうい)のデザインのSFな豪邸の圧倒的な全観がある。宵闇(よいやみ)を纏いつつ、妖しいネオンをぼぅっと発光している。

「さあ! ここが第二ステージ『ヤマグチさんのお宅』だ!」

「創造物は頑張ってんのにもっと名前真剣に付けてあげろよ! 『ネオンマンション』とかさ」

 普通。

「みんな。あれ『ネオンマンション』だって……」

「もっと名前真剣に付けてあげろよ」と呆れるマルクス。

「ネーミングが普通で悪かったな!」

「あれ? お空にお月さまが上ってる! 赤いねー!」

 ネオン灯の巨大な三日月が赤い光を夜に落としている。

「あれはダークライトだよ。光で暗闇を明るくするんじゃなくて、逆に黒色の光で空間を暗くするという逆転の発想で生まれた暗黒照明だ! 空間を闇で満たしてから、赤色に発光しているんだ」

 美しい星空のように無数のダークライトが灯り、広大な照明範囲の外側は一線を画(かく)して爽やかな青色が続いている。

 乗り物に降りると、ピエロは人差し指を立てて「しーっ、静かに!」と言い聞かせ、邸宅(ていたく)の前まで来ると小声で説明する。

「第二遊戯は『ロボット一家に絶対に見つかってはいけないゲ~~~~ム!』このご邸宅の上層階ではロボットファミリーがぐっすりと寝ている。今から君たちには二十分、こっそりと家の中に隠れてもらうぞ! 中に入った瞬間にブザーが鳴る。一家が起きて降りてくる一分間の猶予(ゆうよ)でうまく隠れるんだ。見つかったら脱落だよ、オッケー?}

 オッケー! と子どもたちは返した。懐中電灯をもらい、ドアホンみたいな認証機械に特殊なカードをかざすと扉が自動的に開いた。

「さぁ、不法侵入だ!」

 足を踏み入れたその瞬間、玄関ホールに備えられたセキュリティカメラが人間を察知。子どもたちの顔が認証され、『不法侵入者!』と映像の中で判断すると、屋敷中に警報が鋭利(えいり)に鳴り響く。

 寝ていたロボ一家が一斉に跳ね起きて、ナイトキャップを被ったロボが立腹(りっぷく)。

「コンナ時間ニ誰ダヨ!」

 多様な姿形をしたロボたちが大慌てで部屋を出て廊下を走る。そこここに映し出されたデジタル画面に玄関に走る子ども八人大人一人の姿を見るなり、不法侵入者! 人間だ! ピポパポポ~! と騒いですぐに降りてくる。

 時計のようにカウントダウンが至る所に表示され、あ、一階までねとピエロに後で言われ、子どもたちは別々に分かれてそれぞれの部屋で隠れる。隠れるフロアは五つほどで存外少ないが、障害物が多く見つけづらい複雑な構造になっている。

 まあここでいいだろと、セシルはリビングのデスクの影に隠れる。扉が開く音がしてアビーが入ってきた。続いてマルクス、お次にエトワール。 

(くんなくんなくんなくんなくんなああああああ!)

 みんな真剣な面持ちで違う場所に隠れた。そしてニコラも入室。

(多すぎだろおおおおおおおお! 密じゃねえか!)

 一部屋に五人。まさかのいらないシンクロニシティである。これは終わった。誰か一人確実に見つかるだろう。もう今さら引けないし。と、そう思っているときに隣にふわりとフルーティな甘い香りがして、期待して見ると──ニコラが来た。期待値が百から一に暴落。これもいらない偶然だ。ライトを照らし合い目が合う。

「あら、久しぶりねアマ」

「今日会ったばかりだろ」

「いつ見ても平凡で何だか見ていて安心さえするわ」

「お前は礼儀に栄養振った方がいいな」

 憎まれ口を叩き合っていると、誰かが衣(ころも)を擦(す)って何の気なしに棚を開け、「ん?」と何かを手に入れた。それがエトワールだとすぐに分かるとニコラが飛び上がる。アイテムがどうだか話していたので他の子も引き出しを引いて彼と同じアイテムを手に入れる。折り畳み式になっており広げると、DSみたいなゲーム機の本体にアンテナがついている変なオモチャだ。みんな首を傾げて隠れ場所に戻る。セシルはまたニコラの隣になってしまう。

 そしてふいとニコラが左を見ると、ロボットがいた。子どもたちよろしくこっそりと身を縮めて隠れており、目が合った。

「いやあああああああああ!」

「ハベバーーーーーーーー!」

 一方は独特な音声で悲鳴を合わせてすこぶる仰天した。

「アナタ誰ー!」

「こっちの台詞よ! あたしは見ての通り女王で不法侵入者よ! 何あんた鬼? 制限時間はまだでしょう?」

 そこでカウントダウン終了のサウンドが鳴り、いよいよ一家がやってくる。

「僕はタロウといいます。ある日ごたごたでストレスが爆発して、素直になれず、両親も妻も置いて長い間遊んで暮らしてた放蕩(ほうとう)ロボです。勇気を振り絞って帰宅したものの、怖くなって隠れていました」

「クズね」

「人間並に家庭環境複雑すぎだろロボ」と小声で言うセシルたち。

「ボクなんてどこにでもいる容姿だし、きっと妻もイケメンの方がいいですよね……」

 セシルはちょっとタロウに感情移入する。

「そんなことねぇだろ。ロボなだけでもお前は十分イカしてるぜ」

「そんな、お世辞なんていいですよ」

 と言いつつ、おでこに『(*´▽`*)』と顔文字が出た。「素直じゃねーな」

 そこでウィーンと誰かが入ってきた。息を押し殺す。セシルたちは見えないが、男女のロボ二人だ。どことなく怪しい雰囲気である。

「フフ。誰もいない」

「誰も邪魔がいない。やっと……リサと二人きりになれた」

 互いに向き合うと抱き合った。オトナのイケないムードになっている。

(おいいいいいいいい! ロボ! ロボおおおおおお!)

 ダブルロボ不倫──。

「アランさん……私、旦那がいるのよ? そしてアナタにもミライさんがいる」

「タロウのことか? 俺の兄、アイツはもう帰ってこない。ミライへの愛はもうまるでそば粉のカスのカスのようだ。俺はそばよりラーメン派だって、あの時言っただろう?」

(お前の麺事情とか果てしなくどうでもいいわ)

「君は、俺の大事な塩ラーメンなんだ」

(リサ殴れー、殴っていいぞ~)

「アランさん……」

「まあ、そばもラーメンも……どちらも替え玉が利くけどね」

(はいクズ~)

 やれやれクズに不倫されて哀れだなとセシルが思い、隣の隣を見るとタロウは血のりで『HELP……』とダイイングメッセージを書いてシんでいた。

(タロウウウウウウウウウ!)

「誰かに見つかったらどうしましょう?」

「見つからないよ。ここに誰もいない限りは」

「アランさん……」

 拷問(ごうもん)、ますます見つかってはいけないと誰もが思う。

 ウィーンと扉が開くなり二人は即座に離れて探すフリ。ぞろぞろと三世帯が入ってくる。

「リサさん、見つかりました?」

「いえまったく」

 女優と俳優になっている。アランがアームをドリルにしてサイコモードでもあるのかクズらしく豹変して声を荒げる。

「オラ人間どこにいやがる! 見つけ次第解体してプラモデルにして飾ってやるよオ! ギャヒヒイヒヒイイイイイイイイイ!」

(アイツの惚れる要素一つもねえだろ)

「うるさい兄貴」弟が兄に悪態をつく。

「ああん? ぶち殺すぞ!」

「まったく懲りない」と祖父がブツブツ。アランは疎まれているようだ。

 ドリルを振り乱して暴れ回る息子に、見た目が中年のオカンロボが嗜(たしな)める。

「こら! 夜だってのに少しは落ち着きなさいよアラン。お父さんもなんか言ってやって」

 メタボサイズで眼鏡をかけ、やたらに胸と目の大きい二次元の美少女がでんとプリントされたTシャツを着ているが腹が大きすぎてヘソ出しスタイルになっているお父さんロボが、PSPみたいなゲーム機でアニメ声の音ゲーをしており、鼻の下を伸ばしてリュフリュフ笑い歌いながら巨漢(きょかん)をリズムに合わせて躍動させている。

「萌え! 萌え! プリリ・ズ・ム~。ああマナカたん尊いなぁハスハス。萌え! 萌え!リュフフフフフフフフフ~──アラぁン。マナカたんの美声がかすむう。うるたい」

「うるせえクソジジイ!」

「お父さんに向かってジジイはないでしょ?」

「萌え! 萌え!」お父さんは躍動(やくどう)している。

「なんでババアが怒んだよ」

「誰がババア──」

 ブウっと、突然大きなオナラの音が響いた。

「あ、ごめえん。──萌え! 萌え!」そして即躍動。

「ジジイイイイイイイイイイイイ!」

「動きたくなあい。どうせなら美少女がいいなあ。目とかくりくりで大きくてえ……リュフ、リュフフフフフフフフフ~女の子たん女の子たんっ」

 アイツには捕まりたくないと誰もが思った。

 あー疲れたとアランが座り、祖父がため息を吐き、リサが虚(うつ)ろな目をして、寄せ集めの訳アリ一家の間で、殺伐(さつばつ)とした気まずい沈黙が流れている。

(空気! 空気イイイ! マジで絶対に見つかってはいけないゲームだろおお!)

 エトワールがゲーム機に電源をつける。特殊な光で暗い所でも目に無害で、無音でポップな文字が現れる。

『これはマインドコントローラーです! 簡単操作で近くにいるロボをマインドコントロールして自由に操作でき、ロボの意識を逸らすことができます! 早速はじめましょう! レッツマインドコントロール!』

 タッチペンでコマンドを押すとアンテナの信号が表示される。

『マインドコントロール中です……しばらくお待ちください』

 そして洗脳相手の目が変わる。画面の上画面にロボ視点の映像が映り視界を見渡すことができる。下画面にアルファベット表で言語を打って発話、アクションを押せば色んなコマンドが現れ、コントローラーでアクションを起こせる仕組みだ。

 エトワールの操作のもと、アランがドリルを仕舞う。ゆっくりとテーブルの花瓶をそっと大切に持って、ブツブツ孫の愚痴を垂れる渋面(じゅうめん)の祖父にやってくる。

「あ? なんだアラン。悪いが中二病の相手は」

「みて、おじさん。お花だよ」

 凶悪な目つきは子犬のようなつぶらな瞳となって、美しいエンジェルスマイルをみせる。

「え? 天使ですか?」

 ミヨ! アランが天使になっちゃったよ? ミヨ~! とおじさんが娘へと騒ぎ一家も騒ぐ。あのクズが? どうしちゃったんだよアラン! 変な薬でも飲んだか?

「萌え! 萌え!」お父さんは躍動している。

(さあ騒げばいい。君たちが騒いでくれたら僕たちは脱落しないからね)

 と闇の人が陰謀を企むがオカンが手を叩く。

「はいみんな! 今はやるべきことがあるでしょ。一刻も早く侵入者を探さないとね」

 と鎮静し、皆はーいと三々五々(さんさんごご)に散らばる。

(……どこの国でも権力者は母か)

 彼に続いてセシルがアランの弟を、ニコラがリサを乗っ取った。と、セシルのすぐ目の前に足が通って心臓が跳ね上がる。いつまでもうじうじしている隣のタロウを二人がかりで押して小声で急かすが、頭を頑(かたく)なに振る。

 ほら行け! お前は何も失うものないだろ! と背中を押してタロウが転ぶように突如姿を現す。

「タロウさん?」

 え? 一家は騒然となりタロウにどたどた押し寄せ、タロウのオカンが彼を抱き寄せる。「どこ行ってたのよバカ息子!」と涙声で叫び、心配したのよ? よかった戻ってくれて、と泣かんばかりに家族が言い、タロウはオカンの膝元に縋(すが)る姿勢で「ごめんなさ~い!」とわんわんして、感動の再会を果たす。

「萌え! 萌え!」お父さんは躍動している。

「お父さんもっと関心示せよ!」セシルロボが手放しでツッコむ。

「急に机の下から飛び出して何してたのよ?」

「ずっとうじうじしていて、背中を押してもらったんだ」

「背中? 誰によ」

 セシルたちはひやりとした。あのバカっ……。

「もしかして──」

 不穏な空気に冷や汗が子どもたちの背筋を伝う。ヤバイ──。突如、タロウの目が覚醒し、右アームをドリルにして近くにいた女性ロボを乱暴に引っ張り、左腕で首を閉じ込め、ドリルを頭に突き付ける。甲高い悲鳴が上がる。

「ククク……もう同じ過ちは繰り返しません……なんて、ボクが言うとでも思ったか? 何度でも繰り返してやるよオオオオ! クズどもオ!」

 ドリルが高速回転し、タロウが世界を征服(せいふく)できるレベルのゲス顔で笑った。

「タロウがとんでもねぇクズにされてるうううううう!」

 ロボ一家に戦慄(せんりつ)が走る。

「兄ちゃん! 姉ちゃんだぞ?」

「やっぱり、変わってなんかいなかったのねタロウ!」

「修羅場ああああああ!」

「兄さん! もうやめてくれ!」エトワールロボ。

「いよいよ本性を暴き出したのね。あんたの本性くらいわかってたわ。だから、浮気したの」ニコラロボ。

「お前らも何ホンキでやってんだあ!」

「萌え! 萌え!」お父さんは躍動している。

「少しは関心示せよおおおおおお!」

 探してみると、案の定、物陰でマルクスが凄まじい速度でゲスの極みを走らせていた。

「すげえ! クズに関しては天才だ!」

「愚民に告ぐ! この女の命と引き換えに、今からここがボクの家、ボクが主だ! もう男が尻に敷かれる時代は終わりだ! 亭主(ていしゅ)関白(かんぱく)万々歳! コレだよコレ! マネーだよ! 有給休暇も許さない、さあ社畜(しゃちく)諸君。労働したまえ、ボクはATMと抱いて寝よう! 主は二階で待っている!」

「ニートオオオオオオオオ!」

「マーガレットを離せ!」

「なんだ? 下僕(げぼく)A、敬語がないぞ? 年貢に+十パーセント増税だ」

 互いにけん制し、場の空気は緊張の糸で張り詰める、お父さんがとん、とゲーム機と、そして眼鏡を静かに置いた。素顔でタロウに体を向ける。

「タロウ。マーガレットを離しなさい」

「なんか覚醒したあ」

「今になってようやく父親ヅラか? もう何もかも遅い!」

「そうだ、もう遅い。お前をちゃんと愛してあげれば、お前は家にも出なかっただろう。オレはゲームをしながら反省していた」

「ゲームはちゃんと忘れないんだな」

「わかるよ、お前もオレと同じ不器用な男だ。素直にもなれなくて、賢くもなれなくて、お前は夜の街に、オレは二次元に逃げた。辛かっただろう。玩(もてあそ)んだかもしれない、玩ばれたかも知れない。だけど、ロボであろうと、人であろうと、──命はもてあそぶな」

「あの、すげえ申し訳ないんだけど、その服。すげえ邪魔」

 お父さんの服には大きな大きな胸の二次元の美少女がふくれっ面で腰を曲げて、ちょうどマルクスロボを見ながらムーっとしている。

「息子を信じて正しい道に導いてやるのが親の務めだ。お前をそういう風にさせたのはオレだ。憎むならオレを憎め。──オレを撃て、タロウ」

 お父さんは覚悟のある眼差しで腕を広げた。

「なッ……できない! 父さんを撃つことなんて、ボクにはできないよ!」

「そういえばお前ファザコンだったな」

 マルクスロボは真っ直ぐな父の眼差しにどんどん動揺し、マーガレットを乱暴に離して、ドリルの先を自分の頭に向ける。

「何してる! やめろ!」

「ボクが消えればいいだろ! 消えてやる! そうすれば問題解決だ!」

「タロウ! お前は誰かに愛されたくて家に出たんだろう? 一向に愛が解けないお前の心の問題は不器用なバカな親のせいで解(わか)らなかった! だがな! お前の問題はオレが解答だ! お前に一つ、ずっと言えなかったことがある!」

 お父さんは全霊をかけて叫んだ。

「オレはお前が息子になった時からずっと、お前を愛しているんだああああああああ!」

 マルクスロボの目がハッときらりと発光して、マルクス自身まるであの寡黙(かもく)な父さんに言われたかのように感じて少し目頭が熱くなった。隣に、隠れ場所の前がロボで密集していたためひっそりと避難したアビーが来て目が合う。ゲーム機を、持っていた。

『オレはお前が息子になった時からずっと、お前を愛しているんだああああああああ!』

 と、打った後があった。

 マルクスは、雷に打たれる。ジト目でこちらを見ている幼女。

 ──僕は、ずっと、この幼女に、諭(さと)されていたというのか?

 衝撃のあまりゆっくりと白目を向き、ゲーム機を落として電源が消えてしまった。タロウの電源も消え、突としてタロウがばたりと倒れる。アビーはすぐにお父さんを操ってタロウを抱き上げる。

「タロウ! タロウ! 起きてくれ! タロウウウウウウウウ!」

「無様ねタロウ……この光景が、実は夢だったの」とニコラロボ。

「ようやく天罰が下ったようだね、兄さん……」とエトワールロボ。

「なんだよコレ」

 隠れる遊戯のはずがロボをマインドコントロールして修羅場にロボとして参戦し放蕩息子と親父の家族愛を見せられ(幼女が操る)親父ロボが涙ながらに息子を抱き上げているんだ。セシルロボが全霊で叫ぶ。

「なんだよコレえええええええええええええええ!」

 その間、別室では幸運にもロボが一人もおらず、ルイスがハラハラしながら、かまくらくらいのスペースの家具の物陰に隠れた。しかし、中には先客がおり、ライトを照らすと、エイミーが目の前に座っていた。大きな緑の目とぱちりと合って、今にも引き返したい衝動に駆られる。だがそんなの体(てい)が悪くてできない。いじめていた女の子と鉢合わせ、半端のない気まずさと後悔に襲われる。

 ルイスは顔色を伺いつつばつの悪い顔をするけれど、彼女はにっこりと心から破顔した。見つかるといけないから少し小さな声だ。

「こんにちはルイス! 偶然一緒になったね! 一緒に隠れよう?」

 かっと目を見開く。怒られるかと思った、悲しませると思った、どうして、あんな惨いことをした奴に、こんな純粋な好意をもって、笑いかけてくれるのだ。

 彼女の笑顔が嘘ではないから、それがもっとルイスのナイーブな胸の奥を強く締め付けた。自分の度し難さに失望し、下唇の内側を噛んで苦しく、情けなく、途方もない愁(うれ)いに満ちて俯いた。睫毛は震えている。

「……どうして怒らないんだい」

 自分のものとは思えないほど醜い声に醜い質問に醜い自分に、心底嫌気が差す。

 確かに傷をつけられたはずの彼女は残滓(ざんし)も感じられないほどに、白い光をたたえて笑顔を溢れさせる。

「誰だって間違えることはあるよ! あとエイミー、パパと遊んだ時とか、楽しい思い出以外思い出さないの! それに、ルイスは今とても悲しそうだよ。そんなルイスを怒ったら、ルイスがかわいそうだよ」

 と、彼女も悲しそうな顔をした。怒るどころか自分を憐れんでさえいる。この子は本当に……そして僕は──。言いようもなく、広大な熱いものが胸に込み上げる。喉まで侵し、鼻の筋をツンと通り、熱くずきずきと疼(うず)く涙腺を懸命に呵責(かしゃく)する。つくづく、つくづく……。掠れた声で、幽(かす)かに元気のない笑みを灯して言った。

「君は、本当に、バカがつくほど優しい」

 ルイスは前髪以外、仮面を剥してエイミーを見、またもずっしりと重い悲しみに顔を俯かせる。無言の何もない時が両者を埋める。彼は頭をぐっと下げた。静かに、小さく口を開く。

「ごめんね」

 悲痛の限り瞼を震わせる。苦しく、悲しく、情けなく。

「ごめんね。こんな一言で、君にしたことを償(つぐな)えるだなんて思ってない。人として最低なことをした僕が、君にそう簡単に許しをもらえる資格もない。君にしたこと、言ったこと、どれも嘘で、最低な嘘で、僕は笑ってない目で、苦しみながら……アイツに怯えながら、君を傷つけた。……最も卑劣(ひれつ)で卑怯(ひきょう)な男だ」

 心がずるずると沈み、己を心から卑(いや)しめる。エイミーは彼という存在を真剣に見る。彼の目は前髪で隠れているが、途方もない悲しみに揺れていることがわかる。彼女の咎(とが)をも包容する清い空気が、彼の燻(くすぶ)った秘密を解放へ導く。彼はか細い声で、懺悔(ざんげ)した。

「僕は、嘘つきなんだ」

 ──ルイスとギルベルトは同じ日に生まれた。

 先に生まれたルイスが兄、後に生まれたギルベルトが弟、たった十分という時間差で兄弟が決められ、彼らは非常に珍しい男児二卵性だった。

 母親が日本人で、東洋と西洋のハーフであり、揃いの黒髪、番いの黒眼、身長もきっかり同じで、彫りはギルベルトの方が深く、ルイスは東洋、ギルベルトは西洋に目を分かち、そこを除いて顔立ちはそっくりだった。

 肉食のギルベルトは横にも大きく短気で喧嘩っ早く、逆に味噌汁が大好きな草食のルイスは痩せっぽちで優しく弱気で、性格と体格は正反対だった。ルイスもギルベルトが大好きで、ギルベルトもルイスが大好きで、二人はどこにいても一緒で仲が良かった。

 昔からいじめっ子で弱い者をいじめては問題ばかり起こし、高学年になってもそれは変わらない。

 そんな二人が家に帰れば、待っていたとばかりに女三人が極道(ごくどう)の幹部のような威厳を放って、母は煙草を吸い、妹は林檎を掌で上げ下げして、姉が体格のいい父親のロジャーを引きずって鬼の形相で玄関にやってくる。三人のTシャツには

『正義』

『仁義』

『義侠』

 と見事な習字でヤクザ並に大きく書かれている。鬼嫁の美香沙(みかさ)がドスを利かせて言う。

「座れェ」

『はい!』

 学校では天下の双子も戦(おのの)いて、玄関に父親と並んで正座する。

『義侠』ダークブロンドの華やかな容姿の姉のベラ(十七)がグラサンを取る。

「学校はサボタージュいっちょ前に弱き者を挫(くじ)きやがってオメェら……人情(にんじょう)ってもん備わってねぇのか! あぁん?」

『すみません!』

『正義』黒髪の見た目は真面目系のリン(九)がぐるぐる眼鏡を外し、泣きぼくろのある母親に似た美少女だが身の毛のよだつ眼光を利かす。

「『男らしくも』も『女らしく』もねぇだろ……? 学校でジェンダー習わなかったのかよオヤジぃ?」

 握っていた林檎が爆ぜ飛び、指に垂れる果汁をワイルドに舐める。

「はい! 習いました!」

『仁義』横顔の美香沙が煙草(たばこ)を吐いた後、轟音(ごうおん)を立てて片足を突き出し、雷を落とす。

「テメェらいっぺん精子から人生やり直せエエエエエエエエエエエエ!」

 ヤクザの女頭(おんながしら)だったが今は一心して女社長をやっている。

「はい。すみましぇん……」

 昔は伝説の若頭(わかがしら)と言われた父だ。目をうるうるさせ、今は子犬になっている。

 説教時はこんな調子だが家族仲はとてもよく、豪放(ごうほう)磊落(らいらく)な父と合わせて双子はムードメーカーで、姉妹も母も怒ると鬼のように怖いが、普段はきっぷがよく家族みんな大好きだった。何よりも、ギルベルトは父を特に慕(した)っていた。

 昔伝説的だった両親。美香沙は教えるものではないと言うが、ロジャーからとくとくと武勇伝を聞かされて目を輝かせた。

 この世は力ある者がすべてだ! 男なら強く生きろ!

 うちの子は最強だ! がーはっはっはっはっはっは!

 何よりも双子の男子に喜んだ父は我が子可愛さに息子にめっぽう甘く、「世界最強の男になってやる!」というギルベルトに夢さえ抱かせた。

 夫婦譲りのバカみたいな怪力を持ち、血気(けっき)盛んで豪傑肌のギルベルトは幼稚園児の頃からなるべくしてなったガキ大将だった。

 ギルがサボるなら自分もサボった。ギルがいじめるなら自分もいじめた。本当はイケないこととわかっていてもギルベルトに合わせていた。もし、逆らったら自分も同じ目に遭うだろう。憎んでもない相手を暴言で傷つけ、自分も傷つける。自分を守るために、彼の口は嘘で鎧(よろ)われていった。

 大手(おおで)を振って、ガリとデブが我が物顔で学校を歩けば小学生の誰もが恐れる。正反対な双子だから逆に目立ち、二人でいると注目される。注目されるのは好きだし、気分がいい。オシャレ好きなギルベルトはよく言った。

「やっぱ男ならアップバングかオールバックだろ?」

 ワックスでルイスも、その時は前髪を流していた。勉強なんて地味でダサい、低学年からピアスを開け、陽気でやかましく遊んでばかりで悪名高く、もちろんのこと成績は堂々のまでのビリ。「調子に乗ってる」と殴り掛かる上級生もギルベルトにかかれば赤子の手、「怪物ゴリラ」とまで言われ、売られたケンカは必ず買い、一度も負けたことがない。片や得意のダンスで敵陣を惑わし、片や鉄拳でなぎ倒す。下級生のちんぴらたちが目をキラキラして、小さな暴力団のように双子の後塵(こうじん)を拝する。

「おはようお元気? ホモのっぽ」

 一人でいたとき、恨みを持った最高学年のグループに囲まれたことがあった。ニヤリと、自分が向けるはずの笑顔を向けられ、ゾッと、全身の血が引いていった。ダンスも彼がいなければ意味をなさない。ルイスは弟がいたから強かったのだ。足がガクガクと震える。ひ弱で惨(みじ)めな少年に変わりなく、笑われ、殴られ、蹴られ、引っ張られ、初めていじめられる側を経験した。ギルベルトが走って叫んだ。

「兄弟を傷つけるヤツは誰一人も許さねえ!」

 とてつもない力で殴る音と苦鳴、ばたばたと倒れる音が続き、悲鳴を上げて少人数が逃げていく声を聞いた。ギルベルトがぼこぼこになったルイスに歩み寄り、笑い交じりに手を伸ばした。

「おいおい、大丈夫か兄弟?」

 夕暮れが彼を照らしていた。ニッと笑うギルベルトの顔は、この世界にあるどんなハンサムな男よりもずっとイカしてて、英雄の笑顔にすら思えた。

 強くてハンサムでカッコいいヒーロー。弟が、ルイスの憧れだった。

「この世は力あるものがすべてだ。弱い奴を見ると放っておけねえ。俺が、お前を助けてやる」

 そして、恐怖だった。弱者を見下ろすその横顔の笑顔は、どこまでも外道(げどう)でおぞましく……開閉する半開きの口はあの頃から止まっていた。

 俺は弱い奴が嫌(キレ)ェなんだよ! 見てるとイライラしてくる。ハハ知ってるか? 日本刃は叩けば叩くほど強くなるんだぜ、──これで、少しは強くなったか?

 ──ねえギル。かわいそうだよ。

 ──……あぁ?

 ──ご、ごめん……。

 幼少期の頃から、彼に逆らえなかった。

 弱い者をいじめる時のギルベルトは醜く、嫌いだった。そして、自分が何よりも一番嫌いだった。

 強きに憧れ、弱きを蔑み、弱者は彼の標的になった。

 中学年になり、双子はやけに女子の胸をじろじろと見るようになり、お互いのクラスの女子の容姿の点数を付けてげたげた盛り上っていた。

 ギルって痩せたら絶対イケメン、顔はカッコいいよね。その脂肪どうにかしてよ。派手な女子グループが弟の顔を隣で褒めていた。

 ねぇ、僕は?

 ロジャーに似たのね、これからもっとハンサムになるわよ、祖母も従姉妹(いとこ)もどいつもこいつもギルばかり顔を褒める。その度に胸を掻き荒らした。自分を見た途端全然似てないと笑い出す。残念そうな苦笑い、まあお母さんも美人よねってフォロー? 彼は顔は笑っていた。

 待って。ねえ、僕って、ブサイクなの?

 隣を見る。自信のある笑顔は眩しく、脂肪を絞れば確かに本当に華やかでカッコいい。なんで、今まで「差」に気がつかなかったのか。隣にいるはずなのに、トンネルの先のように遠く、彼よりミニマムに感じた。

 鏡をすごく見るようになり、自分の目に失望する。自分はギルより彫りが浅くて、瞼の上に線一つ入っていない、おまけに目尻と目頭を引っ張ったように目が細くて鋭い。それに比べてギルは目がぱっちりしていて二重で華があって……一重なんて地味でダサいし不細工だ。

 クラスでも自分より小さい目のやつを探してもどいつもこいつもバタ臭いぱっちり二重で嫌になる。あまり人と目を合わさなくなった。

 なんで目はギルと全然似てないの? なんで一卵性じゃないの? なんで僕は不細工なの? ダサいのなんて無理。無理。耐えられないあの笑った顔を二度と見たくない、目を見られたくない。整形したい目を大きくしたい二重がいい。調べてみたらアイプチっていうのがアジアにあるらしい。欲しい。母さん買ってくれないかな。そんなことまた笑われるだけだ。

 どいつもこいつも双子だからって比べやがって、そういう自分も比べてばっかで。

 最悪。もうさ、なんで一重なの?

 鏡を放った。こんな目、見たくない。嫌いだ。顔を手で覆った。

「──僕は不良品だ」

 俯き、少し伸びた前髪が目にかかる。目を前髪で蔽い、また、鏡を見た。

 ギルがいた。

 痩せたギルだ。そっくりだった。そこだけはカッコよかった。目を燦然と見開いた。

 その日から、絶妙にオシャレな感じに決めてルイスは目を隠すようになった。下は整っているから映えている。ヤバイ、天才かも知れない。ギルベルトはなんだそれと笑っていたが、それはルイスの本気の化粧(フェイク)だった。

 ある時、ルイスの素顔を気になった輩(やから)が、顔を見せてと言ってきた。

「あ~……あー」

 それ以降もう絶対に素顔を見せないと誓った。ギルの顔がいいからどうせ自分の顔も同じだ、痩せてるから上位|互換(ごかん)に違いないと期待してくる目が怖い。期待を外した、残念そうな、申し訳ない苦笑を一生見たくないほど嫌いになった。

 弟との心の間の溝(みぞ)が深くなり、コンプレックスの嵩(かさ)が増す。

 ギルが羨ましい。アイツだけズルいじゃないか。力もあってイケメンで二重で。自慢の、弟。アイツみたいになりたい。アイツになりたい。

 ひょろくてカッコ悪い自分。でも、弟の隣にいると自分が強く大物になったように思えた。皆の羨望と怖気づいた視線が悦(い)い、双子だから注目される。二人でいるとみんな自分を見る、強い、カッコいいと褒める。弟の光を借りてルイスは輝く。片脚のようにギルがいなければ自分はふらついてしまうだろう。

 罵詈(ばり)雑言(ぞうごん)を弄し、隣でバカ笑い、標的を潰し、周囲が喝采を浴びせる。病みつきになるほどの快感の味を知り、苦い罪悪感を覚える。

 四年の冬。ギルベルトの支配でクラス全員がエディという少年をハブにした。女の子みたいな愛らしい顔立ちでおっとりしていた。それが女々しく、男らしくしろ、彼が「気持ち悪い」と言ったのが発端(ほったん)だった。

 エディは帰り道で俯いていた。誰もいないことをしっかりと確認して、話しかけた。エディは弾かれたように顔を上げ、悲痛な、ひどく驚いた顔をしていた。ルイスはへらりと笑い、普通の友達のように隣を歩いて色んな話をした。よく言う冗談でエディは以前のように笑った。話しかけてくれてありがとうと言っていた。

 胸が裂かれるようだった。ハブろうと、調子を合わせて皆をけしかけたのは自分なのに。クズだ、この子の笑顔を好きになった。友達になりたい。なんの虚栄も欺瞞(ぎまん)もなく、ルイスは笑った。

「友達になろう」

 誰もいない校舎裏に男子たちがエディを引きずり、ギルベルトの隣に、ルイスが立った。エディは羽交(はが)い絞(じ)めにされている。その顔は蒼白(そうはく)してルイスを見上げ、絶望を浮かべた。

「嘘だろう? ルイス。僕を裏切ったのか? 友達になろうって、言ってくれただろう?」

 エディはそんな訳がないと笑う。あの時の彼の笑顔は嘘ではなかった。

「言ったのかよ、ルイス」

 不審な目で皆が見る。ルイスは恐怖に支配され、前髪の中で目を剥(む)いていた。

 胸中でルイスとギルベルトが喧嘩をする。

 ──傷つけたくない、エディは友達なんだぞ!

 ──強いと思わせてほしい、だから泣いてほしい。

 ──いじめたくない! やめるんだこんなこと。

 ──今度はお前がいじめられるんだぞ? 次の標的はお前だ。

「……っ」

「ルイ?」

 やっちまえ。お前は強い、ギルなんだ。

「ルイス!」

 ルイスは俯き、ニヤリと口を歪ませた。喧嘩はギルが勝った。たぶん、今まで一番よくできた凶悪なウソ笑いだった。

「は? 言ってないんだけど?」

 腕を大げさに曲げた。爆笑が着火する。エディの妄言にされた真実を少年たちがあざ笑う。エディは石化し、どんどん絶望を満面に浸した。透明な光が一筋、エディの頬に流れた。

 ギルベルトと二人でリンチにする。笑いが、称賛が、快感だ、爽快だ。

 ──だろ? 僕は最強で最恐のギルなんだ。

 胸が痛い、抉られていく、エディが傷をつくるとともに、ルイスの胸が黒い血に染まっていく。

「ルイス……」

 泣かないでエディ。頼むから、僕をそんな目で見ないでくれ。ごめん、ごめんねエディ。

「失望した──お前なんかもう死んじまえばいい! お前は……僕の一番の友達になれると思ったのに──ルイス……ルイスゥゥゥウウウウウウウウウウウウウウウウ!」

「……っ!」

 エディの怨嗟(えんさ)の叫びが、ルイスを取り返しのつかない暗闇の底に引きずり落とす。

 ギルベルトはめちゃくちゃに笑っていた。心底恐怖する。コイツを裏切ったら、自分もリンチにされるんだ。

 こんなに苦しいものはないと思うほど一生懸命笑った。胸が重く苦しい、笑う度に肋骨(ろっこつ)が軋むようで、しかしあばらの奥で承認欲求の成就(じょうじゅ)に踊る思春期のパリピがいる。

「キャッハハハハハハハハ! ヤバイ! おかしくて涙が出る!」

 欺(あざむ)き、濁って壊れて、泣き笑い。

 本来は、虎の威(い)を借るクソみたいな狐(きつね)で、誰かを虐げる度に泣くのを堪(こら)えていた。人をいじめても、今では悲しみと苦しみしかない。

「ふう~~~~~~ん」

 真剣に聞いていたのかよくわからない返事。彼が回想から現実に戻ると、エイミーの顔がキスできるほど至近距離にあり、しかもあれだけ念入りに目を隠していたルイスの前髪を豪快にたくし上げて、じっと見つめている。彼は一瞬硬直して、真っ赤になった。

「なっ……? なななななな何してるんだよ!」

「なあんだ! ルイスのお目目って綺麗だね!」

 ぱちりと瞬きをする。

「は……? 綺麗?」

 そういうエイミーの目はやはり西洋で、ここでも劣等感を覚える。彼女は相変わらず近いがちょっと離れて満面の笑みで言う。

「うん! 黒くて、夜のお空みたいにきらきらしてて綺麗だよ! どうして? みんなお目目は大きいものだと思ってたけど、ルイスだけ長くて、細くて、みんなと違っててカッコいいよ?」

「どうして僕を褒めるの?」

「どうして質問するの? どうしてわからないの? ルイスはすごく綺麗だよ!」

 嘘を知らない無邪気な子に言われ、動揺する。──僕が、綺麗? そんなこと、初めて言われた。ルイスは美香沙に似たすっと横に切れ込んだ切れ長の細目で、エイミーには本当に東洋の目が魅力的に映った。

「ルイスは、その目がヤなの?」

「まあ、うん」

「エイミーも赤い髪でよく言われるよ。やだなあ~~~って思った時もあったけど、そういう時はパパのことを思い出すの! パパはカッコよくて、エイミーみたいに髪が赤かった! きっとエイミーに似たんだなぁ。あれ? フレッドはエイミーに似たんだって思うと嬉しくなる!」

 逆だよと思いながらルイスは苦笑する。悪口を言われてもめげずに明るく笑う彼女は強い。

「君は僕よりずっと大人だ、君はすごいよ、マジで。僕と比べたら──」

「ルイスは優しいんだねえ。エイミーにちゃんとごめんなさい言えた! ルイスはいい奴だ!」

 いい奴、これも、エディ以来初めて言われたことだ。純粋な彼女の言葉には光がある。照らすものがある。無垢な目。その光は彼の外見以外のものも透かしている。

「君は、心の目で人を見ているんだね」

 外見に心を囚われている自分とは大違いだ。

「お前何言ってるの? 心に目なんかないよ? ルイスはエイミーの心が見えるの?」

「僕は心なんて見えないなー」

「えー!」

 おどけて彼は笑う。そして拳を固めた。こんな可愛らしい子を傷つけてしまった自分に心底怒りが湧いてくる。そして、あいつにも。

「ルイス」と、彼女が言う。

「違っててもいいと思うよ。ルイスはルイスのままでいいよ。ギルベルトのルイスなんてエイミーやだ! お前のままでいいんだよ。エイミー、あまり言葉じょうずじゃないからうまく言えないけど、エイミーじゃ、ルイスの傷を直せないけど──」

 エイミーはまっすぐに彼を見つめ、笑顔で言った。

「お前の目は綺麗だよ」

 真正面から、光の矢のようにまっすぐ裸の心に刺さる。自虐(じぎゃく)と汚濁に満ちた、秘密の泉(いずみ)に白く輝く光が波紋し、透きとおらせる。ルイスは大きく目を見開く。黒い瞳は揺れる。違う色に涙腺がじわりと軋みだし、急いで俯いて笑んだ。心が溶けたようにあたたかい。目の端から隠し切れず涙が零れ、急いで拭う。

「──初めて言われたよ。……ありがとう、エイミー」

 偽りのない素顔でルイスが笑う。鋭い眦は柔らいで、その目は優しく美しい。エイミーが腕を伸ばして「よしよ~し」と彼の頭を撫でる。

「ちょまちょま! 僕は弟かよお姉さん」

 いつもの調子に戻り、ルイスが笑うとエイミーも明るく笑い声を上げた。急いでしーっとして静かにする。くすくすと彼女が笑う。

「なぁんかあの二人が君に落ちたのもよく分かるよ。君、本当に天使みたい。まぁでも、僕、大人っぽい子がタイプなんだ」

 ウインクして、人差し指と中指をチャラく立てる。

「ていうか今思ったんだけどこうして女の子と二人きりとか僕めっちゃついてるじゃん? ちょっとやばいドキドキしてきた」

 と手をわきわきしてエイミーに接近するときゃー! と笑いながら逃げる。エトワールに殺されるだろう。彼はすぐにやめて背を向けて移動する。

「冗談さ。女の子にそんなことはしないよ。紳士なので」

 部屋にロボがいないことを確認して、首を捻る。

「──ありがとう。君のおかげで元気が出たよ。お互い頑張ろうね」

 と彼女に向けて言い、エイミーはこくんと頷(うなず)いて弾(はじ)ける笑顔で手を振った。軽く振り返し、彼は立ち上がり移動する。すっと、笑顔は消える。彼女のおかげで癒されたのは本当だ。でもね、エイミー。

 ──やっぱり、僕はギルの目の方がいいよ。

 傷は消えない。ぽつりと呟(つぶや)き、彼は俯いてまた目を蔽った。

 と、突然、後ろから衣服を引っ張られ、物陰の穴に引きずり込まれる。地べたに滑り込み、お腹に腕を回され、そして背中から大きな温もりが包んでいる。

「イヤあ! 何だよ!」

 乙女(おとめ)の声を上げ急いで振り返ってライトを当てると、暗いところで見るとホラーでしかない耳元まで歪んだ口の泣き笑いが間近に照る。

「やあ、私の家にようこそ。お風呂にする? それとも──」

「こっわ! ピエロかよ! 顔面破壊力えぐすぎ人何人殺したんだよ」

「しー、静かにしなさい。聞こえちゃうだろ」

「何このドキドキ展開ぜんぜん嬉しくない」

「隠れなきゃいけないのに突っ立ってる君を見かねて助けてあげたんだろう? 感謝したまえ。ヤバイドキドキしてきた……」

 赤面し、同性 (も) 愛者にぴっちりとハグされルイスは突き放して距離を置く。つれないなープーと言って懐から葉巻(はま)きを取り出して吸い始めた。すーっと煙が吐き出され、甘い匂いが鼻孔(びこう)をくすぐる。

「吸うんだね、煙ピンクだけど」

「これお菓子だよ。香りを楽しむお菓子。お菓子は今鼻で食べる時代さ」

「鼻で苺プリンを食べるなんて変態しか思いつかない発想だよ」

 自らが創った苺プリンを吐き出して、優雅にくつろぐ紳士で道化師。彼がつくるひょうひょうとしたカラフルな沈黙がしばし漂う。平時道化たことをかますが、こうして見れば深みがあり、いい大人の雰囲気を放っている。フランクなのに魅力的な謎に包まれた彼を少し見、俯いた。

「君って、どんな顔をしているんだい」

 うーん、としばし考え、仮面の輪郭らへんの目にも見えないようなスイッチを押すと、太眉でキラキラ目の漫画顔になった。「どう?」「顔、変えられるんだね……」暴くつもりはないようだ。

「君のその道化って、──嘘なの?」

 彼は恬(てん)として、そしてどこか夢見がちに答える。

「いや? 私は体で道化てるんじゃない。子どものように無垢な心と道化ているんだ。決して演戯(えんぎ)ではないとも」

「よかったよ。じゃあ──なんで仮面をつけてるんだい、化粧でもいいじゃん」

 彼はゆっくりと煙をひとつ吹き出す。

「──そういう君こそ、なんで仮面をつけてるんだ?」

 目を剥いて顔を上げる。ピエロの仮面は口も目も変わらず狂気的に笑っている。そのたわんだ二つの目は、心の奥まで何もかも見透かしているような鋭い色があった。彼の前では、どんな嘘も透かされてしまうと、そう直感するほどに。その目はルイスの内側の内側をしっかりと見つけて離さない。ルイスは力なく下を向いた。

「君、自分のことが嫌いだったね」

「いつわかったの」

「出会ったとき? シックスセンス」

「やっぱり君ホラーだよ」

 束(つか)の間の静寂ののち、訊く。

「……君は、コンプレックスとかあるかい」

 十代ではないが、いくぶん若い、艶のある深い声が答える。

「コンプレックスは抱いたことはないが、差別に遭うことはあるね。──性|嗜好(しこう)の差かね。ご存知の通り私はバイセクシャルだ。男でも女でも関係なく好きになる。年齢も私には垣根(かきね)がない。そしてどうだ? 世の方々はそんな類まれなる博愛者、私をホモ、ロリコン、ペドフィリアなどと罵(ののし)られる。心外に限る話だとも。私は、人類にときめく。それは何者にも代えがたい、私の個性で、私の魅力だ。──そして、君もそうだよルイス。君のその目は、何者にも代えがたい、君の個性で、魅力なんだ」

「……え?」

 ごめん、ちょっと聞いてたと彼はウインク。あの時、物陰の、ひとつ壁越しに彼はいた。

「男、女、平凡、美形、背が高い、髪質、肌の色、一重、二重。私は思う。みんな、生まれ持ったもので自分の値踏みをするけど、個性という名のカードを一枚一枚私たちは配られて持っている。そのチャンスカードで、自分の花を咲かせるために、私たちはこの世に芽吹いているんだよ。手の中のカードは、自分次第で宝物にも、お荷物にもなる」

 ルイスは目を瞠って彼の言葉を聞いた。そんなこと、初めて言われたのだ。

「君はかすみ草で、私はヒマワリ。あの子はたんぽぽで、その子はポピー──君は、君の花を咲かせればいいんだ。かすみ草に向かって、『きみはどうして薔薇じゃないの?』なんて言えばかすみ草が泣いちゃうだろ。いいね、素敵だね、大好きだ! 君が自分にそう言ってあげるたびに、ますます君の花が美しく咲く──その花は、自分らしく生きると満開になるんだ」

 ピエロは、ルイスの頬をしっかりと掌で挟んで持ち上げる。

「君は人であり花だ。花を咲かせられない人はいない」

 そして、一語一句を噛むように、力強く言った。

 ──自分の花を、否定するな。

「ああなりたいって思うことも勉強のひとつだ。だけど、ああはなれないってわかることも勉強のひとつだ。双子の確率は百分の一、男児二卵性の確率は千分の十二。君のその目は、レアな遺伝子として、周りと少し違って生まれてきたんだよ。それのどこがクールじゃないんだ? ──めちゃめちゃ、カッコいいじゃないか」

「……!」

「私は君を変えようとも、響かせようとも思っていない、選択肢を与えているんだ。二重も華やかで美しい。一重も涼やかで美しい。どちらの方が美しいなんて、本当にあるのか? あるのは、誰かが勝手に決めた好みと、それに流された人間たちだ。何を言われたっていいんだ。君の色で、堂々と咲き誇れ」

 彼は、その瞳を輝かせて、心の底から言った。

「俯くな、君は美しい。君の目は──綺麗だ」

 ぴとんと、光の粒が波紋するように、胸にあまねく響く。美しいと言われたこともなく、こんなにも心で見つめられ、愛を投げかけられ、打ち震えた。

 ピエロを突き放す。目の辺りが猛烈に熱く燃える。かっこ悪いと思いながら背を向ける。きらりと流れる雫が横顔に見え、帽子を目深に被って、ピエロも背中を向ける。

 何も言わなかった。お気楽に、苺プリンを吸っている。

 背中合わせで、項垂れ、むせび泣く少年と、空でも見るように顔を上げている道化師。

「自分の花を、否定していた……」

 双子として生き、劣等感を抱えて生きてきた。そのままの自分を受け容れることができず、他人になりたくて他人を演じ、弟の華に憧れて、本当の自分を隠していた。

 美しいと、本気で人間に言われるまでは。

 ギルベルトは薔薇で、自分はかすみ草。どちらも美しい、生まれ持った素質を持つかけがえのない花なのだ。かすみ草は薔薇にはなれない。だけど、かすみ草にしかない、他にはないかすみ草だけの魅力がある。二重は華やかで美しい。一重も涼やかで美しい。

 結局は好みの問題だ。自分とは違うものに惹かれるのは当然だ。少しずつ、受け入れていこう、自分の花を。

 かけがえのない僕の花。僕だけの、美しい花。

 ルイスは前髪を耳に流した。とある人物を思い浮かべる。同じように突然至近距離で自分の目を純粋に見つめ、言った。そっと微笑む。

「君とよく似た人が同じことを言っていたよ。僕の目が美しいって」

「何その子天才じゃないのか? え、やばたん」

 彼は笑いをこぼす。

「そうだね。二人揃ってやばたんだ」

 綺麗な切れ長の目が、ピエロを流し見る。

「君は、どんな花なの?」

 言下(ごんか)に答える。

「ロイヤルストレートフラッシュ? 完璧の手札」

「花じゃないじゃん。はは、まあ君らしいや」

 自然に笑うと、ピエロは「おいで」と彼を手招いた。手袋を外して、ワックスみたいなジェルで彼の前髪を美容師そこ抜けの手つきでオシャレな感じに仕上げてくれた。センターパートだ。カットモデルにいそうなほどよく似合っている。ピエロがお兄さんみたいに笑う。

「なんだカッコいいじゃないか。もっと自信持てよ」

 背中を叩き、照れくさそうにルイスが笑った。大人ぶってメッシュに染めているがまだまだ顔つきは少年だ。

 遊戯終了のカウントダウンの合図が鳴る。喜んで、先にルイスが出ようとするところで背中が止まった。

「ありがとう」

 二回目で言われてようやく気づくなんて、自分は本当にバカだ。そして、感謝している。二人に。

 ピエロは帽子を傾けて会釈した。

「どいたま」

 ルイスが歩み始め、ピエロも歩いて彼を通り越す。

「もう十分隠れただろう。──けじめをつけろ」

 背中でそう言って、ルイスの背中を力強く押した。

 少しばかり歩を進め、大きな背中が止まる。強くて優しい声だった。

「だいじょうぶ」

「!」

 視線だけを注いで、母であり、父でもあるような笑顔を見せた。

「だいじょうぶだよ」

「…………」

 彼の言葉、そして行動に、幾度(いくど)も勇気を裏打ちしてもらう。

 けじめをつける。そう、自分には、やるべきことがある。一つの道を歩む、一人の人間として。

 尾(お)を引くサイレンは、ケンカの開始を告げるコングのように、ルイスには聞こえた。

 豪邸の中でセシルを見つけ、呼びかける。

「セシル……」

「あ? タイマンは後にしとけ」

 勢いよく頭を下げた。

 

  3


 遊戯が終わり、小休止(しょうきゅうし)にと広場に子どもたちは集められ、ルイスを含む半々の子が手洗いに行った。ルイスが広場に戻るなり、一人でいるギルベルトの姿を見つける。

 今からけじめをつける。

 回想し、全身全霊を奮(ふる)い立たせる。鋭く射て、彼は地面を蹴った。

 あいつ目掛けて一直線、拳を固め、全霊で叫んだ。

「この、クソデブウウウウウウウウウウウ!」

 振り返る。滾(たぎ)る思いを込めた拳骨を、奴の肉づいた頬に全力で振るった。巨体が飛ばされて地面に倒れた。

「?」

 痛い──訳もわからず、頬にギルベルトは手をやりルイスを見上げる。怒りと悲しみに満ちた、兄弟の虎のような眼光があった。

「もう僕は……罪のない人間を誰も傷つけない。傷つけさせない! ギル。お前がいじめをやめないのなら──僕と絶交しろ!」

 足は震えていなかった。かつてない声量をギルベルトに叩きつける。急に殴りにきて、絶交宣言? 喧嘩の続き? 気合い溜めにセンターパート? ギルベルトの青筋が切れる。跳ぶように立った。ハイエナのように俊敏に、握り拳を腹の奥まで食い込ませる。

「断るぜルイッ!」

 よろめき、呻き、膵臓(すいぞう)が押し込められる激痛に悶える。

「テメェと、俺はッ、いつだって運命共同体なんだよ! ケンカもするし、いじめもやめねぇ!」

 ああ──えずくような猛烈な不快感と腹の奥で燃える激痛。普段ならKOだった。だが、何かがルイスのひょろ長い足を瞬時に立たせた。エトワールが止めにかかったが、ピエロが制止する。二人の喧嘩だと。

「ざけんな!」

 もう一発|渾身(こんしん)の力で顔面を殴る。

「もう僕はウソをつかない! お前にも、自分にも、他人にもだ! いじめなんてもうクソ食らえだ! 今すぐやめろ! 正義、仁義、義侠──持ち合わせてねぇのかよクズウウウウウ!」

 目で追えないほどの凶器が飛んできてルイスは吹き飛んだ。視界に火花が散った。蟲のようなものが幾数(いくすう)世界にちらつく。ただ一人、ルイスは射抜き続ける。バネのように腰を上げ、拳で皮膚を穿つ。

「顔だけが旨みのポーク野郎! 謝れ! 今までしてきた分の人たちに謝れ! エイミーにも謝るんだ!」

「お前も楽しそうにやってたじゃねぇか!」

 ダイレクトに顔面に食らい鉄の味がした。脳髄まで響くその痛みを噛み締めて、極彩色を払い、鉄の味を飲み込み、射る。

「そうだよ……僕もやってた! だから今お前に殴られて、お前を殴っているんだ!」

 殴られたギルベルトの顔が勢いよく振り返り、だがすぐに拳をルイスの腹に押し込め、圧倒的な力にルイスが退く。野獣のようにギルベルトが唸り、ルイスが声にならない雄叫びを上げて殴り返し、ギルベルトも慈悲なく打ち込む。間(かん)髪(ぱつ)も容(い)れず傷を醜く重ねる。胸倉を抉り、ルイスは悲しみを浮かべる。

「ギル……僕は君が羨ましかった。君の目、君の強さに。君がコンプレックスだった」

「……っ!」

 ギルベルトは目を見開いたが即座に形相を戻して打ち込んだ。ルイスも負けじと繰り返す。

「君の大きな二重が羨ましくて、君の劣化版だと思って、僕は自分の目を……ッ隠した! 君が弱い男が嫌いだから! 僕は必死に強い男を演じてた。……君に嫌われないために」

 ギルベルトの拳に動揺が入る。そんなこと、初めて知ったのだ。

「君にいじめられないために! 昔から、君が怖くて、君に合わせて人を傷つけてた。ギルベルトがいないとルイスもいなかった! 笑ってたかもしれない。でも、僕の目は笑ってなかった!」

 生まれてこの方、ずっと傍にいた彼の嘘を初めて知る。殴られたギルベルトの目に衝撃が走る。

「君は僕のヒーローだった。ハドリーたちから助けてくれた君の笑顔はマジで英雄だった! カッコいい君が大好きだった。でも人をいじめる時の君は、クソブスだああああああ! 大っ嫌いだ!」

 ルイスはギルベルトの拳を全身で受け止め、ギルベルトは感情の込もったルイスの拳を体で受け止める。途方もなくやり場のなかった彼の辛苦(しんく)、悲哀(ひあい)、激情。痛覚で伝わってくる。ギルベルトは憤怒と共に、みるみる驚愕と悲しみに苛まれる。

「最初は、悲しみしかなかった……、でも、のちのち僕は承認欲求のために人をいじめるようになった。ジーン、カーティス、それからエディ。自分を満たすために人を騙した。いじめは辛かった、でも嬉しかった。僕も、クズだった……」

 ルイスは躱さずに真正面で味わう。痛い。ああ……こんなに痛かったんだね、エディ。あの時、あの子にした痛みを噛み締め、知り得て、数々の思いが胸を熱くする。同じように人を虐(しいた)げた彼にもそれを浴びせる。互いに赤い血が流れる。互いに傷を刻み合う。

「でも、もう僕には苦しみしか残ってない! 承認欲求なんてもうどうだっていい! ただ、ただ、人の髪を引っ張って笑いながら、怯えながら、泣いていた」

 思い返し、彼の目から光がこぼれる。涙だった。滅多に見せない彼の本音と涙。驚愕するギルベルトの顔に歪みが広がる。

 ふざけんな──先ほどとは違う怒りが、悲しみが、ギルベルトの胸を燃やす。不器用に両肩を掴んで勢いよく押し倒した。大きな目に涙を浮かべて叫ぶ。

「じゃあ……ッ、じゃあなんで言ってくれなかったんだよオ! 俺に言えよお! 辛いって言えよ! 俺が嫌いだって言えよ! 殴れば良かっただろう? お前が辛いなら……俺も辛いに決まってるだろうが! この大嘘つきめ! 兄弟だろう?」

 潤みがどっと増えてルイスは猛烈に言い返す。

「怖くて言えるわけないだろう? 兄弟なのにそんなことも分からなかったのかよ!」

「バカだから気づくわけねぇだろ? 兄弟だから分かれよ!」

 ギルベルトの砲弾のような拳を躱してルイスが拳を振り上げたのをギルベルトが掴む。猛獣と猛獣のように、激烈に取っ組み合う。

「俺がやってた時、お前はいなかったのかよ……? じゃあ俺は……っずっと一人でイキってたのかよ!」

「そうだ!」

 ショックを受け、蓄えていた悲しみが堰(せき)を切り、彼の目から涙が溢れだす。

「なんだよそれ……ざけんなよオオオ! お前とさっき喧嘩した時も、遊戯もずっと俺はひとりで……俺はずっと後悔してたんだ。お前がいないとクソつまんねぇんだよ! ──ルイスがいないと、ギルベルトもいねエエエエエ!」

 ルイスは胸の奥を激しく震わした。

「……! そんなの、僕だって同じだあああ!」

 普通では出っこない力でギルベルトの体を覆(くつがえ)し、逆転する。

「誓えギルベルト! もう二度と人間を傷つけないと! もうこれ以上……他人を傷つける気なら母さんが泣くぞおおおおお! 母さんを泣かせる奴は、たとえ兄弟であろうと僕が許さない! もう僕はッ! お前との舞台には立たない!」

 馬乗りになって愛する兄弟の頬に、泣きながら暴力を振るい、振るい、振るう。

「感じろ! 弱者の痛みを! 苦しみを! これがいじめられる側の辛さだ! 今僕が醜いように、お前もその倍醜いんだぞ!」

 痛い、痛い、死ぬほど痛い──。ギルベルトはいくつも顔に怪我を負い、初めて経験する。かつて自分がしてきた暴力の痛みを、苦しみを。思い返す。ジーン、カーティス、エディ、数え切れないほどの人数を虐げてきた。馬乗りになって、こうして自由に殴って、女々しい奴らの泣きべそを見るのが楽しくて痛快だった。

「何が『世界最強になる』だ! お前なんて、くたばった弱者の山に座るただのガキ大将なんだよ!」

 大きな目は激しく傷ついて歪む。口内に鉄の味が広がる。骨の奥まで激痛が染み渡る。激痛に、胸の激痛に、涙が滝をつくる。鉄と雨の混沌(こんとん)を噛み続ける。あまりにも不味く、哀しい、罪の味を知る。

「殴れ! 今度は僕を思いきり殴れ!」

 涙に満ちたルイスがそう言い、顔がぐちゃぐちゃになったギルベルトは愛する兄弟の顔を苦しみながら同様に殴る。ケンカとは違う、互いに制裁の鉄槌(てっつい)を下し合っていた。獣のように殴り合う双子に、他の子どもたちは凄惨(せいさん)な現場を見るように眺めていた。ギルベルトは泣き叫ぶ。

「痛えよ……痛えよおおおおおおおお!」

 兄を殴り、弟を殴り、そして、二人は力尽きて共に倒れた。

 寝そべって並び、しばらく肩で息をする。

 傷だらけのギルベルトが、ルイスに寄りかかって、片手で抱擁(ほうよう)した。

「……お前の勝ちだ、ルイス」

 鼻が擦れ合うほど近く、ルイスは涙のある顔で力なく笑う。ギルベルトも汚れた顔で笑い、寝起きのように小さく言う。

「バカ。お前、そっちの方がイケてるよ。お前は母ちゃん似だ。切れ長とか、超クールで羨ましいじゃねぇか。お前の拳、すげぇ痛かったよ。初めてお前の男を見た。お前は弱くなんかねぇ、ルイス。力が……すべてじゃない。お前の拳が教えてくれた」

 ギルベルトの目が潤む。前の自分では決してならなかった感情が胸を熱く濡らす。たくさんの人間が頭に思い浮かぶ。自分の残虐な行いの跡を見る。涙があふれ、腕で覆い隠し、時々鼻を啜って言う。

「ルイス……俺、バカだからさあ。人の気持ちとか、わかんなくてさあ。お前が苦しんでること、わからなかったよ。たくさん、傷つけちまったよ。母ちゃんも、そりゃ怒るよなあ。……っ、痛いよなあ。辛いよなあ。ごめんなあ。ごめんなあ、ルイス」

 ルイスは兄のように、困ったように微笑んで、弟の背中に片手を回した。

「兄弟だろう? 一緒に、運命背負って生きようぜ」

 ギルベルトは目を見開き、涙が一筋零れた。ルイスを見つめる。ギルベルトを見つめる。

「地獄に行っても、パリピしようぜ」

 大きな目を最大に見開いて、兄弟を映して泣きながら、きれいな形にゆがんだ。

「あたりメェよ、兄弟」

 双子は目以外、そっくりに笑って、ぶつけ合った互いの拳を固く結んだ。

「途中、母ちゃんにそっくりでマジで怖かったぞ」

 穏やかに笑い合い、互いを助け合って立ち上がる。

 二人は並んで、真面目な顔つきでエイミーの前にやってくる。エイミーはじっと見上げている。

 しばらく見つめ合い──双子は全く同じタイミングで地面に額をつけて、土下座した。

『エイミーさん、マジで申し訳ございませんでしたあああああああああああああああ!』

 声まで揃って誠心誠意謝罪する。

「数え切れないほどの暴力と暴言、計り知れない苦痛をあなたにしてしまいました! 申し訳ございませんでした! マジで、マジで、すんませんでしたああああああああ!」

 続いてルイスが謝る。

「隣のクズ野郎に便乗(びんじょう)してあなたを傷つけてしまい僕はとんでもないことをしてしまいました! 言葉を尽くしても償い切れません! 僕も救いようもないクソクズ野郎です! エイミーさん、本当にすみませんでしたああああああああ!」

「僕を殴ってください!」

「蹴って蹴って痛めつけてください!」

「髪を好きなだけ引っ張ってくれても結構です!」

「腹踊りでもなんだってします」

「尻文字でもかまいません!」

 傍(はた)から見るとただの変態にしか見えなくて、ピエロは吹き出してニコラが叩いた。

 真剣に、床にまで地面に頭を付けて謝る双子をエイミーはしばらく見下ろして、しゃがんだ。にっこりひなげしのように笑った。

「顔を上げろ」

 ぱっと、同時に双子の顔がもたげる。白く発光している笑顔がある。幼女の口調で言った。

「いいですよ。エイミーは怒っていません。ギルベルトと、ルイスを許します」

 天使? 聖女? と何故かセシルとエトワールを含めて、女神? と双子が思った。エイミーという大天使を目を丸くして見ている。

「そのかわり、エイミーと約束してください」

「はい」真剣に共鳴する。

 彼女はすばらしい笑顔のまま言った。

「エイミーのともだちになってください」

 ほえ? と双子の口からとても間抜けな声がこぼれた。

「エイミーのともだちになってください! エイミーのともだち、ダメですか?」

 と、彼女は首をかしげる。双子はぶんぶん首を振った。

「い、いいえ! ともだち! もちろんなります! 喜んでなります! ぜひ!」

「そ、そんなんでいいのかよ? 俺たち、お前に酷いことしたんだぜ? 一発入れてくれなきゃ俺たちも納得できねえよ」

「わかった!」と彼女が言うなり、えいっ、えいっとかわいらしく二人ずつデコピンを入れた。

「一発入れたよ! どうだ痛かっただろう~。エイミーのデコピンだ!」

 双子は、弱打撃を受けたおでこに触れて面食らった顔をする。そして高らかに大きな口を開けて二人とも笑った。

「ああ! なかなかの威力だったよ! エイミーのデコピンいてえ~」

 と、本当に痛そうに額を押さえる。

「あー痛。痛い、うー、入院十秒だ……」

 同様のルイス。

「がーっはっはっはっは! お前マジでいい奴だな! おうよ! お前は俺の新しいダチだ!」

 ギルベルトがエイミーの肩に腕を回して豪快に笑った。エイミーも彼を真似してがーはっはっはっはっ! お前もな! と笑う。

「僕よりギルに似てない? エイミー」

「そんなかわいそうなこと言うなよ」

 エトワールがブラックな微笑でやってきてセシルたちも来る。ピエロは涙ながらにやってくる。

「あーもー良かったあ~! どうなることかとハラハラしたよ~! 顔だいじょうぶ? あー痛そ~~~。もう殴り合いなんかしてー! 心配したじゃないかあ! ピエロ涙~」

 オカン風に心配して顔が見えないように背中を向け、仮面を取って嘘ではない涙を「もうっ」とぐすんとハンカチで拭く。みんな苦笑。結構涙|脆(もろ)かったりする。

 ルイスがセシルを見つけるとあっと笑いかけた。

「セシル。さっきはセシル直伝(じきでん)のギルの殴り方講座してくれてサンキュ~」

「おう。始終腰入ってたぜ」

 と陰でタッグを組んでいた二人が明るく笑う。

「てめぇーらグルだったのかよ!」

「血生臭(ちなまぐさ)くて見てらんない。なんでホント男子ってこんなにバカなの? さっさと顔洗ってきなさい」

『オカン!』双子が爆笑。

「は? 殴るわよ」

「こっわ」と笑い交じりのルイス。つくづく女は怖いと思う。

「ていうかさっさと離れてくれないかな、彼女に」

 顔。

「こっわ!」とギルベルト。つくづく奴は腹黒だと思う。

 双子はセシルたちを見て真剣な顔付きになる。

「セシル、エトワール。お前らにもすまなかった。マジで、すみませんでした」

「ごめんなさい」

 双子は深々と頭を下げる。二人は真剣に見据えてセシルが言った。

「もう二度とするな。弱い女を傷つけるなんて以ての外だ、エイミーならもっともだ」

「もう一度したら、殺す」

 双子は誠意を込めて面を上げ、歩み、屈んでアビーにも謝った。

「怖い思いをさせてごめんな、アビー」

「ごめんね。いや……ごめんなさい」

 アビーは大きな双子にびくっと少し怯えながら俯き、小さいが、はっきりと強く言った。

「もう、エイミーを傷つけたら……許さない」

 凛と光る眼差しで双子を射抜く。

「ああ」

 誠意を心から込めて言った。ギルベルトはへらりと友好的に白い歯を光らせる。

「ずっと思ってたけど、お前、マジでかっけえよな! ぜってータダもんじゃねぇだろ~!」

 とアビーの髪をわしゃわしゃと撫で、「え?」と彼女の顔は一変して赤色に染まる。わらわらと他の子も集まってきてエトワールが「僕もそう思ってた」と笑う。

「姉御~!」

 とルイスが大きく言って哄笑(こうしょう)が起きる。

「あねご……?」ちょっと綻んでいる。

「男前だしよお。ロゼリアの時とか銃バンバン撃って助けてくれたじゃん!」

 ギルベルトがあの時のアビーを真似して、乱射した後、厳(おごそ)かな顔つきで銃口を上げる身振りをし、双子を尻目で一瞥して何も言わずに去っていったのを演じると、多くの子が声を上げて笑った。アビーも勇気を絞って言い返す。

「エイミーの方が男前でしょ」

 と、男子たちが「あ~」「確かに」と笑声を弾けさせる。「顔を上げろ」と、ルイスがかっこよく真似をして、

「エイミーはエイミーだよ! 十歳! ──お前は誰だ?」

 最後はきちんと男前にピエロが身振りもそっくりに真似をすると子どもたちが爆笑する。お前は誰だ? お前は誰だ? お前は誰だ? と子どもたちにふざけて一人ずつ言い「やめろ」とセシルが笑いながら言う。

「姉御~!」と陽気な双子がシンクロしてまたまた哄笑。

「もうみんなのパパ」とアビーが言うと他の子たちが大きく共感して笑ってくれた。初めてでとても嬉しくなって下を向く。

「みんななにエイミーのマネしてるの~? バカみた~い!」

 とエイミーが指をさして笑顔で侮辱(ぶじょく)する。いやいやいやと男子が反応してまたさらに賑やかになる。そこにピエロがさっきみんなが盛り上がっている間に呼んだ赤い十字隊が来て、あ! と反応すると「お前は誰だ?」とここでもピエロがエイミーの真似をして皆が笑い、「救急隊です」と冷静に返される。双子がその場で治療される。

「そういや、眼鏡は?」

 ギルベルトの言葉にみんなが見渡し、マルクスは少し遠くのスツールで仏のように瞑想していた。十分くらい続いている。「悟り開いてるううううう!」「すげええええ!」

 ピエロがマルクスを抱きしめに行き、双子が治療を受け、残った子どもたちがエイミーを中心に会話する。

「エイミーは本当に優しいね。ますます好きになったよ」

「別に殴ってもよかっただろ」

「ダメだよ! 人をいじめちゃダメなんだよ!」と、怒る。

「本当にそうだね。ますます好きになったよ」

「いちいち好きになりすぎだバナナ」

「君も同じようなもんだろう?」

「よくわかったな?」

 とばちばちと二人は黙視で火花を散らしている。仲いいな! と腰に腕を組んで豪傑笑いしている人にアビーが笑って言う。

「エイミーはモテモテだね! アビーもエイミーが大好きだよ!」

「ほんと~? エイミーもアビーがこのくらいだーーーいすき!」

 と腕をいっぱいに広げて愛を表現した。みんなが、エイミーを囲うようにして好意的に笑って見ている。そして、彼も。

 まるでみんなその子に夢中みたいに。ニコラはその輪に入らず、エトワールをじろりと見る。

 ──気に食わない。

「ベジータ様!」

 彼の腕に抱き着くように強く引っ張って、二人きりになるように輪から外れた壁のところまで連れていく。逃げないように腕に巻き付いて、上目遣いを送る。男子はこうすればすぐに喜んでなんでも言うことを聞いてくれる。

「二人きりで話しましょう?」

「大胆だね」

 今まで見た男子の中でも飛び抜けてカッコいい眼差しに胸がドキンと跳ね上がる。目が合っただけでこんなにも嬉しい。まさに宝石のような人。もっと欲しいと思わせる。ニコラは目をきらきらして、恋心がさらに可憐にさせて彼女が笑う。

「ええ、だってあたし、あなたを一目見たときから好きだもの。もっとあなたと話した」

「イタイよ」

 言い終えるよりも先に言葉を遮(さえぎ)られる。彼は笑顔だ。急いでスキンシップをやめる。

「あらごめんなさい! 少し強かった」

「違う。君がイタイんだ」

「……え?」

 思わぬ言葉に、一回目を瞬き、彼を見つめる。ゾッとするほど真顔だ。

「そうして男に媚(こ)びれば、なんでも手に入るとでも思ってるの? そもそもそのベジータって何? 僕にはちゃんとエトワールという名前がある。僕は君の野菜じゃないし、王子様でもない。あのさ、君は俺の何を見てるの?」

 冷たい──見下ろす目はゴミを見るようで、見る者の胸まで冷たくした。

「君の魂は僕の魂より下等だね。君が俺をベジータと呼ぶように、俺もミジンコと心の中で呼んでいたよ」

「は……?」

 誰。この人は本当にエトワールなの? さっきまでの白い彼は紛れもない真実の彼だった。これが演技だとも彼女は思えない。これも、彼の本当の顔なのだ。そう思った時、彼の得体の知れなさがひどく不気味に思えた。

 氷結している彼女に対して、白く翻り、おっとりと笑む。

「適地適作がいいんじゃない? 君と同レベルの男がたくさん穫れる畑にでも行って──ゴマでも擂(す)ってろよ」

 最後は真黒く、彼は心底凍てつくような軽蔑をして、彼女に背いた。ニコラは独りにされ、俯いている。

 ……何よ。

「何よあいつううう! めっちゃムカつくうううう! めっちゃ腹黒じゃない! しかもあいつ! このあたしにミジンコって言ったわ! ちょっと眼球腐ってんじゃない?」

 なんであんな奴に恋していたのかしらとぼやきながら、ズカズカとグループに戻っているエトワールの元へ返り咲き、威勢よく指をさす。

「ちょっと! そこの生意気な金髪!」

「なに? ニコラ、相変わらず元気だね」

 今はホワイトな微笑だ。

「ベジータって言ったこと訂正するわ! イケメンだけど中身が単刀直入にマジで無理! あんたなんかベジータにふさわしくないわ! 私のベジータ様はあんたみたいに性格ブスじゃないもの! フンったら! まあ特別にだけど、顔に免じて許してあげる」

「うん、僕も謝るよ。嘘はついてないけどね」

「あんたの性格は分かったわよこの腹黒悪魔! 逆に諦めて清々せいせいした! 恋は諦めた代わりに、あんたのことは普通にエトワールって呼ぶことにする。友達なら、あんたのその性格は許せるし」

 エトワールは少し目を大きくして、内心嬉しく思い純粋に微笑んだ。

「あれ、既にともだちじゃなかった? ベジータのネーミングは褒めるに値するし、君、強烈な変人なだけに友達にならないのがもったいないくらい面白いよ。ね? みんな」

「世界観は激ヤバに値するよねー」と、腕を曲げ苦笑いのルイス。

「はぁ? この世界があまりにも退廃して腐ってるからあたしが自分の世界を創って自分らしく好きな物を着て人生自由に楽しんでんじゃない! 引きたいなら引けば? 何か文句ある?」

「いいえありません」

「俺はお前を最初見た時どこからツッコめばいいのかわからなかったよ」

 髪、目、ぜんぶと、セシルが指をさして言うなり皆が大きく共感してわっと笑った。

「お、お姉ちゃん! ニコラって呼んでも……いい?」

 シャイなアビーが勇気を振り絞って話しかける。

「まあ別にいいけど。あんたアビーだっけ?」

 ぱっとアビーの顔が輝いた。「うん!」女の子にとびきりいい友達の笑顔を向けられ、ぽっと染まってぼそりと言った。

「ま、まあ。女友達も……悪くないわね」

 同性の友達は初めてで、というか友達自体が初めてだった(男子は犬としか見ていなかったし)。

「ニコラ照れてる!」

「はあ?」

「別に? 照れてなんかないわよっ」

「別に? だってあたし、ツンデレですもの~! べっつにぃ?」

 と双子が彼女の真似をして陽気な笑いが起こる。

「あーっはっはっはっ! お前たち、仲いいなああ!」

 もうみんな口をがばりと開けて爆笑する。

「エイミーパパ」

「その貫録(かんろく)は何なのよ、バカエイミー」

 笑い過ぎて瞳の涙を拭って、ニコラが言った。

「エイミーはおバカじゃありません!」

「はいはい」

「そういやピエロたちは?」

 彼らが顔を捩じると、壁沿いの腰掛けでマルクスがまた失神し、ピエロはやらかした様子で項垂(うなだ)れてズーンと落ち込んでいる。子どもたちは大爆笑である。

「あぁぁ、目がぁあぁあ、目がぁ~~~ああああああああああ~」

 冷やかしにどっと盛り上がる。そこでぱっちりと目が覚醒し起き上がり、笑いの渦が自分に向いていることにすぐに気づく。眼鏡を賢そうに押し上げ、軽蔑たっぷりの嘲笑で彼らを見下す。

「ハハ、また失神しかけたよ。君たちのアホ面にね。アホ面が七つもあればその分ダメージは大きいしな」

 カチンとほとんどの子どもたちが顔を歪める。

「あぁ? テメェ喧嘩売ってんのか? 自分がちょっと頭いいからってイキってんじゃねぇよ!」

 マルクスが測定器を止める仕草(しぐさ)をする。幼い頃観たピエロのマネだ。

「IQ四と言ったところか。そこの飼い主。ペットの躾がなってないぞ」

「ギルはペットじゃねぇよ! お前まだ目ん玉瞼にあるんじゃねぇの?」

「番い同士、見てくれは対極(たいきょく)を成(な)すが、知能の醜さは瓜(うり)二(ふた)つだ」

 感情的な双子に対し理性的な弁舌で返し、「ふざけんな!」と双子が怒鳴る。

「そんなんだから友達一人もいねぇんだろ!」

「それで結構だ。僕も僕より頭の悪い連中に迎合(げいごう)して人間の格を下げたくはないからね。馴(な)れ合いという個の削り合い。最も位の高い個(ぼく)の力が伸びないだろう? 分かり合える○は一つもない。バベルの塔は、思い上がりで建つ空想上の楼閣(ろうかく)のことだ。君たちの遊戯に、ぴったりな言葉だとは思わないか?」

 皆、呆然と彼というクズを見ている。エイミーがなんとか言おうと口を開くがエトワールの暗黒の声に潰される。

「……君だって動物に値するんじゃないか? 孤独を貫く動物もいるからね」

 マルクスが愛嬌(あいきょう)を込めてニッコリする。

「君はまだ救いようのある飼育員だ。だが、腹の中を掃除し忘れてるぞ」

 端正な顔が怒りに歪む。

「そんな言い方はねぇだろ」

「君は普通過ぎて一笑に付(ふ)すのがちょうどいい」

 セシルはクズさ加減に呆然とする。

「うっざ! こんな腐った奴を見るのは初めてだわ」

「君はもう死んでいる」

 ニコラはセシルと同じ顔をした。

「マルクスもエイミーたちも、人間の仲間同士だよ! だから、仲良くしよう?」

「悪いが動物の言葉は分からないんだ」

「……ひどいよ」

「ん? 蚊が鳴いているのかな」

 互いに悪口を飛ばし合い、エイミーが明るく努めても利口に切り返され、険悪な空気はエスカレートしていく。ピエロは何も言わない。おもしろいからだ。

「独りが……好きな人なんていないよ。強がっても、結局寂しくて、人間が恋しいよ」

 アビーが俯いて、おどおどと彼に諭す。だが彼は鼻で笑う。

「そうか? 僕は君と違って欠片も寂しくないけどな。まあ父さんは恋しいと思うよ。ん? 何だ君たち、笑わないのか? リーダーを見倣って、馬鹿みたいに笑えよ」

「テメェ……傲慢なのも大概(たいがい)にしとけよ……」

 ギルベルトは憤怒を煮え滾らせている。マルクスはにこやかに嗤った。

「最近のゴリラは喋るんだな」

 プチン、とギルベルトの何かが切れ、地面を蹴り立て、マルクスが身を固くする。しかし、急いでエイミーがギルベルトの前に立ちはだかり、ギルベルトが慌てて急停止する。「ギルベルト……」凛とした顔で言った。

「マルクスは、ともだちだよ」

 かっと目を剥き、彼女と見つめ合いしばらく硬直する。他の子も同様だった。彼の瞳が元の大きさに戻ると、舌を打って、首にやりかねた手を添えながら後ずさる。

 ゆるやかに、六人が良心を取り戻し、そこでぱん、とピエロが手を叩いた。

「──はい、おしまい」

 一斉に子どもたちが存在すら忘れていた彼を見る。ピエロはいつものように道化て空気を盛り上げ、子どもたちを元の輝きに戻した。

「仲良くはしなくとも、悪口は言っちゃダメだよ?」

「はい! 解かりましたピエロ君!」

「差あああああああ!」

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