第1章

日曜日──学校がないというパラダイス。ネトゲにBBQ、楽しみ方は千差万別。まさに背中に翼が生えたようにかるい、キャッキャウフフのハッピーデー。


──なんて、どこの誰が考えた、ファンタジーの世界だろうか?


「神よ、僕に翼をください」

 アメリカ、机に伏せた男の子が死んだ目で祈り、

「絶望」「退屈」

「無になるしかない」

「死にそう」

「うおええええ……た、た、退屈すぎてゲロが……」

 男子高校生は口を押さえ、なんという悲劇だ……その日を過ごす全世界の学生、若者たちが、この退屈極まりない世界に絶望している!

 それもそのはず。ゲーム、遊園地、スポーツ観戦、そんなものは地上に存在しない。娯楽(ごらく)、遊びは許されない。それがド真面目なこの世のルール。

 何もその日だけではないが(年がら年中だが)、これでも世界は劇的に進歩した方だ。そもそもおかしなことに──

この世界のほとんどの人間は、生まれつき、「楽しい」という感情を持っていなかった。

 愛や喜びを感じればもちろん笑う。ただ、ウキウキしたり、お笑いという概念がないため可笑しさに笑うことはない。爆笑するギャルなどイエティのような伝説の生物のことだろうか。デートでさえ英語の教科書のような会話をして淡々と行われる。楽しい心がなければ当然娯楽もなく勉強と労働ばかりで、人々は暗く、このつまらないをつまらないとも思わないつまらない世界を、日常だと思っていた。

 奴らが、来るまでは──。

 突然、この世に楽しみを知る頭のネジのイカれた奴らが現れた。シルエットで分かる珍奇(ちんき)な姿。科学も個性も超越し、常識も、世界をもぶち壊した。彼らの魂は瞬く間に伝染し、世界は真っ二つに分かれた。

「楽しみを受け入れた」柔軟な若者と、「楽しみを受け入れられない」かちんこちんの大人。

新しい感情を軽蔑、遊びを禁止され、休日でさえ勉強漬けの毎日。歓談しても注意され、もっと羽目を外せば捕まる。今や彼らのいない日は地獄のように退屈だった。

少年は俯き、少女は涙を流す。待ち望む。希(こいねが)う。自由の空に、彼らに癒しを──そして、楽しみを……。


 ──助けて、ピエロ……。

 

まるで祈りが届くように、それは突然のことだった。

地球を会場に、レーザービームが青空に踊り交う。目が覚めるほど大音量なアコーディオンの音色、サーカスのマーチが、世界に響き渡る。

 一か月に多くて四度。彼らは突然にやってくる。


サラリーマンが取引先との電話をやめ、空を見上げる。

「来た…………」

地球の三分の一を占める、雲上に浮遊する空の大国──地上を見下ろすラッパから、華麗な青年の声がとどろく。


「地獄にお住まいの、全世界のみなさア~ん?」


圧倒的なカリスマと華──少女たちも憧れる、王子様だった。

「あれ、音声入ってる? ちょっと失礼──〝オ〝エエエエエエエエエエエエエエエエエ! か〝ァーーーーっ! ぺっ、クチャ、おっけー」

痰(たん)に悶(もだ)えるおっさんが天空から胃液ごと吐きだすようなゲロマイクテストが世界に響き(二十代)──決め台詞を放つ。


「ねぇ、もしかしてヒマ? 『おもピロ』と、あそぼうよ~!」

 

『おもピロ』

それは、面白い奴と奴をかけ合わせた言葉。

一方は「モンスター」であり、一方は「人間」であり、

片や「おもちゃ」であり、片や「ピエロ」であり、

彼らは道化師(どうけし)。可笑(おか)しな見た目や言動で、人々を楽しませる者。

 彼らはひとつ。おもちゃとピエロ。そう、略して──

『おもピロ』


 一拍の間があり、


「アアアアアアアアアアアアアアアアア!」

例の男の子は発狂、図書館にいる女の子もムンクのポーズで絶叫し、

「Oh(オー) my(マイ) GOOOOOOOOSH(ガーーーーーーシュ)!」

 黒人男性ビリーは凄まじい顔芸で泣き叫ぶ。ある家ではさっとテキストを閉じて、イケメン眼鏡が颯爽(さっそう)と椅子から立ち上がった。身をひるがえし、シャープな眼鏡を押し上げる。

「行きましょう」

彼を先頭に、東大生集団が最強のアベン○ャーズのように、V字で既に立ち並んでいる。

渋谷、ニューヨークでも「自由だー!」と若者たちが交差点に殺到(さっとう)し、また子どもたちが教室を飛び出してグラウンドで熱狂する。

地上のしょぼい電波など乗っ取り、家庭内テレビ、報道機関のモニター群、大型ビジョンといいありとあらゆる画面が、国によるテレビチャンネルに強制的に切り替えられる。ビジネスPCのキーを押せば、リモコンみたいにコマーシャルを変えられる。

「な……な……なんじゃこりゃああああああああ!」


「高速フライモード──アディション!」

女性音声、SF的な出動空間が光る。通常は浮遊できない人形(ドール)でも一時的に空中飛行が可能になり、「ヤッフォー!」とモンスターたちの全身がレベルアップしたように光って、無数の出口から大空へほとばしる。

「エンゼルきたああああああ!」

街の若者は歓喜を弾けさせ、

「ウイルスきたああああああ!」

大人たちは青ざめて絶叫。若人(わこうど)を発狂させる病原体としてウイルス呼ばわりしている。喝采に耳を塞ぎ、若者を叱るスーツの人たちもいるが全く届いていない。特に彼らが遊びに来る日は、この言葉が地球の流行語になる。

『勉強しなさああああああああい!』

 

──くるりんとブーツのつま先は折れ曲がり、百八十五センチもの抜群のスタイル。シルクハット、道化(ジェスター)帽、王冠をかけ合わせた帽子を冠(かむ)り、洒落た金の模様の仮面、燕尾服(えんびふく)をすてきに纏った伊達者(だてしゃ)──

彼の名はピエロ・ペドロニーノ。紳士で道化師。世界で知らない者はいない。

上品で、時に下品。エレガンスでユーモラス。魅力たっぷりな変わり者。

何事にも動じない余裕の精神。態度、生き様、言葉遣い、スタイル、世間や人がなんと言おうと徹底的に洒落にこだわり、バイセクシャルが故に、男にも女にも親切心を忘れないのが彼の紳士道であり、美学。

彼は今、一本の綱を悠々と渡っている。その下は五十メートルもの距離を隔(へだ)てて、造花の赤いバラが一面に乱れ咲いている。遠くから見ると、右上の一角がぺろんと捲(めく)れた、満月の夜を背景一面に、小人の彼が右から左に綱渡りしている。至るところに小型カメラが浮いていて、彼曰(いわ)く『風流な庭』らしいこの変態ワールドを世界に中継し、それを観ているディレクターと電話中だ。

「ピエロさん……落ちないでくださいよ」

「あーだいじょぶだいじょぶ、落ちない体質だから」

「天然ドジっ子なんでしょ!? 何ですか落ちない体質って! あなたが天才で超絶バカなのはよく分かっていますが、日常中継をお願いしたはずなのにどうして生死の綱渡りを始めるんですか!? 寿命が縮みそうなんですけど!? ただのホラー映画になってるんですけど!?」

「はあぁぁぁぁ!? 今天才つった?」

「いいとこだけ聞いてんじゃねぇよポジティブクソ野郎!」

「もうっ……」乙女みたいに赤い仮面を隠す。

「『ポジティブクソ野郎』にときめいてやがるよ! ほんとポジティブだな!」

「……ぽっ」

「『ぽっ』じゃねぇ!もう、絶対に落ちないでくださいよ!?」

 ピエロはいい男っぽく笑う。

「君のダンディズムは滑稽(こっけい)だな? なに、たかが綱一本で、このピエロ・ペドロニーノが、落ちるわけが」

片足がツルッとしかも中央で滑った。

「いんっ」

一気に全身が崩れ落ちて、ディレクターとスタッフ一同は絶叫を上げた。上下反転してバラ園へ落下していく。死ぬ──ピエロが死の淵(ふち)へと投げ落とされる! しかし一閃(いっせん)──杖の先端を綱に引っかけ、俄然(がぜん)ギリギリで落下を食い止めた。端末は奈落(ならく)の底に落ちて、豪快に破砕(はさい)する。

「……………」

反動でゆらゆらと揺れて、落ちないように帽子を押さえ、彼方のバラ地獄を見下ろす。別室のスタッフたちは胸をなでおろし、ディレクターは腰を抜かした。絶体絶命の状況……さすがのピエロも、人間であるからには恐怖するに違いない──

「ハアァ~~イ」

 スタッフ一同の目がマジで飛び出る。

 ──『死』にあいさつしたあああああああああ!

絶体絶命の窮地(きゅうち)でさえ楽しむかのように、実に気色悪い声で笑い続け、笑いの波がはたと止まると、言った。

「楽しくなってきた」

 そして、先ほどまで怯えていた、モンスターの口も、似た者同士な笑みを象(かたど)る。

「ワクワクしてきた。僕たちも道化、心に従う。音響、オープニングを始めろ──幕を開けよう」

シナリオを破り、全国放送の中継映像に、ワクワクするようなオープニング曲のイントロが流れだす。

 仮面の顔は、素顔の動きに合わせて自然に動く。

 鍔(つば)を目深(まぶか)に深め、裂けるような口が、動く。


「──さて。悠揚(ゆうよう)に急ごうかァ」


余裕に口笛を吹きながら、グッと助走をつけて三時の位置まで後退し、笑いのシャウトを上げる。

「ルゥゥゥウウウウウウ! アッヒャヒャヒャヒャアアアアアアアアアアアア!」

加速するまま前進し、ぐるりとド派手に踊り上がった──。

サッと綱に着地したその瞬間、踊りだしたくなるようなポップな洋楽が中継に流れる。セクシーな腰つきで、制御不能にガタつきガタつき、月に帽子を傾け、キュートにまたダンディにキレキレのダンスを落ちれば死ぬ一本の綱のど真ん中で踊る。

月の下でムーンウォークをすれば、キ、キ、キ、と靴底からネジを巻く音がして、止まった瞬間、プルバックカーのように前方を馳(は)せ廊下に出る。

だが絶壁が彼に迫る! スピードは止まらない! 帽子を目深に押さえて、ニヤリ──ピストルを取りだし、上に向けて引き金を引くと、グー型の銃口からパンダグラフ型アームが弾丸のごとく伸び上がる。先端のマジックハンドが角(かど)を掴んで、アームが一気に縮むと華麗に着地した。

ファンシーポップな通路に入り、壁の中に潜むラブリーマシンがその目をぎらつかせ、勢いよく壁から飛び出して激しく追ってくる。逃亡し、鋭い牙を右、左と踊るように避(よ)け、運悪く深い穴に落ちる。地面から数メートルすんで、着地する矢先に帽子の頭や靴底からバネがびよーんと伸びて、着地の弾みで宙を全身で舞い舞う。

通路を抜けて、時計の中のような広大な歯車機構に紛(まぎ)れ込んだ。歯車一つ取っても家のように大きい。体操選手を早送りしたようにギアの合間を縫い踊り、出口に繋ぐポールを掴みあれよと滑降(かっこう)して、エレベーターよりも早く城から出る。

 城下街(じょうかまち)の往来に踊り出ると、群衆のモンスターたちが歓喜の悲鳴を上げた。

近未来的でキュートでカラフル、何から何までオモチャでつくられた大都市の街並みには、あちこちのデジタルサイネージに様々なポージングのピエロの姿が見られ、オープニング曲が大音量で流れている。

 電柱のスイッチを押すと、都会を一個のオモチャとして操作するシステムが可憐に反応した。一区はミュージカルステージへと切り替わり、歌声であればキャッチしてライブみたいに響き渡るようになる。

 ピエロは美しい歌声を響かせ、ビスクドール令嬢、手を繋ぐエンゼルとデビル、すれ違う者たちに帽子を傾けて会釈(えしゃく)する。ある者は帽子を取って、頭からぽんと花が咲くギミックでお返し。ノリのいい彼らは愉快に歌声を重ねる。

中継ミュージカルは全国規模に流れ伝染して、衝突した方が楽しいピンボール交差点、ゴシックな人形たちが住まうダークドールの館、地方の者まで全国民が陽気に踊って歌っている。誰かが歌えば他の誰かが歌い出す。常に楽しみを魂レベルに享受(きょうじゅ)する彼らにとって、ミュージカルなど日常(にちじょう)茶飯事(さはんじ)だ。

ついには、八車線道路を走っていた者たち全員までもが参加して、ピエロをど真ん中に観る者を魅了するようなすばらしい一体感で歌い踊る。

それからピエロが行き先を隣人に告げると、トラックのアーキテクト業者も交ざって、周囲の者が即興技で高速でパーツを組み合わせる。打ち上げ式のロケットをつくり、その中に一人を突っ込んで、照準を定め勢いよく発射する。放送局の壁ブロックを爆砕(ばくさい)し、ピエロが通路に雪崩(なだ)れ込んだ。

「フー。間に合ったかな?」

ピエロは時間ギリギリにスタジオ裏に登場すると、絶対に遅刻すると思っていたスタッフたちが驚愕声を上げ、歓迎の拍手喝采を浴びせた。

奇妙な威厳を放ち、満ち溢れる風格とカリスマ性は紛れなきスター。悠々と進んで、恋、憧れ、尊敬の眼差しを浴びつつ色々と配慮を受けるが、

「水はいいよ、いちごプリンある?」

 と、糖分補給派に茶の間の笑いが起こる。

世界の若者は空と画面に爆笑喝采を上げ、大人たちはカーテンを閉めたり腕を曲げる。老若(ろうにゃく)男女(なんにょ)の嵐のようなネットのツイートや、ニュースサイトの見出しが競争し、彼をこう形容する。

「人類史上初の最も見事な変質者」「〝ただジャック・ア・気取り屋ダンディ〟襲来」「宇宙人!」「笑いのテロリスト」「喜劇王」「優雅にうんこ食ってそう」「孤高の独身の高貴なる童貞の紳士」(一部事実)「ポルノ漁師」「空に堕(お)ちた変人」「大衆は英雄に熱狂する」「救世主」

そんな称賛も反発も飽くほど浴び尽くしていて、ピエロの口がニヤリと歪む。

撮影中のカメラを見つけると、笑顔がぱっと弾けて踊るように近寄ってくる。

「皆さああああん! お元気でしたかな⁉ ごっきげんッ!──」

 ドンっとレンズに額を打って、派手に転倒した。「いった……」

 杖を突き、スタジオのセットを背に絶妙に画面を占める。

とんがりブーツを組み合い、胸に白手袋を添えたのち、おどけてお辞儀する。

「ボウ・アンド・スクレープ──私はピエロ・ペドロニーノ。紳士で道化師と呼ばれています。今クソを投げつけた方には糞を束にしてお返しします。『失礼ね! あんたのどこが紳士なのよ!』恐竜──失礼、小鳥のさえずりが聞こえてきますが、そもそも紳士で道化師という身分は、非常に上品で、下品なものです」

(黙っていれば気品も色気もあってカッコいい紳士だが)お洒落な仮面が一体どうやったらこんな壊滅的なブスになるのだろうと思うほどの顔芸を披露。ヘッドスピン中にジリリリと近くに用意された机の上の電話が鳴り出す。フリーダイヤルからランダムに選ばれた視聴者と電話する、恒例イベントだ。

「おっ、私のファンからだ! ハハ、子どもにはやけに好かれてね」

眉を八の字に苦笑して腕を曲げ、受話器を取った。

「はいもしもしみんなのお父さんピエロ・ペドロニーノだよぉ。絵本がいい? それともおままごとかなぁ?」

「……君はそんなことをして一体何が楽しいのかね。私は長年教師をやっているが、君ほど偉大な反面教師は見たことがない。若いんだし、もっと他に夢中になれることあるだろ? どうかふざけないでくれたまえ」

夢も希望もない人が出た。

ピエロは震えて、日本語まで駆使し、気持ち悪い女性の声で迫真に切り返す。

「……何よ……あなたこそ! 他の若くてかわいい女の子に夢中でっ……! 私のことなんて放ったらかしのくせに! 私なんて……もう使い捨てのボロ雑巾(ぞうきん)なんでしょ⁉ あなたこそ──ふざけないで頂戴(ちょうだい)!」

「……沙耶子(さやこ)? 沙耶子なのか⁉」

なんか反応した。

「あれは誤解なんだ信じてくれ! 私はまだお前を愛しているだあああああ!」

「お父さん! 僕お父さんのことまだ愛してるよ?」

今度は男の子の声になる。

「優(ゆう)介(すけ)? 優介もいるのか⁉」

「だめよ優。お父さんはもう他人なのよ」

今度はおませな女の子の声になる。

「由(ゆ)衣(い)⁉ そんなお父さんって。いつも茂雄(しげお)茂雄(しげお)って言ってたのにお父さんって!」

「そうよ優介。茂雄なんてもう知らないの。忘れなさい」

「やだあ! お母さんだってまだ指輪捨ててないじゃないか!」

「沙耶子……?」

「違うわよッ! あれは売ろうか捨てるか少しためらってただけ! 捨てようと思えばいつだって捨てられるわ!」

「私はもう捨てない! だから」

「赤の他人が他人に口出ししないで!」

「僕は茂雄が好きだよ! お姉ちゃんだって──」

「お願いやめて!」

「ママも!」

「ぜんぶ忘れたわ!」

「ママもお姉ちゃんも僕もみんな茂雄を──」

由衣が叫ぶ。

「もうやめてええええええええええええええ!」

 ──まさかの沈黙が舞い降りる。

「……わかってよ優」

「お姉ちゃんとママが、悲しむなら……」

「そんな優介まで? 優!」

「ごめんなさい……」

「由衣!」

「もう知らない」

「沙耶子おお!」

「どちら様?」

「そこの茂雄というジェントルマンさァァァァァァァァん?」新たに妖(あや)しい少女が加わる。

「誰だ君は⁉」

戦闘美少女ものの音楽が流れる。

「私は美少女道化師ピエロット『苺(いちご)野(の)プリン』! プリン体ごと分解(オーバーホール)よ!  分解酵素(こうそ)・シンポジウムビ~~~~~ム!」

「アアアアアアアアアアアアアアアアア! 沙耶子おおおおおおおおおおお! ……くそ、道化……風情(ふぜい)にッ……」

プー、プー、プー。悪を倒してリアルおままごと終了。ゆっくりと受話器を落とす。ピエロはカメラを無言で見つめ、急に爆笑してのたうち回る。

「ギャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャ! 君たちはなんておもピロおかぴいのだ!  だからこそ愛おしい! ギャフィライヒヒヒヒヒイイイイ~!」

床を叩いては足をバタバタとさせ、続いて高速ヘッドスピンをする。

「失礼」 

ぬっと起き上がる。

「さ・て・さ・て?」

靴を捩(よ)じり、拍子を取るように歩んで、降りてきた三日月のイスに跳んで足を折る。

身を乗り出し、耳に手を添えてピエロは質問を投げかける。

「おもピロと、遊びたい人~⁉」

公報、ラジオ諸々から中でも外でもその声は地球という会場にガンガン響き渡っており、殊(こと)に億の若者たちがはーーーーーい! と元気もりもりな返事をする。

「おもちゃの国に、行きたい人~⁉」

はああああああい! 億の発狂が返ってくる。ピエロは大笑いしながら拍手し、宙返りで飛び降りて人差し指をおっ立てる。

「それではみんなぁ⁉ 〝かくれんぼ〟を開始するぞ! ルールはもうわかるね? 一時間以内にトイを見つけだすこと! 食玩、中にはゴールデンチケットという超レアな切符(きっぷ)を隠し持ってるから、見事手にしたら国から迎えがやって来るぞ! 準備はいいか⁉ プレイヤー!」

 遊戯は開始音と共にスタートを切った。青少年が歓声を上げ、退屈から喜びに昇華(しょうか)した鳥のように笑顔で地面を蹴りだす。ピエロは大好物のいちごプリンを召しながら、同胞(どうほう)たちの紹介だ。

「今子どもたちと遊んでいる謎の生物は、私の友でありファミリー、道化のモンスター『クラウン・トイ』。数は五億以上、妖精、サイボーグ、ドラゴン──デザインは無限大にあり、ギミック、話術で人を笑顔にするクラウン、愛らしい見た目で癒しを与えるトイ、総称して『クラウン・トイ』。さまざまな笑顔を届ける、私と同じ道化師です。別に人間に見つかっても死んだフリはしません。愛称として『おもちゃ』とも呼ばれています」

三日月からソファに替わり、ピエロを真ん中にずらりとおもちゃたちが家庭的に寛(くつろ)いで、地上の光景を映すテレビを逆に視聴している。

「で、まあ私が道化の国でいうところの、道化の王です」

と、顔芸しながら言う王子に、「自分で言うなよ」とおもちゃたちが呆れて異口同音(いくどうおん)。

制限時間が刻一刻と迫る中、ゴールデンチケットを引く八人の少年少女が続々と現れる。

──赤髪の村娘エイミー。

へんぴな田舎にある森の中。カチューシャみたいに三角巾をかわいらしく頭に乗っけ、エプロンワンピースを着た元気いっぱいな女の子は、茂(しげ)みから覗くおもちゃの頭を見つけると、無邪気に敬礼のポーズをした。

「あ! エイミー! おもちゃを発見しました!」

彼女の三分の一サイズ、覆面(ふくめん)姿のマジシャンが陽気に前に現れる。

「やぁやぁ! かわいいお嬢さ」

「お前は誰だ?」

「お、おおお、お前⁉」

「お前『お前』って言うの? 変な名前! エイミーはエイミーっていうんだ! お前!」

「う、うん……変な子だな……僕を見つけてくれた君にプレゼントを授(さず)けよう!」

帽子の穴からクラッカーみたいにバネが飛び出してきて、びよんびよんとマジックハンドが金の切符を名刺みたいに差し出す。

「ゴールデンチケットだよ!」

エイミーはよく分かっていない間抜けな顔で受け取り、これはあの有名なそれじゃないかと類(たぐい)まれなる思考回路で理解して、しみじみと素直な感嘆(かんたん)をこぼした。

「わあ~……これが、『おもちゃの国』……!」

「え…………? バカなの……?」

「おもちゃの国、ゲットだぜ~!」

「バカだよ~、これはバカだよ~」

天高く切符を掲(かか)げ、ジャンプして空と乾杯だ。切符をおもちゃの国だと思い込んで。

人生歴十年目にして、彼女は二人称を『お前』しか知らない──。

──至って普通の少年セシル。

見た目も成績も中身も人並み、平凡な日常を送る小学五年生のセシルが、なんとゴールデンチケットを手に入れた。宝くじの一等に値するレアな確率である。

「おっ、ラッキ~」

ガムの当たりと同感覚だった。

 ──秀才(しゅうさい)の白目マルクス。

立派な庭園の中で、少年は賢そうに眼鏡を押し上げる。

「勘違いしては困る、僕は君に会いたくてきた訳ではない、僕の家の敷地内で不法侵入者がいたから仕方なく偵察(ていさつ)に来ただけだ、第一優等生の僕は忙し──」五十秒経過。「君に交渉するためにきたんだ」

「要するに?」

「お菓子をください」

ちょっとほっぺを赤らめてもじもじとそれを受け取る。ミッションコンプリート。

最愛なる父の叱咤(しった)の叫びに背いて一心不乱に走り、おもちゃの尻尾を見つけた途端神に跪(ひざまず)きたい衝動に駆られ、この菓子を涙と噛み締めて頂くとしよう……おもちゃを決して離さぬよう神(ピエロ)に感謝して。

「まったく興(きょう)が醒(さ)める。どこの野良猫だと思ったらおもちゃだったのか。罰として僕の玩具(おもちゃ)に」

ふいに下を向いたとき、まばゆいばかりの黄金がマルクスの眼鏡を穿(うが)った。爆弾を手にしたかのように指先がぷるぷると震えはじめる。

「夢が、叶っ……」

マルクスはゆっくりと白目になり、そして勢いよく後ろの方に卒倒(そっとう)した。「坊やあああああああ!」

感情が高ぶると、白目が覚醒してしまう特殊体質である。

──双子の少年ルイとギル。

『きゃあああ! 誰か助けて!』

小さな双子の少女人形ルリリとマリリが、互いの手を合わせて悲鳴を上げている。空き地で砂(すな)埃(ぼこり)をまき散らして、男の子たちが彼女たちを賭(か)けてケンカしていた。

『なーにやってんの?』

その調和した声を耳にした途端、乱闘はぱたりと中断した。

「あ、あれは……!」

男子一同が視線を束ねるは、溢れ出るイケイケオーラが憎たらしい凸凹(でこぼこ)コンビ。メッシュの髪をアップバングにしたイケメンデブと、目元を覆った、刈り上げマッシュのモデル体型。

「ワカメ踊りで敵を翻弄(ほんろう)させる、ルイス!」

「異次元の怪力を持つゴリラ、ギルベルト!」

明らかに前者はおかしいが。「まるで正反対な」

『全然似てねえ双子おおおおおお!』

「楽しいことやってくれてんじゃん?」 と、ルイスが足を踏み鳴らす。

「俺たちも仲間にいれろよ」と、ギルベルトが拳を折る。

双子は悪い笑みを浮かべた。

『アソぼうぜ?』

問答無用で矢のように二人が飛び掛かる。

「オラオラオラオラオラオラァ!」

ルイスは奇声を上げて頭上に両手を合わせ、腰を高速くねくねしてワカメダンスを舞い踊る。

『きめええええええええええ!』

敵の集中を散漫(さんまん)にさせてギルベルトの鉄拳(てっけん)で一気にボコボコなぎ倒す。奇行(きこう)と奇襲(きしゅう)の奇跡(きせき)のハーモニー、双子の見事な連携プレイで圧勝する。

二人並んで指を同時にさす。

「俺たちに勝とうなんざ百億万年」綺麗にハモる。「お早いのよ~ん!」

一緒に爆笑し拳を仲良く突き合っていると、ずっと息を吞(の)んで傍観(ぼうかん)していたルリリとマリリがおずおずと話しかける。

「だ、だいじょうぶ?」

「助けてくれてありがとう」

双子は目を丸くして同時に指をさした。

『おもちゃじゃん!』

「これ。お礼といったらアレだけど」

おー菓子か? しかしゴールデンチケットを渡されたときには顎(あご)がすとんと地面に落ちていった。ロボットみたいに顔と顔を合わせ、「フォォォォォォォォォォ!」とパリピに発狂する。

──ベジタリアンお嬢様ニコラ。

野菜をモチーフにした華麗なワンピース、美しい新緑の髪をドリルツインテールにしたニコラが、豪邸のビニールハウスの間でフォークの棍棒(こんぼう)を地面に二度突いた。

「収穫の時は来た!」

彼女に忠誠を誓う、大勢の召使いたちは跪く。『イエス! パプリカ!』

「さぁ『ビタミンD』! 例のものを頂ける?」

学芸会でしか巻かないような野菜のお面を頭に巻いた召使いDは、ニコラの御前で膝を突き、白い皿を献上(けんじょう)した。きらきらと輝くゴールデンチケットが乗っかっている。まあ! ベジタブル(すばらしい)! と最高の笑顔を見せてそれをもぎ取る。

「大の大人が総がかりで必死の形相(ぎょうそう)で子どもたちと入り乱れ、東奔西走(とうほんせいそう)おもちゃを探し回る苦行が実り収穫した一品です」

チケット収穫大作戦首謀者の親バカ夫婦が、応援グッズを持ってニコラにがんばったよ~! とにこにこと手を振っている。ニコラは大喜びだ。

「よくやってくれたわ! 『セレン』も『βカロテン』も、『鉄』もパパもママも!」

『パプリカ様のお褒めに与(あずか)り光栄です』

「ククク……あの国を耕しに行こうじゃない」

陰謀(いんぼう)を企(たくら)んでいるような不気味な笑みを漏(も)らし、女王が高笑いをする。

「ベェェェエエエエエエエエジタリアンアンアン!」

フォークを前に突き刺し、己の使命を豪語(ごうご)する。

「私はパプリカの女王! この腐った世界を、新鮮界へ耕してくれるわ!」

 言わずもがな、中二病である。

──天使の悪魔エトワール。

そよ風が、儚(はかな)く美しい金髪をもてあそぶ。川沿いの土手に座り込み、機嫌がいいのか鼻歌を歌っている。指笛を吹くと小鳥が遠くから飛んできて、指に止まった。

天使みたいな純粋な心を持ち、彼は自然や動物がとても好きだった。が、盛りのついたトイプードルのようなきゃぴきゃぴ声を聞くと、小鳥がばさりと飛び去ってしまった。女子の集団だ。超カッコよくない? ねぇ話しかけてよ! 

「………………」

小学五年生とは思えないアンニュイな儚さと、魔性の色気したたる透明な美少年で、ミステリアス。僕と俺の一人称も定まらず、おっとりとして何を考えているのか分からない。微笑を絶やすことはない。

──だが。美しい薔薇には棘がある。

エトワールは立ち上がる。動物と戯れる幸福な、夢見心地だった世界に最も嫌いな蟲(むし)が入った。

僕は、雌(きみ)たちがこう見える──。面食いの雌どもに向かって、おっとりと笑いかけた。

「単細胞(ミジンコ)」

それは、多細胞生物だ。

──孤独の童女アビー。

絵本に出てくるような、愛らしいメルヘンな恰好をした幼い女の子が、ぽろぽろとすすり泣いて、誰もいない道路に寂しく歩いている。

 パパとママとケンカして、せっかく切符をもらったのに……アビー、すごくシャイだから逃げてきちゃった……ほんとアビーって最悪……泣き虫で陰キャだし、こんな格好が趣味だし、しょうがなく眼帯なんか付けてるし……どうせおもちゃの国でも友達なんてできない、ぼっちになるんだ。

でも……あの人に会えるだなんて、本当に夢みたい。死ぬほどドキドキする。

卑屈で陰気に、七歳とは思えないほど達観した、大きな涙目を上向(うわむ)ける。

「空、きれい」


道化の活躍によって、悲劇の世界は百八十度ひっくり返る! 

シティの少年少女はモンスターたちととち狂い、歌って踊って爆笑し、いつも威張り腐っていた大人たちは子犬のようにただ吠え散らす主客(しゅかく)転倒(てんとう)。地上の隅々まで繰り広げられるこの最高にカオスでとんだ大喜劇(コメディ)に、ピエロ一家は笑い転げ、バネや頭がぶっ飛んで一斉にギミックをぶっ放す。

 エイミーは「お前」と踊り、双子やニコラは狂喜して、白目の異常事態と哀れな涙目、エトワールは舌打ちして青ざめる少女たちを横切り、セシルはあくびする。

運命に選ばれた少年少女。そして、白と黒のゲーム。ピエロはワクワクが止まらない。無邪気と狂気を強烈に刺激して、顔の半分までニタリと哂(わら)う。

そして、プーーーーっと終わりの合図の音が空からとどろいた。

「それではまたお会いしましょう! バイバ~イ! また来襲~」

 と、ピエロたちが笑顔で手を振ると、全画面は一斉にカラーバーへと化した。

行かないで、つれていって、そんな声ばかり響いて、また会えると笑い、彼らは空に行ってしまう。世界とおもピロは別れた。大人は安堵(あんど)し、少年少女は落胆する。

家に戻る。机に向かう。鉛筆を持つ。固まる。うずくまる。空を見る。

子を叱る。仕事する。たわいもない話をする。よそいきの笑みを浮かべる。

その片隅に、仲間外れみたいに希望に満つ子が笑って。


ポッポー!


おかしな汽笛(きてき)が空からからきこえてくる。

虹に乗るように七色の線路を架け走り、カラフルな汽車が彼らを迎えにやってくる。

開けた大地に停止して、息吹をどっしりと吐く。全車両の扉がタクシーみたいに一斉に開いた。先頭車両から車掌帽を被った黒猫が流し見る。

「よぉかわい子ちゃん。乗ってくかい?」

「猫ちゃんだ!」

エイミーは黒猫を見るなりぎゅっと抱き着いた。「ニャ!」手放すのが惜しくなる毛並みの感触。

「お前生きてるの?」

「生きてるから喋ってんニャん。肉声だぞ」

「え、肉製⁉」

「すごいだろ」

「すごーい! どこにいくの?」

「おもちゃの国ゆきに決まってるニャんか」

エイミーはきょとんとした。「おもちゃの国ってこれじゃないの?」

ゴールデンチケットを翳(かざ)した。

ジェットコースターみたいな造りの号車が数十ある中、黒猫の後ろの二号車に乗った。「頭、気ィつけニャ」レバーが下りてきてパパにハグされたみたいに窮屈になった。「友だちになりたいんだ!」類まれなる思考回路で理解し、その子と手を繋いでランラン変な歌をうたいだす。

全扉が閉まりロックがかかる。

「施錠確認! 前方後方問題ナシ! 頭に問題アリ! ド天然一匹連れて、出発進行!」

ポッポー! 笑うような汽笛が鳴る。口の端をニっと吊り上げる。

「気ィ、落とすニャ?」

ものすごい衝撃がエイミーの身を貫いた。赤毛がちぎれんばかりのスピードで汽車が走る。地上が遠のいていって歓声が上がる。

ヘリコプターが着陸するように暴風を巻いて、どこにでもあるような住宅街に着いた。

「俺っちは佐川ヤマト。よろしくニャ」

「よろ。サインはいらないの?」

「ハグがほしいニャ」おもちゃはハグが大好きだ。

土管のある空き地に着いた。

「よお俺っちはヤマト。急便で運搬するぜ」

「大丈夫~? この荷物重いわよ~」

ルイスが隣の人の肩を抱いて言った。

「ルイテメェ死にてぇのか?」

「よぉ野菜」

「ハァ~イ、女王よ」

「急便でーす。よぉ白目、白目⁉」

子どもたちは双子を除いて、めいめい車両に一人ずつ乗った。

「施錠確認! 行き先はおもちゃの国ィ! 前方後方問題ナシ! 全員そろって出発進行!」

子どもたちが愉快に歓声を合わせる。

「気ィ、飛ばすニャ?」

ヤマトは流し目でにやりと笑った。汽笛を奏でて汽車が翔ける。目も開けられないぶっ飛んだスピードで、ジェットコースターみたいに軌道を変えながら子どもたちを弄(もてあそ)んでくる。

ヤマトは鼻息をのんきに歌い、ルイスは女の子みたいな悲鳴を上げて、アビーは無、マルクスは白目、他の子たちは絶叫を上げてとても楽しんでいる。ドラゴンみたいに天空を直行し、雲を割いて突き破る。

傾度が変わり、今度は雲海と水平になってゆるやかに進む。子どもたちの声がはたと消え──


息を、吞んだ。


ヤマトは言った。

「気ィ、飛ばすニャ?」


そこには、想像の何億倍も超えるスケールでもって、超現実的に浮遊している国の姿があった。

眼前に果てしなく広がるのは、空中未来都市。豪華な極彩色(ごくさいしき)に溢れ、キュートな摩天楼(まてんろう)と夢のような建物で溢れ返り、娯楽の聖地エンタと言われている。

そして中央に国のシンボルの、タマネギ頭が特徴的なピエロキャッスルが一際圧倒的にそびえ立っている。その巨大な首都の縁(ふち)から八方に個性豊かなブリッジが渡り、スチームパンク、ファンシー、SFと統一性ゼロのカオスな諸島に樹枝(じゅし)のごとく伸びて、国は一つのおもちゃのように一繋ぎになっている。雲の上には遊園地、見たことのない乗り物やおもちゃたちがあちこちに空に飛び交っている。

心躍る音楽と笑い声がずっと終わらない、一目見ただけでぱっと笑顔になれる、夢と笑いの国。

昔から近くにいるようで、遠い虹のような存在だったあの国が、今、ここにある。生きた中で一番の鳥肌が立ち、ここが夢じゃないかと錯覚し、感動と高揚(こうよう)に震える。

ポカーンと圧倒され、ある子は再び白目を向き、子どもたちはどっと歓声を上げた。

珍奇な諸島を遊覧飛行し、入国ゲートをくぐって駅に到着。ヤマトに楽屋へ案内をしてもらうことになり、パビリオンの両開きドアを開けて中に入った。

地面にレッドカーペット、毬(まり)を電灯にするという独創的なシャンデ毬(マリ)アなどが高い天井に吊られ、豪華な王の間のような内装と造りになっている。明るい声が響き渡った。

「この中が楽屋になる。あの方が来るまでいい子にして待ってろよ。俺っちはここまでだが、お前たちの旅はまだ始まったばかり──壊れちまうぐらい楽しめよ?」

ヤマトが子どもたちににやりと笑ってみせた。「ありがとう猫ちゃん!」エイミーがぎゅっと抱きしめた。「ニャ!」

それから他の子たちが口々に感謝を告げ、散らばった。うおおお! すげえええ! ぜんぶオモチャ! 大はしゃぎして、一人が絵画鑑賞(かんしょう)をし、一人が感極まり卒倒する。

こんなとこ初めてでワクワクが止まらない。エイミーはひとしきり駆け回ったあと、興味を転換して子どもたちに突撃する。最初目に入ったのは、白目で仰向けになっている眼鏡の少年。ぴょんとしゃがんで無邪気に顔を覗き込む。

「こんにちは!」

突然かっと開眼し、マルクスが猛然と起き上がる拍子に額と額がぶつかった。あたっ! 額を押さえながらへらりと笑った。

「エイミーはエイミーってゆうんだ! よろしく!」

は? とマルクスは目の前のエイミーに顔を歪める。彼女を観察するように見たあと、鼻で笑い立ち上がって、眼鏡を押し上げた。

「よろしく? まずは『ごめんなさい』がマナーだろう? 愚かな君に諭そう。世の中の上下関係は年齢じゃなくIQで出来ている。僕の長(た)けた洞察力で見る限り君のIQは四だな。馴れ合いの条件として二十五か条の要求を君に下──」

無限おしゃべりを最後まで聞かず、やったあ! 友達ができた! とほとんど大半を理解せず嬉しいことだけ聞いており、今度はふわふわした明るいボブの小さな女の子に突撃する。

アビーはとろんと夢心地になっている。

「こんにちは!」

突然聞こえた活発な声に目が覚める。猫みたいにびくっとした。真っ赤な髪ときらきらした無邪気な笑顔が印象的な、年上のお姉さんが前にいる。

「あ……」

意識が猛烈に泡立つ。目がぐるぐるする。あ、う、と声が喉でつっかえ、どうしようどうしようとパニックになる。おどおどと、目がうるうる潤んでいき、弾かれるように逃げた。

「あれ? まあいいや!」

くすくすと悪戯(いたずら)っぽく笑い、忍び足で亜麻(あま)色の髪の自分と同じくらいの男の子に近づいていき、ばああ! と両肩を掴んで脅かしてみた。

「うわぁっ!」

心臓が跳びはねる──普通にいいリアクションをみせて、セシルが振り返った。自分よりいくぶんか背は低く、同い年くらいに見えるが幼稚そうな赤毛が笑っている。

「なにすんだよブス!」

「はい! イタズラをしました!」

「はぁ?」

「エイミーはエイミ―っていうんだ! お前は?」

「お前⁉」

さっきよりもビビる。いや二人称もっといいのあるだろ? 目の前の赤毛は知能の欠片も感じられない、いかにもバカ丸出しという感じだ。バカのためにゆっくり丁寧に名前を言ってあげた。フルネームというおまけつきだ。

「セシル・グレイ」

だが聞いていなかった。

「『セシルプレーン』? へんな名前ー!」

「てめぇのリスニングはどうなってんだよ! お前セカンドネームって言葉知ってる? 知ってるよな⁉」

「うん!」

もちろん知らない。

「じゃあフルネームは? お前の」

「エイミーはエイミーだよ!」

「エイミー・エイミーなの?」

「ちがうよセシルプレーン! セシルプレーンってばおバカさんなんだね~」

彼女はころころと笑う。グッとこらえる。平静を保て。

「あのさ、たとえばお前が『名前は?』ってきいてきて、俺が『セシルはプレーンなんです』って言ったら、俺の名前わかると思う? 引くよね? 変だよね? それと同じ! お前猿だな。つーか猿って言葉わかんの?」

「エイミーはエイミーなんです! ヒルナンデス~!」

「ヒルナンデスは昼の番組だよ! お前の成績表〇に征服されてるだろ! いやバツだ! ぜんぶバツ!」

「パンツ? ぜんぶパンツ? セシルプレーンなに言ってるの? やっぱりおバカだよー」

「パンツなんて言ってねーよ! バツをパンツと言い間違えるバカ初めて見たわ! お前マジでパンツだな!」

ハッ、とセシルは赤面して「パンツじゃねえ! お前のせいだ!」と叫び、エイミーは爆笑した。

「セシルプレーンってばおもしろ~い!」

「お前といるとこっちまでバカになる!」

顔を真っ赤にして彼が怒った。エイミーはきゃっきゃと笑い、風と踊る妖精みたいに去っていった。「なんだよあいつ……」

角でニコラが収まり、不敵な笑みを浮かべて闇市場と交信している。

「応答せよ。こちらは作物豊穣(ほうじょう)のおもちゃの国。侵入に成功した。直(ただ)ちにプロジェクトβを執行(しっこう)する。ええ。わかってる。失敗は許されない。腐敗せし世界を必ず私、パプリカが蘇(よみがえ)らせてみせる。この国の資源を余すことなく頂くわ。収穫の時は来た。ベジタリアン万歳」交信を絶つ。「これで私の株が爆上がりよ! ベェェェエエエエエエジタリアンアンアン!」

「こんにちは!」

きゃあ! びっくりして後ろを向くと、ちょっぴり自分より背丈の低い赤毛♀がいた。「トマト!」

「なに話してたの?」

「国の存亡に関わることよ。あんたが関わる隙間(すきま)は一滴もなくて? ヘタほども教えてあーげない」

ぷいっとそっぽを向いた。ヘタになんか興味はないしとっとと避けよう。

「ベジタリア~ン」バイバイ菌と同意義。

「お前は誰だ?」

「お、お前⁉ あんた誰に向かって口きいてんのよ! 私はパプリカの女王よ!」

「俺はエイミーだ」

父になる。

「きいてないわよトマト! 頭の中が添加物(てんかぶつ)いっぱいでマズイのかしら!」

エイミーはぴょんぴょん跳ねた。

「エイミートマト大好き! 畑でいっぱい穫(と)れるんだ! お前は?」

野菜となると途端に目をきらんきらん輝かせる。

「そりゃ私も大好きよ! トマトはビタミンCとリコピンが豊富でジュースにしてみても抜群においしいのよお! ぜひみなさんも試してみてはいかが? って料理番組みたいに言わせないでちょうだい! あんたは違うから! トマトのヘタなんだから! あとお前って言うんじゃなあい!」

「名前なぁに?」

聞いていない。

「ニコラよニ・コ・ラ!」

エイミーの笑顔がもっと明るくなった。にこら、ニコラ!

「あーもうなんで教えなきゃいけないのかしら。私はパプリカでこの子はトマトのヘタよ? 実の丈が──」

「ニコラってかわいい名前!」

がぶりつくようにニコラを抱擁した。

「きゃああああ! ひっつかないでよトマト!」

変な歌をうたいだす。「ニコニコニコラはかわいいニコラー。ニコラちゃん! 元気ですか⁉」

「萎(しぼ)んでるわよ! 栄養が死んでく!」

エイミーはきゃぴきゃぴと笑いを上げる。変な子~! あんたに言われたくなああああああい!

騒ぎ合っている不意の出来事だった。ニコラの動きがはたと止まる。その目が至近距離のエイミーを通り越して、壁掛け絵画の前に佇む少年に釘付けになる。

──え、天使? 

儚く、透明。その少年の周りだけ違う空気が流れているようだ。肌も透けるように白く、自分も元はブロンドだが、自分と違って彼のゆるやかに波打つ金髪は淡く蠱惑(こわく)的で、微笑む横顔は遠目でわかるくらい美麗(びれい)だ。絵画を見つめるその姿が絵画のようで。

視線を感じたようで綺麗な月(げっ)白(ぱく)の瞳と目が合う。その瞬間、ニコラは強烈な電撃に撃たれた。

するりとエイミーを抜けて、陶然(とうぜん)と感動する笑みを浮かべながら、少年の方へ近づく。

「ベジタブル! こんなところで出逢えるなんて夢にも思ってもなかった。その甘美な微笑み、綺麗な金髪! そう! あなたは甘熟バナナのベジタブル王子。そうよあなたは!」

 目の前まで来ると、美貌をうっとりと見上げて、こう言った。

「ベジータ様……」

エトワールに違う電撃が貫く。予想とは違う言葉だったからだ。この子が面食いなのは明らかだが。

「……ベジータ?」

エトワールの厚い辞書に『ベジータ』はない。類義語で、たぶん王子ってことかな。中身はミジンコだ。だけど……緑の髪に、野菜みたいな彩りの派手な服、どう見ても普通じゃない。強烈な変人だということはわかる。

「え……ベジータ?」

「私、パプリカ……じゃなくてニコラ! あ、あんた……あなたは?」

「僕はエトワール。よろしく、ニコラ」

彼はうっとりするような笑顔を浮かべたまま、銃弾をかます。

「かわいいね」

ニコラは黄色く叫んで真っ赤になって撃沈。あははかわいい。社交(あい)辞令(さつ)なのに。

どうでもいい。絵画鑑賞に戻ろうと顔を上げた刹那(せつな)。エトワールのぼぉーっとした笑顔がすとんと落ちた。

──え、天使?

その子は女の子で、それも歳が同じくらいの子。燃える赤髪の、ただ自分をみつけて嬉しそうな、好奇心にあふれた笑顔の、ガラスのように透明な──無垢の魂だった。

 彼女の光が、彼の胸にぽっかりと空いた洞窟を、じんわりと熱く満たす。渇望した夢が叶ったように、エトワールの瞳がきらりと震えた。

血がかっと熱く滾(たぎ)り、黒く妖艶に微笑む。彼の中のどすぐろいのがようやく剥き出しになる。

見つけた──やっと。

するりとニコラを抜けて、鋭く目で捉(とら)えたまま、速足で赤髪の少女の方へ進む。

「ねえきみ──」

より近くで見るガラス玉のような瞳はひどく綺麗で、ゾクゾクする。その笑顔、狂おしい。狂おしいくらいほしい。

逃げないように勢いよく片手を壁に突き、一目惚れから瞬きさえせず、名前も知らない初恋の相手に──

「ねぇ好き。俺と付き合って」

おっとりと開口一番で告白した。

「お前は誰だ?」

全く響いてなく、エイミーパパが無邪気な笑顔で男らしく言った。

エイミーの薄い辞書に、『告白』はない。

「え?」

「は?」

 エトワールは、ハっとすごく赤くなって斜め下に俯く。

「あ、そうかいけない僕。一目惚れから衝動的に壁ドンして告白しちゃった。そりゃそうだよね、名前も知らない相手に好きだなんて言われたらおかしいか。急にごめんね。俺、エ──」

「お前は一体誰だ?」

急なそれに一瞬困惑したが吹きだす。エトワールはころころと笑う。久し振りに腹の底からよく笑い、好きな子と話すのが嬉しくて、すばらしい感動の余韻(よいん)も引いて、目に浮かんだ涙を拭(ぬぐ)う。

「ねえそれ冗談で言ってる? 君天然ですごく面白いんだね! 僕はエトワール! 十一歳、よろしくね」

ウインクして爽やかに手を差し伸べる。「うん!」ちっこくて可愛らしい手がぎゅっと握(にぎ)ってきた。ドキドキして、あったかくてしあわせだ。繋がったまま問うた。

「君は?」

「エイミーはエイミーだよ! 十歳!」ばっと両手が天井に上がった。

「え⁉ 七歳じゃないの?」

もちろん冗談。くすっと口を押さえて笑う。はなから年齢なんて見抜いている。でもこの子は不思議なくらい純心だ。十歳なんて思春期で誰もが穢(よご)れてくのに。

「あれ? エイミーいくつだっけ? 確か五年前にうまれた。いち、にー」

指で数え始めた。見抜けなかったかもしれない。膨れた顔とかみたかったのに。

懸命に指算している彼女の顔をじっくり見る。彼女の魂に惹かれたわけで面食いではないけど、エイミーはお花の妖精みたいにとてもかわいい顔をしている。自分だけがそう見えるのかもしれない。そうであってほしいけど。

突然エイミーが遅すぎる正解を張り上げた。

「あ! 十歳だ! もうひどいよエトワール! エイミーはもっと大人だよ!」

白いほっぺがまんまるに膨らんだ。

ぶっ! エトワールが鼻血が出る勢いで背を向けた。心臓がバクバクと笑ってくる。強烈な天使の残像を残して「かわいすぎる」「ヤバイ」が脳裏を埋め尽くす。口を押さえなければ凄まじい発狂が出てしまうだろう。悶絶(もんぜつ)を終了し、こほんと咳払いをしてふわりと舞い戻る。

──ドックン!

そこには、凄まじい大迫力の笑顔が間近にあった。一発でハートを食い荒らしたそれは、今度は別の肉体的な未発達なそれをそれも烈(はげ)しく刺激してしまった。

血流が沸き立つように熱くなり……まあ後は省略するが、エトワールは発情した。

覚醒してしまった少年を置いて、何も知らないままエイミーは天真爛漫(てんしんらんまん)に違うところに行ってしまう。

少し遅れて、目で追いかける。彼の顔を見たマルクスがぎょっとした。

トイレから戻ってきた双子がやかましく歓談しているところに、エイミーが男らしく割り込んだ。

「こんにちは!」

あ? ん? 声を揃えて視線が同時に投げられる。

「なんだ? このちんちくりん」

「なにさ? このおちびちゃん」

小学生にしては高く百六十センチはあり、エトワールよりも大きい。胸のところが真ん前にあって、派手だし柄も悪そうで、普通だったら近寄りがたいものがあるが、うわあおっきい! おっきいお兄さんだ! と彼女はとても内心喜んでいる。ぴょんぴょん跳ねる。

「エイミーはエイミーだよ! 十歳!」

二人して面白いほど同時に身を乗り出し、訝(いぶか)しげに値踏みするように顎に指を添え、彼女をじろじろと頭からつま先まで見る。

いかにも田舎臭いが、素材は華やかで花のように可憐な女子だ。何よりも目を引くのが、鮮やかな美しい赤髪。

合格──双子は不敵に笑った。

「これはイイんじゃないですか、ギル氏」

「うむなかなか悪くないなぁ、ルイ君」

そしてニッコリと社交的な笑みを貼って、そそくさと彼女を挟んでぴっちりとマークする。

「俺はギルベルト。仲良くしようぜ? チビ」と、でっかい腕がちいさな肩を回し、

「僕はルイス。よろしくね? おちびちゃん」と、あたかも優しいお兄さんのように屈(かが)む。

『十二──小六だよ』

と、ほぼ変声が終わった低い声で口をそろえた。

「なぁ、俺ら超ヒマでさあ」

「遊び相手になってくれない?」

胸がぱあっとなる。それは遊びのお誘いで、友達同士がすることだ。顔を輝かせてとびきりよろこんで答えた。

「うん!」

内心嗤(わら)い転げる。こいつバカだ。何するんだろう! いかにもバカで騙されやすそうな幼稚な田舎娘は、うきうきと笑っている。

双子の口が悪く歪んだ。

『アソぼうぜ?』

楽屋に短い悲鳴が上がる。きれいに編み込まれた赤毛の束が、少年たちに乱暴に引っ張られる。

「いたい! 離してよお!」

双子はこんなことは慣れたようにゲラゲラと笑っている。見たこともないくらい赤い髪にずっと興味津々だった。

見ろよ! こいつの髪の毛あっか! グッロー……血みたい。不っ吉──吐き捨てる言葉が彼女を抉(えぐ)る。視界が滲みだす。

必死に助けを求めて周りを見回すが、狭い視野に入った子たちは、みんな見て見ぬフリをしている。心が黒い血を流したその時。「エイミー!」空気を引き裂く声。

「エイミーに手ェ出してんじゃねぇよ!」

楽屋に戻ったエトワールが剣幕(けんまく)で飛んできて、細身を思いきり殴ると木(こ)の葉のように散っていき、大柄の腕を強く掴む。

「ルイ! ああ⁉ てめぇ誰だよ!」

やられたルイスを一瞥(いちべつ)し首を走らせると、今にも刺すような鋭い月白とかち合った。

「その手でこの子に触るな。今すぐ離せ」どす黒い声だった。殺気が囁く。「──穢(けが)れるだろう?」

胸の奥底に、彼の冷気がスーッと通ったのを感じて、粟立(あわだ)つ。

「……は?」

すっ、と赤毛を解いてエイミーはへたり込んだ。怒気と殺気が睨み合い、罵声が空気を震わせた。

「きめぇんだよイカレ野郎!」

ギルベルトが殴り掛かるがさっと華麗によけられて、バランスを崩してよっとっとと前進し、ちょうど通りかかったセシルを押し倒した。

横から猪がやってきたのか後頭部を強打(きょうだ)し、目を開けると目と鼻の先にデブの顔がデンと広がっていた。「は⁉ マジでやめろ! 」股間に蹴りを入れホモを脱出する。

ギルベルトは激痛に叫んで股間を押さえる。「あのクソッ……許さねぇ!」やっと立ち上がると、鬼の形相でセシルの背を追いかける。「歯ァ食いしばッ……アっ」上ずった声が出た。さっきの名残で股間が痺れる。バレーのジャンプみたいに足が傾き、セシルに熱いバックハグをした。セシルはモアイになる。ちょうどその光景をみたマルクスは眼鏡を掛けなおし、「なるほど」勉強して去った。

「ちげえよ!」二人から背中を突き飛ばされ、きゃあ! と偶然いたニコラの手を攫(さら)いくるくる舞踏(ぶとう)する。「触(さわ)んじゃないわよ!」強気な見知らぬ女子に手を叩かれ、「ビンタしてやるんだから!」 と、結果追われることになる。

「なんて理不尽だ。あの凶暴なベジタリアン生物……」

セシルは怒りに燃える。「あのデブ! 殴っておかなきゃ気が済まねぇ」

「ギル! こいつイカれてるよ!」

ルイスがエトワールに胸倉を掴まれていた。それを見たギルベルトは激昂(げっこう)する。

あのイカレ野郎! あのホモデブ! この暴漢(ぼうかん)! あの野菜……! このたたきゴボウ!

──エンジ色のカーテンが颯爽と開いた。組み合ったぴかぴかのとんがりブーツが顔を出し、ピエロはご機嫌に両腕を広げてくるりと舞った。

「おっ待たせーーー! 子どもたちいいいい!」

Yの字になって歓声を今浴びる! 「あれ?」しかし、ピエロを迎えたのは戦場のサーカスだった。

四人の少年が騒々(そうぞう)しく乱闘騒ぎを押(お)っ始(ぱじ)めている。野菜少女が眼鏡の少年の胸倉(むなぐら)を掴んでガミガミと怒鳴りまくり、独(ひと)りっきり童女は何も知らない何も聞いてないと呪文を唱(とな)え続け、へたり込んだ少女の赤髪は乱れ、今にも雨が降りそうだ。

「……なんと笑劇(しょうげき)な悲劇……」

 鍔を深めてピエロは飛んだ。

四人の少年の輪の中で、パンチとキックが、猛烈に一人ひとりの方へ走るその時。

青年がぬっと中心に舞い降りて、刹那、展開して手足で手足を食い止める。自分の四肢(しし)と、少年たちの四本の手足が見事に拮抗(きっこう)し、シャッターを切ったように、ぴたりと空中で合体した。

「──ダメだよ? 喧嘩しちゃア」

瞬時に上下回転し、セシルの視界一面にインパクト抜群の笑顔が来る。ルイスは寄り目で目鼻の先の杖のグリップを瞠目(どうもく)し、ピエロの四肢は誰も傷つけず、強靭(きょうじん)な支柱として小刻みに震えている。怪力交じりの少年四人分の力を御(ぎょ)し、体の負担は馬鹿に大きい。

少年たちは驚く。

『ピエロ!』

身軽に舞台を降りると、イスの足が折れるように彼らは一気に崩れる。

かつ、かつ、かつ。

奇妙な静寂が満たし、全視線を浴びてエイミーの前に現れる。

そして、ゆっくりとひざまづく。帽子を取って会釈し、とても優しい声で話しかけた。

「はじめまして、レディ」

 エイミーはおずおずと、上目のままちょっぴり目礼(もくれい)する。

「さっ、ごらんになって? この子は私の愛棒。変哲(へんてつ)だらけのピエロステッキ」

ピエロは巧みにステッキを操って斜めに構える。「私のともだちを紹介しよう」グリップにこんこんとノック──ジャー──ふふんふうん。誰かが鼻歌を歌ってシャワーを浴びている音が杖から鳴る。

「おやおかしい」ノックしてもらえるかなと彼がグリップを傾け、おそるおそる彼女はかわいらしくノックした。「こんこん」

「入浴中だバァロー!」

すると突然グリップがライターみたいに倒れ、杖の中から、赤い小鳥のオモチャがばさりとへんてこな声で飛び出してきた。目鼻の先にひょうきんな顔がでんとあり、エイミーはびっくりして明るく笑った。声はピエロがあてている。

小鳥はエイミーを見るや大仰(おおぎょう)な反応をして、カメレオンみたいに赤色から青緑に変色し、ピロピロ笛みたいな舌を伸ばして悲鳴をあげ、ピエロの背中に隠れてしまう。ひょこっと顔を覗かせた。

「この子はカメレオンドリ・バカァドリ──ちょっと人見知りなのさ」

汚れちまうだろうが! 恥ずかしいんだろ? ほら自己紹介をしなさい。バカァがシャーネーナと言って、彼女の前をばさばさと飛ぶ。

「俺は赤き不死鳥のバカァ様だ! 杖(ここ)は俺の城であり俺そのもの! この杖のように俺は立派なんだぜ! 頭脳ソーセージな王である!」

うぃーんとスティックにスライドが開き、『←こいつバカですwwww』と電光掲示板に真実が流れている。「杖の方が正直のようだ」

「ちげぇよバァロー! 俺様は頭脳明太子だ!」

「その通り頭脳明晰だ」杖から陽気な曲が流れだす。「何もすばらしい特技をお持ちだとか」

よ~ろ~れいよろれいよろれいっひー! バカァが可笑しく躍動(やくどう)し、ヨーデルになっていないヨーデルをうまくうたい、ピエロも互い違いにうたいだす。

体が踊っていたエイミーまでもが、見よう見まねでとても上手にマネっこして、ピエロがおっと目を大きくした。

笑顔を交わし心を通わせ、どちらからともなく立ち上がる。一方はタップダンスで拍子をつけ、一方は無邪気に拙(つたな)くダンス。

他の子どもたちは徐々に笑みを浮かべ、アビーの瞳がきらきらと輝いていく。ピエロとエイミーが手を繋いでだんだん近づく。

白手袋が頬を撫で、泣かないでと下瞼(したまぶた)の雫をさりげなく攫(さら)う。杖が『お前最高wwwwwww』と言い、『/( ^^/)へイヘイ(/^^)/』と杖まで踊りだす。急かすようにアップテンポになっていき、バカァがぶるぶると不吉に震えはじめる。

「大変だ! バカァが爆発しちゃう! 伏せて!」

きゃあ! 怯えてうずくまる。すると──ぱぁん! 華やかな音が頭上からきこえてきた。

なんだろう。エイミーが心配そうに上を見上げると、紙吹雪が舞い散り、バカァから取って代わって、造花のブーケがかわいい女の子の満面の笑顔みたいに広がっていた。自分の大好きなお花。

彼がひざまずく。

「君の笑顔を表現してみました。うまくつくれたかな?」

エイミーは首をかしげた。すてきな彩りに見とれていたそれが、自分だったのだとハッとして、急いでピエロに目を移す。目が合うともっと目が柔らかくなった。仮面を介(かい)さなくてもわかる。泣きたくなるような優しい笑顔。あったかいものが、胸の中に満ちあふれる。

花束が霞(かす)む笑顔をみせた。

「はい! たいへんよくできました!」

くすっと彼が笑う。その笑顔にはまだ遠かったみたいだね。そう言って、手慣れた手つきで杖をノーマルにさっと戻し、斜めに構える。

「このステッキ、素敵でしょう?」

ぽろりん。杖は『よろー(^o^)丿』と言っている。

「うん!」

ほんとうに、ほんとうに、忘れられないくらいうれしかった。エイミーにとって、ピエロ・ペドロニーノという存在は世間知らずな田舎娘でも知っている存在だった。彼女の生まれた翌年には彼は既に遊戯をしていて、今よりもっと幼い時はおもちゃとよく遊んでいた。その時はただすごい人、面白い人としか思ってなかったけど、ピエロは愛情深くまるでパパみたいにすてきな人だ。もっと、この人がう~んっと好きになった。

「ピエロだいすき!」

彼の懐(ふところ)に飛び込んで首に巻き付いた。彼も嬉しそうに笑って抱き返し、彼女をくるくるしながら立ち上がる。あったかくて──とてもいい香り。目の前に深く光り輝くブローチがある。すると乱れた自分の髪にするりと指が入ってきて、一瞬どきっとした。身構えるが、彼がくれたのは罵声でも暴言でもなかった。

「きれいな髪だね」

優しくなでる手つき、囁(ささや)くような声から偽りのない言葉だとわかる。じゅわぁっとバターみたいに心が溶けた。パパの「愛してる」と同じくらいのものと出会ったようで、目元が熱くなる。なんだかほっぺも熱い気がして、注がれる視線にどうしてか俯いてしまった。

そう、パパも、こんな人──大好き。エイミーは、出会ったばかりの男には到底しないハグをした。

「…………」

女の子から熱烈なハグをされたお。女の子のフルーティな匂いと未発達で柔らかな感触。童貞もまた違う感動に出会っていた。究極のドヤ顔でセシルを見る。

「うぜえ!」

「チ…………」こわ。

帽子のトップからハッピーな効果音を奏でてサムズアップが飛び出し、双子を見る。

『ドヤ顔で見てんじゃねぇ!』うっわ双子⁉

まだしてと嫌がるように鳴く子猫を、頭を撫でてそっと置く。乱れた髪の毛を器用に元通りにしてあげたあと、くいと足の向きを変え、ハミングして少年たちの方へ進む。彼らは一様に硬直する。雰囲気を感じ取ったのだろう。セシルとエトワールは並(な)べて瞳に宿る正義の光を自分に射ている。

──違う。 

双子は──わかりやすく動作で教えてくれた。

広い肩幅で双子の両端をがっしりと抱き寄せる。「やあプレイボーイ」

ニッコリと笑い、ルイスとギルベルトの後頭部に手が回り──二人に一人ずつキスをした。

唇に当たったのが、仮面の口の部分だと悟(さと)った直後。

『ぎゃあああああああああああああああああああああああああ!』

細いのと太いのがのたうち回り絶叫をハモらせる。

「俺のファーストキッスが……」

「あんな変態に!」

あれはキスじゃねえええ! あれは仮面だ僕は仮面にキスをしたんだ……。意識しちまうだろうがあああ! これは夢だ……。

「アッヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャ! クソざまあアアアアアアアアアア!」

と、ピエロは指をさして大人げなく爆笑し、子どもたちもわだかまりを吹き飛ばして痛快に笑う。

セシルとエトワールの間をかつかつと横切ると、ぽんっと肩を叩いた。

「応援しているよっ」

「え?」

「は?」

ピエロの背中を同時に見た。一方は彼の洞察力に驚愕し、一方はまるでわかっていない。

「ありがとう」

「は⁉ 何が!」

「よろしくね」

「何が!」

ぴっぴー! ピエロがホイッスルを鳴らす。「ハーイみんな~! ここに集合―!」エイミーを出し抜いてマルクスが一番乗りで彼の前にやってくる。

「はじめましてピエロ。握手してもらえませんか?」

「光栄だとも! でもなんでひざまずいてるのー?」

握手した掌(てのひら)に残る温もりを胸に抱きしめている人に続いて、ぞくぞくと他の子たちがやってくる。帽子を合わせると二メートルはあり、圧倒的なスーパースターを前に、でけえ! やべえ! がちでモノホン! ぎゃあぎゃあと興奮状態の子どもたちをピエロが静める。

「はいはいはいはい、静まれエエエエエエエエエエエエ!」

逆に爆笑され、ようやく静まったところで、ボウ・アンド・スクレープをした。

「私は紳士で道化師。ピエロ・ペドロニーノ」頭をもたげ、破壊的な顔芸をみせた。「──でぇす⁉」

笑いと歓声が爆発する。はじめまして! どうもよろしくー。ピエロは一人ずつスキンシップを交わした。

「ベジタブル! はじめてなんかじゃないわ! 私あんたを知ってるもの!」と、ニコラ。

「それはよかったお嬢さん! じゃあレディは私の一体なにを知っているのかな?」

「そうね、私が物心(ものごころ)ついた時から髪が真っ白だわ! それ老化なの?」

ガーン!

「ろ、ろ、ろ、老化ぁ⁉ 今何を……失礼だレディ! これは健全なる地毛──ってみどりイイイイイイイイ!」

ニコラの髪色にビックリ仰天(ぎょうてん)、帽子の腹からカッコウが飛び出る。

「何よ失礼ね! これは染めているのっ──」

「ああ、まるで摘(つ)みたてのマスカットみたいに、甘美な髪色だね」

ぽっと頬を染めて、ニコラは口元を隠してかわいらしくさえずった。「でしょう?」ピエロは陰でほくそ笑む。女の子は、ナチュラルに褒められると嬉しいもの。

「おっさーーーん!」ギルベルトが冷やかす。

「はあ⁉」翻(ひるがえ)す。「そうだねぇー、お兄さんの口からすごい言葉が出る前に、お兄さんと呼ぼうねぇ~」

『おっさーん!』

「なんだいクソガキくん。髪の手入れも肌のケアも、私は女性に劣らず気を遣っているんだ。おもーいダンベルだって持てるよ~? 紳士は人知れず男を磨いているのさ」と、さらさらの真っ白な髪を掻(か)き上げた。

「そんなこと聞いてねぇわ」と、セシル。

「そんなことより私は君たちに興味津々だ! じゃあそちらの──熱烈な白目ボーイ。君の名前は?」

マルクスがパチスロみたいに目玉を下ろしてはっと我に返り、気をつけの姿勢をとって、赤い顔で答える。

「はい! ぼ、僕はマルクス! 小学五年生! じゅじゅじゅっ、十歳です!」

「ジュジュジュッ⁉ 十歳です! ほぉ? マルクスかい」

ああああ! 神に! 神に名前を呼ばれたぞ! マルクス! マルクスって!

「ウゥ~ン。君と友達になりたいな。敬語は使わなくていい」

⁉ きいたか僕! なんてことだ! 僕の中での歴史的瞬間だ……ああ……

「了解したピエロ君」

「なんでそんな軍隊みたいなの? お前」と、笑い交じりのセシル。

「なんだ君は。神と友人が創(つく)る神聖な新世界に闖入(ちんにゅう)しないでくれないか? アマ」

「お前年下だよな?」

「まぁ君たちにも特別に教えてやろう。去年の全国模試は全科目満点。常にトップを走り続ける類をみない超優等生だ」

自分で言う? と声が上がる。

「パパとママどっちが好き?」エイミーがにこにこと質問をする。

キッパリと答えた。

「父さん」

ピエロに雷が貫く。

「マルクス」

突然低い声で名を呼んだ。

「私は、ママの方が大好きだ」

マルクスに電撃が貫いた。むらむらと闘志が燃え上がる。

「僕は、嫌いだ」

両者の間に仁義(じんぎ)なき火が付き、まるで餅つきのような応酬(おうしゅう)でぶつかりあう。

父さんっママ! 父さんっママ! 父さんっママ! 父さんっママ!

「父さん父さん父さん父さん父さん父さん!」

「ママママママママママママママママママママママママママママママママママママ」

「父さんの方が好き! 母さんは断じてない!」

「ママだしぃ⁉」

「父さんだね!」

「マルクス!」

「なんだ!」

マルクスの眼鏡を奪い、至近距離で見つめ合う。

「おっとこんなところに綺麗な瞳が」

白目になって撃沈した。「南無阿(なむあみ)~」ウィークポイントくらいお浚(さら)い済みだ。次は視線を亜麻色の髪の少年にやった。

「俺? セシル、十一、五年」

「はーい次は?」

「もっとツッコめよ!」

双子が元気よく挙手をした。ハイハイハイハイハアアアアアイ!

「ではそちらの凸凹(でこぼこ)くん」

うぇーいと陽気に喜んでからギルベルトがふんぞり返る。

「俺は天下無双の怪力王子ギルベルト様だ! 俺を怒らせるな? ぶん殴るぜ!」と豪快に笑った。

「ゴリラだろ」マルクスが即座に美辞を訂正する。

「僕は人類に愛された味噌汁の具。海藻の踊り子ルイスさ。君を骨抜きにしてやるよ」と、目元がみえない程度に髪を掻き上げ、華麗なワカメダンスを披露(ひろう)する。

「ただのワカメじゃない」と、ニコラ。

「特技はダンス、趣味はナンパ、サボって遊ぶ」とルイスが言い、

『スカート狩り』とシンクロ。

ニコラが死んだ目つきをしている。「ちんぴらのカリスマだな」とマルクス。ピエロはかわいいなぁと、くねくねしてでろでろ笑っている。

「実は俺たちこう見えて……」綺麗にハモって言った。「双子なんでーす!」

「へー! それはすご、ちょっと待って、双子なの?」

ピエロは全然似てないと爆笑した。泣き笑いしながら見つめる。二卵性の男同士だろう。ギルベルトは笑っている。微笑んでいるルイスの埋もれた目と視線が合い、双子の不調和を垣間(かいま)見た。

「なぁるほど?」まるで月と太陽だな。

次はニコラが高飛車(たかびしゃ)にはじめる。

「パプリカの女王だけどなんか文句ある? あんたの国の資源を余さず美味しくいただいてやんだから、なんか文句ある?」

「うん盛りだくさんだけど真の名は?」

「ニコラよ、小五ってところね」

頭腐ってんのか? という顔で男子は白眼視(はくがんし)している。

「なん歳?」

エトワールが訊(き)くと目の色がぱっと変わった。

「十歳よ! 」

「そっか。僕より一つ下だね」

ふわりと優しく笑った。ニコラはうるさく彼の下にきてメロメロ光線を発射する。ベジータ様ぁ! ベジータ?

自然と注目を集めていた彼は、薔薇のような特有の微笑みを浮かべて言った。

「僕はエトワール、小五だよ。みんなよろしく」

両隣に女の子がいて、特にエイミーがくっつかれている。色気したたる美少年に色んな声があがる。カッコいいわ! よろ。うっわ……。顔なぐりてぇ。

「さーてと君はー?」

腕を元気いっぱいに振り上げて満面の笑顔が答えた。

「エイミーはエイミーだよ! 十歳!」

「知ってる」と、セシル。

「エイミー。可憐な名前が似合うのは可憐な子だ。君はとても可憐だね」

「お前なに言ってるの? かれん? カレン? カレンダー? エイミーはカレンダーではありません」

皆、本気で疑問そうな顔をするエイミーという信じがたいものを見ている。

「え、け、き、君は人間でありフェアリーなんだ。人間は猿から進化し、君はお花から生まれてきたんだよ」

上を向いてピエロの言葉を一生懸命一生懸命考えた。エイミーはもちろん人間だ。フェアリー? おはなのことだ。おはな? おはなだ!

「へーーーっくしょーーーん!」

「それは鼻水だねーエイミー」

おバカ炸裂(さくれつ)に男子がドカンと笑った。あははおもしろい! マジで言ってんの? 究極のバカじゃん。セシルプレーン……。

「エイミー。可憐っていうのはかわいいってことだよ」エトワールがウインク付きで教えてくれた。

「君、学校行ってる?」信じられないといった調子のマルクスが訊いた。

「学校? うん! いつもお花畑には行ってるよ!」

また男子の大爆発が起きる。バカすぎる! 彼女が学校に行っていたら小学五年生だ。

「君と話すとこっちまでお花畑になりそうだ」と、眉間(みけん)を押さえるマルクス。

「お前いつも何してんだよ」と、笑いに苦しむ声でセシルが言った。

「エイミーは村にいるんだ。歌が大好き! いつも歌っているよ!」ぴょんぴょんはねる。「牛ちゃんのお世話もしてるよ! エイミーの絞る牛乳はすっごくおいしいんだ! いつも森で駆け回ってる! よろれいひ~!」

「人間は猿から進化し、そして君は猿のまま生まれてきたようだな」

「セシルグレートは?」

「セシルグレートじゃねえ! 猿のように進化してんじゃねえよ! 俺はセシルだ!」

「セシル? ──わああ! いい名前だね!」

「……うっせ」ぷいっとそっぽを向いた。赤い。

「可憐な名前が似合うのは可憐な子だ。可憐だねセシル」エイミーパパが言った。

「お前俺とタイマン張りたいのか⁉」

うっとりとニコラに腕を巻きつかれたエトワールが、セシルと楽しげに話すエイミーの肩を叩いて頬をぷにっとして自分の方に振り向かせる。「かわいい」とくすくす笑う。ピエロが指揮を振って歌うように質問した。

「一たす一は~?」

「三十五億~~!」

エイミーがトゥーンと跳んで大爆笑の渦が起こった。嵐がいよいよ凪(な)いだらピエロが言った。次は──おっ最後だねー。最年少の片目の女の子。

ドクン──心臓がネガティブに跳ねる。

さいあく……。

全身の血がさーっと引いていく。ひどいよ……。おもしろい子の後だなんて。しかも最後なんて。

おそるおそる目を上げてみると、恐ろしく大きな人たちのたくさんの目が自分をみていた。ひっ、と急いで俯く。だいすきなピエロでさえ怖い怪獣に思えてくる。逃げ場なんかない。ドクドクと急ぐ心臓が早くしろと責め立ててくる。

やっぱり……自分みたいなのが楽しい輪には入れない。弱虫な自分がきらい。臆病な自分が大きらい。期待を寄せてくれるパパとママにもどうせ失望されて、ピエロにも呆れられるんだ。目の辺りが燃える。涙が、こぼれそうになった。

「おいで」

優しい声に、はっと顔を上げる。ふわっと軽々と抱っこされた。

──あったかい。優しい心臓が隣にいる。この甘やかな安らぎのなかで、すべての傷が癒えていくようだ。やさしい人。頭を預ける。こんなんじゃ赤ちゃんに戻ったみたい。将来、こんな人と結婚したい。

 耳打ちするみたいに、そっと口元に片手を添えて、かわいい耳に話しかける。

「もしもし」

「……もしもし」

「名前はなあに?」

ドキドキ、ドキドキ。喉には、安穏(あんのん)がすーっと通っている。

「アビー──七歳」

「アビー──。いい名前だ」

顔に血が集中している。きゅっと服を摘まんだ。か細い声だったけどみんなの耳には届いたはずだ。そっと横をみると、エイミーがとびきりの笑顔で笑いかけてくれていた。笑い返したかったけど、恥ずかしくてできなかった。

ピエロは宝物みたいに頭を撫でてからアビーを解放した。アビーは晴れやかな色でぱっとピエロを見上げると、パチッとウインクされてすぐに逸らした。また心臓がうるさい。

「それで? 次は何するの?」と、エトワール。

フフ──不敵ににやついた。

「今から君たちにしてもらうのは──『脱落ゲーム』だ」

「脱落⁉」

「お空から落ちちゃうの?」

「まさか? 安心しなさーい。ぽち」

 リモコンを取り出してスイッチを押すと、ホログラフィが宙に出現する。国のマップが表示されており、大きなステージがいくつかあって最終地点にピエロ城がある。現在地点以外のルートは黒い影に覆われている。

「ここの赤いところが現在地点だ! 君たちは私と一緒に観光がてら、国を冒険してステージに勝ち進んでもらう! ステージごとに遊戯があって制限時間内にクリアできなかったら、その時点でゲームオーバー。つまり脱落だ。そして最終ステージまで見事勝ち残った子には、な、な、な、なんと⁉ おもちゃの国をプレゼントォォォ!」

 そう聞くと子どもたちはぎゃあぎゃあと大喜びである。ある子は闘志をメラメラさせて。脱落してもゲームはできるよと彼は加えて言った。

「やべえ! 毎日遊び放題じゃん! 毎日がパーリーピーポーだろ⁉」

「毎日美女と踊り放題!」

ウヒョー! と双子がハイテンションに十分パリピに踊る。

「必ず栄光を掴み取ってみせるわ……ベジタブル王国の、復活のためにね……ククク」

こいつらに任せたら国は確実に崩壊するなと蔑視(べっし)してから、マルクスが言う。

「この国とおもちゃを余さずこの手で分解し、この国の謎を僕が解明してみせる」

破壊王になろうとしている。

「ピエロと毎日ずっと一緒にいられる……」

アビーがほんのりと染まって俯いて言う。

「毎日楽しそうだよね」と、エトワール。

「まあ学校行かなくてはいいのはラクだな」と、セシル。

「うんみんなそれぞれ野望があってよろしい~」

めいめい七人はうきうきと独自の夢をみている。自分だけの夢を欲しがっている。そんな彼らを楽しそうにみて、エイミーも国を手に入れてピエロたちと楽しい日々を送りたいなと思った。でも。

「エイミーは──」

全員が彼女の方を見る。もっともっと、楽しくて素敵なことがある。

「エイミーは、ひとりのものになるより、みんなのものにしたい! ここにいるみんなと力を合わせたい! みんなでゲームを楽しみたい!」

数瞬の沈黙。

「おや」

ピエロが目を丸くする。

「みんなでとろうよ! みんなのおもちゃの国にしようよ! みんなで楽しもうよ!」

その腕をいっぱいに広げて、彼女は満面の笑みでみんなに向けてそう言った。

こんなことを言う子どもは珍しいと彼は思う。過去には数度子が同じことを言った回もあったが、得てして二手のエンドに分かれる。団結するも、夢は破れる──はたまた、

「はぁ?」

バラバラのままで然(しか)り。

沈黙を破ったマルクスが顔を歪める。半数の子が同じ顔をしていた。

「なぜ、僕が君に協力をしなければいけないんだ? これは遊戯だが僕の気持ちは遊びじゃない。みんなで協力? 君と僕がか? ──まあ、君の独創的なユーモアセンスは一流だと称(たた)えるよ」

「ハッ、遠慮するぜチビ! 俺とルイスのものになるから燃えんだろう? 山分けなんてクソ食らえだぜ!」

「うんそれな?」とルイスが共感し、

「ここの国の資源はパプリカ様が頂くのよ? 収穫のお邪魔虫になるだけね」

多くの子に拒絶されてしまった。その空気は糾弾(きゅうだん)にも等しい。こういう時、大人の仲介が入るものだが、ピエロはあえてそうしなかった。おもしろいからだ。

エイミーは瞬きを早く少し悲しそうにして目を伏せたが、エトワールがやわらかく声をかける。

「僕はいいよ。いっしょに楽しもう?」

彼女の顔がぱっと上がった。

「エトワール!」

えぇぇぇぇ⁉ とニコラが言って彼の腕をもぎ取る。

「ベジータ様がそうするならあたしもそうする!」しかし彼はスルー。

「君がいなきゃ、意味ないからね」

「あたしも、あなたがいないと意味がないもの……」

エトワールはまじで今この微生物を投げたいと思った。

「セシルはどうするの?」と、エトワール。

「俺は別にどっちでもいいよ」

「煮え切らない答えだね。彼女のグループに入れなくていいんだ?」

「あれ? もしかして今あたし……モテてる?」

エトワールはがちで今この微生物を投げたいと思った。

「はぁ? 別に俺には関係ねぇし」

「そ」

「あ、アビーも……協力する……」

「アビーも⁉ みんなありがとう!」

エイミーが笑顔を弾けさせる。

「勘違いしないでよ? あんたに賛成したわけじゃないからね、ベジータ様だからぁ!」

と、うっとり。

「ありがとう! ニコラ!」

「ふんったら」

そして時間を取り戻したように、ピエロが腕を曲げて口を動かす。

「お好きにどうぞ? かわいい子どもが一人でも増えるなんてハッピーセットだ」

「ありがとう! ピエロ」

「フフフ」

それはこっちのセリフだよ、エイミー。見事に派閥(はばつ)に分かれたな。

協力派はエイミー、エトワール、アビー、ニコラ。

独占派は双子、マルクス、

どっちでもいい──セシル。

「君たちはプレイヤー、そして私は最高のワラダイスへエスコートするガイドマン、同じくプレイヤーだ! さあ私を友にしてゆこう~!」

指を華麗に鳴らすと突き当たりの天幕(てんまく)が一気に捲れ上がった。その入り口は夢のような光を溢(こぼ)している。

「さぁいこうか」

手を差し伸べるが、子どもたちは既に追い越して出口へ馳せている。

「ちょっと⁉ 待ちなさい! 待ってよおおおおお!」

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